私、プリキュアみたいにカッコいいお姉ちゃんがほしかったな。
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(主観的)あらすじ
もしかして、私のお姉ちゃんってプリキュア――に、ご迷惑をおかけしてるんじゃない!? ことりは心配になりました。なので今日はプリキュア探し。なんかキュアエールさんファンクラブのふみとくんと野乃はなさん好き好きひなせくんもいっしょについてきました。
ふみとくんはキュアエールがカッコよくてかわいくて最強だと言います。ことりもそう思います。だからこそおっちょこちょいなお姉ちゃんがプリキュアに余計なご迷惑をかけているんじゃないかと心配になります。けれどひなせ君は違うことを言います。はなはいつも笑顔でいつも元気で、いつもみんなのためにがんばってる、すごい人なんだと。
思い当たることはありました。ことりがもっと幼かったころの想い出。雨に降られて公園で立ち往生していたとき、お姉ちゃんは自分がズブ濡れになるのも構わず探しに来てくれました。
「どこにいても助けるから」
昔お姉ちゃんが言ってくれたのと同じ言葉を、今怪物から助けてくれているキュアエールも言ってくれました。
似ている気がしました。もしかしたらお姉ちゃんこそがプリキュアなのかもしれません。違うかもしれません。なんにせよことりはプリキュアみたいなお姉ちゃんに憧れるようになり、自分も強くなりたいと思うのでした。
ことりさん、テキストサイト全盛期みたいな懐かしいレイアウトのサイトを構えていましたね。HTMLを記述できる小学生とか昨今じゃ希少じゃなかろうか。・・・もしかしてHTML5のおかげで案外20年前よりメジャー化していたり? (ないない)
それにしてもひなせくん、前々から思っていましたがこの人がはなにドキドキするシーンっていちいちフェチズムゴリゴリじゃありません? ひなせくんヘンタイなのではー? ひなせくんヘンタイ疑惑。ひなせくんジョージ・クライを抜いてトップ・オブ・ヘンタイの暫定首位に躍り出た!
↑そんなこたぁどうでもいい。
今話はプリキュアが何をもってプリキュアなのかを問う物語となります。どうしてお姉ちゃんがプリキュアに迷惑をかけていると発想したのか。どうしてプリキュアにお姉ちゃんになってほしいのか。どうしてことりたちはトゲパワワだらけの世界のなかでアスパワワを失わなかったのか。その答えがプリキュアです。
プリキュアは特別な人だからカッコいいのではありません。プリキュアは特別なことをしてみせてくれるからカッコいいんです。
カッコいいプリキュア / カッコ悪いお姉ちゃん
「みんなに笑顔が。アスパワワが。――笑顔は、守るだけじゃない。笑顔が、みんなのアスパワワが、力をくれる!」(第24話)
プリキュアであるはなが恐怖に震えていたとき、はなを勇気づけてくれたのはみんなの笑顔でした。
そのみんなの笑顔をつくったのはツインラブの歌声でした。そしてツインラブのえみるとルールーが強くなれたのははなのおかげで、あるいはえみるのお兄さんをはじめとしたたくさんの人たちの愛のおかげでした。
「お姉ちゃんって本当にお子ちゃまね」
ことりは自分のお姉ちゃんのおっちょこちょいなところが好きではありませんでした。
最近プリキュアを目撃することが多くなってきて、どうしてだろうと考えていると、ふとお姉ちゃんのおっちょこちょいな姿が思い起こされました。
「最近気になることがある。お姉ちゃんが行くところには必ずプリキュアが現れるんです。もしかして・・・もしかして、もしかして、私のお姉ちゃんってプ、プ、プ、プリキュア――に、ご迷惑をおかけしてるんじゃない!?」
「うん。お姉ちゃんのおっちょこちょいが原因で怪物が生まれて、プリキュアが戦ってるんじゃないかって。――でも心配。キュアエールさんに一言お詫びしたい」
シンプルにはながプリキュアだとは考えません。だってプリキュアはカッコいいのに、お姉ちゃんってカッコ悪いし。あんなの絶対プリキュアじゃない。
なんとなくお姉ちゃんとプリキュアは関係がありそうだけど、もし本当に関係があるとしたらお姉ちゃんは迷惑をかける立場だろう。だってカッコ悪いから。
ことりははなとキュアエールの相違点を比べて別人だと判断したわけではありません。
単純にはながカッコ悪いから、プリキュアがカッコいいから、当然に別人だろうと思っただけです。
「私、プリキュアみたいにカッコいいお姉ちゃんがほしかったな」
身内のカッコ悪いところばかり見ていると、なんだか自分まで情けない気持ちになります。早くプリキュアにお詫びしないと。
「な、何のこと。プリキュアがどうしたのです・・・?」
「ええー!? あ、あの、私はね、違うのです――」
ついでにえみるがどれだけ怪しげな言動を繰り返していたって全然プリキュアとは疑われません。はなと同様、普段のえみるもたいがいカッコ悪いからです。
「意味がわからないのです・・・」
ドンマイ。
カッコ悪いお姉ちゃん / カッコいいお姉ちゃん
ところでことりはカッコ悪いところがあるお姉ちゃんのことを嫌いなのでしょうか?
話が飛んでいるように思われるかもしれませんが、私にとってはつながっています。
「ことりちゃんはどうしてキュアエールに会いたいの?」
「お詫びがしたくて。ウチのお姉ちゃん、昔っからおっちょこちょいだから。バナナの皮があれば必ず転ぶし。池があれば必ず落ちるし、いつもお騒がせして。最近お姉ちゃんの周りでプリキュアが現れるのって、ご迷惑をかけてるからなんじゃないかって思って」
どうしてプリキュアの話をしようとするとお姉ちゃんの話題にしかならないのでしょう。
えみるも(えみるですら!)考えすぎだと言っていましたが、そもそもどうしてことりのなかではなとプリキュアが結びついてしまっているのか。
「私、プリキュアみたいにカッコいいお姉ちゃんがほしかったな」
もしかしてはなのことが嫌いだから、はなの代わりにプリキュアにお姉ちゃんになってほしいのでしょうか?
いいえ。
今日ことりがプリキュアに会いたかったのは自分のためではありません。お姉ちゃんのためです。
そしてもうひとつ、いいえ。
今日ことりがはじめて笑ったのは、お姉ちゃんの話題のなかででした。
「ひなせ。急にどうしたんだ?」
「プクク。もしかして――」
ことりはお姉ちゃんのおっちょこちょいなところが好きじゃないだけであって、はなという人自体が嫌いなわけではありません。
プリキュアみたいなお姉ちゃんがほしいとはいっても、はなにいなくなってほしいと思っているわけではありません。そうじゃなくて――。
「僕は君のお姉さんってすごくステキだと思う。いつも笑顔で、いつも元気。それに、いつも誰かのためにがんばってる。それが野乃さん。それって誰でもできることじゃないし、すごいことだと思う」
ひなせくんがお姉ちゃんのステキなところを言ってくれているそばから、このお姉ちゃんときたらさっそくカッコ悪いところを見せに来ます。
「ことりー!!」
バナナに転んで、池に落ちて。ことりが知っているとおりのいつものカッコ悪いお姉ちゃんです。
けれど、そんなカッコ悪いお姉ちゃんは、カッコ悪いくせにヘラッと笑ってカッコいいことを言うのです。
「でもよかった。ことりが無事だったから」
はなはことりが知っているとおりカッコ悪いお姉ちゃんです。バナナの皮に転ぶし。池にも落ちるし。
それでいて、ひなせくんが言うようなカッコいいところもあるんです。いつも笑顔。いつも元気。いつも誰かのためにがんばっている。
「本当に、お姉ちゃんって――」
それが、ことりにとってはなぜだか無性に嬉しい。
今日2回目の笑顔もやっぱりお姉ちゃんがらみ。
カッコいいお姉ちゃん / カッコいいプリキュア
プリキュアとはどういう存在でしょうか。
ふみとくんは言います。
「とにかく俺はカッコよくて、かわいくて、最強なキュアエールさんに会いたいんだよ!」
ことりにとってもだいたいそんな感じの認識。プリキュアはカッコいいからお姉ちゃんとは違うと考えました。
彼女たちはプリキュアについてそのくらいのことしか知りません。
そのくらいのことしか知らないのに、ことりははなとプリキュアを比べました。実のところプリキュアがバナナの皮に転ぶかとか、池に落ちるかとか、そういう細かいところは全然知りません。
知らないのに、とにかくプリキュアはカッコいいんだと信じています。
実際のところ、キュアエールの正体ははなです。はなはカッコ悪いお姉ちゃんですが、それでも同時にカッコいいプリキュアでもあります。
“カッコ悪い”と“カッコいい”は両立します。
ムダに池に落ちてズブ濡れになったはなが、それでもことりを心配してステキな言葉を言ってくれたように。
人間というのは多面的な存在です。ひとつの側面がカッコ悪いからといってその人の全部がカッコ悪いわけではありません。カッコ悪い人がただその1点のせいで絶対にカッコよくなれないわけではありません。
だって、カッコ悪いところもカッコいいところも、どちらもその人のひとつの側面でしかないのだから。
だからこそ、私は生身の人間をヒーローとして見る行為を常々残酷だと思っているわけですが・・・。(ここ余談)
「私、プリキュアみたいにカッコいいお姉ちゃんがほしかったな」
ことりはお姉ちゃんのことを嫌ってなんていません。嫌いじゃないのに、彼女のおっちょこちょいな部分がどうしても好きになれないから、お姉ちゃんがプリキュアみたいな人だったらなと空想しました。
おそらくはそのせいではなとプリキュアが変に関連づけられてしまったんだと思います。ことりのなかではなとプリキュアはそもそも別人だったはずなのに。
お姉ちゃんはプリキュアじゃないとはじめから決めつけていました。だってカッコ悪いから。
そうじゃないんです。はなという人はカッコ悪くもありながら、同時にちゃんとカッコいいんです。
誰だってそういうものです。プリキュア(ヒーロー)なんてものは人間のカッコいい一側面を切り出したものにすぎません。女の子は誰だってプリキュアになれる。
結局のところ、今回のことりの冒険は大好きなお姉ちゃんにカッコよくあってほしいと思う気持ちからはじまっていました。
けれどことりから見てお姉ちゃんがカッコ悪く思えていたのは、ただことりがカッコ悪いところしか見ようとしていなかったからにすぎません。少しだけ見かたを変えてみればお姉ちゃんはもっとずっとカッコいい人でした。
「どこにいても助けるから」
プリキュアと同じことを言ってくれるくらいに、本当は最初からお姉ちゃんはカッコいい人でした。
カッコいい私へ
ヒーローは子どもたちに憧れられるために存在します。
カッコいい姿を示すことで、自分もこんな人になりたいと思わせるために。
ヒーローに憧れる子どもたちは、きっとヒーローみたいにカッコよくなろうとがんばって育つでしょう。
がんばってほしいという祈りを込めて、大人たちはヒーローを描きつづけます。
私たちが生きる今日よりも、子どもたちが大人になった未来の方が、ずっとステキな世界でありますように。
「Little by little, little by little. 誰も来ない。私のもとからみんな去っていく。Why? なぜ戻ってこないの? 私から美しさが失われているから? 時とともに私の能力が、輝かしい私が曇っていく」
「Go away.誰も戻らない。輝け輝けと言われて女として精一杯輝いた結果がこのザマ。こんな世界ぶっ壊れればいい。忘れられた女の恐ろしさ、見せてあげるわ」
何言ってんだコイツ。タクミジンジンコンビを見捨てたのは自分でしょうに。
老いという自分の一側面に囚われ、彼女には自分のそれ以外の姿が見えていません。
タクミとジンジンがあなたを敬愛していた一番の理由はあなたの努力家なところにあったというのに。ふたりは浄化される直前、机でうたた寝するあなたに上着をかけてあげた日のことを思いだしていました。
結局すべての人はカッコいいだけの存在になりきれません。
なんでもできる、なんでもなれる。と信じながら、はなたちが何度も自分の無力さに挫折して、何度も涙してきたように。
けれど、輝く未来を抱きしめて。それでも“大人っぽいイケてるお姉さん”などなりたい自分を夢見ながら、はなたちは自分のステキなところを少しずつ見つけ育ててきました。
子どもたちは大人になってもヒーローそのものにはなれませんが、ヒーローのカッコよさを受け継いだカッコいい大人に育つことならできます。Little by little, little by little. 少しずつ、少しずつ。
「どこにいても助けるから」
ことりのお姉ちゃんはプリキュアみたいな人でした。
「私、プリキュアみたいにカッコいいお姉ちゃんがほしかったな」
ずっとこういうお姉ちゃんがほしいと思っていました。だって自分もそういうカッコいい人になりたいと思っていたんですから。憧れの人が、なりたい自分のモデルになってくれる人が身近にいてくれる。こんな嬉しいことはありません。
「私は・・・。私は・・・、いつか、強くてカッコいい、お姉ちゃんみたいな人になりたいんだから!」
きっとその憧れは現実になるでしょう。
キュアエールに憧れるふみとくんはことりのために囮を買って出ました。誰にでもできることではありません。とても大きな勇気が要ることです。
お姉ちゃんに憧れることりは倒れたプリキュアたちに代わってジェロスに立ち向かいました。これも誰にでもできることではありません。
今はまだ未熟で、その勇気は必ずしも結果に結びつくものではないかもしれません。けれど、彼女たちはどこにでもいる人の身でありながら、誰にもできないことをやってのけました。まるでヒーローのように。だったら、今はまだ子どもである彼女たちなら、いつか遠い未来においてもっとすごい結果を出せるようになることでしょう。
それが、子どもたちにとってのプリキュアです。
「みんなに笑顔が。アスパワワが。――笑顔は、守るだけじゃない。笑顔が、みんなのアスパワワが、力をくれる!」(第24話)
プリキュアであるはなが恐怖に震えていたとき、はなを勇気づけてくれたのはみんなの笑顔でした。
はなの笑顔が、元気が、一生懸命な努力が、巡り巡って彼女自身をも助けます。
全ての物事はひとつの側面しか持たないわけではありません。憧れに挑みつづけるあなたの努力は、別の人にしてみたらあなた自身が憧れの勇姿として見えることもあるでしょう。あなたの憧れはごく個人的なものかもしれませんが、憧れに挑みつづけるあなたは、だからといってひとりではありません。
フレフレ私、フレフレみんな。
「ここで逃げたらカッコ悪い。そんなの、私のなりたい野乃はなじゃない!」(第1話)
はなは大人っぽいイケてるお姉さんに憧れてがんばっています。
「逃げない。私は・・・。私は・・・、いつか、強くてカッコいい、お姉ちゃんみたいな人になりたいんだから!」
だから、ことりも強くてカッコいいお姉ちゃんに憧れてがんばることにしました。
コメント
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大昔の戦う変身ヒーロー「月光仮面」って劇中人物はおろか視聴者にさえ正体(本性)を明かさなかったんですよね。「どこの誰かは知らないけれど誰もがみんな知っている」存在を貫いて「疾風のように現れて疾風のように去っていく」おじさん。人間らしく苦悩する姿も、強くなるために特訓する姿も他者には絶対に見せない。
実はこういう"完全無欠のデウスエクスマキナ"こそ戦うヒーローのオーソドックスなキャラ造形で、「ウルトラマン(初代)」は「アルカイックスマイル浮かべながら3分以内で任務を遂行するプロフェッショナル」だったし、そもそも「水戸黄門」「桃太郎侍」「暴れん坊将軍」などの"痛快娯楽時代劇"ヒーローは正にこの類型に当てはまるんですね。
ところが、いつの頃からか視聴者は戦うヒーローに人間味を見せることを求め始め、その要求に応える形で「苦悩するヒーロー」「ヘマをするヒーロー」「特訓に励むヒーロー」が生み出されていく。
そして我らがプリキュアに至っては「できない娘ができる娘になるまでの物語」として構成され、野乃ことりのような"できる娘"よりも野乃はなのような"できない娘"の方が有資格者とされるんですね。薬師寺さあや・輝木ほまれにしても「できなくなっちゃった元・できる娘」だったわけで。
このような、人々が求めるヒーロー像の変遷(完全無欠なプロフェッショナルから悪戦苦闘する凡夫へ)がどういう理由で生じたのか?という問題は個人的に興味のあるところなんですが、もしかすると疲ぃ様が常々問題視される「生身の人間をヒーローに祭り上げ、そのヒーローの人間性をネタに吊し上げる」現象の背景にある心理とも関係があることなんじゃないかなぁ、と思うんですよ。人々がヒーロー個人の人間性に興味を示さなければ、祭り上げられた生身のヒーロー氏が吊し上げをくらう悲劇も起こらないわけで……。
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ヒーローの来歴や人間性に興味が向くのはわかるんですよ。だって“自分もそうなりたい”と憧れるわけですから。何をしたらああなれるのか知りたくなって当然だと思うんですよ。(アニメのヒーローにできない子が多いのも同じ理由からか)
だから残酷だなあと思いつつもそっちに興味を持つこと自体は否定しがたくて困っていたり。
『月光仮面』の時代というと、疲ぃ語でいうところの“生身のヒーロー”は長島英雄とかあのあたりですか。
現代の比じゃない熱狂ぶりでほとんど現人神みたいな扱いだったらしいですね。奇矯な言動すらも長島話法として受け入れられていたそうで。そう考えてみればたしかにヒーローへの接し方がリンクしている可能性はあります。(※ サンプル数各1件)
興味深いですが、調べようとしたら当時の新聞や雑誌資料を集めるところからはじめて本格的に研究する必要がありそうです。