たとえ会えなくなっても、ローラは一番大事な友達だよ。ずっと。ずっと!
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「トロピカれ! わたしたちの今!」
Lead Character:がんばったひと
まなつ
ローラ
Major Happening:大きなできごと
まなつたちとローラがお別れできるように気持ちの整理をつけなければならない。
Sub Questions:小さなできごと
『私たちの物語』
想い出を振りかえるように、今やるべきことを噛みしめるように、この1年間の出来事をベースにした演劇を上演した。ラストシーンは直前になって変更し、さらに公演中にもアドリブで変更することになった。
グランオーシャンの掟
記憶を消さなければならないのは、寿命の長い人魚が人間の友達を先に亡くしてもさびしい思いをしないようにするためだった。ローラが人魚として生まれ、人間のまなつたちと出会ってしまった時点で、ここでどんな選択をしようと悲しいお別れからは逃れられない。
・・・でも幼少期ローラと出会ったまなつの記憶は消えてなかったじゃん? とか言ってはいけない。
Battle Depiction:どんなバトルだったか
グランオーシャンの掟により、ローラもまなつたちもお互いの記憶をなくしてしまう未来が確定していた。
しかし、まなつはベッドに「むかえに行くこと!」と張り紙し、ローラは机に「魔女のところへ」とメモ書きすることで忘却に抵抗する。魔女の召使いたちの協力もあり、やがて彼女たちは忘れてしまったはずの友達と3度目の再会をすることができた。
グランオーシャンに掟ができたのは人魚自身がさびしい思いから逃れるためだった。まなつと再会してしまったローラにこれを解決する腹案は無い。
だって、この出会いを後悔するつもりがそもそも無いからだ。
Like It Here !:ここ好きポイント
人間についての講義
まなつたちと再会後、ローラはグランオーシャンで仲間の人魚たちに人間のことを教えるようになったらしい。つまり(なし崩し的に)掟を無くすことに成功できたのだろう。
キュアプレシャス
この妙にテンポのいい出会いシーン、どっちかというと春映画のノリよね。今年ないけど。
今年のストーリー進行は全体的に変則構成でした。
いつもなら第2クール後半の追加戦士加入直後あたりで集中的に追加戦士枠の掘り下げが行われるのですが、今年は最初から仲間にいたローラが追加戦士だったので、初変身前の第2クール前半には必要な掘り下げがすでに完了していました。第2クール後半はバトルでのトドメ担当がローラなのに普通に他のメンバーの個人回を消化していて、ちょっぴり不思議な感覚でしたね。
いつも第3クール終盤に行われる最終浄化技習得イベントは、ビートダイナミックが2種類ある都合で第3クール中盤と第4クール初頭の2回発生。それぞれまなつの物語とローラの物語を中心に描かれました。
これら以外にも全体的にローラの追加戦士枠を越えた活躍が目立ち、今年は早い段階からダブルヒーロー的な印象が強くありました。そういえば秋映画もローラが主役でしたしね。
そしてこの最終話。意外とこれが一番目立った特色かもしれません。
いつもなら第4クールで全員分消化し終わっていた個人回のフィナーレが、今年はまなつとローラの2人分、この最終話まで持ち越されました。
まなつの「今、一番大事なことをしよう!」という思想は、幼いころローラと生き別れてしまったことから、もう二度と後悔したくないという反省をベースに構築されていました。
それ自体はけっして悪いことではないのですが、“今”を大事にしようという割には少しだけ意識が過去に縛られすぎているきらいがあり、そのせいで他のメンバーよりも未来を望む視野が狭くなってしまっていました。
ローラには「グランオーシャンに帰ったら記憶を消されてしまう」という、きわめて不本意な障害が立ち塞がっていました。
がんばり屋さんのローラが次期女王を諦めるだなんてありえません。だからこれはまなつと反対に、未来をつかみ取るためには過去を犠牲にしてもいいのか? と問いかけられている構図です。ローラ自身には過去を粗末に扱う理由がないので外的圧力として課題が設定されたものと思われます。
ふたりの物語の一番大事なところが、今日、ここに完結しました。
一体どのようにして解決してみせたのかといえば、これがまたいかにもプリキュアシリーズらしい手段で。
二者択一の選択肢
「もし、あなたがこのまま人間の世界でお友だちと暮らしたいなら、それも構いません。女王の座を辞退して、ずっと人間の世界に留まるのもいいでしょう。――ローラ。決めるのはあなたです」(第45話)
基本的に、プリキュアはこの手の二者択一を素直に選択したがりません。
「プリキュアは諦めない!」ものだからです。
片方を選べば片方を諦めざるをえなくなるような理不尽を突きつけられた場合、大抵突きつけてきたイヤなやつを殴りとばします。選択肢そのものをぶち壊します。そしてプリキュアは両方のいいところを総取りにするのです。
今年は二者択一を提示してきたのがローラの敬愛する女王様だったのでさすがに殴りはしませんでしたけどね。
きっとほとんどの視聴者はローラがグランオーシャンの掟を廃止させるところまでは予想していたでしょう。そして期待していたでしょう。
私もそうでした。きっとまなつたちとの想い出がいかに大切なものであるかをローラが切々と訴えて、人魚の寿命の問題を飲みこむ覚悟を示し、現女王様を納得させる展開になるものかと。
もうちょっと意外な展開でしたね。なんともローラらしいというか、『トロピカル~ジュ!プリキュア』らしいイタズラな作戦でした。ドラマとしてもこっちのほうがぐりんぐりんどんでん返ししていて、見ていてワクワクドキドキしましたね。
「あなたは私の言いつけどおり、人間の世界に行って、プリキュアを見つけました。自分ができることを精一杯やりました。だから。――だからもう、人間の世界に戻らなくても構いませんよ。女王候補として立派に役目を果たしたんですから」
「――よかった。ありがとう、女王様。だけどね、私――。あの子たち、私がいないとダメだから。だから、私は戻る!」(第17話)
ローラが女王様に選択肢を提示されたのは今回が初めてのことではありません。
キュアラメールに初めて変身した日も、グランオーシャンに留まるか地上に向かうかの選択がありました。もっとも、あのときは今回と違ってどちらを選んでも何かを諦めるようなシビアなものではありませんでしたけどね。
ただ、あのとき女王様が言っていたことを私たちは思いださなければなりません。
「ねえ。女王様は私に何をさせたかったの? 私、女王様の言うとおりプリキュアを見つけた。次はどうすればいい?」
「あなたは、どうしたいのです?」(第17話)
あのとき、女王様は期待していました。
ローラが自分の意志で自分の身の振りかたを決めてくれることを。
そしてローラは示しました。はっきりと自分の意志で地上に向かうことを選択しました。
“選択”したんです。
女王様が提案した2つの道のうちから、1つを。
けれど今回、ローラが選んだ道は女王様が提案した二者択一の選択肢のいずれでもありません。
女王様の想定を越えた、女王様の意向が一切介在しない、本当の意味でローラだけの考えで決めた第3の道です。
今回のローラは“選択”しませんでした。
「あなたは、どうしたいのです?」(第17話)
ここに、あのとき女王様がローラに期待していた本当の願いはようやく完全なかたちで成就されたといえるでしょう。
親離れ。
ローラは今日、本当の意味で自分の生きかたを自分で決められる、自立した人物へと成長を果たしました。
それならば、もはや親代わりとして何の釘を刺す必要もなくなるでしょう。
「あなたにもいずれわかる日がきっと来るでしょう。自らその記憶を消してしまいたいと思う日が」(第43話)
もともとグランオーシャンの掟は長寿の人魚が早々に人間の友達を亡くしてしまうさびしさから救済されるためのもの。人間の友達をつくってしまった人魚本人のためを思いやってのものでした。
ローラがどんなに嫌がっても女王様が強硬な態度を崩そうとしなかったのは、つまるところ、親心あってこそのものに他なりませんでした。
ローラが親離れしたのなら。
女王様の庇護下から完全に脱してみせたのなら。
――もはや彼女に掟を適用して“あげる”必要なんかどこにもありません。
将来後悔しようが悲嘆に暮れようが、全てがローラの自己責任で、そして全てがローラの自由です。
ローラが自分の意志と力で女王様を出し抜きまなつたちと再会してみせたこの日、女王様のお母さんとして果たすべき役割は全て完了しました。
たとえ耐えがたい悲しみが襲い来るとわかっていても
「・・・ありがとう。でも、こんなの別に今日じゃなくても」
「ううん。だって、当たりのクッションをもらってないのが気になって、ローラが大事なことを決められないと困るじゃない」
「今、一番大事なことをしよう!」
幼いころにそう誓いました。
「――でも、次の日秘密のビーチに行ってもその子はもう来なくて。私、その子の名前も聞かなかった。だからどこの誰かもわからなくて。だから、私は決めたんだ。初めて会った人には最初に名前を聞こうって。いつでも“今、一番大事なこと”をやろうって」(第37話)
大事なことをやるべきときにやらず後悔したことがあったから。もう二度と後悔したくないと思ったから。
だからずっとずっと“今、一番大事なこと”を大切にしてきて、そしてずっとずっとそれでうまくできていました。
さんごが紫の球根を選ばなかった過去に縛られていたように、みのりが『マーメイド物語』を批判されてしまった過去に縛られていたように、あすかがテニス部の仲間と戦えなかった過去に縛られていたように。
まなつもまた、ずっと過去にしてしまった後悔に縛られていました。
みんなと違って、それでこれまでずっとうまくいっていたわけですから、別に必ずしも悪いことではないのですが。
ただ、限界は見えていました。
「テニスが好きなあすか先輩。本と物語が好きなみのりん先輩。女王様目指してがんばっているローラ。何でも今好きになったものに全力で一生懸命になれるまなつ・・・。みんなすっごくキラキラしてる。好きなもの、やりたいことを見つけて。それに夢中で。――『でも自分は?』『私は何がしたいんだろう?』『本当に好きなのは何なんだろう?』 そう考えたら少し恐くなっちゃって」
「なんで? さんごだってすごいじゃん! かわいいものが好きで、メイクも得意だし」
「得意っていっても本気で勉強したわけじゃないから」
「さんご・・・」
「でも、私もみんなみたいにキラキラしたい。もっと心からトロピカりたい。・・・だから、一度試してみたいと思ったんだ」(第39話)
あの日、さんごはまなつの先を行っていました。
まなつには見えないものが見えていました。
“今”だけを見ていては絶対に気付けない、もっと大事なこと。“今”に満足していては絶対にやる気になれない、別のやるべきこと。
あのときさんごは明らかに今ではない遠い未来を見据えていて、それを踏まえて“今、一番大事なこと”を決めていました。
別に必ずしもそこまでやる必要はありません。今のままのまなつだって充分にステキです。なにせ当のさんごにも、トロピカる部の仲間たちにも、あおぞら中学校のみんなにだって、今のまなつはたくさん尊敬してもらえているわけですから。
・・・それでも。
「ローラ。次期女王としてグランオーシャンに戻るかどうか、決めるのはあなたです」
今、一番大事なこと。
まなつからしたら当然、ローラがあおぞら市に留まってくれたほうがうれしいです。だったらローラを説得することこそが、今のまなつが取るべき“今、一番大事なこと”になるはずです。
けれど、心は違うと叫んでいます。ローラから次期女王になれる道を奪うべきじゃないと訴えかけています。
まなつにとっては、自分の“今、一番大事なこと”と同じくらい、みんなの“今、一番大事なこと”も大切なものでした。そのためにトロピカる部をつくったくらいなんですから。
そういう思いを抱いた時点で、まなつはもう気付かなければなりません。
「女王になるのはまだ先なんでしょ? なら別に今決めなくても――!」
「でも、それじゃあとまわしの魔女と一緒になっちゃう。後まわしにしちゃダメなの」
まなつが今天秤にかけているものは、自分の“今”と、ローラの“未来”です。
「今、一番大事なことをしよう!」 いつもそんなことを言っているまなつが、今、一番大事であるはずの“今”と“未来”を比べてしまっています。
「あなたが本当にあとまわしにしてきたことは、破壊じゃなくて、仲よしになること! 人間の女の子と仲よしになること!! それが、あなたがずっとあとまわしにしてきた、勇気がなくてできなかったこと!」(第45話)
魔女は過去に縛られていました。けれどその魔女でさえ、あとまわしにしようとした最初の瞬間は“今”の自分にとって一番大事なことを考えてのこと。それが何十年、何百年と続いたせいで、いつの間にか過去のものになってしまっただけであって。
今思う“今”は、実は永遠に“今”であり続けるわけじゃないんです。
遠い未来から見た“今”は、そう、“過去”です。
「そう! いつだって“今”が大事だよ! だから、私は大人になったら――、大人になったそのときの私が一番なりたいものになる!」(第34話)
頭ではとっくにわかっていたはずです。
“今”は、過去にも現在にも未来にも、本当はいつの瞬間にだって存在するものであることを。
変わっていくものだってことを。
いつか遠い未来、まなつは第二のあとまわしの魔女になってしまう危険性をはらんでいました。
「後悔したくない」。それはつまり、最初にあとまわしを選んだ日の魔女と同じ思いなわけですから。
ただ、後悔を恐れるまなつひとりでは、これを乗り越えることはどうしてもできなかったわけですが。
「――行かないで! 行かないでよ、ローラ! 帰るなんて言わないでよ! また一緒にトロピカろうよ! 一緒に部活して、一緒に勉強・・・はしなくていいけど、夜は一緒のベッドで寝て、朝は一緒にご飯食べて、お昼はみんなでトロピカルメロンパン食べて――! ごめん。私、ローラが一番大事なことしてほしくて、応援するって決めてたのに・・・!!」
リップは自分のなかの勇気を引き出す魔法。
魔法の加護が剥がれ落ちて、まなつの口からいくつも情けない言葉が引き出されていきます。
まなつにだってわかっています。こんなローラを困らせるだけの吐露、今自分がやるべきことじゃない。もっと他にやるべき大事なことがある! だけど、どうしても止まらない。自分ひとりだけの勇気じゃ足りないことが、できないことが、トロピカれないことが、まなつにだってある!
「ありがとう。まなつ。――さあ、最後にみんなで歌いましょう!」
・・・だから。この瞬間だけは、まなつもローラの助けを必要としました。
誰よりも気高く未来を望む、ローラのまっすぐな強さが、後悔する恐れに立ちすくむまなつの手を引いて未来へ連れて行ってくれます。
「だ、大丈夫!? よっこら――」
「ぐえぇ。何すんのよ! 私、女王なのよ!」
「うわあ! ごめん、ローラ!」
「ロザリアだっつーの!」
「うわあ! ローラが怒った!」
「ちょっと! 冗談じゃないわよ! 感動のシーンなのに笑いが巻き起こってしまったわよ!?」
「問題ない。これが私たちの物語だから」
案外、多少のやらかしくらいなら後悔せず楽しく乗り越えられるものかもしれません。
今と同じように、未来の“今”においても変わらず友達が一緒にいてくれるのなら。
いつかさびしさに胸はり裂ける日が来るといわれたって
「人魚の一生は長いんだって。女王様が言ってた。私が女王になって、長い時間が経って、そのころにはまなつたちはもういなくなってる。私は海のなかでひとり。――大昔、人間と関わった人魚がさびしさから記憶を消す道具をつくったんだって」
たとえば、今の女王様がすでに150年近く生きています。
第43話の感想文にも書きましたが、女王様が南乃島に聖杯を隠したのが、とみ婆が幼少のころ長老を務めていたお婆さんのそのまた幼少の時代ですから、やや長めに見てはいますがだいたいそのくらいになる計算です。
仮に地上に留まってみたところで、どっちにしろローラがまなつたちと同じ時間を過ごせる期間は限られていたわけです。
「あなたにもいずれわかる日がきっと来るでしょう。自らその記憶を消してしまいたいと思う日が」(第43話)
ローラが散々拒絶していたグランオーシャンの掟は、実はローラ自身を寂しさから守るためにあったのでした。
「みんなと友達でいたことも、私、忘れちゃうのかな?」
ローラには大切なものがありました。まなつたちとの想い出はきっと一生の宝物になると信じていました。
けれど、ローラの敬愛する、ローラより長く生きて、ローラより深い知見を携えているはずの女王様が、それを否定するのです。
その宝物は、いつか寂しさが募るばかりの重荷に変わるのだと。
ローラに未来の自分が何を思うかなんてわかりません。だけど、女王様が言うのならきっと、自分が考えるよりは正しい未来予測なのでしょう。
あとまわしの魔女も過去に縛られ、苦しんでいました。友達と会いたいのに会えない――。友達ってこんなにステキなものなのに、少し状況が変わっただけで恐ろしいものに変わってしまう。ローラのまだ知らない真実がそこにはありました。
「女王になるのはまだ先なんでしょ? なら別に今決めなくても――!」
「でも、それじゃあとまわしの魔女と一緒になっちゃう。後まわしにしちゃダメなの」
想い出に、過去に固執することは、もはやローラには許されませんでした。
潮時なのかもしれません。もともと、ローラは次期女王になるため、プリキュアを目覚めさせる功績を得るために地上にやって来たんです。まなつたちと友達になったことがそもそものイレギュラーでした。
今は宝物に思える想い出も、将来はただの重荷になるのかもしれません。“今、一番大事なもの”はどうせ移ろいゆくもの。未来の“今”は、今の“今”じゃない。だったらいっそ、今このタイミングで、きっぱり捨ててしまったほうが幸せなのかもしれません。
なのに――。
「私たちは忘れない! もし記憶を消されても絶対に忘れないよ! このままあおぞら市に残るか、帰って女王様になるか、私はローラが今一番大事だって思うことをやってほしい!」
言うのです、まなつが。
大好きな女王様と全く同じことを。決めるのはローラだと。
しかもそのうえで、想い出を絶対に忘れないのだと、力強く断言するのです。
「女王様。私、まなつともっと一緒に遊びたい! さんごとコスメの話もしたい! みのりと人魚の物語のことも話したい! あすかと一緒にゲームもしたい! みんなと一緒に部活もしたい! もっとずっと、まなつたちと、みんなと一緒にいたい!! それが私の“今、一番したいこと”!」(第17話)
まなつたちと友達になったことは、当初のローラにとってイレギュラーだったのかもしれません。
だけど、こうも思うのです。
まなつたちのこと、女王様と同じくらい大好きだって!
まなつたちと出会って、ローラは変わりました。
大好きなものがたくさん増えました。
ああ、そうです。だから困っているんです。この過去は、捨てたくない。絶対に忘れたくない!
まなつたちと出会ったからこそ、ローラはそういうふうに思うようになったのです。
「それじゃあ、ロザリアは私たちと一緒には暮らせないんだね」
「ええ。女王になるためにこの町に来て、みんなと仲よくなって、毎日がすっごく楽しくて、ずっと一緒にいたいって思って。だけど私は帰らなきゃ。私の夢を叶えるために帰らなきゃ。みんなとの仲よしの想い出をこの胸に――」
今のローラの、今、一番大事なこと。
それは大好きな女王様のあとを継いで次の女王になることで、それは大好きなまなつたちとの想い出を大切にすることでした。
いくら未来のためであっても過去をないがしろにするわけにはいかず、もちろん過去を守るために未来を諦めることもできませんでした。
「きのう、きょう、あしたも、ずっとそばにいるよ。だいじにおもうと、ほらね、げんきがわいてくる」(挿入歌『なかよしのうた』)
過去と、現在と、未来と、その全部があってこそローラの全部でした。
まなつがいてくれたおかげで、ローラは“今”、そういうふうに思うのです。
きっといついつまでも。
たとえ掟を破ろうと。たとえ女王様に止められたとしても。たとえいつかさびしさに胸はり裂けそうになる日が来たとしても。
いついつまでもきっと後悔だけはしないだろうと。いかなる外からの干渉にも揺らがない不思議な確信が、信念が、ローラの胸のうちに生まれるのです。
「まなつ。さんご。みのり。あすか。・・・私のこと、忘れない?」
「ああ」
「絶対に」
「忘れない」
「一生覚えてる!」
「私たちは離れていても、離れはしない」(『ドキドキ!プリキュア』第44話)と、昔のプリキュアも言っていました。
過去が残るかぎり、友達は“今”と変わらず永遠にローラと一緒にあり続けます。
“今、一番大事なこと”をするために
「あっ、私のリップ! 何でローラが持ってるの!?」
「・・・え?」
「何でまなつが私の名前を知ってるのよ!?」
「・・・え?」
こうして「今、一番大事なことをしよう!」と謳った物語は、まなつとローラの3回目の再会で幕を綴じます。
「今」とはいつのことなのか?
「大事なこと」とは誰にとってのことなのか?
この1年間でその定義は多様に変遷し、豊かに広がっていきました。
ローラと出会わなければ、まなつの“今”は未来にまで広がることがありませんでした。
まなつと出会わなければ、ローラの“今”は過去までも含むことはありませんでした。
すなわち、彼女たちの“大事なこと”とは、自分にとっての大事なことのみに留まるわけではありません。
「何が楽しいか、そのとき何が大事かって、人それぞれだから書類には書けません。生徒会長にもきっとあるはずです。今、一番大事って思うことが。胸の奥からこう、ぶわーって湧きあがってくる、真夏のキラキラした太陽みたいな気持ち!」(第6話)
トロピカる部は自分たちが楽しむだけではなく、みんなと一緒に同じ“今”を楽しむために活動してきました。時間の共有そのものに途方もない価値が存在していました。
今話、演劇中にまなつの勇気のリップが剥がれ落ちてしまったシーンは特に示唆的です。
一見誰の助けも要らなさそうな、ひとりで何でもできてしまいそうなまなつにすら、自分ひとりだけの勇気では届かないものがありました。
ローラはローラで、当初は誰よりもやる気に満ちていたはずなのにプリキュアになる資格を与えられず、まなつたちに頼るしかない日々が続いていたことが印象的でした。
ひとりで推し進める努力にはどうしても限界がありました。
だけど。そこに友達がいてくれたからこそ。
「今、一番大事なことをしよう!」
それは昔のことであり、未来のことであり、もちろん今この瞬間のことであり、さらには自分にとってのことでもあり、友達にとってのことでもありました。
いかにもプリキュアシリーズらしく、まなつたちの成長はとても個人的な価値観の広がりのなかにあって、それでいていつも友達との関わりあいの過程にありました。
プリキュアシリーズのなかでもテーマ的な広がりは特に豊かな作品としてまとまったのではないでしょうか。
来週から始まる『デリシャスパーティプリキュア』も楽しみですね。
コメント
劇でめっちゃ泣きました。そして書き割りが倒れた瞬間笑いました。
今回も素晴らしい1年間をありがとうございます、プリキュア!
小さい頃のまなつがローラを覚えていたのは、人魚だと知らなかったからでしょうね。
女王様がかつて杯を隠したときは人間に見られたと気付かず、結局そのまま南乃島の伝承になったように。
思い出した瞬間すべての記憶が放出したことといい、話を聞く限り記憶消去装置は『とりあえず発明者だけが使うこと』を想定していたようなので、割とゆるい仕様なんだと思います。
装置を使って取り出した記憶を分析して、記憶を消すべき人間をリストアップする係とかいるのかもしれませんね。人魚と同じように人間の友達のほうも悲しませたくないとかそういう意図でしょうか。
こんなセンチメンタルな掟のために手間暇かけて、仲間思いなことです。
改めて振り返るに、まなつが苦しんだり悲しんだりした瞬間は、いつも友達のことが原因になっていました。もしまなつが友達をつくろうとしなければ、彼女はもっとずっと平穏な日々を送ることができたでしょう。
ですが、まなつがそうした苦難を乗り越えることができたのもまた、友達がいてくれたからこそです。
今日はトロピカル~ジュプリキュアの最終回でした!!
書き割りが倒れた瞬間は私のお母様も笑いました!!
しかも3回連続で立て続けに笑い、計4回笑いました!!
私個人としての感想としては、勉強はしなくてもいいけどと口にしたことでやっぱりキュアホワイトソックスはまなつのことが嫌いになるという感慨深さですね
滝沢 あすかが「ああ」と口にしたことに関しては、「ああ。忘れない」と口にした方がもっと感慨深いところでした!!
2年前に始まったレンジャー系のキラメイジャーではキラメイイエローが純度100%の女のラスボスの分身に
「お前、人間のことが大好きだったんじゃなかったのか!!?」
と聞き求めつけると
「ああ。大好きだ!」
と返したことは今でも強く印象に残っていて、忘れたことはありません!!
ですからニチアサ的に感慨深さを感じさせて欲しかったです!!
他にもシックリ着たセリフはあったに違いないはずですが、残りは思い出せないです!!(苦笑
で、来週からデリシャスパーティプリキュアが始まりますね。
4年前に始まったHUGっと!プリキュアの中盤から終盤にかけて、はぐたんが呼び寄せたとはいえどもブラック&ホワイトがラストシーンに登場したように、キュアハニーが本編に一度は登場する話があっても良いと思いますし、私個人としては以前からそのような予感がしています!!
あとそのようなことを要望した大人のプリキュアファンは、(物語の)舞台をアメリカにして欲しいとも要望していました!!
私個人としてはデリシャスパーティープリキュア以後の後続のプリキュアの映画にて、アメリカが舞台である女児向けプリキュアの作品があって欲しくてウズウズしていますよ!!♪
プリキュアには海外に行くならとりあえずパリという伝統が――(いうほど無い)。
まなつを語るうえで失敗とか挫折というのは大事な要素でした。というのも、この子意外と自力で立ち上がるための理由づけをあんまり持っていないんですよね。いつも「友達のため」「友達のおかげ」でやる気を取り戻してきました。
書き割りが倒れるという事故のおかげでいつもの調子を取り戻す彼女の傍には今回もローラの姿があって、なんともまなつらしいなあと。そんな心温まるシーンだったと思います。
「人間の世界で学んでいらっしゃい。ただし、「人間」には会わないように」
メルジーヌ女王の全く矛盾しているようなローラへの言葉。
その、「人間」とは、何なのだろうか?
今、思索をめぐらせております。
人間と出会った人魚の記憶を抜く=消去するという「立法趣旨」は、人間より往々にして長生きする人魚の寂しさを回避するためでありました。
そこには一定の合理性も必要性も、ないわけではなかった。
しかし、それはこれから先の人魚の世界にとって、必要な「法」であるのか?
その問いかけを投げたのは、ローラであり、彼女の仲間の人間の少女たちでした。
ローラは、やっぱり、革命を起こしてくれました。
先ほどのメルさんのお言葉で、私はふと、今東光氏の10代後半、関西学院に続いて旧制豊岡中学をこれまた恋愛沙汰で退学したときの、近藤先生という校長のお言葉を思い出しました。
生徒たちには、こう言ったそうです(野村克也さんの本で知った次第)。
「彼を見送りに駅構内に入ったものは、退学処分とする」
しかし、かく言う近藤校長は、今東光少年をその豊岡駅のホームで見送り、別れ際に、こうおっしゃった。
「失望や絶望をする人間は、弱者だ。人生、失望することなかれ」と。
生徒たちは、駅の沿線に立ち、今東光少年を見送ったそうです。退学者は、なかったそうで。
ちなみに彼はその後、その恩師の葬式で長々とお経をあげる坊さんに、いい加減にさっさと辞めろとどやし上げたとか。
ちぐはぐなところからローラとまなつの記憶がよみがえり、そして、みんなの記憶もよみがえっていくあの瞬間。
松本清張の「点と線」のトリックのもととなった、東京駅の向こう側の長距離列車ホームにいる男女の知人を関係者に「見せる」シーン。実際それが叶ったのは、わずか4分程度ということだったらしいですが、そのエピソードをなぜか、思い出した次第です。
この最終回で描かれたのは、旧制豊岡中学の校長先生が今東光少年を見送る際に述べたお言葉の実践の具現化と申してもいいのではないかと、私は思った次第。
一見矛盾したあの言葉、ローラは自らを出し抜いて人間界に行くであろうことも、寂しさを回避すべく記憶を抜く必要ももはやないことも、メルさんはとっくにわかっていたのではないか。その後ローラが人間について講義しているのをメルさんが見ている絵が描かれましたが、おそらくローラは、まなつたちが死ぬ頃まで人間界で修業して、それから、女王になったのではないか。そして、彼女たちのこと、人間の世界のことを、かく人魚たちに伝えていっているのではないか。
今東光氏は、時代・状況に応じて道理も変わると、述べられたそうです。
ローラはまさに、その道理を、自らの身をもって変えたのではないか。
それは確かに、ローラの「親離れ」であった。
それを、メルさんは実は、黙って見届けた。
これが、メルさんなりの「子離れ」であったのではないか。
メルジーヌ女王と、豊岡中学の校長先生が、私には、ダブって見えました。
あ、こんなこと書いたら、メルさんに、
「横浜銀蝿とセーラームーンのほうが、余程矛盾しています」
などと言われそうな気も、しないではないですな(汗汗)。
最後に一つ。
私の娘(=隠し子?)のみのりん、よく頑張ってくれました。
私も、これで、子離れできそうです。
劇中、ローラに「黙れ」と静かに言った一言。
誰に、似たのかいな(苦笑)。~私でないことを、祈る(汗汗)。
「あなたはどうしたいのです?」と問う女王様でした。
愛情深く、けれどその一方で、母親としては何よりまず娘に自主性の涵養を求める進歩的な人物でもありました。
きっとローラが独り立ちする瞬間をとても楽しみにしていたでしょうね。「掟」の件で娘が自分と違う考えかたをしていると知った日からはなおさら。
第37話での会話によると、ローラの記憶を消すと同時に女王様の記憶も消す手はずになっていたはずです。ローラが3度目の人間界訪問を希望したとき、彼女はその事実を忘れたうえで「人間には会わないように」と言ったはずです。
記憶吸出装置の故障で自分も全てを思いだしたとき、彼女はどんな心地だったのでしょう。
きっと、ものすごく愉快だったでしょうね。
私のなかで女王様はそういう人物です。
「人魚と人間の寿命差」「記憶消去」が最終回のメインテーマになるらしいときいて、ひょっとしたら「年取って認知症を患った夏海まなつと人間換算20~30代くらいのローラが再会。ローラはトロピカる部時代の思い出を甦らせるべく奮闘する」みたいな話をやるんじゃないかと内心ヒヤヒヤしていたんですが……うん、さすがにそんな無茶はせんよな。
ともかく、ローラとまなつ、さんご、みのり、あすかの“革命”が本当に成功したと言えるのかは――――記憶を消去しなかったことを後悔したくなるような事態に実際に直面したとき、記憶消去の掟を復活させるという安直な手段に回帰せず、若き日の志を貫徹出来るか――――を待たねばならないわけですが……
ま、そんなことは「トロピカル~ジュプリキュア」という作品が射程とすべきところではなく、
「それはまた、別の話」(ナレーター:森本レオ)。
ところで、毎回このフレーズで締めくくられていたTVドラマ「王様のレストラン」。今年度の大河ドラマを手掛ける三谷幸喜氏が脚本を執筆されたこの作品の主題歌が、平井堅氏のデビュー曲「Precious Junk」で……ええ「プレシャス」なんスよ。キュアプレシャス。
また、同時期に放映された料理対決バラエティ「料理の鉄人」は、基本構造が「派手な衣装のイケメンに率いられた“和洋中”3人の戦士」で……つまりあれか、レシピボン捜索隊長ローズマリーが「私の記憶が確かならば」とか言い出したりOPで生ピーマンかじったりするのか。
「甦るがいい!アイアンプリキュア!!」
それ失恋ソングですし、生ネギを食べるのでよければ『HUGっと!プリキュア』ですでにやりましたし。
掟の目的が人魚本人の心の救済である以上、ローラにとっての本当の試練は掟のシステムを出し抜くことではなく、今後も掟に縋ろうとしない強い信念を持ちつづけることにあるというのは、本当にそのとおりです。
ですがまあ、そこは楽観視していいんじゃないでしょうか。
ローラは他の人魚たち向けに、人間についての講義をしていました。今後もし自分の記憶を消したいとなったら影響大、絶対面倒くさいことになるはずです。それだけ意志は固いということなんでしょう。また、万一のときにはローラの迷いを封じこめる楔としても機能してくれるはずです。
「Precious Junk」って失恋ソングだったんですか!?
正直歌詞を読み返してみても「失恋ソングと解釈できる余地があるといえばある……かも」ぐらいにしかみえないんですが……。
ひょっとすると、海援隊の「贈る言葉」が、本来は失恋ソングだったのに卒業式ソングの定番として認知されるようになった……てのと似たようなものナンでしょうか。
そういや「贈る言葉」って「自分をフッた女になおもメッセージを送ろうとする未練がましさ全開の男」という結構いたたまれない歌詞で、「巣立ち行く者への声援」と解釈し直してもらえたことが結果的には良かった歌ではあるんですが、その点「Precious Junk」は「主人公が情けない自分自身を鼓舞する」歌詞であるぶん、失恋ソングだとしても情けなさ度合いは少なめかなぁ、とは思いますが。