きたー!!!!!
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(主観的)あらすじ
『ふたりはプリキュア』のなぎさとほのかが世界を越えてこっちに来ちゃいました!? ・・・という由々しき事態を尻目に、えみるとルールーはギクシャクしていました。えみるのギターが壊れてしまったからです。
えみるはルールーを守れてよかったと心から思っていました。けれどそれはそれとしてギターが壊れてしまったのもやっぱり悲しく思っていました。でも、ルールーが気にしているようなので絶対に顔に出すわけにはいきません。
ルールーはえみるにちょっと怒っていました。ギターが大好きなえみるなら悲しんでいないはずがないのに、ウソをつくからです。なにも言ってくれないのではルールーもえみるのために何をしてあげられるのかわかりません。
なぎさとほのかはこういうときどうすればいいのかよく知っていました。ふたりは仲よしです。仲よしなのに、いつもケンカしていました。だからこそ今こんなにも仲よしでいられるんだと知っています。ふたりはえみるとルールーそれぞれに助言します。「ケンカしたっていいじゃん」「大事なのはあなたはどうしたいのかってこと」「本音をぶっちゃけられるって、親友だからこそ」
ルールーが自分の聞きたかったことをはっきり聞いて、えみるも自分の言いたかったことをはっきり言って、ふたりはケンカしました。ケンカして、仲直りしました。ふたりはそれぞれに用意していたお揃いのブレスレットとギターを交換して、前よりももっと仲よしになりました。
そこに現れるオシマイダー。今回のオシマイダーは失恋したパップルでした。先輩プリキュアであるなぎさとほのかが圧倒して、それからえみるとルールーが彼女の心を救いに行きました。恋を失ったって未来はある。だってパップルには人を愛する心が残ったのだから。えみるとルールーは愛のパワーの無敵であることを信じています。
14年ぶりの新作なぎさとほのかです。4年ぶりの新作キュアブラックとキュアホワイトです。映画を含めてもなお2年ぶりですね。
特に、日常のなかでのふたりのものの考えかたとかね、バトルでは拳打ラッシュといなしからの投げとかね、オールスターズ映画では尺の都合でなかなか描写しきれずにいた、久しぶりのなぎさとほのか“らしさ”の濃さときたら! もう最高ですね。当時は重量上げがプリキュア名物として確立していなかったこともあって、力比べの描写といえばラッシュだったんですよね。キュアブラックとキュアホワイトに正面から敵の攻撃を受け止めるイメージが付いたのって、『みらいのともだち』で船を止めてみせたあたりからだったんですよね。そっちはそっちで“らしさ”なんだけれども!
けどこの感想文ではそこらへんの興奮ほどほどにして、いつも通りえみるとルールー主役のメインストーリー主体で書くっていう。
みらいのともだち
「なぜえみるはウソをつくのでしょう」
ビューティーハリーでルールーのテーブルに生けられていた花はツバキ。
東アジア原産のこの美しい花はヨーロッパの人々に遙けき異国の地への憧れを抱かせました。華やかながらどこか慎ましやかさも感じられるエキゾチックなその美しさは、西洋的な美意識との対比として“日本のバラ”とまで呼ばれることがありました。
白いツバキの花言葉は「愛慕」「崇拝」。
「理解不能です。私にもわかるように説明を――」
「ルールーには言いたくないのです!」
しつこく聞きすぎました。
キツい言いかたになってしまいました。
けれど、お互い相手のことが大好きだからこそこうなってしまうのでした。
いつものえみるとルールーの間には隠し事なんてありませんでした。
「あなたは先ほど言いました。ギターは自由だと。カッコいいのだと。最も愛するものだと」(第15話)
ルールーはえみるの大切な気持ちをちゃんと受け止めてくれる人だから。
「今度から秘密は無しなのです。私たちは親友です。隠しごとは無しなのです」(第18話)
えみるはルールーの重大な秘密を受け入れて、それでも親友だと言ってくれる人だから。
だからこそ、言えませんでした。
「もう音が出せないのですね。・・・すみません、私のせいで」
ルールーはちゃんと受け止めてくれる人だから、ちょっとでも悲しい気持ちを見せたら今よりもっと悲しませてしまう。
えみるはルールーのことが大好きです。大切なものを大切だと共感してくれて、はっきり代弁してくれるヒーローみたいなカッコよさに、えみるは憧れました。えみるにはそんなことできませんでした。
「ルールーはきれいでカッコよくて、強い心を持っているのです」(第18話)
相手がそんなルールーだからこそ、言えませんでした。
だからこそ、腹が立ちました。
「ルールーが無事ならいいのです。全然平気なのです」
えみるはどんなことでも受け入れてしまう人だとわかっているから、悲しんでいるならその思いを肩代わりしてあげたかったのに。
ルールーはえみるのことが大好きです。自分で新しいことを始められて、不器用ながらも諦めないその人間らしい一生懸命さに、ルールーは憧れました。ルールーにはそんなことできませんでした。
「私は、一生懸命なかわいらしい心を持っているあなたが、とてもうらやましい」(第18話)
相手がそんなえみるだからこそ、腹が立ちました。
「あなたを愛し、私を愛する」(第20話)
ふたりで変身できたのが嬉しかった。
だって、あの人は私にできないことができてしまう人なんですから。
「私にできないことがあなたにはできます。あなたにできないことが私にはできます。力を合わせれば、素晴らしいことが、きっとできるでしょう」(第2話)
あなたと一緒にいれば、もしかしたら私も“なりたい自分”になれちゃうかもしれない。
・・・なれませんでした。
「ルールーに八つ当たりしてしまいました。私はプリキュアの資格がないのです」(第21話)
えみるはルールーと一緒にプリキュアになれたのに、ルールーのようなカッコよさを身につけられませんでした。
「私はえみると一緒にプリキュアになれたことが嬉しかった。なのに・・・私は混乱して、悲しくて、えみるに少し怒りを覚えました」(第21話)
ルールーはえみると一緒にプリキュアになれたのに、えみると違って戸惑ってばかりでした。
ほんの少し前まではそれでも一緒にいたいと思えたのに。
その結果があのギター。
その結果がこのギクシャク。
ルールーになれないえみるでは、憧れのルールーを悲しませるばかり。
えみるになれないルールーでは、憧れのえみるに頼ってもらえません。
お互いのことが大好きだからこそ、ふたりは相手のためを思うと、自分が一緒にいていいものか悩んでしまいます。
ツバキの花のもとで、まるで涙をこぼしたようにふたつの紅茶の水面が揺れます。
こころのともだち
なぎさとほのかは元々接点のない、ただのクラスメイトでした。
なぎさは(おおむね)スポーツ万能のラクロス部エース。
ほのかは(マッド気味ながら)成績優秀、知識豊富な科学部員。
まるでタイプの違うふたりはそれぞれまったく違う生活をしていて、それぞれ別の友達と一緒に毎日を楽しんでいました。
そんなふたりがプリキュアになりました。
なぎさとほのかはえみるたちと違ってプリキュアになりたくてなったわけではありません。偶然に出会った妖精たちの都合に巻き込まれて、偶然に怪物に襲われることになってしまって、やむをえずプリキュアに変身することになったのでした。
だから、「ふたりはプリキュア」といっても最初はたったそれだけの縁でした。お互い他人行儀に名字で呼びあっていました。友達関係もあんまり変わらず、学校ではそれぞれ自分の友達と過ごしていました。
「ケンカしたっていいじゃん」
「大事なのはあなたはどうしたいのかってことだと思うの」
なぎさとほのかが今のように仲よしになったのは、一度大きなケンカをしたことがきっかけでした。
意外と乙女チックなところがあったなぎさには気になる男の子がいました。一方のほのかはそういう方面にはてんで疎い子でした。なぎさが仲よくなりたがってるならと、ほのかは余計なおせっかいで彼になぎさを紹介してしまいます。なぎさはそれがすごくイヤでした。
「放っといて! あなたなんてプリキュアというだけで、友達でもなんでもないんだから!」(『ふたりはプリキュア』第8話)
それで大ゲンカ。今話のえみるとルールーよりもよっぽどギクシャクしてしまっていました。
でも、ケンカすることにはなってしまったけれど、一緒にプリキュアをしてきたなかで、本当はお互い相手のことに興味を持つようになっていました。というか、プリキュアになる前から自分とは全然違う特技を持つお互いのことが元々気になってはいたのでした。
ギクシャクして、話す機会が減って、なんだか悲しくなりました。
「雪城さんのこと、もっと知りたい」
「美墨さんと、友達になりたい」
「私たちがずっとこのままなんて、ありえない」(『ふたりはプリキュア』第8話)
ケンカしたおかげで、そういう自分の本心にやっと気付くことができました。
「ケンカしたっていいじゃん。たまにはぶつかって、怒ったり泣いたりするのもアリだと思うよ」
「難しいことだとは思うけど、大事なのはあなたはどうしたいのかってことだと思うの」
「本音をぶっちゃけられるって、親友だからこそでしょ」
だからです。このふたりがこんなことを言うのは。
えみるはルールーのカッコよさに憧れて、そのルールーと一緒に変身して、なのに変われませんでした。
ルールーはえみるの一生懸命さに憧れて、そのえみると一緒に変身して、なのに変われませんでした。
だって、ふたりはお互いの姿に“なりたい自分”を預けているんです。だからふたりでプリキュアしているときはあんなにも強いんです。自分が本当になりたくてなりたくてしょうがないもののお手本が、お互いのすぐ目の前にいるんですから。
だったら、お互いに遠慮して、ひとりでがんばろうとしたってうまくいくはずがありません。
今のふたりには、自分が思っている以上にお互いのことを必要としているという自覚が必要でした。
「――あれはどういう意味ですか?」
「それは言いにくいということです」
「理解不能です」
「ルールーはすぐそう言うのです」
「えみるが説明しないからです」
「全部私のせいなのですか」
ケンカ。
「少しは考えるのです!」
ルールーはそれができない不出来な自分を変えたくて、えみるに頼りました。
「ウソをつかれるのだってイヤな気持ちになります!」
えみるはそういうカッコ悪い自分を変えたくて、ルールーに頼りました。
「ギターの代わりはあっても、ルールーの代わりはいないでしょう? 私は何度だってあなたを助けます。大切な親友なのですから」
「私もえみるが大切だからです。えみるの悲しいことも辛いことも教えてほしい。きちんと知って、えみるの力になりたいのです」
ただ自分が好きだから一緒にいるというわけではありません。ただ相手を守りたいから傍にいようとしているわけでもありません。
必要だから。お互いの“なりたい自分”を叶えるためにはどうしてもふたりでいることが必要だから、ふたりはプリキュアをやっています。
「心のなかで密かに思っていました。えみるの好きなギターを私も一緒に弾いてみたいと」
「私も心のなかで思っていました。ルールーともっともっと仲よくなりたいって」
いくら親友といっても窮極的には他人です。他人だから、言わなきゃ何も伝わりません。
けれど、他人だからこそ、今の自分にはできない理想を預けることもできます。
・・・それにしても。
「こうしているとルールーさんがアンドロイドってこと、ついつい忘れてしまう」
ここ、最高にほのかよな。(さあやも)
「なんとかこの手でえみるのギターを・・・」
アンドロイドじゃなきゃ指で鉄板を溶断するなんてマネできないから! というか「この手で」って絶対そういう意味じゃない! というかそもそもなんでエレキギターつくるのに鉄板を切り出してるのさ!
(絶対、コンテ段階で座古さんあたりが勝手に仕込んだ悪ノリよね)
永遠のともだち
パップルは絶望しました。
“あの人”の傍に自分以外の女がいたから。
「他の子と遊んじゃイヤよ。・・・といっても、機械人形のルールーはありえないか」(第13話)
元々その程度の実感でした。“あの人”はパップルに愛情なんて返してくれたことがありませんでした。だから、彼の傍にいるのは自分だけだということを根拠に、自分が彼に愛されていることを信じようとしていました。仕事が忙しくなっても一生懸命に通いつめて、ときには部下に仕事を押しつけてでも時間をつくって、“あの人”の傍に身を置いて。愛されている実感を得ようとしていました。
The Crane of Graditude
そんな思い込み、襖一枚で解けてしまう魔法でしかありませんでした。
「――愛されなかった」
オシマイダー。
「愛してたのに、捨てられた・・・。もう、おしまいだ・・・」
女の子向けアニメにあるまじき昼ドラ展開。
「お前に私の気持ちがわかってたまるか!」
わかるはずないです。そもそも事情を知りませんし。テレビの前の子どもたちだってポカーンですよ。マセてる子なら恋人を奪われたことくらいは理解するかもしれませんけどね。それでどうして絶望するまで追い詰められてしまうのか、理解できる人はどのくらいいるでしょうか。私もわかりません。それらしく解釈することはできても、理解はしてあげられません。
そんなのわかるわけがないんです。私とあなたは違う人間なんですから。他人なんですから。あなたの嘆きを真に理解できる人なんて、あなたとまったく同じ人生を歩んであなたとまったく同じ体験をしてあなたとまったく同じ感情を抱いた、あなたただひとりしか存在しえません。
「胸に響いてくるのです。痛いほどの嘆きが」
ええ。理解できませんとも。心のあるなし以前の問題で。他人の心の問題には誰も立ち入ることができません。
でも、目の前で泣いている人を放っておけるわけがないじゃないですか。だって、泣いている人を見たらこっちまで悲しくなってくるじゃないですか。
だから、近年のプリキュアは“それでも”他人の心を救ってあげられるように、ずっと戦いかたを模索してきました。
「私に行かせてください!」
「私たちに行かせてください!」
これは誰にでもできることです。
「あなたには未来があります」
「それでも未来はあるのです」
誰にだってキレイゴトを言うくらいのことはできます。というかそれくらいしかできません。他人の心の問題ですから。
けれど、たとえその程度でも私たちにできることがあるということは、つまり私たちは他人の心の問題であってもできることを持っているということです。
キュアマシェリとキュアアムールは、ひとりで戦うはなを応援したい気持ちから生まれました。
愛崎えみるとルールー・アムールに怪物と戦う力はありませんでした。それはプリキュアであるはなの領分でした。けれど、だからといって黙って見ていることはできませんでした。
「がんばれ! がんばれ!」
「フレフレ! エール!」
応援しました。応援なんかじゃプリキュアのパンチが鋭くなるわけでも怪物の攻撃が弱くなるわけでもありません。それでも、ふたりはそれが今の自分にできることだと信じて、心を込めて応援しました。
それが、奇跡を起こしました。
奇跡なんて陳腐なものです。
事実は小説よりも奇なり。私たちがありえないと思うことだって、この世界ときたら案外と気軽に起こしよる。ありえないことなんてありえない。
だって、放っておけないじゃないですか。泣いている人をひとりにしておけないじゃないですか。私たちは。
この世界を構成する私たちはみんな、泣いている人を放っておけないじゃないですか。
地球上の人口76億人。単純に考えて、泣いているひとりの力に比べたら76億倍のパワーです。76億倍の出来ることを持っています。これだけの力の持ち主が、泣いている人がいると知ったら放っておきません。
だから奇跡は起こります。私たちだったら奇跡を起こします。
えみるとルールーはプリキュアに変身しました。
けれどそれは彼女たちだけの力で成せたことではありません。彼女たちは奇跡の力を借りました。自分の力ではできないことを、世界中の力を借りて実現しました。
えみるとルールーはこの世界に奇跡が存在することを知っています。
えみるとルールー、たったふたりの間にだって、お互いがお互いの理想を預けあえるという奇跡がありました。今日はケンカしたのにかえって仲よくなれるという奇跡まで経験しました。
だったら、パップルの身にだって奇跡が起きることを期待してもいいじゃないですか。
他人の心の問題に手出しできない私たちでも、他人の心の問題を救ってあげられていいじゃないですか。
「あなただってなんでもできる、なんでもなれる」
「何もかもなくなったって、それでも、未来に奇跡を起こすのです」
「あなたは全てを失ったわけではありません」
「あなたにはまだ人を愛する心があります」
「愛する心を持ちつづければ必ず誰かに届きます」
「愛は無敵なのです」
キレイゴトです。全部キレイゴトです。現実は必ずしもそうではないことを私たちは知っています。
けれど、キレイゴトです。現実がこうなってくれたらキレイだなと、私たちは思っています。
私たちはみんなキレイゴトを愛しています。
「キレイゴトね。愛したって報われるとは限らない。でも――届いたら、ぶっとびね」
キレイゴトを愛するのなら、パップルだって私たちの仲間です。
「私の恋は終わった。でもそれですべてが終わるわけじゃない。私も、もう一度――」
なんでもできる、なんでもなれる。今はできなくても、きっと未来でなら。
どうかその愛が誰かに届きますように。今度はあなたの手で誰かのための奇跡を起こせますように。
これは誰にでもできることなんですから。
窮極的には私たちみんな他人です。他人の気持ちなんてわかりませんし、他人と同じ力は持てません。
ですが、他人だからこそ、みんな違う個性を持っているからこそ、自分には無い何かに憧れることができますし、みんなで力を合わせてありえないことを起こすこともできるんです。
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