プラネット・ウィズ 第12話感想 愛にはじまり、祝福で満ち、縁が結ばれて、希望が花開く。

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いつか願い叶ったら、希望は舞い、大地へ溶ける。咲く花のように。

(主観的)あらすじ

 戦いは終わり、物語も幕を閉じます。ネビュラの連合軍は竜を再び亜空間へ落とすことで決着をつけました。這い出ようともがく竜を抑えるために宗矢たちもともに行きます。亜空間のなかは時空嵐が渦巻いています。竜も、宗矢たちも、二度と出てくることは叶わないでしょう。
 先ほどの戦いのさなか、宗矢は竜の精神攻撃を受けて夢を見ていました。平和だったころの故郷の姿。生前の兄。そしてそれらが竜によって破壊されていくさま。竜は宗矢に悪である自分を憎めと言います。自分の正義を宗矢に引き継がせるために。しかし、宗矢はその誘惑を振りきって竜を亜空間に叩き落としました。
 亜空間の時空嵐のなか、宗矢たちは最後の力をふりしぼって竜の内部へ突貫します。彼を許すために。竜の本体に語りかけます。宗矢は憎しみを捨て去ることで。銀子は故郷を救われた感謝の言葉で。先生はかつての約束を果たすことで。そうして竜は肉体を失い、楽園の民のもとへ行きました。竜を含めたこの宇宙は祝福に満ちています。
 この宇宙は祝福に満ちています。竜を許したあと、偶然シリウス軍が使っていたワームホールの出口を見つけ、這い出しました。荒れ果てたシリウス本星にたどり着いたところで助けを求める術はないように思われましたが、それも宗矢と固い絆で結ばれたのぞみのテレパスによって救われました。不思議な縁もあるものです。ですが、縁があったからには全て必然です。
 戦いは終わり、物語も幕を閉じます。この物語は宗矢を取りまく愛によって語られました。シリウスの大地には希望の花が一輪。やがて風がこの花の種を運び、いつかシリウスは再び緑に覆われていくことでしょう。

 「好きな角度で見ればいい。この物語を」
 そういわれたからには好き勝手書きますよ。

 すごくどうでもいい話ですが、私がこの最終話を観ていたとき、宗矢たちがシリウスに下りてからずっと「ピーピー、ピーピー」という音が聞こえていました。なので宗矢が走りだしたときはてっきり通信機か何かを見つけたものだと思ってしまいました。見つかったものが実際はアネモネの花だったので、あの音は宗矢の幻聴であり、「希望」の花言葉にかけた小粋な演出だったんだろうと納得しました。
 ところが2回目に視聴したときはその音がまったく聞こえなかったんですよ。宗矢が花を見つけたシーンの印象が全然違って見えました。たぶん、1回目のときはちょうどすぐ近くで電気工事をしていたのでそちらから何かの音が混じって聞こえていたんでしょうね。
 不思議な偶然もあったものです。いやあ、あの音は良い演出だった。(そして文章にしてみると本当にどうでもいいな)

孤独な正義

 「私を憎め、黒井宗矢。お前の故郷を、愛する者たちを、幸福を、お前の全てを破壊した私を憎め。悪を憎む孤独なる者。お前こそ私の正義の後継者にふさわしい。さあ。悪に成り果てた私を解し、正義を執行しろ!」
 竜は自らを“悪”だとはっきり認めました。

 「竜よ! 二度と正義の殺戮を行うな! それこそが真の邪悪だ!」
 「そこまでだ、竜よ! お前を逮捕する。星ひとつ滅ぼした罪は重いぞ」
(第7話)
 「――世界征服じゃねーか。はっ。あんた子どもか。――私は降りさせてもらう」(第4話)
 「爺さんから伝言。なんか、耐えるのは正義より偉い、とかなんとか。あー・・・。優しいのが一番、だって」(第5話)
 もともと竜造寺隆としてふるまっていたころには自覚していたことではありました。
 だって誰もが自分の正義を妨害しに来るのです。
 シリウスを滅ぼしたことは竜にとって間違いなく正義の行いだったのに、誰も賞賛してくれないどころか逆に極刑に処されてしまいました。
 竜造寺隆としての生においても、世の理不尽から力なき人々を守ろうと超武力による世界征服を目指したら、道半ばで仲間から見限られました。
 今、またもネビュラと地球人の連合による追撃が竜を殺すために追撃してきます。

 なるほど。どうやらこの身は悪であるらしい。
 自分は間違いなく正義だけを執り行ってきたというのに。なのに正義を為そうとするたびいつも別の正義が邪魔をする。
 「私はまた・・・。皆。皆誰も。誰もォォォ!」
 繰りかえしの果てに竜はひとつの結論に至りました。
 どうやら正義とは孤独なものであるらしい。正義でありつづけるためには孤独でなければならないらしい。
 ネビュラと地球人はこの身を滅ぼしきるまでしつこく付きまとうつもりのようだ。
 おそらく、この身が悪であるためだろう。
 「ネビュラ! 心を奪うのが好きな連中め! かつて貴様らとともにあったのが悔やまれる。お前たちの愛が、愛であるわけがない!」(第11話)
 なんということだろう。この身はいつの間にか悪に染められていた。

 その発想は竜の元々の哲学とも合致しました。
 悪は常に悪であり、滅ぼす以外に道はない。悪を滅ぼすことがすなわち正義である。
 「さあ。悪に成り果てた私を解し、正義を執行しろ!」
 ならば悪に染まった我が身はもはや二度と正義を為すことができないだろう。常に追っ手が付きまとい、孤独になることすら叶わない。
 「悪を憎む孤独なる者。お前こそ私の正義の後継者にふさわしい」
 ならば新たに孤独な人物を選出しなければならない。何者にも妨害されない孤独こそが正義の条件なのだから。

 そこで、竜は宗矢を選びました。

その憎しみ / その幸せだった日々

 「私を憎め、黒井宗矢。お前の故郷を、愛する者たちを、幸福を、お前の全てを破壊した私を憎め。悪を憎む孤独なる者。お前こそ私の正義の後継者にふさわしい。さあ。悪に成り果てた私を解し、正義を執行しろ!」

 竜は宗矢に悪夢を見せました。
 懐かしい故郷と優しかった兄。そして兄の口から語られる愛しい人々の名前。
 そのことごとくをもう一度破壊してみせ、宗矢の心に憎しみを植え付けるために。
 今の自分が孤独であると、宗矢に改めて自覚させるために。

 けれど竜はまだ知りません。
 龍造寺を打ち倒したあと、宗矢がいかに苦しんでいたのかを。
 宗矢が何に苦しんでいたのかを。
 やがてその先で、宗矢が何によって苦しみを克服したのかを。

 そして竜はまだ知りません。
 どうして自分が孤独になれないのかを。
 どうして正義が別の正義に妨害されたのかを。
 どうしてこの場にネビュラと地球人が肩を並べているのかを。
 なによりもまず、そもそも己がいかに矛盾しているのかを。

 「夢を見せてくれてありがとう。俺の故郷はちゃんとここにあるって確認できた」
 竜の狙いと裏腹、宗矢はその悪夢のなかで全く別のものを見ていました。

見ろ、宇宙は祝福に満ちている

 竜の胎内には古びた街跡がありました。
 「彼は宇宙最古の種族、楽園の民の生き残りです。約100万年前、肉体を捨て存在の次元を上昇させようという種族の選択を拒み、たったひとりで念動装甲を重ねに重ねて巨大化し、今知られているあの姿になりました。もはや本来の自分の姿かたちも出自も記憶も失われているようです」(第11話)
 楽園の民からもたらされた情報と合わせて考えるなら、これはおそらく彼らが肉体を持っていたころに暮らしていた街なのでしょう。どうして竜はこんなものを後生大事に抱えていたのか。ここにまず彼の矛盾があります。

 「夢を見せてくれてありがとう。俺の故郷はちゃんとここにあるって確認できた」
 竜の狙いと裏腹、宗矢は悪夢のなかで全く別のものを見て、そして彼に感謝しました。
 この世界には数多の生命たちが生きています。そしてみんな同じ世界に生きていながら、それぞれ世界の見かたは少しずつ違っています。
 物事には様々な側面があります。私たちはそれぞれみんな、ひとつのものを違った角度から見つめているんです。

 「――あ。あとひとつ、これ最後。・・・町を守ってくれてありがとう!」(第5話)
 「黒井くんは今まで町を守りました。守るためじゃなくても、戦ってくれました。――ごめんね。・・・ありがとう」(第8話)
 宗矢はのぞみに救われました。彼女は宗矢の復讐のための戦いを、町を守るための戦いだと勝手に解釈し、その認識に基づいて何があっても宗矢を応援しつづけました。やがてその勝手な解釈は宗矢自身も共有するところとなり、これによって彼は自らの戦う理由を確立することができました。
 それと同じこと。竜が孤独感と復讐心を煽る意図で見せた幻像とて、それを受け取った宗矢が彼の狙いどおりに解釈するとは限りません。宗矢はそこに幸せだった想い出を見ました。
 「ここは俺の星じゃねえし、あいつも俺のカタキじゃねえ。でも、ここには俺を守ろうとしてくれた人や、俺を助けてくれた人たちがいる。俺は俺が味方したい人たちの味方だ! そんだけだ!!」(第9話)
 そして今の宗矢は、のぞみをはじめとして自分を救ってくれた全てのものに味方するために戦っています。幸せな想い出は、たとえそれが過去のものであったとしても、宗矢が愛のための戦いを行うための理由となります。

 不幸なことに、どうやら竜は自分がどうして街跡を抱えているのかを忘れてしまったようです。
 そうでなければ自分の正義と孤独とを結びつけようとするはずがありません。そこにはきっと、かつては彼の大切に思っていた人たちがたくさん住んでいたことでしょうに。
 ひとりぼっちになることをわかっていてもなお、彼が捨てられずにいたもの。肉体だけじゃなかったんですね。

 かつて、竜はシリウスのリゲル侵攻に怒り狂い、シリウスを滅ぼしました。
 かつて、竜造寺隆は力なき者を虐げる理不尽な暴力を憎み、世界征服を企てました。
 自分が攻められたわけではないのに。自分が虐げられていたわけではないのに。
 「隆は、昔は優しい子だったんじゃ。弱い子を庇ってガキ大将とケンカしたり――」(第6話)
 彼はいつだって、自分ではない誰かのために正義を行っていました。

 正義は孤独ではありません。
 だってそれはいつだって誰かのためにこそ為されるからです。
 竜は孤独になれません。
 だって彼自身が誰かとの想い出を捨て去れないからです。
 竜は悪ではありません。
 だって彼を許すためにたくさんの人が追いかけてきてくれるんですから。
 孤独になれないことは悪ではありません。
 だってこの世界に生きる者たちは誰しも周りの誰かを放っておかないからです。

 「幸せだったことを俺は忘れない。そして憎しみだけを忘れる。俺はあんたを許すよ」
 「これはけっしてあなたがシリウスにしたことを賞賛する言葉ではありません。ですが、リゲルの民はあのときたしかにあなたに救われました。ありがとうございました」
 「全ての物事に側面がある。愛をもって視点を変えれば。見ろ、宇宙は祝福に満ちている。竜よ、私は証明したぞ」

 最後のシリウス人が許した以上、もはや彼を悪と咎める必要はありません。
 リゲルの民が彼に感謝した以上、もはや彼の正義が誰にも認められなかったなどという事実はありません。
 かつてキグルミ族の戦士が竜の正義を否定するために示した約束が果たされた以上、もはや彼の信じる正義は絶対ではありません。

 ならば、悪が常に悪であるとは限らず、正義を妨害された者が悪であるとも限らず、したがって竜は必ずしも悪ではありません。
 竜は悪だから孤独になりきれないのではなく、単にこの宇宙がお人好しだらけだから放って置かれないだけです。
 ネビュラに属する人々は竜を極刑にかけたあと、様々に後悔しました。だから今回は竜を許すための戦いをすると念入りに確認していました。
 というか孤独じゃないのって普通に考えたらステキなことです。こんなひねくれた発想をするのは竜だけです。宗矢だってのぞみや先生たちに何度心を救われたことか。

 「良い夢だったよ。父さん、母さん」
 私たちはそれぞれ違う視点から世界を見ています。
 竜にとって自分の存在は悪で、呪わしいものだったかもしれませんが、他の人の視点からもそうであるとは限りません。
 どこかのお人好しがあなたのことを優しい瞳で見守ってくれているなら、そのときはまあ、その人に見えているあなたの姿を、信じてみてもいいんじゃないかな。

 「――届いてるよ。サイキックを“心を伝えるために”使う。それが愛の進化への道さ」(第4話)
 あなたは常に誰かに愛されていて、ただ、それを伝えられているかどうか、気づけるかどうか。本来、あなたを取りまく世界の全てはいつだって祝福で満たされています。
 どうか私の大好きな人みんながずっと幸せに生きられますように。・・・祈るだけなら私にも簡単にできるんですけどね。

 かくして宗矢たちのはたらきによって竜は救われ、そしてなにやらものすごい偶然の連続で宗矢たちも救われます。
 「このタイミングでこのゲートの歪みが亜空間に出現したのは奇跡じゃない。縁だ。肉体を卒業した種族にはそういうのがよく見える。だから我々は君を選んだ」
 ですが物語の終わりにそういうことがしばしば起きるのは、なにも強引なつじつま合わせのためのご都合主義ではありません。私は高次元存在ではないので縁というものを視認できませんが、それでも常々思うんです。「これだけ傷ついて、一生懸命がんばった物語の主人公には、最後に何かしらの救いがあってほしい」
 たぶん、私だけじゃないでしょう。何万人、何十万人、何百万人かの読み手が、きっと主人公の幸せを祈っているんじゃなかろうか。
 それだけの祝福を一身に受けた人なら、そりゃあ奇跡のひとつやふたつくらい体験するのも必然じゃないかな。
 そういうのも、たぶん一種の縁だと思います。

 宗矢がシリウスの大地に見つけた花をアネモネといいます。白いアネモネの花言葉は「希望」
 この花はタンポポと同じで、風に綿毛を飛ばして遠くの土地に種を運ばせます。世代を重ね、いつかシリウスの至るところで同じ花が見られるようになるでしょう。
 「いつか願い叶ったら、希望は舞い、大地へ溶ける。咲く花のように」(OP)
 ひとつの祝福がどこまで影響を及ぼして結果を生むのかわかったものじゃないから、“縁”だなんて曖昧な言い回しをするんですよね。

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