メルクストーリア 第6話感想 夢見る子どもの無敵なチカラ。

いつか、あなたと同じくらいひとりに耐えられなくなったら、そのときはきっと言うわ。「YES」って。

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(主観的)あらすじ

 お母さんを早くに亡くした女の子・コゼットは、お母さんの忘れ形見であるぬいぐるみ・スクウィークに誘われて、夢と幻の世界・アローウィンの町に迷い込んでしまいました。
 町ではカボチャ頭のシトルイユという男が待ち受けており、コゼットを奇妙で愉快な旅に連れていきます。この世界では空を自由にお散歩できるし、思い描くだけで王女様にもなれるし、ステキなお茶会だって思いのまま。
 けれどコゼットは困ってしまいます。全てが手に入るといわれても、彼女にはそもそも自分の欲しいものがわかりません。そしてそれはシトルイユも同じようでした。コゼットと話していると空っぽな自分が満たされる心地がする、と彼は言ってくれました。
 コゼットはシトルイユの歓待に感謝しながらも、一旦彼から離れてひとりで旅してみることに決めました。ここに来る前に求めていたものがあった気がして、まずはそれを見つけたくて。

 一方、コゼットの父親・ジャントールは亡くなった妻の思い出を引きずっていました。本来なら祭の日に手放さなければならない妻の輝石を8年も身につけ、娘にも複雑な表情しか見せてあげられずにいました。
 娘を探して同じく迷い込んだ夢幻の町で、彼はスクウィークに迎えられました。妻と自分しか知らないはずの、そして大人になった今では自分すらもとっくに忘れていた、幼いころの空想の友人。
 スクウィークは彼を戦いとロマンに彩られた冒険の旅に誘います。幼いころ夢見ていたとおりに。

 そして偶然この国を訪れていたユウも夢幻の町に迷い込みます。
 ユウの目の前に待っていたのは、両親と暮らしていたころの故郷の家でした。

 亡くなった祖母がカボチャの花を好きでした。あとキクとかモクレンとかも。
 祖母にそれらの花を教えてもらったころは別にね、「ふーん」って感じだったんですけどね、なーんかいつの間にか私も好きになってましたっけ。

 今話のモチーフはハロウィーン。秋の終わりの収穫祭と、あと日本でいうところのお盆がごっちゃになった感じのイベントです。
 ハロウィーンといえばオバケにお菓子に、いやいや、何はなくともまずカボチャ。ちなみにカボチャの花言葉には「大きい」「広大」などが当てられています。
 ・・・ん? ハロウィーンって欧米で広く人気がある世界的なイベントなのに、その主役のカボチャの花言葉はハロウィーンと関係がない? そりゃまたどうして。

 今話の感想にはあんまり関係ないんですが、疑問に思ったので軽く調べてみました。
 ハロウィーンの発祥自体はケルト諸語圏なんですが、実は広く知られるようになったのはそこから遠く離れたアメリカが発端なんだそうです。しかも1950年代。割と最近のことです。
 当初はアメリカでもケルト系移民が身内だけで楽しむエスニックなお祭りでした。しかしいくつかのアメリカ企業がこれを自社製品を売り込むためのイベントとすべく担ぎ上げ、全米に大規模キャンペーンを仕掛けたようです。結果、本来無関係な土地のお祭りであるはずのハロウィーンがアメリカ文化として定着することになりました。バレンタインデーみたいなものですね。(ここまでは知ってた)
 ハロウィーンは収穫祭なので、当然地元でよく採れる農作物を主役に掲げます。ケルトの場合それはカブでした。カブを使ってジャック・オ・ランタンをつくっていました。ですが、そう、アメリカではカブよりカボチャの方が身近だったわけですよ。
 その影響で“アメリカ文化として”世界中に再輸出された現代ではハロウィーン=カボチャという図式になっているわけです。
 ぶっちゃけハロウィーンの顔としてはまだまだ歴史が浅すぎるがゆえに、カボチャには未だハロウィーンがらみの花言葉が定着していないってことですね。

 そのくらい、ハロウィーンって収穫祭としての性質が強いイベントなわけですよ。
 じゃあ次の疑問。どうして収穫祭と平行してお盆みたいな要素まで一緒に行われるのでしょうか?
 その答えもハロウィーンが収穫祭だからなんですね。寒いアイルランドでは11月半ばにはもう雪がちらつきはじめます。そうなったらもうずっと春が来るまで家のなかで冬の寒さを耐え忍ばなければなりません。10月末が気軽に外で遊べる最後のチャンスなんですね。
 だからこの時期に収穫祭。食料庫が潤っている今のうちに子どもたちには贅沢なお菓子をふるまうし、外で遊べる最後のチャンスだから多少の悪ふざけだって許しちゃう。
 で、そうやってみんなで冬ごもり前のバカ騒ぎをしているんなら、ご先祖様だってウキウキ気分であの世から帰ってくるわな、と。
 ついでにイヤ~な冬ももう鼻の先まで近づいているわけだから、ご先祖様だけじゃなくイヤ~な悪霊も寄って来ちゃうわな、と。
 なんかそんな感じっぽいですね。(マジメに調べたわけじゃないので間違っている可能性多々)

 ははあ。だからハロウィーンっておどろおどろしいモチーフの割に陽気なイベントなんですね。オバケが出るのすらも結局収穫祭ありきなわけだから。パリピを釣るためのエサじゃなかったのか。

 ・・・さて、この浮かれたテンションからどうやって本文につなげばいいのやら。(ムリヤリクールダウンするための一文)

探しものは何ですか? 見つけにくいものですか?

 「自分が何だったか忘れたっておかしかないさ。大事なのは“今自分がどこにいて、そしてどこに行きたいのか”なのさ。そう。もしくは“何を求めているか”ともいえる。お嬢さんにもあるはずさ。なんたってここは夢の町。君の望むもの全てが手に入る!」
 もし願い事を100万個叶えられるとしたら、あなたは何を願うでしょうか?
 あれもしたい。これもしたい。つまらない願い事を思いついた先から順に叶えていって、そして気がついたらあっという間に100万個到達――。そうなってしまうのが怖くて、100万個もあっても案外願い事を決められない人は少なくないと思います。
 「うーん・・・。よくわかんない」
 いったい何を願ったら幸せになれるんでしょうか。

 こうして考えてみるとコゼットが浮かない顔をしている理由がわかる気がします。
 “何を求めているか”とは、すなわち“今自分がどこにいて、そしてどこに行きたいのか”です。
 願い事とは今の自分に欠けているもののこと。願い事とはこれからの自分に必要なもののこと。
 何を願うか考えてみることは、自分らしさを探してみることと同じことなんです。

 「パパたち何話してるのかな。・・・スクウィークもお話しできたらいいのにね。スクウィークはママがつくったんだってパパ言ってた。もしスクウィークがお話しできたら色々教えてくれたのかな」
 コゼットはどうやら聞き分けのいい子のようです。お父さんが友人と話している間、少し離れたところでおとなしくひとり遊びをして待っています。
 ひとりでいるのが好きな子というわけではありません。
 お父さんが嫌いというわけでももちろんありません。
 むしろその反対。本当はお父さんといっぱいお話ししたいと思っていて――。

 ああ、いや。彼女には自分がそう思っている自覚がありません。
 ひとりでいるのはさびしいけれど、お父さんを困らせるのはよくないから、代わりにスクウィークとお話ししたい。
 お母さんのことを知りたいならお父さんに直接聞けばいいのに、お父さんを困らせたくないから、代わりにスクウィークに教えてもらいたい。
 コゼットにとってスクウィークはお父さんの代替です。
 コゼットは自分の一番欲しいものを初めから諦めてしまっていて、そして諦めてしまった自分に気付いていません。

 だから何を願えばいいのかわからないんです。
 どんな願いを考えてみても、それは結局一番叶えたいことではないから。
 一番叶えたい夢は他のものじゃどうしても満たされないから。
 自分が本当は何を叶えたかったのか、今は見失ってしまっているから。
 「君は自分が何なのかはっきりわかっているっていうのかい?」

 「私もひとりはキライ。だけど、あなたと話すたびに何か忘れ物をしているような気になるの。それは家のカギをかけたのに後で心配になって戻るようなものかもしれないけど。もしかすると私、何か求めているものがあったんじゃないかな」
 現実ではたしかに描いていたはずのお父さんとスクウィークの落書き。けれどコゼットの心のなかではお父さんの姿だけかき消えてしまっています。
 取り戻さなければなりません。自分に認めさせなければなりません。だって、それはたとえ失ってしまったとしても絶対に諦められないもののはずですから。

 そういう絶対に諦められないものを諦めようとして折り合いをつけられずにいるのが、彼女のお父さんであるジャントールです。
 「ああ、いや。別に責めているわけじゃない。わかるよ。エレオノールが、その・・・。でももう8年だ。いつまでもお前が輝石を持っていたら、彼女はこの世界にいつまでも留まりつづけることになる」
 「ルチアーノ。お前には感謝している。コゼットが絵本を好きなのはお前の影響だ。――でも」

 彼の奥さんは亡くなりました。もう二度と会えません。――でも、だからといって諦められるものでもないですよね。
 どうしようもない思いをいったいどうしたらいいのか。おそらく次話はそういう物語が中心になるんでしょう。

 どうかジャントールが諦めることないように。
 だって彼が一番幸せになれる方法なんて最初からわかりきっているんです。
 奥さんともう一度会って、やり残したこと全部に満足すること。
 それが現実には不可能だから苦しんでいるわけですが、だからこそ、それを可能にしなければ結局何をしたって満たされませんよね。

 ・・・自分で書いておいて、まるで死者を蘇らせようとするマッドサイエンティストみたいな発想だな、と思いましたが、別にそんな悲劇フラグ丸見えの力技を推奨する気はないので悪しからず。
 「ここにいるってことは何かを求めているってことさ。夢ってのはそういうものだからな」
 夢見たところで現実は変わりませんが、現実を変えることができるのはいつだって夢だけです。
 むしろ“現実”なんかに現実を変える力などないんですよ。

 コゼットは夢の世界でシトルイユと出会って少しだけ前向きになれました。そういうことです。

まだまだ探す気ですか? それより僕と踊りませんか?

 「誰だって一度は考えたことがあるはずさ。自分のなかにある空想の世界を。私の名はシトルイユ! ミスター・シトルイユと呼んでくれたまえ!」
 「こっちの俺は数々の戦いを相棒とともにくぐり抜けた歴戦の凄腕ネズミだぜ! そしてこのレイピアは全てを貫く負け知らずの伝説のひと振り! ――そういう設定だろ?」

 夢のなかは自由です。願い事100万個だって叶えられそう。
 ・・・けれど実際はなかなかうまくいかなくて、夢見ることにヘタクソなぶきっちょさんがたくさんいます。かくいう私も夢のなかで空を飛んだことがありません。明晰夢を見るコツをつかんだ人ならビルの屋上からひょいっと飛び降りることさえできるらしいですけどね。
 というわけで、そういう人たちのために彼らが待っていてくれたわけですね。

 「それならこの私がこの町を案内してあげよう! 任せてくれたまえ! さあ、しっかり握っていてくれたまえ。1、2の、3!」
 「わわわわわ。・・・落ち、ないの?」

 コゼットは初めシトルイユに手を引かれておっかなびっくり空を飛びました。
 「君だってそのうち私の力を借りなくても空を歩けるようになるさ」
 「・・・こんなふうに?」

 けれどすぐにコツをつかんで、自分の足で空を歩けるようになりました。
 「素晴らしい! 君には夢を見る素質がある! この世界の王女様になることだってできるに違いない!」
 「そうしたらあなたは王様?」
 「それはいいね」

 それどころかシトルイユの手を離れてまったく新しい空想を形づくることさえも。

 元来彼女は絵本好きでした。
 誰かの描く空想の世界に心ときめかせられる女の子でした。
 本当ははじめから心に夢を描くことが得意なのでした。

 ただ、その自由な心が自分以外の他人には通用しないと思い込んでいただけであって。
 だからお父さんと話をする程度のことすら諦めてしまっていたんです。

 けれどそれは間違っています。
 「ここは様々な夢が入り交じるところだからね。誰かの夢が紛れていることもある」
 シトルイユはコゼットの手を引いて空を飛ばしてあげることができました。
 コゼットだってシトルイユのために王冠をつくってあげることができました。
 わかるでしょうか。
 「私はずっとこの空っぽのカボチャ頭のなかに詰まるべきものを探してきた。楽しくて、美しい、いろんな夢を探してきた。その夢は私の頭のなかには留まってくれない。いつだって音も立てずにこの穴から出て行ってしまうんだ」
 「しかし君と出会ってからはどうだ。君と夢を語るたび、私の頭のなかに響くものがある。空っぽのカボチャがぶつかる音じゃない! 君となら私の夢を見つけることが、新しい夢をつくることができるかもしれない! コゼット。君とふたりなら!」

 シトルイユの空想は飛べないと思い込んでいたコゼットの心を飛ばしました。
 コゼットの空想は長らく空っぽだったシトルイユの心を満たしました。
 そういうことです。

 夢を描くことには誰かに影響を与える力が確かにあるんです。
 そして現実の世界というのは自分以外にもたくさんの他人が一緒に暮らしている場所なわけです。
 それはつまり、夢見ることにはこのままならない現実すらも変える力があるということですよ。

 「手の温もりを忘れないうちに探すといい。心というものは広すぎて標が無ければ迷ってしまう」
 さて、改めて確認しましょう。コゼットの願い事とは何だったでしょうか?
 お父さんと話をすることです。お父さんから亡くなったお母さんの話を聞くことです。
 その願いは叶うでしょう。夢見ることを諦めないかぎり。
 だって――。
 「子どものころは眠りにつく前にお前とたくさんの冒険をした。火を吹く竜を倒し、魔法の靴で空を飛んだ。伝説のレイピアを手に入れるためゴーレムに勝負を挑んだり、星の海を泳いだりもした」
 だって、夢見ることはあなただけのひとり遊びなんかじゃないんですから。
 大人になってしまったお父さんだって昔は空想することが大好きでした。あなたと同じで夢見る感覚を知っています。ちょっとだけ忘れかけてしまっているかもしれないけれど、ちゃんと知っています。
 だから、その願いは叶うでしょう。

 カボチャの花言葉は「広大」。
 心のなかはひとりで過ごすには広すぎるかもしれません。けれど広いということは、同じ空間を誰かと一緒に共有できるということでもあります。自分の心に描いた夢を誰かと語りあえるということでもあります。
 「いつか、あなたと同じくらいひとりに耐えられなくなったら、そのときはきっと言うわ。『YES』って」
 コゼットが自分の願いをしっかりと見つけたそのときは、彼女の描く夢はお父さんにも届くでしょう。シトルイユにも。
 夢というのは誰もが見ることのできるもので、だから夢はあらゆる人のところにつながっています。
 一緒に夢を描きましょう。そうすればきっと、諦めなければいけないものなんて何ひとつありません。
 私とあなたが同じ世界にいるかぎり、夢にはいつだって現実を変える力が宿ります。

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