HUGっと!プリキュア 第33話感想 とかく自分らしさを貫くというのは難しい。

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あなたがたが望むストーリーを僕は生きられない。

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(主観的)あらすじ

 ツインラブの活動は順調。最近はテレビでも紹介されるようになって、どんどんえみるとルールーの歌を聞いてくれる人が増えてきました。ところが、有名になるにつれてツインラブを批判する声も聞こえはじめます。彼女たちに若宮アンリへのインタビューのお仕事が入ったのはちょうどそういうときでした。

 インタビューのなかで、アンリは「勝ちつづけたい」と語ります。自分を貫きたいのならそうしなければならないから。その言葉がえみるの心に重くのしかかります。えみるのやりたいことは多くの人に歌を届けることであって勝つことではないのに、それでも自分を貫くためには誰かに勝たなければならないのでしょうか。
 迷うえみるを見てルールーも同じ疑問を持ちます。ちょうどアンリのファンである吉見リタが「アンリの魅力は男女の別を超越したところにある」と熱心に語っていました。そんな彼女を見ながら、アンリは「結局、人はわかりあえない」とつぶやきます。

 自分を貫くために勝ちつづけ、しかし勝つたびに他人から勝手な期待を押しつけられる。いっそひとりになった方が楽になれるんじゃないかと思い至るアンリに、クライアス社のリストルが勧誘の声をかけます。時間を止めたらそれは叶う。
 けれど、えみるが懸命にアンリを止めようとします。彼女はアンリに感謝を伝え、アンリに言われて嬉しかった言葉をふり返って――何故だか、そうしているうちにえみるの方の悩みが晴れていました。心配して駆けつけてきたルールーがそんなえみるを抱きしめます。ルールーはえみるの悩みを正しく理解できませんが、それでもえみるを好きでいられる気持ちは変わりません。ふたりを見つめて、アンリは悩みが晴れたように優しく微笑みます。
 ショープログラム中の突然のアクシデント。けれどアンリはツインラブと協力してそれを乗り越えました。自分の思うままに、それでいて周りの期待に応えながら。クライアス社からの勧誘もはっきりと断りました。アンリが支持するのはむしろ、輝く未来を戴くプリキュアの方。

 ・・・そうして全てが解決したように見えましたが、アンリの苦悩は密かに続きます。ズキンと痛む足。今度は自分自身の身体までもが、自分らしく生きようとする彼の思いを妨げようとしています。

 今話のテーマに関しては私も常々思うことがありまして、まあ、つまり私もこのことに関しては未だはっきりした答えを出せずにいます。どうなんでしょうね。いったいどうしたら本当に自分らしく生きられるんでしょうね。
 このことに関連して最近バーチャルyoutuberに注目しています。虚像のアバターを通してなら、生身の人間でもあらゆるしがらみに囚われずに思うさまアイドル(ヒーロー)を演じきれるんじゃないかと。
 ですが、あれでもまだ自由になりきれていないように思います。結局演じている俳優ありきの魅力ですし、活動が長くなるにつれ様々な属性が付加されてキャラクターとしての型も固定化していくようです。
 しかもそれでいて、そういう不自由さは必ずしも悪いことばかりではないんですよね。生身の人間がアドリブ混じりに演じることで生まれる複雑味は、あらかじめ脚本の定まったアニメや映画のキャラクターにはなかなか出せない魅力です。それにイメージが固定化されることはファンからの明確なコンセンサスが生じるということでもあり、俳優が彼らの期待に応えやすくなる効果も生まれます。
 難しいですね。難しいです。他人の目の前で自分を表現する行為には必然として制約が生まれますが、同時に他人の前でないと引き出しきれない自分の魅力もあって。そしてそもそも自分が生身の人間である以上は結局どうもがこうと一面的な自己イメージのなかに留まりつづけることができなくて。
 ・・・前提をすっ飛ばしているので何を言いたいのかわからないですよね。とりあえず今話の感想文に移りましょう。それでまだ語りきれない分はまたいずれ、別の記事で。

理不尽

 「大勢の人に歌を聞いてもらえるのは嬉しいですね」
 「もっとがんばって、色々な人に曲を――」

 えみるとルールーは愛のプリキュアです。多くの人たちに愛されて強くなり、今度は自分も愛してくれたみんなに愛を届けたいと考えています。そのために彼女たちの選んだ手段が、たとえばプリキュア活動であり、たとえば歌でした。
 だから、アイドルとして注目を浴び、よりたくさんの人に歌を聞いてもらえるようになることは彼女たちの本意です。

 ところが。
 「ツインラブ、そんなにいいですか? 彼女たちの曲はアイドルなのかロックなのか、なんか中途半端ですよね」
 名が売れてくるとどうしても見当外れな批判が出てくるものです。
 よく「嫉妬されているだけだ」ともいわれますが、必ずしもそういうわけではありません。自分の求めていたものと実物のギャップから生まれる「コレジャナイ」という失望が、ときに中傷を含んだ批判として表に出てくることがあります。
 おそらくこの人はアイドルらしいアイドルソング、あるいはロックアーティストらしいロックの方が好みなんでしょう。その期待にツインラブは応えられません。そもそもそういう型にはまったものになりたくて活動しているわけではないのですから。
 ですが、多くの人に歌を届けるということは、多くの人が求める様々な期待と常にぶつかっていくということでもあります。

 前話のほまれとビシンの思いもそういうものでしたね。
 「どうして! ハリーに! ボクの気持ちは! 届かないの!」
 彼女たちは自分とハリーの気持ちが双方向につながる未来を夢見ました。ですが、ハリーには一番大切な人が他にいて、彼女たちの願いが叶えられる見込みは非常に少なくなりました。少なくとも彼女たちはそう解釈しました。(というかハリーが自分と周りの人とのつながりに無頓着すぎるんですよね)
 自分ひとりで叶えられる願いなら、自分が努力しつづけさえすれば誰にも邪魔されずにいつか叶う見込みがあります。ですが、ここに他人が関わってくると話は別です。もし誰かに拒否されてしまったら、自分がいかに努力を重ねていようと、その時点で全て水泡に帰してしまいます。理不尽なことです。

 「若宮くん。いつも注意してるけど、制服、きちんとネクタイ結びなよ。女子みたいだよ、君の格好。男子のなかで浮いているのが心配なんだ」(第19話)
 自分らしさを貫くアンリはいつも他人の勝手なレッテルと戦ってきました。
 今回えみるとルールーが受けた理不尽な批判は、アンリにとってごく日常的なものです。それに打ち勝つ処世術として、彼は常に勝ちつづけることを学んでいました。

 「だから何?」(第19話)
 「君たちとほまれは住んでる世界が違うってわかってる?」(第8話)
 「話してもわからない人たちを説得するのは時間のムダ」(第19話)
 彼は勝手なことを言ってくる人たちとの折衝を早々に諦めて、そういう人たちを実力で黙らせる方法を採りました。自分が優れていることを示すことができれば、相手に「自分が間違っているかもしれない」という疑念を抱かせることができます。黙らせることができます。
 実際、えみるのお兄さんなどはアンリの輝かしさを目の当たりにして考えを改めました。
 「ごめんね。けど、僕は君のために僕を変えることはできない。誰に何を言われたって構わない。僕の人生は僕のものだ。僕は僕の心を大切にする。だって、これが僕、若宮アンリだから」(第19話)

 「僕は勝ちつづけたい。自分を貫くためには勝ちつづけなければならない」
 たとえそれがどんなに険しい道だとしても。

 ところで、ここでもうひとつの理不尽が描き出されます。
 「アンリの魅力はね、男 / 女、そんなことは関係ない! 彼の美しさは全てを凌駕するの! “ボーダーレス”! Unbelievable! Fantastic!」
 吉見リタの言葉にアンリを批判する意図はありません。けれど、“ボーダーレス”。アンリはそんなものを訴えるためにこの姿で活動しているわけではないんです。あくまで中性的なスタイルがアンリの思う自分らしさというだけ。
 彼女の賞賛も、これはこれでアンリの“なりたい自分”からは少しズレています。

 アンリは勝ちつづけます。自分を貫くために。それである程度は身勝手な批判を潰すこともできるでしょう。
 ですが、好意的な意見は? そちらはむしろ、勝ち上がれば勝ち上がるほどにますます強くなっていくはずです。そして、好意的だからといって必ずしもそれがアンリの本意に沿うとは限りません。
 アンリのショープログラムの会場に、彼のファンたちはこぞってカサブランカの花を持ち込んでいました。ファンクラブの取り決めかなにかなんでしょうか。その花言葉は「純粋」「高貴」。いかにも氷上の王子様に似合いの花言葉ですね。
 ですが、その花言葉は本当にアンリという人物を正しく言い表せているのでしょうか?

 「結局、人はわかりあえないのさ」

偶像

 第8話や第19話の放送後、LGBTやジェンダー論を語る視点から様々な反響がありました。好意的な意見も、批判的な意見も。なかには『HUGっと!プリキュア』自体がそういう問題を取り上げるための意欲作だという声までも上がっていました。
 私としては全然そういう物語じゃないと思うんですけどね。あくまで“なりたい自分”を目指す姿を描くために、そういう不自由な現実も語っておく必要があるというだけで。(もっとも、これはこれで私の勝手な主観ですが)

 「スクープ! こういう刺激的なのを待ってたんだ! 『熱愛! 若宮アンリと人気アイドルのルールー!』 うーん、これは上も喜ぶぞ!」
 「みんなアンリくんの普段の様子を知りたがってるんだよ!」

 誰かに憧れることは良いことです。憧れは自分を高めようと思うきっかけに、そして原動力にもなります。
 憧れの人のことは当然、もっとたくさん知りたくなるでしょう。愛する人とはやがて一つ屋根の下で暮らしたいと思うように。ヒーローの変身アイテムを自分も身につけたいと思うように。憧れの人に対する理解を深め、もっと近しく感じたいと思うことは誰かを好きになる人間として当然の心理です。

 ですが、生身の身体を持つ人間は誰かの憧れるイメージそのものにはなりきれません。
 だって、私たちは彼らのテレビや氷上での姿だけを見て憧れているんですから。
 人間というのはそんな薄っぺらい一面的な側面しか持たない存在ではありません。もっと多面的で、重層的で、複雑怪奇で、ステキなところも醜いところもいっぱい併せ持つ、メンドクサイ存在です。
 彼らの偶像的な顔なんて、そのうちのほんの一部分でしかありません。それを承知したうえで彼らを知りたいと思えたならまだ少しはマシなんでしょうけどね・・・。
 「あなたがたが望むストーリーを、僕は生きられない」
 どうしても、テレビや氷上で見た憧れの続きを、彼らの私生活にまで期待してしまいます。

 ホント。こういうの大っ嫌いなんですよね。
 アイドルが私生活でまでアイドルを演じているわけないじゃないですか。なのに勝手に期待して、そしてイメージとのズレを見つけては勝手に失望してしまう。
 だから、どうせ憧れるなら私生活の存在しないつくりもののヒーローに限る・・・と思うのですが、人によってはこちらですら、演じている俳優や脚本家、監督などの人間性を勝手にヒーローの延長線上に結びつけて、また勝手に失望する。
 かくいう私もときどき製作スタッフのことを語りますしね。難しいものです。

 仮にこれを乗り越えられたとしても、今度は憧れる個人個人の主観によってヒーロー観(アイドル観)のズレの問題もありますしね。
 「ツインラブ、そんなにいいですか? 彼女たちの曲はアイドルなのかロックなのか、なんか中途半端ですよね」
 「アンリの魅力はね、男 / 女、そんなことは関係ない! 彼の美しさは全てを凌駕するの! “ボーダーレス”! Unbelievable! Fantastic!」

 同じ対象を見ているはずなのに、私とあなたの世界観はそれぞれ違います。憧れのヒーローやアイドルに期待するものはみんなそれぞれ少しずつ違っています。
 そこをどう考えたらいいのか・・・。
 うん。きりがないな。やめよう。保留。

 「どっちつかずだな。夕焼けの赤なのか、夜が迫る群青か、それとも」
 そこらへんの是非をともかくとしても、他人の視線にさらされるということは、憧れられた対象その人にとっても自分の多面的な姿の発見につながります。
 はなたちもそうしてきましたね。
 「さあやちゃん勇気あるよ! だって、誰かに優しくするってすっごく勇気の要ることだもん!」(第2話)
 「私、ほまれちゃんみたいになりたい。美人で、カッコよくて、大人で・・・」(第5話)
 「いつでもがんばり屋さん。誰かのために一生懸命になれるところ。失敗してもガッツで乗り越えるところ。素直で表情がクルクル変わって、見ているだけで元気になれるところ。まだまだいっぱいあるよ。私が憧れた、はなのステキなところ」(第11話)
 はなたちの場合はこれがおおむね良い作用として機能してきました。
 ですが、アンリにとっては必ずしもそうではありませんでした。彼の“なりたい自分”のイメージは初めからかなり具体的に固まっていたからです。
 それが、自分に対する多様なイメージをまるで三面鏡のように映し出されたせいで、揺らぎはじめます。

 「じゃあ相談。僕って何者? 色々な噂。カテゴライズ。そこに真実があればいいのに。“全てを超越した存在”? でも声も低くなったし、背もどんどん伸びてる。・・・生きづらい時代だね。みんな他人のことを気にしてる」
 他人の視線を気にしているのは周りの人たちだけではありません。
 「僕は僕の心を大切にする」(第19話)と主張しておきながら、結局アンリ自身も周りの人たちが勝手に思い描くアンリのイメージに、揺らぐ自分の本当の姿を探してしまっています。

 「ひとりになれば何も気にしないで済むのかな・・・」

鏡像

 えみるは愛のプリキュアです。
 彼女はルールーに好きになってもらえたことをはじめ、たくさんの人の愛に育まれて成長してきました。そのなかにはもちろん、アンリの姿だってあります。
 「僕の人生は僕のものだ。僕は僕の心を大切にする。だって、これが僕、若宮アンリだから。――だから、君も君の心をもっと、愛して」(第19話)
 彼は何かにつけえみるを束縛しようとしていたお兄さんを抱きしめて、変えてくれました。えみるはそのおかげで大好きなギターを自由に楽しむことができるようになりました。えみるの本当になりたかった自分を、アンリはそうして守ってくれました。
 えみるはアンリに感謝しています。アンリが自分自身のことをどう考えようと、少なくともえみるにとって彼はステキな人です。
 「アンリさんにも教えてもらったことがあります。それは、自分を愛することです」

 ルールーは愛のプリキュアです。
 彼女はえみるに好きになってもらえたことから、まず彼女の役に立ちたいと強く思うようになりました。その衝動がどうして生まれてくるのか戸惑っていたころ、アンリの言葉が大切なことを示唆してくれました。
 「僕の人生は僕のものだ。僕は僕の心を大切にする。だって、これが僕、若宮アンリだから。――だから、君も君の心をもっと、愛して」(第19話)
 以来、ルールーは自分の幸せのためにもえみるを支えたいと意識するようになり、えみるだけでなく自分もいっしょにプリキュアになりました。
 「私はえみるのように曲をつくれない。才能あるえみるに寄り添うにはどうすれば・・・」
 「さあやとほまれもね、すごく高いところ目指してるんだ。ふたりの悩み、理解できるっていったら嘘になっちゃう。でもね、私はふたりの手を離さない。ふたりが苦しいときは傍にいたいんだ」

 今ではこういう難しい気持ちまでも理解できるようになりました。

 「フレフレみんな! フレフレ私!」
 「あなたを愛し、私を愛する」
(第20話)
 えみるとルールーは愛のプリキュアです。多くの人たちに愛されて強くなり、今度は自分も愛してくれたみんなに愛を届けたいと考えています。その思いの大切さを教えてくれた人たちのなかには、アンリも含まれています。
 おそらくアンリにその自覚はなかったでしょうが、この人は案外愛の深い人物です。自分のことを好きになれるって、それだけでも結構大変なことですよ。

 「僕って何者? 色々な噂。カテゴライズ。そこに真実があればいいのに」
 あるんですよ。
 だって、それはやっぱりはなたちが通ってきた道と同じなんですから。
 「えみるは隠れてみんなを守るヒーローなんだね!」(第9話)
 「騙されてなんか、ない! 私がそう思ってないから、そうなの!」(第17話)
 そしてえみるとルールーももちろんそうでした。自分が揺らいだときは友達の視点を借りてもいいんです。そこにはきっと、今のあなたが思うよりずっとステキなあなたが写っているはずですから。
 「何を言われても、たったひとりの友達がわかってくれるならそれでいい、か」

 「――君はできる!」

白百合

 「結局、人はわかりあえないのさ」
 いいえ。
 「ひとりになれば何も気にしないで済むのかな・・・」
 いいえ。
 「――君はできる!」
 そう。それがアンリです。
 天才ジュニアスケーターという来歴とか、女性服も着こなす中性的な魅力とか、そういう具体的なイメージは含まれていませんが、少なくともアンリは魅力的な人物です。彼の友達はそのことを誰よりもよく知っています。場合によってはアンリ以上に。

 「ああ。僕は氷上の王子。今日もパーフェクトに、勝つ!」
 カサブランカの花言葉は「純粋」「高貴」。いかにも氷上の王子様に似合いの花言葉ですね。
 ええ。氷上に立っているときのアンリには本当にぴったりの花言葉です。

 「奇跡を信じる君の傍で応援できる自分が嬉しくて」
 「ふたりでだから生まれるパワー。HUGっと抱きしめて強くなれるよ」
 「大丈夫。私たちは負けない。ひとりじゃないからね!」

 他人のいるところでは様々な自分が見つかります。ときにはまるで望んでいない自分のありかたまで勝手に押しつけられて、苦しむことも多々あります。それから、予想だにしていなかったステキな自分の姿も。
 残念なことに、あるいは幸福なことに、その全てがあなたの本当の姿です。
 だから、あなたはそのなかから好きな自分を選んでもいい。誰かの期待に応えて好きな自分を演じてみてもいい。その全てがあなたのものです。あなたは生身の人間で、多面的で、重層的で、複雑怪奇で、ステキなところも醜いところもいっぱい併せ持つ、本当はもっと自由な存在です。

 アンリのなかにクライアス社で働くにふさわしいネガティブな素質があることは事実でしょう。
 プリキュアを支持するにふさわしいポジティブな素質も。
 たくさんの人が様々な視点から、あなたの知らなかった新しい一面を見出してくれました。
 だから、あなたにはどういう自分になりたいかを好きに決められる自由があります。

 「僕が伝えたいのは、誰もが思うとおりに自由に生きられる時代が来てほしいということ。そのためには応援が必要です。よろしく頼むよ、プリキュ――」
 案外、自分らしく生きるのってひとりぼっちじゃできないことなんじゃないかな。

 ・・・うん。難しいんだよなあ。本当に。

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    コメント

    1. 東堂伊豆守 より:

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      「自分らしい生き方」という価値観、私にはどうにも危うく感じられてしまうんですよね。この思想の目指す所はおそらく"何者にも呪縛されない事"なんだと思うんですが、それでは"自分らしさ"に呪縛されてしまうことはアリなのか……?「自分らしい」が一人歩きして、結局"自分らしさの奴隷"に成り下がってしまっているだけじゃないのか?という疑問が拭えないんですよ。
      それで、若宮アンリ君を見ていると、正に"自分らしさの奴隷"になって心身を疲弊させてしまっているように思えてならないんですよね。この"奴隷暮らし"にアンリ君の肉体は悲鳴を上げているというのに、彼はその叫びに耳を傾けようともしない。それって本当に彼が望んだ生き方だったんでしょうか。あるいは、そうなのかもしれませんが、その生き方で彼は本当に幸せなのか……。
      話は変わりますが、第二話で薬師寺さあやが「(自分の呼び方は)委員長でいいよ」と答え、野乃はなから「委員長と話してるんじゃない。さあやちゃんと話してるの」とたしなめられるシーンがありましたが、あの時さあやが「委員長と呼んでね」とポジティブに答えていたら、はなに咎め立てされる謂れはなかったと思うんですよね。肩書やイメージといった"虚像"を自身の"武器"として活用し"虚像を演じる"ことが「その人が幸せで居られる生き方」である限り決して否定されるべきことではない筈で。
      何はともあれ、アンリ君にせよさあやにせよ、まだまだ自分の生き方を暗中模索、試行錯誤している真っ最中ではあるので、とりあえず最終話で彼らがどんな生き方を選びとるのかじっくり見守っていきたいですね。

    2. 疲ぃ より:

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       ああ、そうですね。何にも縛られずに自分らしさを追求していくと、今度は自分の思う一面的な“自分らしさ”に囚われてしまいかねませんね。複数の視点から見つめなおす機会がなくなっちゃうので。
       その意味でも巷でよくいう“本当の自分”なんてものはやっぱり幻想なのかもしれません。

       アンリに関してはえみるのお兄さんが(えみるに対するルールー並みに)彼のことをものすごくファジーな認識のもとで支えてくれているので、あそこからならいくらでも軌道修正できるんじゃないかな・・・? 何かしらの意味で「できる」人である限り、彼はアンリのことをアンリだと認めてくれそうです。

       さあやに関してはまるっきりそのとおり、そうでしょうね。そもそもさあやの憧れているお母さんが虚像を演じる女優さんですし、あの子はペルソナの使い分けという概念をいずれ理解できるようになるタイプだと思います。
       今でさえすでに山ほど変な属性を蓄えていますし。あれをTPOごとに使い分けられなかったらただの変人ですよ。

    3. 東堂伊豆守 より:

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      前のコメントのタイトルで引用したブルース・リーの言葉なんですが、あの引用の仕方だと「受動的な生き方を推奨している」かのように見えてしまうかと不安になりまして、できれば[水になりなさい ブルース・リー]で検索して全文を読んでいただければ幸いです。多分、今のアンリにとっても必要な視点だと思うんですけどね。あまりにも自分の哲学・美意識に執着し過ぎて自滅しかかっている印象が拭えないので。
      ところで、ほまれが("行為"を連想させる様な表情を浮かべながら)ハリーとはぐたんの前でスケーティングするシーンを見ていて気付いたんですが、彼女、VRマシンの中で見た「ハリーの一番の想い人」の正体がはぐたん(の本来の姿)だと感づいていたんですね……。そうなると、前回の「もう少しだけナイショにさせて」というセリフの意味は「はぐたんが本来の姿に戻る迄は、アンタと"恋人ごっこ"を続けさせて」ということだったのかもしれない……。
      なんか妙にほまれちゃんが小悪魔ぽくなってきた感じですが、実のところスケーター・輝木ほまれに有って女優・薬師寺さあやに足りないものが"魔性"なんじゃないか、と思えなくもなかったりしまして、はてさて。

    4. 疲ぃ より:

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       本編からの流れで察することもできますが、他のかた向けにいちおうネットで拾ってきた全文を引用しますね。アクセス解析を見ると案外コメント欄まで読んでくださるかたって多いようなので。

      >心を空にしなさい。水のように、形態や形をなくしなさい。
      >水をカップに入れると、カップになる。
      >水をボトルに入れると、ボトルになる。
      >水をティーポットに入れると、ティーポットになる。
      >水は流れることができ、衝突することもできる。
      >水になりなさい。わが友よ。

       えみるのお兄さんがカップなりボトルなりの型を提示してやれたらいいんですけどね。そのためにもフィギュアスケートの勉強がんばれ。(知識がなきゃないでもはなの応援みたいなやりかたはできますが)

       ほまれのはどうでしょうね。話の流れとしてはハリーの気持ちがほまれにさえ向いていなければ成立するので、ほまれが件の女性の正体をはぐたんだと看破していない可能性はまだ充分にあります。製作スタッフから視聴者に対しては「アレはぐたんやで~」って伝えておきたい意志をこれでもかと感じますけどね。

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