ほまえー! しゃあやー! えみゆー! るー! ・・・ままー!!
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(主観的)あらすじ
みんながんばっています。さあやとほまれは自分の夢に向かって歩みを進めていますし、えみるとルールーもふたりでギターの練習をしています。みんな忙しそうです。今日のはなは、だから、ひとりぼっちです。昔のように。
雨が降って、雨宿りできるところを探して、はなはまた不思議な大人の人と出会いました。彼は大人なのに夢を持っていました。「理想の王国。そこでは皆が心穏やかに微笑みを絶やさない」 はなはその夢をイケてると思いました。
オシマイダー襲来。初めて見る小太りのオッサンは5分待たずして同じ会社の同僚に背中から撃たれて消滅しました。新たな敵幹部の手によってパワーアップした猛・オシマイダーは凶暴で、プリキュアは苦戦を強いられます。そのうえさっきの不思議な大人の人まで戦場に現れて・・・。
大人の人ははなたちのミライクリスタルを奪い、絶望に染めあげました。彼はクライアス社の社長・ジョージ・クライだったのです。明日への希望を奪われ、はなたちもろともこの世界の時間が止まります。さらにクライの魔の手ははぐたんにまで。泣くはぐたん。はなに、「ママ」と助けを求めます。
「ママ」という言葉に、はなの昔の記憶が呼び起こされます。いじめられっ子を助けたせいでクラスから孤立したはなを、はなのお母さんは守ってくれました。はなのしたことを「間違ってない」と言ってくれて、はなのために引っ越ししてくれました。あのときのお母さんに憧れるはなは、「ママ」と呼ばれたからにははぐたんを助けなければなりません。明日への希望が蘇ります。
はなたちは辛くも猛・オシマイダーを退けます。はなの目に見えるところ / 見えないところで状況は日々刻々と変わっていきますが、プリキュアとクライアス社との戦いはこれからも続きます。
みんなが期待していたダイガンさんの5分敗北を予想を上回るかたちで実現。そのうえこんな小ネタどうでもいいと言わんばかりにタツノコネタ(他社じゃん!)をねじ込んでみたり、はなの過去話を挿入してみたり、クライアス社の社内体制を一新してみたり、ミライクリスタルホワイトが輝いてみたりたりたり、これでもかと情報量を詰めこんでいくスタイル。おまけにOPとEDまでリニューアル。わんこそばか何かでしょうか。
それにしてもプリキュアの新しいEDを観るたびしみじみCG技術の進化を実感しますね。CGもついにポップアート調のアートスタイルとまで調和するようになりましたか。
アニメにCGが導入されたばかりのころは既存のどのアートスタイルでも浮いてしまって、宇宙空間でのメカニック表現くらいでしか評価されていませんでした。背景美術も手書きキャラクターもほぼ登場しない状況ならCG自体が新たなアートスタイルだということで割り切ることができましたからね。
それが今ではこうですよ。ポップアート調って、アニメ独特の平面的表現に注目して、元々はポスターなんかに使われていたアートスタイルを導入した、比較的新しい表現手法なんですよ。平面から生まれて、平面だからこそ移植できた、平面的表現の極地ともいえるアートスタイルなんですよ。そこに3DCGをぶち込んで、ちゃんと調和させるって・・・。
一時停止してみればどこを切り取っても完全に平面の絵面。なのに動画として通して観るとちゃんと立体的な動きになってる。何これすごい。時代はいつも動いていて、私のなかの常識は気がつくと時代遅れになってしまってる。私も絶えずアップデートを続けていかなければ。(アニメオタクをやめるという選択肢はまだ無い)
というわけで(いいかげん前置き長げーよ)、今話はどんどん変わっていく現在から過去に視線を下ろす物語。おそらくこれからもしばらく“過去”が物語のテーマの中心になるものと思われます。
現在と未来は連続しています。現在あるものは未来にも続き、現在ありえないものは未来にもありえません。“現在”はあるがままの姿で、今はまだ想像もつかない“未来”の姿へと変容していきます。
それはつまり、現在と過去もまた連続していたという意味でもあります。どんなに悲しい想い出だとしても、過去の経験なくして現在のあなたは存在しえません。
未来への憧憬
これまで4度はなたちの前に現れていながら、そういえば1度たりともウチの感想文では言及されてこなかったジョージ・クライさん。もしかしてベッドルームがらみを含めても前話の The Crane of Graditude くらいか。
過去の私はどんだけこの人に興味がなかったんでしょうか。セリフはめいっぱい引用しているくせにね。引用するたび正反対の結論に持って行ってたけど。
このたびついに社長としての正装にお着替えなさいました。開襟ジャケット+謎チェーンという、ハリハム・ハリーさんを彷彿とさせる出で立ちです。そういえばハリーもウチの感想文だと扱い悪いな・・・。嫌いってわけじゃないんだけど。
まあそんな話はどうでもいい。
「大人かあ」
「上手だね。君の夢?」
「うん。お花屋さんもいいし、デザイナーも気になるし、決められなくて」
「・・・僕も夢があるんだ」
「大人も夢を見るの?」
「うん。理想の王国。そこでは皆が心穏やかに微笑みを絶やさない、花が咲き乱れる美しい国」
「その夢、めっちゃイケてる! 私もそんな未来をつくりたいな」
童話のようなかわいらしいBGMからいつもの歪んだオルゴール曲への転換が見どころ。
大人が夢を持つのは不思議なことではありません。はなのように大人に憧れる子どもにはピンと来ないかもしれませんが、大人は“大人”が人生のゴールではないことを知っています。
どんなに子どもじみた夢であったとしても、大人が夢を持ちつづけることはきっとステキなことです。
でも・・・。彼の夢は、それとは別の理由で気に入らない。
「傘は嫌いなんだ。息苦しい」
「空が見えないから?」
「そうかもしれないね。周りからはそういうところをしっかりしろと言われるんだけど」
この人は傘というよりも雨が嫌いなように見えます。
「雨は美しい花を咲かせ、恵みとなる。だがときには凍えるような寒さを与える」(第16話)
雨に対してトータルとしてネガティブな印象を抱いています。
そもそも雨が嫌いだから、雨に周りを包囲されてしまう傘というものが嫌いだというわけです。
雨なんて現実にはどうせいつか降るものなのにね。その理不尽に対抗する術が、自分の身を小さく縮ませて雨から身を隠すだけの傘では気に入らないということです。
「どうして・・・? 夢があるって、みんなが笑顔の国をつくるって、話して――」
「新たな苦しみがなければ皆笑顔でいられるだろう? だから、時間を止めよう。皆が笑顔のまま暮らせるように、ともに終わらぬ永遠を」
彼は雨から身を守るために、傘を差すのではなく、雨そのものを止めてしまうことを選びました。
「雨は美しい花を咲かせ、恵みとなる」と、雨のステキな一面も知っているくせに。
雨上がりの虹を喜ぶのではなく、嬉しいことがあっての笑顔を尊ぶのではなく。雨が降らないことを、辛くて理不尽な目に遭わないことでの平穏を。
何も起こりえない凪いだ幸せを、彼は望みました。
なんでもできる、なんでもなれる。
はなたちが信じるいつものお題目に照らすなら、それは確かに未来において実現しうる願いなのでしょう。
けれど、その願いは本当に“なんでもできる、なんでもなれる”と呼べるようなものなのでしょうか。
「未来へ向かう物語。その道筋を描くのに正しいのは僕か、君か」
未来企業クライアス社のプレジデント・クライは、現在から悲しみを取り去った果ての未来に憧れます。
過去が追いかけてくる
「今日も一日いい日でした! ねえねえ、このあとどうする? みんなで夏休みの予定とか計画しちゃう?」
「次の大会のために練習なんだ」
「私も撮影があって」
「えみるとルールーは?」
「えみるの家でギターの練習をしようかと」
「お父さまもお母さまもルールーと会いたいと大騒ぎなのです」
「そっかそっか」
最初はピンと上を向いていたはなの両腕が、みんなの予定を聞くたびにちょっとずつ下へ向いていきます。
楽しげに手を動かしているのはごまかしでしょうか。
「フレフレみんな。がんばれー!」
気がつくと両腕はすっかり下に降ろされていました。
そんな姿はみんなの知ってるはな“らしく”ない。両腕よ、もう一度だけ、上へ上へ。
いつもと違う、はな“らしく”ないヘニャっとした「フレフレ」のイントネーション。
いいえ。これこそがちょっと前までのはなでした。
ひとりぼっちのはな。
いじめられっ子を庇ったせいでクラスから孤立して、まだ中学生なのにお弁当すらひとりで食べることになってしまった寂しいはな。
どうしてあんなことになってしまったんでしたっけ?
今話ではまだ多くは語られませんが、この一言だけでもだいたいの心情は想像できます。
「やめて! みんなカッコ悪いよ!」
はなは“なりたい自分”になろうとがんばったから、ひとりぼっちになってしまいました。
「この日のために伸ばしてきた前髪。バイバイ、子どもっぽいはな。大人っぽいイケてるお姉さんに――、へんしーん!」
「元気だけが取り柄のお茶目なはなとはもう言わせないんだから!」(第1話)
「みんなアンタみたいな子、好きでしょ」
「そんなことないよ。おっちょこちょいだし、グイグイ行きすぎてヒかれちゃうことも多いし」(第5話)
当時のはなは前髪を伸ばしている途中でした。
元気でお茶目なだけの自分にウンザリして、大人っぽいイケてるお姉さんに変わろうと色々がんばっている最中の出来事でした。
カッコよくなりたいと思っていました。そのためにがんばっていたはずでした。
その結果が――あれです。
がんばったってなりたい自分になれるとは限りません。
がんばった結果が裏目に転じるなんて現実にはよくあることです。
例えばさあやは周りの期待に応えようとしすぎて、かえって自分というものを見失ってしまいました。
例えばほまれは跳べなくなって以降、輝いていたころに集めていた声援が恐ろしくなってしまいました。
「雨は美しい花を咲かせ、恵みとなる。だがときには凍えるような寒さを与える」(第16話)
あらゆる物事は表裏一体。今日の努力が未来の自分にどう映るか、誰にもわかりません。たとえ今はどんなにステキなことだと信じられたとしても。
転校して、はなはがんばりました。
たくさん失敗してもへこたれず、みんなの前で明るくふるまいつづけました。
悲しい過去を振りきろうとして、未来が明るいことを誰よりも信じつづけました。
がんばった結果、今度はクラスに溶け込みました。かけがえのない特別な友達も4人もできました。
そしてがんばった結果、はなはまたひとりぼっちです。はながみんなの夢を応援したおかげで、みんな夢のためにがんばるようになって、それで、ひとり夢のないはなはみんなに置いていかれてしまっています。
未来は現在と連続しています。現在のステキなあなたは未来においてもステキなままです。現在がんばっているあなたなら未来においてもっとステキになっていることでしょう。
ならば、過去も現在と連続しています。どんなに過去を忘れようとしても現在のあなたがその経験を踏まえている事実は変わりません。過去と同じことを続けるなら現在においても同じ結果を繰り返すでしょう。
過去と現在と未来は連続しています。あなたが生きているかぎり、昔のあなたを無かったことにはできません。
今ここにいるヒーロー
“野乃はな”とは何者だったでしょうか?
私たちは知っています。
明るくて元気で、いつも一生懸命で、失敗してもへこたれない、いつもみんなを応援していて、誰よりも未来の明るいことを信じてくれる、ステキな女の子です。
さあややほまれ、えみる、ルールーにとっても同じようなものでしょう。
そしておそらくははな自身にとっても。
過去のはなが今とまるで違う子だったとしても、現在のはなはそういう人物です。
過去と現在と未来は連続しています。昔の自分を無かったことにはできません。悲しい出来事は何度でも繰り返し訪れます。
だからといって、それは現在の自分が過去の自分から何も変わらないという意味ではありません。
「大丈夫! はなは間違ってない!」
「もう我慢しなくていい!」
「はなの未来は無限大!」
そのままのはなが正しいと言ってくれたお母さんのおかげで、今のはながあります。
我慢しなくていいと言ってくれたお母さんのおかげで、今のはなは“なりたい自分”を諦めずにいられます。
未来が無限大だと信じてくれたお母さんのおかげで、今のはなは明るい未来を信じることができます。
その言葉の正しさを証明する具体的な根拠なんて何もありませんでした。
でも、お母さんが言うならそれは絶対に真実で、お母さんが言うなら絶対に信じることができます。
大抵の子どもにとって最強無敵のヒーローは両親です。
お父さんとお母さんほど自分を守ってくれて、正しいことを教えてくれる存在は他にいません。
悲しいことがありました。自分が弱っちく思えることもありました。
でも、だからどうした。
そんなちっぽけな現実なんかよりもよっぽど信じられるヒーローが、あなたとあなたの未来を信じてくれています。
だったらあなたは変われます。
「あ、虹!」
冷たい雨のあとに虹を見つけることだって、あなたにならできます。
最強無敵のヒーローがあなたを応援してくれているのですから。
「ままー!!」
はぐたんが助けを求めています。はなのことをママと呼んでくれています。
だったら、はなは絶対にその求めに応じなければなりません。
いつかのあの日、はなのお母さんがそうしてくれたからです。
はなはそんなお母さんに憧れているからです。
『HUGっと!プリキュア』のデザインコンセプトは“お母さん”だそうです。
子どもは自分もヒーローみたいになりたいと憧れるものです。
なんでもできる、なんでもなれる。
憧れのヒーローなら絶対に。
「はぐたんは私たちが守る!」
さあやとほまれは忙しいながらも、はなと一緒にビューティーハリーに来てくれます。
えみるとルールーが練習したギターを、はなはみんなと一緒に聞くことができます。
夏休みにはみんなで遊びに行く計画もバッチリ立てました。
ときどき昔みたいにひとりぼっちの気持ちを味わうこともありますが、現在のはなは過去のはなとは少し違っています。“なりたい自分”を目指してがんばって、少しずつ自分を変えていけています。
「はぐたんと一緒に新しい楽しいことをいーっぱいする! キュアスタを想い出でいーっぱいにする!」
「クライアス社になんて負けない! 私たちのアスパワワは無限大、だー!!」
ピンク色のチューリップの花言葉は「優しさ」「愛情」「幸福」。
誰よりも未来の明るいことを信じるはな“らしさ”は、お母さんへの憧れによって育まれました。
コメント
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今回のエピソードを視ていて、はなが「プリキュアになる以前から、子供だけでなく大人をも向こうに回して闘わなければならない"宿命"を背負って生きてきた」ということに唸らされてしまいました。彼女はクラスメートからのいじめに加え"学校の対応のマズさ"という事態にも直面していたんだなと(だからこそ母親のすみれさんは娘を転校させねばならなかった)。
ここに至って、今作のプリキュアは全員が「闘わなければ生きられない」宿命を背負う少女であることが判明したわけですが(さあやは"大女優の娘"という出自からくるプレッシャーと渡り合うため。ほまれは競技スケーターとして。えみるは兄をはじめとする家族の無理解を突き崩すため。ルールーは袂を分かった同僚たちと決着をつけるため)、「少女たちに闘う宿命を背負わせる」ことに常に後ろめたさを感じてきたとおぼしきチーム東堂いづみにしては結構攻めてきた設定のように感じますね。
この辺は、「どのみち少女たちに闘いを強いねばならない以上(でないとテレビ局とアニメ制作会社と玩具メーカーが食いっぱぐれる)、闘う必然性の無い娘を無理やり引っ張り出すより、もともと闘うことに慣れている娘を選抜する形にした方がマシやんけ」という判断があったのかもと思える所で、チーム東堂いづみの苦悩が窺えるんですよね。
正直、こちらのブログを拝見する以前であれば「プリキュアは仮面ライダーやスーパー戦隊と同じ"闘うために選ばれたソルジャー"だもの。宿命くらい背負うのも当然だよな」などと受け止めていられたのでしょうが、「王道女児向けアニメとしてのプリキュア」という観点の存在を理解してしまうとなかなかにキツいものを感じてしまいますね…。果たして彼女たちの闘いの日々は如何なる形で報われることとなるのか、じっくりと見守っていきたいと思います。
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第三者視点でいるとどうしてもまず「かわいそう」って気持ちが先に来ちゃうのですが、憧れることのできる主人公を描こうとすると、どうしても他人より苦労している人物に設定する必要が出てくるんでしょうね・・・。
今作の場合はおそらく物語テーマのレベルでどんどん過去に言及していく必然性があってこそ設定できるバックボーンなのだろうと思います。
はなの受けたイジメは現在描写されているかぎりでは肉体的・財産的な被害を受けていなさそうなので、学校が気付いてあげることも難しかったでしょうね。特にはなみたいな我の強い子の場合だと、衝突して一時的に距離を取られているのと区別をつけにくいですし。本人にとっては無視されることも同じくらいキツいことのはずですが。(理不尽に他人の悪意に晒されるという意味では同じことですから)
ただ、子どもたちの学校での様子に目を届かせられる大人ってどうしても教職員しかいないので、どんなに難しくても正しく対応するべきではあります。
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「はながいじめられていたことに関し前の学校の対応に不手際があったのではないか?」という推測をさらに進めていくと、第2話で担任の内富士先生が薬師寺さあやに野乃はなの個人情報を見せた理由が腑に落ちてくるんですよね。
本来教員が生徒の個人情報を他の生徒に見せることは許されない筈なんですが、内富士先生としては、前の学校がやらかしたヘマを繰り返さないためにも万全のバックアップ態勢を敷く必要があると感じていて、あえて禁を犯して学級委員長のさあやと情報を共有し、さあやにはなを教員の手の届かない領域でそれとなくバックアップするよう頼み込んだということだったのではないかと。
まあ、このミッションを引き受けたお蔭でさあやは無二の親友を得ることが出来たし、自分自身を見つめ直すキッカケを手に入れることも出来たので、結果オーライにはなったわけですが。
ここまであくまでも私の推測に過ぎないことは承知しているんですが…、ただなんにせよ前半戦で張られた伏線が後半戦で次々と点火されていくことは確かな筈で、東堂いづみセンセイの企みに視聴者も戦々恐々とさせられていくことになるんでしょうねぇ。クワバラクワバラ。
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(以下徹頭徹尾全部ネタ)
ただその場合、はなが転入届の自己紹介欄に「『元気とお茶目さがとりえ』と昔から色んな人に言~」「みんなの注目の的になって、自分の周りにいる人た~」などと書いちゃっているので、内富士先生としてはたいそうやりづらいことに。
顔写真もなぜか転入初日のその朝に切ったはずの切りすぎ前髪ですしね。きっと当日に提出したんでしょうね。おっちょこちょいとも言われていたこと、せっかく自己紹介欄から省いたのにバレちゃいましたね。
もっとも、プリキュアの細かい文字ネタはあんまり真面目に受け取ってはいけないんですけどね。『魔法つかいプリキュア!』の魔法文字を解読したときなんか、役に立った情報はクシィが大の甘党だということくらいでしたっけ。
ちなみに多少マジメな話をするなら、実際クラス編成をするときには、いざというときのために担任とのパイプ役を担ってくれそうな子を各クラスに最低ひとりは配分すると聞きます。(実際頼むかは別問題) 他にも学力や運動成績にクラスごとの偏りが出ないようにするとか、ピアノを弾ける子を割り振るとか、内気な子は仲よしの子から離さないようにするとか、逆に取り巻きが多いと調子に乗りやすい問題児がいたらグループから遠ざけるとか、それこそイジメの疑いがある被害者加害者はなるべく別クラスに分けて経過を見守るとか、意外と色々考えられているみたいですね。(教師にも依るでしょうけれど)
もちろん、転入生を受け入れるときもなるべく問題の起きていない平和なクラスを選ぶことが多いそうです。
私みたいなコミュ障にゃとてもやれる気がしませんね、あの仕事。