すずめのてで、もとにもどして。
凍えきった心に
石像。引き上げてみると夏空に不釣り合いなほど冷たい感触で、実際、持ち上げた指先、甲、手首にまで霜をまとわりつかせます。
まるでたった今まで真っ暗な氷室の隅にうち捨てられていたかのように。
まるでここにありながら、心だけ遠い極北の夜空を見つめているかのように。
マイナスの熱量は、しかし、鈴芽の体温に追いやられたかのように一瞬で雲散霧消して、38度の熱を宿す毛玉へと姿を変えました。
ダイジンは要石となって荒神を鎮める役割を担っていた、護国神の一柱です。
最初から神様だったのか、あるいは元は猫だったのか、人間だったのかは定かではありません。いずれにしても、何十年もかけてその身に神威を蓄えた、人ならざる存在です。
対となるサダイジンとともに“ミミズ”の頭と尾を常世に縫いつけており、その性質上、彼はいつも人の立ち入らない廃墟の奥に放置されていました。その存在が人の世と交差するのは何十年かに一度、“ミミズ”が活性化したときだけ。それも閉じ師たちに運ばれ、日本各地の廃墟を移動する刹那の間だけ。
「すずめ、やさしい、すき。・・・おまえは、じゃま」
閉じ師以外が彼の身体に触れたのは、いったい何百年ぶりだったんでしょうね。まして、“ミミズ”を封印するとき以外、道具として使う目的ではなく、ただ彼自身への興味でもって触れられたのなんて。
そりゃあ、まあ、閉じ師のことが嫌いにもなるでしょうね・・・。
ずっとさびしかったんだと思います。
閉じ師と同じ、この国を護る大事な仕事をしているにも関わらず、閉じ師と違って人の世と交わることは許されず、いつもひとりぼっち。たまに人と接するときも道具のように扱われるだけ。閉じ師以外の普通の人間たちには感謝されるどころかその存在を認知すらしてもらえない。
心も凍てつこうというものですね。
閉じ師への復讐がてら草太を自分の代わりの要石にしてしまうわけですが、そのために使った依り代が鈴芽の子ども椅子というのがまた切ないですよね。
鈴芽はお母さんにつくってもらったこの椅子を一生大事にすると約束していましたが、実際のところ彼女がその約束を覚えていたのはほんの数年の間だけ。自室の隅に保管こそしていましたが、特に大事にしていたわけでもなく、草太が引っぱり出してくるまで本当にただ置いているだけの代物でした。
一応、亡くなったお母さんの形見なのにね。この映画は東日本大震災を扱った映画ではありますが、被災者の感情を変にデフォルメすることはなく、忘れられないトラウマとして扱うことはなく、リアルに、ドライに描写しています。
ダイジンさ、わかってる?
レジャー施設の奥に人知れず放置されていたあなたを鈴芽が見つけてくれたのと同じく、この椅子もまた、鈴芽がすっかり忘れていたのを草太が見つけて引っぱり出してきたものなんです。
どちらもなんとなく、偶然に。
あなたが思うほど鈴芽と草太の性質はそう大きく異なってはいなかったんですよ。たまたま、そのとき彼らの目を惹いたものが石像か椅子かという違いがあっただけで。
失恋と、未練と
とまれ彼は、まあ、つまるところ、鈴芽に一方的な片想いをしてしまうわけです。触れた手が温かかった。優しい声もかけてくれた。ただそれだけの理由で。
本人としては彼女の家族の席に潜り込もうとあれこれ必死に手を尽くしていたつもりなんでしょうが、鈴芽からしたらただただ迷惑なだけ。「余計なおせっかい」にすらなっていませんでした。善意があるにはあったんでしょうが、草太に攻撃的なところを見せてしまった時点で伝わるわけがありませんし、道徳的にも許されないことをいくつかやってしまっています。
ストーカーですね。ありていにいうなら。
「いたいってば、すずめ。すきじゃないの? ダイジンのこと」
「はあ? 好きなわけ――」
「すきだよね?」
「大っ嫌い! ・・・どっか行って。二度と話しかけないで」
それこそ現実のストーカー同様、恋慕している相手とコミュニケーションを取らないからどんどん勝手な勘違いを膨らませてしまうわけで。
これまであまりにも人の優しさに触れる機会が少なすぎたせいで、ダイジンは鈴芽のくれた温もりが、本人にしてみたら親愛の情も何もない、ごく自然な慈しみでしかなかったことに気づいていませんでした。
必然、ダイジンはこっぴどくフられてしまいました。
話しかけんなとまで言われてしまいました。
けれど彼には他に行くところがありません。鈴芽以外で自分に優しくしてくれる人を他に知りません。
いっそ道中で愛想を振りまきまくっていたあの人この人たちに切り換えるくらい移り気な性格だったらまだよかったのですが、この童貞野郎ってば変なところで一途だったのです。だからストーカー対応レベルのきっつい拒絶を食らうんだよ。
そんなわけで、結局彼の鈴芽へのストーキングは白昼堂々継続されることになりました。
言われたとおり、話しかけない約束を守ったうえで。
もはや彼女の愛が得られる望みなんて一欠片も無いのを承知のうえで。
自分では彼女を喜ばせることすらできないことも理解のうえで。
何ができるわけでもなく、何がしたいということもなく、それでも人の体温が恋しくて離れがたい。
彼はそういう、本当に哀れな神様でした。
温もりを抱いて眠ろう
「ひとのてで、もとにもどして」
鈴芽の故郷を目指す旅路の途中、もう一柱の要石であるサダイジンと合流しました。
いけ好かないやつでした。環おばさんの心の闇を利用して、ボロボロの鈴芽をさらに追い詰めるようなまねをして。鈴芽を守るべく反撃を試みたあげく、なんか普通に力負けしちゃいました。とことんカッコいいところのない神様です。
それはともかく、そんな明らかにダイジンよりハイスペックなサダイジンが言います。人の手で要石に戻してほしいのだと。
この言いかただと、やろうと思えば人の手を借りなくても両神様の力だけで要石になって“ミミズ”を封印できそうな口ぶりですね。
そのうえで、彼は封印にあたって人の手を介在させることを望んだわけです。
ダイジンには彼の気持ちがわかったはずです。
だって、つまるところダイジンもそれが欲しかったから、ずっと鈴芽に固執していたわけですから。
いつも冷たい闇のなかにいました。
たったひとり。守るべき人間たちに自分の存在すら知られないままに。
気が遠くなるような長い時間、ダイジンとサダイジンは人間のためになる大事な仕事を務めつづけていました。
そんな彼らが求める、ささやかで、本質的な願い。
どうか。どうか、知ってほしい。ここにいることを心に留めてくれてほしい。
できることなら温もりを分けてほしい。
あなたたちのために身命を尽くしている我らに、あなたたちを愛してやまない我らに、あなたたちからも愛を向けてほしい。
要するに、鈴芽が草太からの愛を生きる理由にしたのと同じ話です。
悠久を生きる神様ですら愛に飢えていました。
身を凍てつかせるほど孤独に苛まれていました。
彼らは閉じ師と同じく、人の役に立つ大事な仕事をしていました。
なのに、誰からも感謝されない。その存在に気づいてすらもらえない。
それでは自分が何のために生きているのかわからなくなります。
だから、ダイジンは仕事を放棄してまで愛してくれる人を探しに出かけ、サダイジンは仕事の対価として人の温もりを分けてもらえることを要求してきたわけですね。
献身が報われ、鈴芽にようやく自分の善意をわかってもらえたダイジンは神様としての力をみなぎらせ、最後にサダイジンと同じ願いごとを鈴芽に頼みます。
「すずめのてで、もとにもどして」
それだけで彼は満足でした。
硬い要石の姿に戻った彼は、しかしかつての自分や草太の場合とは異なり、もはやその身を霜で凍てつかせることないまま、眩しい輝きとともに“ミミズ”を封じます。
全てはただ、愛する人の幸せのために。
愛してくれた人の営みを守るために。
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