謎解き戦士!ガリベンガーV 第4回感想 1992年とは、今から30年前である。

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なんか試行錯誤しながら、まだ“攻め”がある時代だったなって。

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ガリベンガー

電脳少女シロ

「シロは(5歳だから)生まれてません!

所属プロダクション:どっとライブ

番組出演回数:レギュラー

因幡はねる

「なんでですかー! やってたからここにいれるんです!」

所属:有閑喫茶あにまーれ

番組出演回数:5回目(再放送・前後編等除く)

黄花はてな

「これわかります。チャチャンチャンチャチャチャン――」

所属プロダクション:テレビ朝日

番組出演回数:3回目(再放送・前後編等除く)

山瀬まみ

このころね会う人会う人みんな臭っさくて!

バラエティタレント

番組出演回数:1回目(再放送・前後編等除く)

カズレーザー

「『フワッフワッ!』――お前大丈夫か!?ってなりますよね。一発目は

お笑いコンビ メイプル超合金 のボケ担当

番組出演回数:2回目(再放送・前後編等除く)

特別講師&教官

泉麻人

コラムニスト

著書:『泉 麻人自選 黄金の1980年代コラム』(2021年,三賢社)

番組出演回数:1回目(再放送・前後編等除く)

小峠英二

お笑いコンビ バイきんぐ のツッコミ担当

番組出演回数:レギュラー

懐かし1992年(平成4年)を振り返る!

第9章 1992年のカラオケ事情

 「カラオケはもっと・・・、1970年代くらいから。でも最初おじさんの遊び道具だったんです」(特別講師)

 カラオケは当初、もっぱら宴会場などで飲み会の余興に使う機材でした。記録メディアは8トラックと呼ばれるカセットテープ。1本あたりわずか8曲しか収録できなかったため、メインターゲット層の中年男性が好む演歌ばかり収録されていました。
 これが90年代になると収録メディアがレーザーディスクに変わり、一気に大容量化したため若者向けの楽曲も取り入れられるようになり、さらにその客層を掴むため現代のようなカラオケ専用の店舗(※ いわゆるカラオケボックスという事業形態)が広まっていきました。もっとも、しょせん光学メディアなので全曲1枚のディスクに収まっていたわけではなく、歌う曲によってはお店の人を呼んでディスクを交換してもらう必要があったらしいですけどね。当時青春真っ盛りだった親戚に聞いた話です。
 当時のカラオケボックスはトラック用のコンテナを改造して使っていたんだという話はこの番組で初めて聞きました。でもまあ、納得はできますね。ド田舎の村道を走っていると今でもいつの骨董品だよってレベルのコンテナを庭に転がしている家をちらほら見かけるんですよ。ああいう余りがちな商売道具を副業に使いたくなる気持ちはわかる。

 ちなみに私は90年代当時カラオケに行ったことがありませんでした。当時のカラオケボックスは室料制が主で、ヒトカラ族に優しくない料金体系だったからです。1時間2000円とかやってられっか! それに曲数が増えたといっても、さすがにアニソンまではカバーしていませんでしたしね。
 私がカラオケに通うようになったのは通信カラオケが普及した2000年代以降。この時期から人数あたりで料金を取るお店が増えたんですよね。音質のDAM、曲数のUGA、アニオタ御用達のJOYSOUNDの三つ巴時代でした。基本的にはJOYSOUNDを選んでおけば安牌だったんですが、意外とゲーム音楽はUGAが強かったりして悩ましい時代でしたね。
 今のオタクはまあ、JOYSOUND選んどけ。電脳少女シロとか、まりなすとか、バーチャルYouTuberの楽曲が充実しているのは間違いなくJOYSOUNDです。なお私の持ち歌は『狂い花』『君にジュースを買ってあげる』『俺ら東京さ行ぐだ』あたりです。よろしくお願いします。(※ 何が?)

 「結構カラオケで歌わずに、最近だと映画観たりとかみんなで女子会とかやりますね」(因幡はねる)
 「あ。全然1曲も歌わないこととか普通にあります」(電脳少女シロ)

 最近のカラオケって映画が丸々1本配信されていたり、歌以外のコンテンツが豊富なんですよね。主にJOYSOUND。友達と集まる目的なら2000年代くらいからずっとカラオケが最安だと思います。さすがにヒトカラだと素直に家のパソコンでサブスクやってたほうが安上がりですが。

第10章 男性の6割が喫煙者だった時代

 「これでも分煙化が始まった、吸う場所が決まったころでね。それまでは普通にどこでも吸ってました」(特別講師)

 実感としてイマイチわからない話なのでWikipediaを参照すると、分煙運動は80年代から始まり、当初は壁などで仕切らず換気扇の下などに灰皿を置くだけ、90年代ごろから明確に喫煙所が一般スペースから区分されるようになり、2000年代の健康増進法及び各自治体の条例によって屋内完全分煙が広まっていったという流れのようです。
 いわれてみれば同じ店内でテーブルごとに喫煙席、禁煙席が分けられていた時代ありましたね。分かれていたといっても別に仕切りとかなかったので、店内にひとりでも喫煙者がいるとどの席も普通に煙かっていう。

 田舎の爺さん連中とか本当に喫煙率が高くて、90年代どころか2000年代、2010年代だろうと村の寄り合いに行くと9割がた喫煙者で酒飲みでした。今はさすがに子どもも来るようなところでタバコを吸う人は少数派になってきましたかね? (※ 断じてゼロではない)

 「あの。お爺ちゃんがなんか、タバコは『吸う』じゃなくて『飲む』って言ってました」(電脳少女シロ)

 これ津軽弁じゃなかったんですね。青森県の津軽地方だと今でもこういう言い回ししますよ。津軽弁解説サイトでもこの用例を紹介しているところがあります。

第11章 1992年に流行った食べ物は?

流行① タピオカココナッツミルク

 現在主流の黒いタピオカパールと違って、この当時流行したタピオカは直径2~3mmサイズの小さな粒状で、コシがなくなるまで柔らかく煮たものを甘く味つけしたココナッツミルクと合わせたものでした。というかつい先週スーパーで見かけましたよ、この食べもの。
 一応スプーンで食べるデザートということになっていますが、別にトロみがついているわけでもないのでたぶんストローで吸ったほうが食べやすいと思います。逆にタピオカミルクティーをスプーンで食べたい・・・。

流行② ナタデココ

 ココナッツジュースを酢酸発酵させてつくる食品です。コリコリとした食感が特徴で、フルーツポンチやらクレープやらあんみつやら、何にでも入っていた記憶があります。特に有名なのは伊藤園が販売しているヨーグルト味の缶ドリンクでしょうか。今でも売っているところには売っていますが、当時は今の3倍くらいナタデココの粒が入っていたと思います。

流行③ もつ鍋

 東京の局地的な流行なのであまりよく知りませんが、前回出ていた『1992年新語・流行語大賞』の新語部門銅賞に選出されたくらいには大ブームだったようです。
 火付け人は銀座にあった「もつ鍋元気」というお店。バブル崩壊後の不景気に1人前わずか1000円程度で、しかも野菜をたっぷり食べられるということで女性を中心に流行ったとのこと。今でいうと牛丼屋のすき焼き鍋定食に近い感覚でしょうか。

 「もつ鍋高いイメージで、ごちそう。ごちそう食べに行くぞーってときにもつ鍋屋みたいな」(因幡はねる)

 なお、急激な需要拡大に牛もつの生産が追いつかず、さらにニラなど野菜の不作も重なってわずか数年で価格が急上昇。一過性のブームとして終息したようです。

第12章 ディスコのお立ち台がアツかった時代

 「これわかります。チャチャンチャンチャチャチャン――」(黄花はてな)
 「ジュリアナだ!」(因幡はねる)

 これも東京の文化なので地方民には何もわからん話ですね。
 そもそもディスコとは主にクラブミュージックとアルコール、お客さんが自由に踊れる空間を提供する事業形態です。ディスコ自体は70年代から流行していましたが、その代表格として語られる「ジュリアナ東京」が開業していたのが1991~1994年のこの時期でした。
 立地が港区芝浦なのは若者文化だからですね。今話題の韓国・梨泰院もそうですが、大都市の若者文化はいつの時代もそのとき地価の安い地域で花開きます。

 「お立ち台は誰でも上がれるんですか?」(小峠教官)

 ジュリアナ東京といえばお立ち台。元々は他のディスコの目立ちたがりのお客さんの間で自然発生的に生まれた文化だったんですが、後発組だったジュリアナ東京では最初から専用のお立ち台を設置してありました。また、女性客限定で誰でも自由に上がることができました。
 人気の女性客には男性客から結構な額のおひねりが贈られることもしばしば。今でいうところの投げ銭、スパチャですね。このお金目当てに過激なことをする女性客が増えたり、お客さん同士の間で序列が生まれたり、あと言わずもがな痴情のもつれが発生したりといろいろ治安が悪化した結果、ジュリアナ東京人気は急速にしぼんでいくことになります。本当にいつの時代も変わりませんね。
 もっとも、ジュリアナ東京自体バブル崩壊期にできたお店なので、景気減退の煽りがモロに直撃していたという事情も少なからずあります。

第13章 土曜日の過ごし方が変わった時代

 この章に関しては泉先生の認識にかなり錯誤が多かったですね。

 90年代は学校週5日制が始まった時代でもありました。
 もともとは80年代、日本企業は週40時間労働にすべきとの国際機関からの要請があったことが発端でした。これに応じて官公庁や大企業を中心に週5日労働制が段階的に広まっていき、1992年には国家公務員・地方公務員の完全週5日労働が制度化されました。中小企業もこの公務員制度の動きに倣ってこの時期から週5日労働制を増やしていきました。
 ただし、このムーブメントはあくまで労働問題であって教育上の理由ではなかったため、公立小中学校や高校にまで週5日制が広まるのはやや遅れ、1992年当初は第2土曜日のみ休日としていました。現場では土曜の授業が減ったぶん平日の授業コマ数や放課後補習を増やす動きなども見られましたね。授業時間が減るのに合わせて学習指導要領も薄くなる、なんてこともちろんあるわけがないので。
 ちなみに公立小中学校や高校で完全週5日制が導入されたのは2002年のことです。番組で触れていた「ゆとり教育」が実質的に始まったのもこのときですね。内容が増える一方の学習指導要領に対して授業時間がもはや完全にパンクしていて、どこの現場でも詰込型授業にせざるをえない状況だったので、遅ればせながらようやくカリキュラムを整理(しようと)したんです。

 そんな感じで労働者から先に週5日制が広まる流れだったから、世間では共働き世帯が増加傾向だったにも関わらず意外と子どもの土曜休みに対応できていた家庭が多かったように記憶しています。
 逆に「専業主婦が減って共働きが増えたのが学校週5日制にマッチしていた」ってどういう理屈よ。普通に考えて子どもが家にいるほうが家庭の負担は大きいよ。

第14章 1992年の学校給食人気メニューは?

 「もう、ソフト麺。やっぱ一番みんな人気だったイメージ」(カズレーザー)

 ソフト麺自体は関東圏の企業が製造していたものなのでローカルなんですが、他道府県でも類似の製品をつくる企業は少なくなかったので、案外全国的に食べられていた印象です。
 青森県でも「ソフト麺」という名称こそ聞いたことなかったものの、単に「うどん」「ラーメン」などと呼んで給食によく出ていました。製造技術が向上していったのか、当初でろでろの茹でた小麦粉だったのが、あるときから最低限のコシを感じられるシロモノになっていきましたね。

 揚げパンは食べたことなかったですね。上の世代や他の地域出身者だとよく食べていたという話を聞いたことがあるので、単にたまたま私の出身地で当時だけ献立に出なかっただけかもしれません。

 わかめご飯は私のところでも人気でした。あとはパインパン(ドライフルーツのパイナップルの粒が練り込まれたコッペパン)とかですかね。
 青森県なのでりんごも出るには出ていましたが、塩素殺菌されたカットりんごだったこともあり、どちらかというと不人気でしたね。そもそもどこの家でも誰かしら親戚の農家から箱単位でもらってくるのが当たり前なのでみんな食べ飽きていましたし。

第15章 名作揃い!1992年のゲーム事情

 当時はとにかくエニックスとスクウェアが強い時代でしたね。
 1992年、エニックスからは『ドラゴンクエスト5』のほかソウル三部作の1作目『ソウルブレイダー』なんかも出ていました。スクウェアからはシリーズ最高傑作と名高い『ファイナルファンタジー5』以外にも『ロマンシング サ・ガ』『半熟英雄』など。

 任天堂はこの年スーパーファミコンに『マリオカート』『マリオペイント』を出していた他、ゲームボーイで初代『星のカービィ』や知る人ぞ知る3Dポリゴンシューティングの『X』など。

 それからゲーム史を語るうえで絶対に避けては通れないカプコンの『ストリートファイター2』も、スーパーファミコン版が発売されたのは実はこの年です。
 あと主だったところだと、サウンドノベルの草分け的存在『弟切草』、カルト的人気RPG『真・女神転生』、名作シューティングのセルフパロディ『パロディウスだ!』、ロボットアクションゲームの最高傑作『重装機兵ヴァルケン』、国民的パーティゲームの実質的第一作『桃太郎電鉄2』、キャラゲーの枠を越えた対戦ウォーシミュレーションゲームの金字塔『SDガンダムX』、こちらもキャラゲーの枠に留まらない名作アクション『ミッキーのマジカルアドベンチャー』、フランス産超有名アドベンチャー『アウターワールド』、最近になっていい感じの続編が出た『奇々怪界 謎の黒マント』、あと地味だけど個人的に大ファンな風船割りゲーム『スーパーパン』あたりも(スーパーファミコン版は)全部1992年発売です。当時の子どもたちはよくお小遣いが足りたものですね。まあ友達と貸し借りしてたんですけど。

 番組とは全然関係ないですが、もしあなたがゲームオタクだったならとりあえずこのあたり全部履修しておきましょう。

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