HUGっと!プリキュア 第35話感想 親から子へ、子から親への双方向性。

この記事は約11分で読めます。
スポンサーリンク

あやはママが好き。ママはぎゅっとしてくれるもん。

(主観的)あらすじ

 産科医のお仕事を体験させてもらうことにしました。さあやの役づくりのためでもありますが、なにより内富士先生の奥さんのときの出来事が印象的で、もう一度あのときのお医者さんの考えかたに触れてみたかったのです。
 病院でさあやはあやちゃんという女の子と出会いました。今日、弟が産まれてお姉ちゃんになるそうです。なのにどうしてでしょう、あやちゃんの気持ちは暗く沈んでいました。
 あやちゃんは帝王切開手術を受けることになるお母さんが心配なんでしょうか。あやちゃんとお母さんの心配を和らげるため、さあやはネットで情報を集めますが、産科医の先生は「そこにあるのはあやちゃんのお母さんやあやちゃんの弟の情報というわけではない」と語ります。
 患者さんひとりひとりと向きあうのがお医者さんのお仕事。そういう視点で改めてあやちゃんを見てみると、彼女が一番に不安でいたのは、自分がお姉ちゃんになることでした。産まれてくる弟に大好きなお母さんを取られてしまうかもしれない。それが怖かったのでした。
 あやちゃんに、お姉ちゃんになってもお母さんに甘えていいことを教えると、あやちゃんだけでなくお母さんにまで元気が波及していきました。お母さんはお母さんで自分は良い母親じゃないのかもしれないという不安を抱えていて、けれどあやちゃんがお母さんにHUGをせがんでくれたことで、自分の愛情は子どもにちゃんと伝わっていたんだと安心できたのでした。
 出産後、あやちゃんがさあやのところにお礼を言いに来ました。これがひとりひとりと向きあうということ。さあやはお医者さんのお仕事に確かな手応えを感じるのでした。

 私の母は産道が狭かったらしく、子ども全員を帝王切開で出産しました。一番上の私を産んだときはそのことがわからなくてムリに自然分娩しようとし、一時はお腹のなかで私の心臓が止まってしまったと聞いています。2人目のときも産科医さんが自然分娩にこだわる人だったためになかなか帝王切開を認めてもらえず、そちらもそちらで難航したり。
 ホント、ひとりひとりみんな事情は違うものです。

 今話は構成が秀逸でしたね。あやちゃんとお母さんはそれぞれに不安を抱えていたわけですが、プリキュアであるさあやはそのうちのあやちゃんの方と向きあいました。お母さんの相談相手は産科医さんで、そちらの物語はプリキュアの視点からあえて切り離されています。
 子どもの視聴者はプリキュアといっしょにあやちゃんに注目し、プリキュアから視点を離すことができる大人の視聴者はお母さんの物語にも目を向けられる、と。そういう構成ですね。それぞれ自分により近い立場に共感しやすくなるよう工夫されています。今作を観て育った子どもたちが親になってから観返す機会があれば、当時とは全然違った印象を抱くのかもしれませんね。
 新しくお姉ちゃんになる子も、親としてふるまうべき相手が増えるお母さんも、どちらもそれぞれに悩みを抱えます。内富士先生とその奥さんもそうだったように、お姉ちゃんははじめからお姉ちゃんではなく、お母さんだってはじめからお母さんだったわけではありません。自分に近い立場に共感し、その一方で自分と異なる立場の悩みにも気付くことができれば、あなたは今以上にもっと豊かな視野で目の前の世界を知ることができるのではないでしょうか。

あやちゃんの視点

 「病院は静かにしてください」
 病院内で子どもみたいに騒ぐ大きな中学生相手に、あやちゃんは怯まず毅然とした態度で注意します。
 あやちゃんは今日、お姉ちゃんになるんです。
 お姉ちゃんならお姉ちゃんらしくならなければなりません。あやちゃんはそう考えます。
 けれどその声は立派な態度の割にずいぶんか細く、瞳も不安げに揺れていました。なんだかチグハグです。

 実はいつぞやのムダにオムツを買い漁っていた内富士先生と同じ胸中なんですよね。
 子どもが産まれることでお父さんに、あるいは弟が産まれることでお姉ちゃんに、ある日を境に自分の立場が突然変化します。変化しなければならない気がします。だって自分の知っているお父さん、あるいは知り合いのお姉ちゃんなんかは、自分が出会ったときははじめからお父さんで、お姉ちゃんだったんですから。
 だからその立場になった瞬間に自分はそうふるまえるようになるべきだと考えてしまいがちです。
 でも、自分を急に変えようとしてみたところで、そんなのうまくいくはずがないですよね。今日の自分があるのは昨日までの自分の積み重ねがあるからで、明日の自分は今日の自分の延長線上にあるんですから。

 「お腹に赤ちゃんができたときから“お母さん”ははじまってる。お母さんたちにはわからないことがたくさんあるの。だから10ヶ月かけてお母さんになる準備をしていく」
 「よくわかりません。赤ちゃんを愛しいと思う気持ちはわかります。でも、まだ見えない赤ちゃんを愛しく思えるのが――」
 「お母さんはね、赤ちゃんをいつも全身で感じているのよ」

 なるほど。その違いのせいで内富士先生は奥さんと自分を比較して、余計に焦りを感じていました。
 あやちゃんもそうですね。実感が伴わないままお姉ちゃんにならなきゃいけないという義務感ばかりが先行して、彼女の心のなかは複雑に捻れていきます。

 ひとつだけ、あやちゃんには内富士先生の場合と違った気持ちがあります。
 あやちゃんはお母さんが大好きでした。
 「ママはいつも失敗してる。お料理でオムレツ焦がしちゃうし、お洗濯の靴下がバラバラだったりするし、お買い物でお財布忘れちゃったりするし。――でもね、ママは遊園地に連れて行ってくれるし、マンガが大好きなんだよ。そしてね、かけっこはすっごく速いんだ! 保育園の運動会で一番だったんだから! 他のママたちをびゅーんって追い抜いてくの!」
 なにより、お母さんがぎゅっと抱きしめてくれることに幸せを感じていました。
 だけど。

 「マキ先生。今日はお母さん、よろしくお願いします」
 「マキ先生にお願いしたの。ママの部屋に行くね」

 早く立派なお姉ちゃんにならなきゃ。期限はもう目の前にまで迫っています。
 「おお、動いた。ハハハ」
 お母さんもお父さんも、病院のお医者さんたちも、みんなこれから産まれてくる弟にかかりきり。
 ああ、やっぱりだ。私はお姉ちゃんになることを求められているんだ。もう今までの自分ではいられないんだ。

 「あやちゃん。赤ちゃん楽しみだね。ママを応援してあげようね」
 「うん。・・・あや、お姉ちゃんになるから――」

 だから。
 ・・・だけど。

 「――弟なんて要らない! 弟が産まれなければ、ママはあやのママでいられるのに・・・!」
 本当はお姉ちゃんになんてなりたくなかった。

お母さんの視点

 「あやは初めての子で。私、ちゃんと子育てしなきゃって力が入りすぎて。逆に失敗ばかりしてしまって。あやには申し訳なくて。・・・だから、次の子には完璧な子育てをしようと。なのに最初からつまずいてしまって」
 私はむしろ帝王切開で産まれてきた子なので、帝王切開をつまずきとする考えかたがそもそもピンと来なかったりするのですが。
 そういえば母は共働きで送迎できないくせに私を良い幼稚園に通わせようとしたり、やたらと高価な知育玩具や通信教育を買い与えたりしていましたっけ。最初の子どもだからとムヤミに力を入れすぎていたともいう。少なくとも帝王切開で産んだことを取り返しのつかないつまずきだとは考えなかったようです。まあ、総じて私は幸せ者ですね。

 あやちゃんのお母さんは自分が理想的な母親としてふるまえていないことを嘆いていました。
 このままでは次の子に対しても同じ失敗を繰り返してしまう。それではせっかく産まれてきてくれた子どもたちに申し訳ない。こんな私が本当に母親でいいんだろうか。2人目であっても不安は募ります。
 帝王切開であることを気にしてはいるものの、さあやが想像していた理由とはだいぶ違っていますね。
 自信がないんです。自分が母親であることに。
 だって、お母さんは生まれつきお母さんだったわけではないんですから。どういうふるまいがお母さんらしいのか、お母さんらしくなるために何を身につけたらいいのか、お母さんだって本当は悩むんです。

 この悩みは子どもにはピンと来ません。
 だって子どもにとってお母さんははじめからお母さんなんですから。
 あやちゃんにとってお母さんはむしろ失敗するのが当たり前で、実はそういうカッコ悪いところまで含めてお母さんのことが大好きです。誰かにお母さんのことを聞かれたらまずは失敗のエピソードが口をつきます。お母さんが嫌いだからではありません。ヨソのお母さんと比べたとき、そこが自分のお母さんの最大の特徴だと思うから、まずはそこから語りはじめるんです。てんで悪気なく。
 あやちゃんはお母さんが大好きです。お母さんのことが大好きだから、お母さんのことは全部丸ごと大好きです。
 ・・・逆に、こういう子どもの視点はお母さんにとってピンとこなかったりもするんでしょうね。

 ちなみにさあやのお母さんもこういう人でした。
 不器用で、忙しくて、何をやらせても失敗ばかりでしたが、それでもさあやはお母さんのことが大好きでした。むしろそんなお母さんがテレビではカッコよく女優をやっているという事実に憧れを抱いたほどに。

 あやちゃんがこんなにもお母さんのことを大好きでいてくれるというのに、当のお母さんは自分がお母さんをやっていけるかどうか自信が持てずにいます。
 それはいったいどうしてでしょうね、というのが彼女の物語の主題。

さあやの視点

 「実はその役づくりのためにすみれさんにお願いしたいことがあって」
 誰かにお願いができるというのは自分に自信を持てている証拠です。何か自分にはできないことをできる人に対して、それでも自分にはその人に恩を返せるだけの価値があると信じているわけですから。(もっとも、その閾値は人によって様々ですが)
 さあやはずいぶん強くなりましたね。
 それはともかくとして。

 さあやは知恵のプリキュアです。
 今話の言動をみると、改めてはなとは違うスタンスだということがよくわかりますね。
 彼女は誰にでも優しい子ですが、その思いやりは知恵によって発揮されます。誰がどんなことに困っているかを推察して、相手に合わせた手助けをしようと考えるのがさあやの基本的なスタンスです。
 一方のはなは相手の立場や心情が理解できなくてもできないなりに一生懸命応援する子で、そこにこそ絶対的に未来を信じられる彼女の強さがあるわけですから、同じ応援でもずいぶん違います。

 「あやちゃん。赤ちゃん楽しみだね」
 「ママを応援してあげようね」

 さあやはあやちゃんがどこか沈んだ表情をしている様子に気付いてあげられました。他のみんながお母さんと赤ちゃんに注目しているときですらも。
 はじめは帝王切開を心配しているのかと考えました。けれど違う可能性があると指摘されました。それでも彼女は考えることをやめず、あやちゃんが何に不安を感じているかについて思考を深めていきました。
 兎にも角にも気持ちの沈んでいるあやちゃんを放っておかず、辛抱強く寄りそって彼女を理解しようと努めました。

 「すごいよね、あやちゃんのママって」
 「ねえ。あやちゃんのママってどんな人?」
 「ママが大好きなんだね」

 そうして、やっとあやちゃんが不安がっている本当の思いを見つけることができました。

 「あやはママが好き。ママはぎゅっとしてくれるもん。だけど、あやはもうお姉ちゃんになるから、ママはもうあやのママじゃなくなって、赤ちゃんのママになるから・・・!」
 あやちゃんは弟なんて要らないなどとも言いますが、それが本心ではないこともきちんと見抜きます。だって、あやちゃんが今日ずっとお姉ちゃんらしくあろうとがんばっていた姿を、さあやはちゃんと見ていましたから。
 あやちゃんはお姉ちゃんになりたくないのではなくて、お母さんの子どもであることをやめたくなかっただけでした。あやちゃんはわかっていなかっただけなんです。“お姉ちゃんになること”と“子どもでありつづけること”のふたつが本当は二者択一ではないんだということを。お姉ちゃんになったらお母さんに愛してもらえなくなる、なんてことはないことを。

 ならばさあやがあやちゃんにかけてあげるべき言葉は3つ。
 「あやちゃんが生まれたときもママはとってもがんばったんだと思う。早くあやちゃんに会いたいって」
 ひとつは、お母さんの子どもに対する愛情はいつも変わらないんだという安心の言葉。
 「あやちゃんもがんばっててすごいよ。もうすっかりお姉ちゃんだと思う」
 ひとつは、あやちゃんががんばっていたことに気付いたことを伝え、褒めてあげる言葉。
 「でも、悲しくなるまで我慢することはないんだよ」
 ひとつは、自分が本当に望んでいた願いを諦めなくてもいいんだという許しの言葉。
 この3つをもってあやちゃんは“お姉ちゃんになること”と“子どもでありつづけること”とを両立できるようになります。

 「行こう、あやちゃん。ママに素直な気持ちを伝えよう」
 要するにあやちゃんの気持ちが沈んでいたのはお母さんの愛情への信頼が揺らいだせいであり、どうしてそうなったのかといえば親子のコミュニケーション不足が根本原因でした。
 お姉ちゃんとしてふるまうことを覚えたあやちゃんは自分の気持ちを押し殺してしまい、一方のお母さんも子どもへの申し訳なさによって自分からあやちゃんに話しかけられずにいました。
 「あや。我慢させちゃったんだね。ごめんね」
 HUGによってお母さんの愛情が確認できればあやちゃんはいっそう安心できますし、お母さんの方もあやちゃんからの愛情を確認できて子育てへの自信が戻ります。

 現実にもよくあることみたいですね。下の兄弟ができると、いわゆる“試し行動”なんかも表れやすくなるそうです。
 私はどうだったかな。お婆ちゃん子だったのであんまり激しい反応はなかったような。・・・ああ、でもおっぱいを吸いに行った記憶もおぼろげにあるなあ。完全に退行ですね。
 発達心理学の論上では“親の方から積極的に愛情表現すれば解消できる”などとよく語られますが、実際にはなかなか難しいもの。子どもの気持ちに気付いてあげられないこともありますし、今話の例のようにそもそも親がそれどころじゃない状況もしばしばです。

 「ママ。ぎゅっとして。ママ」
 そろそろ忘れたであろうころに繰り返しますが、誰かにお願いができるというのは自分に自信を持てている証拠です。
 さあやがあやちゃんに贈った3つの言葉は彼女に自信を与え、お母さんに自分の素直な気持ちを伝えるための勇気となりました。そういうきっかけさえあれば、あとはお互いの意志が関係を修復していきます。

 フレフレみんな! フレフレ私! です。
 誰かに働きかけるためには、まず自分自身を好きになれなければなりません。
 同時に、自分を好きになるためにも、誰かからの働きかけが必要だったりもします。
 「抱きしめて、まっすぐ向きあってあげる。まずはそこからですよ。何をすればいいのか全部赤ちゃんが教えてくれます」(第27話)
 どちらが鶏でどちらが卵ということもなく、その相互の働きかけはいわゆる“絆”として私たちの身の回りに当然に存在しています。

よろしければ感想を聞かせてください

    記事の長さはどうでしたか?

    文章は読みやすかったですか?

    当てはまるものを選んでください。

    コメント

    1. 東堂伊豆守 より:

      SECRET: 0
      PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
      なにぶん私自身は一人っ子なので、兄弟姉妹がいる方の感覚は正直よく分かっていないところがあるんですが……。
      今回の医療活動体験、主役のさあやが産婦人科担当なのはともかく、兄弟姉妹持ちのはなとえみるが小児科担当で、一人っ子のほまれとハリー(彼が持っていたのはあくまでも義兄弟)が整形外科担当、に分かれたのは結構計算された配置だったのかもと感じました。
      ほまれもハリーも可愛いモノ好きで面倒見が良い一方、他者との距離感を多めにとりお互いのパーソナルスペースに干渉するのを避けたがる傾向があるんですよね。この辺り幼い頃にパーソナルスペースを不用意に侵される(あるいは侵す)経験をしたことが無いまま育ったことが影響しているのかもしれないな、と。
      さて、今回すっかり戦闘シーンノルマ達成という損な役回りを背負わされた八奈見乗児氏……もといトラウム博士ですが、タイムボカンシリーズと「HUGっと!プリキュア」って「敵側が大人のお仕事」「主役側が子供の課外活動(一部例外あり)」という共通点がありまして。そう考えると決して単なるおふざけパロディというわけではなく、「大人が必死こいて働いているのを子供のイタズラで妨害される」子供向けアニメにありがちな構図の不条理を揶揄する、というタイムボカンシリーズのコアに則った真面目なオマージュをやっているのかもしれません。……たぶん。

    2. 疲ぃ より:

      SECRET: 0
      PASS: 83849cf6295498c96deb555e00f4c759
       あの人「BUGった!トラウム」さんなだけあってやたらと様式美的な負けかたが似合いますね。そのあたりもタツノコ三悪っぽい。ふざけているようで妙に職務熱心な社畜感というか。発明の開発費持ち出しでやってそう感というか。
       ほまれは保育園のときも赤ちゃんと接する描写があんまりなくて、さあやや保育士さんと話しているシーンがほとんどだったんですよね。あの子は自立している分、誰かに干渉されているより自分のために行動している姿が立ち位置としてよく似合います。
       ハリーは・・・整形外科行ったり産科に戻ったり忙しなさすぎません?

    3. 東堂伊豆守 より:

      SECRET: 0
      PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
      そういえばハリー、整形外科だけじゃなく産科にも帯同していましたね。忘れてました(苦笑)。
      でも何故か小児科にだけは顔を出していないんですよね。やっぱりハリーは一人っ子プリキュア(さあや、ほまれ、ルールー)に格別の感情を持っているのかなぁ?
      あるいは、はぐたんの要望で産科と整形外科の両方を"視察"したのかもしれません。小児科の方は「"ママ"様のことなら心配ない。この不肖はぐたんめが視察するまでもござらぬ」という"判断"だった、とか。
      それから、トラウム相談役なんですが、たぶんクライアス社の共同創立者とかではないかと思います。で、この人クライアス社のリストラ業務を一手に引き受けている様子なんですよね。ダイガンを直接的な手段で粛清しただけではなく、ジンジン&タクミそしてビシンに自滅するキッカケを与え、さらにジンジン&タクミの退職はジェロス自滅のトリガーになった。
      そんなトラウムの罠にかからなそうな剛の者がリストルなんですが、彼は可愛い弟分ビシンをトラウムに痛め付けられたという立場でもある。一方トラウムは可愛いルールーをリストルに痛め付けられた立場でもあって……。ひょっとすると今後トラウムvsリストルの壮絶な遺恨試合が展開されるのかも。
      ……ジョージ社長!ロリコン&ショタコン趣味にかまけてる場合じゃないっすよ!(もっとも意図的に内部抗争を煽って潰し合いをさせている可能性もありそうなのがおっかない)

    スポンサーリンク
    タイトルとURLをコピーしました