その選択が正しかったのか、今となってはわからない――。
小手毬 羊子
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『白爪草 小手毬羊子の選択』は『白爪草』のスピンオフ作品です。作品の長さは1時間程度。視聴料は3960円(テレ朝動画サイトのメダルで購入)。支払後1週間視聴することができます。
本編『白爪草』を視聴済みであることが前提の構成で、未視聴だと登場人物の心情やシナリオ上のギミックに一部理解できない部分があると思われます。それ以外にも全編通してファン向けな要素が色々と仕込まれてあります。
純粋にサイコサスペンス映画としてオススメできる本編とは異なり、『白爪草』の世界や.LIVEのバーチャルYouTuberが好きな人に勧めたい作品だと思います。もしあなたが該当するなら、うん、観るべきです。
なお、本作品の公開に合わせて『白爪草』本編もテレ朝動画サイトで配信中です。ワンシチュエーション作品ならではの妙味が効いた傑作です。まずはこちらをどうぞ。
「選択」
「私はまた、選択を間違えたのだろうか。間違っていたのはどの選択だろう? 彼女を採用したこと? 彼女に頼ってしまったこと? 彼女を突き放してしまったこと? 私にはわからない」
ひととおり最後まで物語を見届けたあと、まず最初に思ったのは「この主人公がいったい何を選択したというんだろう?」ということ。
夫が病気になったあとも店を開けることを決め、バイトとして蒼を雇う決定をし、仕事を教え、有能な彼女への嫉妬をひた隠し、むしろ店の鍵を預けるほど信用することにし、新たな事業提案を承認し、自分の弱さを打ち明け――。
蒼を雇うシーンでは自分から場をリードしようという積極的な姿勢が見て取れました。けれどそれすらも、白爪草本編と合わせて考えると何者かに状況を操作されていたフシが見て取れます。
その後いくつかあった意志決定らしきものは言うまでもなく、彼女自身も認めるとおりただ状況に流されているのを追認していただけ。
ひとりで店を切り盛りしようと決心した強い意志くらいは認めても――、と思いたくなったところで、実はそれすらも「彼女はそうせざるをえなかった」のだという事実が後から明らかになって。
全ては設えられていました。最初から最後まで。
「仕組まれていた」などと糾弾するような言いかたをする気にはなれません。
行く先は地獄。帰り道はすでに崩れていた。そんな陰惨な境遇といえど、これが彼女にとって不幸なのかと問うのなら、案外そうでもないように思われて。むしろ、たぶん、きっと。
「主人が戻るまでは辞めないでほしい。その一心で、私は彼女に、すり寄った」
溺れる者はワラをも掴むといいます。
灰色の海にひとり沈みつつあった彼女は一輪の白椿を掴みました。
それはきっとワラよりも頼もしく、丸太よりも確かで、おそらくは小舟なんかよりもずっと彼女を救ってくれたのでした。
「あれから蒼ちゃんは以前のような明るさを取り戻した気がする。私が弱音を吐いたことで心の距離が縮まったのだろうか。いや、わからない。以前のままだったかもしれない。私のこの目で見ていることなど、何もアテにはならないのだから」
小手毬羊子は、これまでも、これからも、自分の店で起きた事件のことを何ひとつ知ることがありませんでした。
依存先
「店長としてのやりがいを感じる日々。頼れるお姉さんの気分を味わう日々。そんな日々も長くは続かなかった。元々花好きだった彼女はみるみるうちに仕事を覚え、2ヶ月も経つと私が教えられることは何もなくなってしまった」
「あれだけ頼りなかった彼女がとても大きく見える。もう、彼女なしでは店は回らない。いい店長を演じること。器の大きなお姉さんで在りつづけること。それくらいだった」
つまるところ、小手毬陽子とは弱い人間でした。
彼女のパーソナリティは概ねこの一言で説明がつきます。他に特筆すべき個性は見あたりません。そのくらい薄っぺらい人間です。
夫だった男に理不尽に捨てられた彼女はその事実を受け入れられず、自分が捨てられた理由を何かしらに求め、全ては自分が不甲斐なかったせいなのだのだと、ありもしない事情を自分の心のなかに捏造します。
自分が花屋として充分な力を示せなかったから夫はいなくなったのだ。負担をかけすぎて病気にしてしまったのかもしれない。だから、自分がひとりでも花屋を切り盛りできることを証明すれば、夫は喜んで帰ってきてくれるに違いない。
しかし、残念ながら羊子にそういうシンデレラストーリーを実現できる手腕はありませんでした。彼女には支えが必要でした。自分の仕事を補佐してくれる優秀な助手――ではなくて、もっと直接的に、自分の有能さを確認させてくれる不器用な妹分。実務ではなく心の平衡を保つための支え。
「自信なさげで家族のいない女の子。この子ならわたしを頼ってくれそうな気がした。あの人を見返せるほど、いい店長になれそうな、そんな気が」
その点、ほどほどに才気があって、ほどほどに未熟な蒼は、羊子にとってちょうどいい存在でした。
彼女くらいの人物から尊敬されることは羊子にとってたいへんに気分がよく、彼女に頼られるたび羊子は自分の存在価値を噛みしめることができました。
誤算だったのは彼女が学習し成長できる人物だったということ。時が経ち、蒼が仕事を覚えていくにつれ、羊子にとってひたすらに都合が良かった彼女との関係性は儚く壊れていくことになります。
あんなに居心地がよかった昨日までが嘘のよう。欲しかった賞賛は彼女にだけ与えられ、教えてあげられる仕事ももはやなく、むしろ新しい仕事を次々考案されて自分は置いていかれるばかり。
自分の有能さを証明するための花屋だったはずなのに。
「私と主人の花組が、彼女のつくったもので埋まっていった。花か、花じゃないかもわからないモノで。私はそれを眺めながら、小手毬の花が蒼色に染まっていくみたい,なんて思ったりした。普通の人が見ればこれらは綺麗なんだろうか? 私にはわからない。気付けば店内は蒼色でいっぱいになっていた」
プリザーブドフラワーは果たして本当に花なのか? 羊子は疑問を呈します。
詭弁です。だって、この花屋では元々ドライフラワーも取り扱っていたわけですから。羊子自身、本当は生花だけにこだわっていたわけではありません。ただ、蒼のやることにどうにかケチをつけたかっただけであって。
きっと頭では最初から全部わかっていたんでしょう。こんなことをしていてもムダだって。
だから花屋を盛り立てることよりも自分の自尊心を慰めることを優先しました。
プリザーブドフラワーとドライフラワーのような、本質的ではない違いにこだわったふりをしていました。
羊子が有能だろうが、蒼が有能だろうが、どっちにしろ夫は帰って来ないのに。
「私、ちゃんとお店守ってたの。いつあなたが戻ってもいいように。病気は? もう治ったの? もう戻れるの? 私がちゃんとしてないから、あなた病気になったんでしょう? 私がちゃんとお店をできたから、病気が治ったんでしょう?」
つまりは依存先が欲しかっただけなんです。
これが蒼と紅の場合は共依存の関係が出来上がっていて、お互いを恐れつつも、お互いの存在があるおかげで自分らしさを見つけられる仕組みになっていました。だからこそ、彼女たちは最終的に自分たちの置かれた立場を交換することで、それぞれ自分という個体の完成を目指すわけで。
羊子にはそういう、共依存できる対象がいません。羊子は夫を必要としていましたが、夫にとって羊子は不要な存在でした。羊子は蒼と対等な関係になることを望んでいましたが、蒼の才覚はあっという間に羊子を抜き去ってしまいました。
羊子が恋い慕う相手から、羊子自身も恋い慕われる。そういうある種対等なパートナーシップを、羊子はついぞ誰とも構築することができませんでした。
だって、羊子は誰よりも弱い人間なわけですから。彼女と並び立てる人間なんてどこにも居やしません。
あなたのお店
「ふたりで花屋を始めたときはとっても幸せだった。たくさんの花に囲まれて、あの人も優しくて。花組っていう名前はね、あの人が考えたの」
「冷静に考えれば、しばらくのあいだ店を閉めるという手もあったのかもしれない。だけど私はひとりで店を続けるという選択をした。『主人を見返してやる』、そんな気持ちが私を突き動かしたのだ」
「今日から、たまにでいいんだけど、レジ締めと戸締まりお願いしてもいいかな? ここはもう蒼ちゃんのお店でもあるんだから」
「そっか。うん、好きにして。ここはあなたのお店なんだから」
「なぜ店を続けているのかもわからなくなった私は、いよいよ彼女に全てを委ねるようになった。彼女は庭にキンモクセイを植えたり、室内に大きな花のカーテンを吊したりしはじめたが、私はもう気にもならなかった」
フラワーショップ花組は元々自分と夫の店。やがて自分ひとり、自分と蒼の店と遍歴して、最終的に蒼ひとりの店と認めたとき、羊子の精神は最も安定することになります。
まあ、桔梗先生のカウンセリングですしね。
羊子にはもう、夫も、蒼も必要ありません。明らかに誰かが蒼に成り変わっている様子が見て取れても、だから彼女は深く気に留めません。
羊子は共依存するパートナーを探していました。けれどそれは初めから無理だった話。羊子ほど力も心も弱い人間は他にいませんでした。
だから彼女には、共依存のパートナーを見繕うのではなく、共依存したいという望みを絶つことこそが必要だったのでした。
「羊子さんの場合、問題の根本はほとんど解決されているの。後は時間だけ」
「たしかに。どうしてあれほど夫に執着していたのか、今ではよくわからない」
「そう感じられるようになって本当に良かった」
小手毬羊子は浅ましい人間です。
自分を真に欲する人なんてこの世のどこにもいません。
自分を心から愛してくれる人なんてこの世のどこにもいません。
せいぜい一時の腰かけ。どうせ自分より優れているであろう周りの人間が熟練できていないほんの僅かな期間だけ、あわよくば自分でも優位に立てる場合がある。
それだけで充分でした。
小手毬羊子の生涯のパートナーたりうる人間はこの世のどこにもいません。
あえていうなら、彼女のパートナーは世界そのもの。小さな花屋の、小さな部屋。
特定の誰かから必要とされる必要なんてない。向こうから愛されなくたって愛してあげられる。
どうせ誰もが、きっと一時くらいは、彼女を頼ってくれる瞬間があるわけですから。
羊子はそれを、取っかえ引っかえ渡り歩けばいいだけです。それで彼女の自尊心は満たされます。
後日、フラワーショップ花組はアルバイトをもうひとり雇い入れることになります。
隣にいるのが誰であっても関係ない。
この花屋が誰のものであっても気にしない。
明日誰が現れたって、いなくなったって構うものか。
「でも最近、少しだけ色が戻ってきたんです。灰色だった景色がうっすらと色づいて見える。でも、今見えているこの色が本当の色なのか私にはわからない。私には白いものが黒く見えているのかもしれないし、赤が青に見えているのかもしれない」
小手毬羊子はこれまでも、これからも、何も知らず、何も知ろうとしないまま、流されたまま、ただここに在りつづけます。
そう在ろうとしたことが、この物語のなかで唯一、彼女自身で決めた選択です。
「足りない色に思いをはせて、私は今日も生きていく――」
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