あのね! 犬と人が仲よしなんだから、人とオオカミもぜーったい、仲よしになれるよ!!
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「ユキ・オンステージ!」
大きな出来事
メインキャラクター:こむぎ
目標
演劇を楽しむ。
課題
ユキに演劇部からのスカウトがあった。今度あるアニマルタウンの演劇祭に出演してほしいとのこと。ユキは乗り気ではないようだったが、まゆや周りの声に押しきられるかたちでしぶしぶ出演を承諾した。
なんだか楽しそうだ。参加に立候補したところ、演劇部の部長がこむぎのために仔犬役をつくってくれた。
演劇のクライマックスでは、人間とオオカミの種族の差を気にするウルフェンが、せっかくできた人間の友達に「ともに生きる道などない」と別れを告げるシーンが演じられた。
舞台袖で見守るこむぎはふとガオウの顔を思い出して悲しくなり、つい「そんなことないよ!」と叫んでしまった。
アドリブでも何でも、どうにかして劇の続きを演じなければならない。
解決
こむぎはユキに助けられつつ、舞台上でとにかく自分の素直な思いを語った。
「あのね! 犬と人が仲よしなんだから、人とオオカミもぜーったい、仲よしになれるよ!!」
バトル
苦戦
カメレオンのガオガオーンが相手。周囲の風景に擬態する能力が厄介で、どこに隠れているのかわからない。
勝利
ユキの機転でこむぎをメイクブラシに変身させ、ラメ入りパウダーをまぶしてガオガオーンの擬態を無効化した。
ストーリーとの関連性が少なめな気がするが、演劇で自分以外の誰かに変身すること、あるいはウルフェン(ガオウ)の心変わりの象徴としてカメレオンを出してきたのだろうか?
ピックアップ
昴
おうし座の六連星、プレアデス星団を表す言葉。美しい星ということで古くから世界各地で愛されてきた。
漢字は天体を表す「日」+十二支のひとつである「卯」で構成。卯といえば中国でも東の方角を表すはずだが、実際に昴星が見える方角は西である。このあたりの由来はよくわからない。ちなみに「昴」はこの星専用の漢字であり、「昂ぶる」とは語源から異なる。
中国の占星術などで用いられる二十八宿では白虎の背中に位置し、祝いごとや神仏詣でに吉をもたらすとされる。
日本語の「すばる」は「統ばる」という意味であり、6つの星が1ヶ所にまとまっている様子のこと。さらに派生して星々の王というニュアンスで語られることもある。
人名用漢字として戸籍に使えるようになったのは1990年と比較的最近のことだが、まあ、あんなの明治政府が勝手に決めた法律だから江戸時代末期に生まれた人には関係ない話だろう。
西ヨーロッパ圏ではギリシャ神話に登場する7人姉妹の女神「プレアデス」が化身した姿だとされる。プレアデス星団では6つの大きな星が特に目立つが、実は他にもうひとつ少し暗い星も存在している。ギリシャ神話ではこれを、7姉妹のうち末妹だけ人間に嫁ぎ、不死性を失ったためだと解釈している。
オオカミの頭領
十中八九、ガオウ(狼王)のことだろう。人間の友達である昴に名付けられた。
前話に登場したお気に入りの場所は、どうやら昴と交流を深める前からのお気に入りだったらしい。
今話で2回映像に登場し、2回とも向かって左側の岩に座っている。なお、前話でガオウが腰かけていたのは右側(昴が座っていたほう)の岩である。
昴の日記
日記に日付が書かれているが、日本での暦の普及は比較的早く、鎌倉時代にはかな文字で書かれた庶民向けの暦の生産が始まっている。150年前といえば明治初期だからここは全然問題ない。(「4月」,「7月」ではなく「卯月」,「文月」表記ではあるだろうが)
日記を書けるのはどういう立場の人か、という話になってくると少し怪しい。日本の識字率は昔から高かったものと知られているが、農民となると教育改革が始まっていない明治初期ではさすがに1%を割り込む。鏡石神社に収蔵されていたことと併せて考えると、昴は神主の家系か地主一族だったのかもしれない。
カメレオン
有鱗目イグアナ下目カメレオン科の総称。一生のほとんどを樹の上で暮らし、長い舌を勢いよく射出して虫などを捕らえる。基本的に生きたエサしか食べてくれないため、カメレオンを飼育していると自分が今カメレオンを育てているのか(エサ用の)コオロギを育てているのかわからなくなる、というのはよく聞く笑い話。
体の色を変えることで有名だが、これは体表に小さく透明な粒をたくさんまとっており、その密度を調整することで反射光の色を変えて見せるという仕組みになっている。いわゆる構造色。
要は自分の皮を伸び縮みさせることで色を変えているわけだが、このことからお察しの通り、カメレオンが体の色を変えるのはけっして擬態のためではない。暑いときと寒いときで太陽熱の吸収率を変えるのが主目的である。他に、驚いたり恐がったり求愛したりといった、感情の動きでも色が変わるようだ。
当て書きと当て役、嵌まり役
演劇用語では、今話のユキのように最初から演じる俳優を想定して台本を書くことを「当て書き」という。
一見対になる用語っぽい「当て役」は全然違う意味で、こちらはその俳優が売れっ子になるきっかけとなった役のことをいう。
役に俳優がぴったり合っていると言いたいときは「嵌まり役」という用語を用いるとよい。
いつもながらプリキュアの学生演劇は金かかってるな! 中学校の部活であんなたくさん衣装をつくるだけの布を買えるか! 大道具も! 戦闘シーンの照明も何気に3パターン以上スイッチングしてるけどあんな機材学校に無い(学外での公演にしろ使いかたを練習できない)って! ついでに、ウルフェン人間形態の服を着たまま被りもの+手袋と靴だけで獣の姿を表現するとかセンスが大人顔負けかよ!!(でも早着替えでどうやってあの靴脱いだの?)
舞台は生きものです。演劇というものはまず脚本家と演出家がいて、俳優がいて、(美術スタッフや舞台監督など裏方もいて、)それからお客さんもいてライブで完成するものです。
上っ面の話ではありません。本当にそうなんです。脚本家と演出家がストーリーの大枠をつくり、俳優が自分が担当する登場人物がどういう人間か深く掘り下げて設定をつくり、それを見るお客さんがそれぞれ“自分にとって”これはどういう物語だったのか考えてみる。3者がそれぞれの立場から真剣に演劇に取り組み、ここまでやってから初めて演劇というものは最終的な完成をみるんです。誤解されがちですが、脚本家や演出家という役職は舞台上の全てを自分でコントロールできる立場に無いのです。
脚本や演出が変われば演劇は変わります。俳優が変わっても演劇は変わります。お客さんが変わることでも演劇というものは毎回必ず変わります。
ユキが演じた女神の役は当て書きされたものでした。こむぎの仔犬役だって、無理を押して追加されたものなんですから、これも部長さんがこむぎ専用に当て書きしてくれたものです。
だというのに、この2役をユキとこむぎが演じたことによって、今回の演劇は部長さんが全く想像もしていなかったような展開を迎えることになります。
次はあなたの番です。あなたにとって、みんながつくったこの演劇はどのような物語として受け取れたでしょうか?
私なりの物語
「これだわ――。オオカミと人間、種族を越えた友情! 降りてきた! 降りてきたわ!! 新しいお話を書くわよ、狸原くん! オオカミって物語の中では悪く描かれがちでしょう? 『3匹の子豚』とか『赤ずきんちゃん』とか。でもでもでも、アニマルタウンのオオカミは違うぞ! うふ。うふふふふふ・・・!」
俳優も自分の役を完璧につくりこんだとき「降りてきた」感覚を得ることがありますが、なんか脚本家にも「降りてきた」瞬間ってあるものらしいですよね。この場合に降りてくるのって、やっぱり世界丸ごとなんでしょうか。重そう。
俳優にしろ脚本家にしろ、こういう感覚を得る人のことを「憑依型」と呼ぶ向きもあるようです。
私が知る限り、別に本当に霊を下ろすわけではありません。なにせ、演劇の登場人物ってそもそもフィクションの存在ですしね。どこに憑依させるべき霊がいるんだ。彼らは別に霊的な力があるというわけではなく、単純に自分以外の人格における思考をトレースするための、ズバ抜けて高い想像力と共感力を持っているだけなんです。
ちょうど↓のような感じで。
運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪に返すや否や斜すに、上から槌を打ち下した。堅い木を一と刻みに削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。その刀の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾んでおらんように見えた。
夏目漱石『夢十夜』
「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
人は、あるいは世界は、すでに私の心の内にくっきりと存在している。あとはそれをそのままそっくり出力するだけ。
その作業がまた一筋縄じゃいかなくて、みんないわゆる生みの苦しみってやつを味わうことになるわけですが、まあ、そこらへんは別のお話。
「どう? まゆ」
「すっごく似合ってる! サイコー! 本物みたい!! つくってよかったあ・・・」
本物って何だよ。だから演劇の登場人物はみんなフィクションなんだってば。
つまるところ、衣装を担当したまゆのなかにも何かしら女神的存在が降りていたわけですね。イデアというか。
先ほどは文脈を考えてカッコ書きにしていましたが、演劇に関わるスタッフには裏方だろうがクリエイティビティを必要としない人はいません。演劇は総合芸術です。ひとつの作品をつくるため様々な分野のクリエイティビティが集められています。
私なりの物語
「ウルフェン。そしてプレアデスよ。あなたたちの友情こそが人と動物を結ぶかけ橋。この世界を守るため、力を合わせるのです!」
ユキの代役で舞台に上がったニコ様の台詞。これなんて絶対台本に書いてないセリフを読んでいますよね。
村と山を無くそうとする悪徳領主に立ち向かうストーリーなんですから、規模感からして「世界」という表現は大げさすぎです。
ニコ様がこの物語に入れ込み、感情移入した結果、自分の言葉がつい口からあふれだしたのでしょう。
そんなにもこの「狼王ウルフェン」の脚本は、昴とガオウの関係をよく写しとっていたんでしょうか。古文書には影もかたちもなかった「女神」という部長さんオリジナルキャラクターは、現実にアニマルタウンへ鏡石をもたらした当時のニコ様の思いを正しく代弁できていたのでしょうか。
物語の舞台を西洋風に置き換えるなど、少なからぬ部長さんのクリエイティビティが混ざり込んでいるはずなのに。それでも、なお。
ニコ様は部長さんが台本に込めた以上の思いを汲んで、ニコ様なりに女神という役を演じています。
だから神々しく感じられるんです。今ここにあるのは、想像を超えた、人知を越えた、本物の女神だけの剥きだしの思いなんですから。
ただし。ひとつ履き違えないでいただきたいのは、「降りてきた」感覚というのは必ずしも自分と全く別の人格が来たときにだけ感じるものではないということです。むしろ自分とよく似た人であることのほうが多い。
当たり前ですよね。だってその正体は想像力と共感力なんですから。
自分から見てまったく知らない相手の頭の中身を想像することはできません。
自分と何から何まで全部違う相手に共感することはできません。
現実に自分とかけ離れた性格の役を降ろせる俳優がいるのは、彼らが少しでも自分に想像できる部分、共感できる部分を見つけようと、自分と役とのかすかな接点を徹底的に掘り下げる努力をしているからこそです。
「待ってくれ、ウルフェン! たとえオオカミであっても僕は――」
「オオカミと人間。ともに生きる道などない」
舞台上では人間のプレアデスとオオカミのウルフェンが悲しい別れを演じようとしています。
お客さんも、袖で見ているこむぎたちも、みんながハラハラしながら物語の行く末を見守っています。
きっと誰も、このまま悲しいエンディングを迎えることなんて望んでいない。誰かがこの不安を裏切ってくれないものかと期待し、それと同時に誰も救われない悲しい現実の到来に身構えてもいます。
このままでいいのでしょうか?
よくない!
でも、だからといって、私に何ができる?
彼らの悲劇を私が遮る権利はあるでしょうか?
それとも、彼らが自分で乗り越えてくれるでしょうか。
歯がゆい。
もどかしい。
自分のことみたいに辛い。
だからどうにかしたくて、
だけどどうにもならない・・・!
「なぜ、人間にすり寄る。人間は欲深く冷酷な生きものだ。信じてはならぬ。――人間など信じてはならぬ!!」(第39話)
ふと、こむぎのなかに降りてきました。
今この瞬間、舞台上からは見えないところでふたりを見守っているだろうウィート。彼とこむぎが思いをひとつにする大切な接点。
ひとつ腑に落ちた瞬間から、たちまちこむぎの思いが、ウィートの思いが、まるで濁流のようにあふれてきます。
「そんなことないよ!!」
物語に入り込んだ人だからこその衝動。リアルとフィクション、俳優と役が重なるところに生まれる思い。
それはうっかり口をついて出てしまったこむぎ自身の気持ちで、
それでいて本来の台本では目を向けられていなかったウィート自身の言葉でもありました。
演劇は続行します。
「ウィート! 君も森の女神にお願いして話せるようにしてもらったのかい?」
「そうです。この者が、どうしても伝えたいことがあると」
『狼王ウルフェン』の物語にこむぎという登場人物はいません。だから舞台上でこむぎとして発言することは許されません。
同時に、ここから先にあるべきセリフは『狼王ウルフェン』の台本のどこにも書いてありません。登場人物であるウィートは今、自分だけの言葉を語る必要があります。
今この舞台を見守る人は、誰もがきっと、ウィートがふたりを救ってくれると期待しています。
「あのね! 犬と人が仲よしなんだから、人とオオカミもぜーったい、仲よしになれるよ!! ――あ! デートしたらいいんじゃない? ステキなお洋服を着て遊びに行くの、“デート”って言うんだよ」
いかにもこむぎが言いそうな言葉。だけど、今こむぎとウィートはぴったり重なっています。これはこむぎではなく、ウィートの言葉です。
今この舞台の上にこむぎはいません。いるのはウィートです。
この言葉を、プレアデスも、ウルフェンも、そしてお客さんたちも、誰もがウィートの言葉として受け入れます。
今ここにあるのは、想像を超えた、奇跡を越えた、本物のウィートだけの剥きだしの思い。
私なりの物語
幕は切って落とされ、エピローグ。
「こむぎさんのアドリブにはびっくりしたけど、すっごくよかったよね!」
「こむぎちゃんに仔犬役をやってもらえてよかったわ」
土壇場でやらかした大失敗。そもそも無理にねじ込んでもらっただけの端役。
だけど、結果としてとても良い作品に仕上がりました。
「ウルフェンがね、本当に悲しそうなオオカミに見えたの・・・。だから、つい言っちゃった」
「――! それって最高の褒め言葉よ!」
ひとりの俳優として、あるいは物語の大枠を設計した脚本家として、ゾクゾクします。
私のウルフェンはそんなにも生き生きと、フィクションの壁を越えて、私以外の誰かの心にも棲まわせてもらえたのかと。
「ユキさんの女神様も最高だったね。実はあの女神様はユキさんに演じてもらいたくて書いたの。だけど、私の想像以上にステキな女神様だったわ」
ラブコールを送った相手向けに当て書きしたからには当然期待値は高い。
ユキに期待されていたのは「存在感があって神秘的な人」というキャラクターでした。ウルフェンを人間にするシーンで、その期待には充分に応えることができたでしょう。
でもきっと、この演劇を見た人にとって一番の名演だと感じられたのは別のシーン。
だって、女神らしい神秘性だけでいったらどう考えてもニコ様の演技のほうが上ですからね。
ユキが拗ねてみせたのにはそのあたりのニュアンスも含めていたんじゃないかと思います。
だからユキのお芝居が本当によかったのはそこではなくて。
「ウィート! 君も森の女神にお願いして話せるようにしてもらったのかい?」
「そうです。この者が、どうしても伝えたいことがあると」
クライマックスで混乱するウィートを落ち着かせ、自分なりの言葉を紡がせてみせた、あのときの凜とした存在感。
まるでいつものユキのような面倒見のよさで、それでいて誰よりも女神らしい慈愛に満ちていました。
きっとあのシーンこそが、今話意外と全然ストーリーに絡んでこなかった彼女の、一番のハイライト。
コメント
高校演劇経験者です。
おっしゃる通り生地からドレス作るなんざやってられないので、部員の私物やら制服、あと歴代の置き去りにされた諸々で何とかしてました。『ロミオとジュリエット』は都市伝説だと思ってます。
プリキュアの演劇あるある:役と自分が重なって120%のお芝居に繋がりました、と。
まあ実際の中高生だと人生経験自体がまだ未熟ですしなかなか難しいと思いますが、テレビドラマやアニメのキャストインタビュー(最近だとツイート)を読むと、上手い人は作り込みが最早人生設計みたいになってくるんですよねえ。絶対誰も考えてなさそうな箇所を深掘りして好き勝手言い出したりw
何はともあれ、前々から積み重なってるこむぎの狼に対する想いが届くことを、改めて願います。
私も、それマジで言ってたんだ・・・ってきちんと理解したのは大学で社会人劇団と関わるようになってからですね。
あの人たち当たり前のように、台本に書いていないキャラの生い立ちとか、家庭環境とか、幼少期の栄光と挫折とか、ストーリーに影もかたちも出てこない友人関係とかまで全部決めて来る・・・。脚本家が後出しで持って来た追加のセリフひとつでめっちゃ頭抱えてる・・・。
泊まりこみで読み合わせとか、いったい何をしているのかと思っていたら掛け合いの練習なんてほんの数回、あとはお酒飲みながら延々お互いのキャラ設定のすり合わせしてる・・・。
部長の狐崎さん、あのあと図書館の郷土資料でも漁ったのかもしれませんね。「アニマルタウンのオオカミは違う!」って感銘を受けていたようですし。脚本家さんって使うかどうかはともかく台本を書く前にとりあえず参考資料をかき集めるイメージ(偏見)。
追伸
狐崎さんは、鏡石の話を知ってたのかもしれませんね。
私は本編観ながらナチュラルに「ユキありきとはいえ、よくぞ取り入れる余裕が!」と感心してしまいましたし。
ウルフェンがお別れを言うラストシーンは、昴さんの手記からそう遠くない時代に狼が絶滅させられたことを反映してるのでしょうか。
……そういえば最初『ロミオとジュリエット』たでユキに何やらせるつもりだったのか、ふと気になりました。ジュリエット役なら、参加自体を承諾されてないってのに無謀すぎる件。
前週の日曜は演技が脚本に載っている言葉に縛られるので、それを嫌うユキも仕方なく演劇部のために一肌脱いであげた話でした
私は前週の日曜はプリキュアは自宅のテレビで視てからおかやま山陽高校がある地域を車に乗って出発し、岡山の県央の東部にある美咲町(県北の津山市内と隣り合わせで警察署もある地域)のエイコンスタジアムに直行することで、岡山の1年生大会の第2試合の一部始終では岡山市北区の就実をメインで観る気マンマンでした!!(^^♬
だからアイプリはおかやま山陽高校がある地域からエイコンスタジアムに直行している道中でカーテレビで再生しながら楽しむつもりマンマンでした
それが8時前にはおかやま山陽高校がある地域を朝食(お父様の手作りカレーで炊き立てのご飯も用意してくれていた)も食べられたので、高速(道路)におかやま山陽高校がある地域のインターチェンジから乗り込んで広島県の福山市西部のファミリーマートも府中市出口町の首無地蔵でも
『今日はオイラが(岡山県久米郡)美咲町のエイコンスタジアムで小中学校の時の女子の同級生が就実のOGなので彼女の分まで1年生大会でその就実に拍手を送ったら(岡山市東区公立の西大寺高校相手に)勝ちますように』
とも午前10時前には必勝祈願も出来たのですが…
それでも私がプリキュアちゃんねるにはいずれ書き綴る気マンマンの高校野球観戦記にはキュアベースボールギャンブラーも就実の必勝祈願をしてくれたし、キュアブルーアイズもこの日の午前中はボトムスがズボン姿でお願いしました
それと女子寮の寮長(プリキュア=キュアバドミントンギャンブラー)は
『今日は夕方の5時以降(この)亀ちゃんと一緒にカーテレビでラブライブを楽しむことが出来ますように』
とお願いして、3分遅れましたが、お互いに楽しむことも出来るようになったものです
今年の1年生大会でも広島県府中市出口町の首無地蔵で必勝祈願しても叶いませんでしたが、盈進が優勝して甲子園に丸48年ぶりに復活出場した時の夏の広島決勝の必勝祈願は叶いましたし、今年のドラゴンズの交流戦の必勝祈願自体も叶って、やっぱりその首無地蔵ではこれからも高校野球・プロ野球の必勝祈願も、勝負は時の運ですが、これからも未来永劫続けたいですね!!☆☆♬
で、前週の日曜のアイプリは山陽(自動車)道から尾道道の無料区間に入ると、その首無地蔵に行くには1番最初の出口を降りるべきだったと、通り過ぎてしまってから初めて気づき、結局私は視られなかったも同然でも、キュアベースボールギャンブラーには首無地蔵の参拝が終わってからせつな(キュアパッション)の瞬間移動能力で一旦(東京)都内に戻ってもらって、私の分まで視てもらって私も充実感があります!!☆☆♬
それと岡山の県北入りして、ドラッグストアや東北には宮城県内にしかないホームセンターのナフコに向かう道中は道の駅を見つけ、一旦寄り道するようなカタチにはなりますが、女子寮の寮長のためにもラブライブをジックリカーテレビで視聴することが出来るようにするために一肌脱いであげて、これも充実感があります!!☆☆♬
で、前週のプリキュア本編は昨日TVerで一部始終を観て、トラメが「オイラとだ」というセリフはガオウの効力によってザクロとセットでデビューさせてもらうとそのザクロに対して
「何言ってんだ!??オイラにだッ!!」
と言い放ち返しつけたことが私にはリアルタイムで視たことで、これがマジで面白くて大爆笑だったので、その影響が大有りだったでしょうね
もちろんカーテレビがバッチリリサーチ出来ている時は、いろはもセリフの内容は忘れましたが、この時点ではステキに感じるセリフもありました!!☆☆♬
でもやっぱりユキは演劇部に入るのを最後の最後でお断りしたのも脚本に載っているセリフによって縛られるのがすべてとみて良いですよね
次回はまゆのお父様が本格的に2回目となる登場になるような話ですね
あとパフがトラメではなくザクロによってガオガオーンにされてしまうプリキュア小説はパフのお兄ちゃんであるアロマは敵によって鳥型の妖精特有の鳥インフルエンザにかかってしまって、プリキュアにしか治せないけどそのプリキュアの効力で治癒してもらえて、キュアフローラ達・プリンセスプリキュアも最初はいくら浄化し続けてもキリがないほど大量の中の大量であるゼツボーグと対峙しますが、最終的にはキュアベースボールギャンブラー達ともヒーリングっどのプリキュアともわんだふるのプリキュアとも全員ぐるみでガオガオーンを浄化して、パフも元通りになるようにネタ自体は完成したものでした
だからインターネット上にこの話を書き綴るのも当然楽しみですね!!☆☆♬
★与方さん
前週の土曜ぐらいまでに私が交流戦で観た時の試合状況を自分のパソコンのワードにまとました
一球速報が今年からバッチリ残っているのも素直にうれしいですね!!☆☆♬
あとは9月7日(土)のドラゴンズVS広島の一球速報も兼ねた試合状況をワードに時効中にまとめると、プロ野球観戦記としてキュアベースボールギャンブラーや女子寮の寮長も交える話をプリキュアちゃんねるなどのインターネット上にアップさせるのがなおさら楽しみになります!!☆☆♬
★イガイガさん
今年の岡山の1年生大会の前週の日曜にあったエイコンスタジアムでの第2試合では7回から2番手で登板してスリーランで3点を返されてました
で、7回中に3番手となる背番号・3のピッチャーにマウンドを明け渡す程誤算だったワケですそのホームランを打ち込まれてからも2回フォアボールを断続的に出して、まだ無失点で就実の打線を抑えていた場面でも、ダブルランナーがいる場面からでもフォアボールを出すなど、合わせて3つ(以上)はフォアボールを出すこともあるなど、逆転出来る試合でもあったのに、最終的には同点止まりで就実は終わった試合でした!!(大汗)
結局は6回の表は就実の攻撃でツーアウト満塁の場面で、バッターがセカンドライナーに倒れて、この時点でこの試合初めて点を返すこともラッキーシックスにも出来なかったの最大のジャンクションでしたね!!(汗)
もしこれがライトへのタイムリー(ヒット)になっていた場合は、試合結果も当然就実の勝利で決まっていたほど違ったクチ惜しい試合でした!!(厳)
>で、プリキュアとは完全に無関係なことで今度はすべての閲覧者メインで言いたい雑談はやっぱりグルメのことで
バーミヤンはコロナ前は案の定岡山市北区の岡山中央病院の近くにあり、岡山市内にもあったと言えるほど全国チェーンですかいらーくグループでもある中華料理店です
おかやま山陽高校がある地域では岡山の県北の東部にある津山市内が1番近いみたいで、岡山県美作市のインターチェンジの近くのナフコにカーナビ頼みに向かっている道中に見つけて、2015年ぐらいのカーナビにもそのナフコ(ホームセンター)から1番近かったのもうれしかったです!!☆☆♬
で、行ってみるとタブレットで操作するシステムでスマホの使い勝手もわからないお年寄りには不便ですが、子供には本当に利用しやすさがありますね!!☆☆♬
私は岡山市内には兄貴や弟そしてお父様と岡山市北区の岡山中央病院の近くで食べたバーミヤンではあんかけチャーハンを注文したので、前週の日曜もあんかけチャーハンを注文しました
しかしそのあんかけチャーハンはズワイガニバージョンしかなくて税込みで1000円を数十円超えたので、今後に向けては、ズワイガニのあんかけチャーハンより2,300円は安いあんかけチャーハンも全国店舗ぐるみで導入して欲しいですね
食べて見ても、火がバッチリ通っている玉子はクセになるし、鼻に入るチャーハンの風味も、口の中にいれた時に感じられる風味も食欲をソソるし、岡山の県南には岡山市内でも一向に構わないので1日でも早く復活して欲しいと感じられました!!☆☆♬
その店舗の社員であることは間違いないイケメンの店員さんも
「僕の方からも(本社や店長には)言っておくから」と言ってくれて、岡山の県南にもバーミヤンが復活する前日までは、日曜にて高校野球でエイコンスタジアムに行く際は、また利用したいですね!!☆☆♬
しかしレジで私が会計待ちしている時、先行の迷惑客グループがレジに大量の伝票を預からせていてしかも大勢の個別会計でもあったので、お陰で後続のお客様も大量にレジで会計待ちするほど混雑したので、これを以ってバーミヤンさんはむろん、外食処では全店舗ぐるみで完全にソロで外食したお客さんであってもレジで伝票を預かって欲しいという話があっても、店側の判断でそれは断固して厳禁にするようにして欲しいですね!!(超大咲)
お互いご理解ご協力ご了承願いたいです
さっきTVerで観て、確認出来たこともあったので自分にレス機能を使う亀ちゃんです
いろはがリアルタイムの時はカーテレビで再生していてステキと感じたセリフに関しては
「オオカミと仲良くしていた人がずっと昔にいたんだ」
といういろは自身が感慨深さをシミジミ感じるパターンと確認出来ました!!☆☆♬
宇宙の軍人美少女アニメのギャラクシーエンジェルは3期がテレビ東京系にて9時30分から私が中3の時は卒業するまで放映されて、4期はテレビせとうちでは地上波で映りませんでしたが、その4期の第9話では話の終盤ピンクヘアーのパティシエ美少女軍人が仲間はウソばかりついていても「へぇ~そうだったんだぁ~」と良い意味でトリビアに感じて、語尾に関しては、8時30分から10時まで終わる日朝アニメ的に聴き応えがあるとも言えますね!!☆☆♬
さらにすかさずこむぎも「私といろはみたい」と付け加え、私は昔のドラえもんにて、ドラえもんの道具ある人形が喋ることが出来て「小母さんと(飼い)犬まるで親子みたい」と余計な口出しをするので、金曜から日曜にかけて放映されるテレビ朝日系のアニメ的に聴き応えがあるセリフとも言えますね!!☆☆♬
で、アバンでは狸原(たぬキはら)くんが「何故そんなに悩んでいるんだ狐崎さん」とセリフを発したことに関しては、スイートプリキュアにて、ラスボスとなるノイズに忠実な時に遣い込まれているファルセットが「何故」から始まるセリフを「何故お前らは…」ってな感じでバスドラ・バリトンの両名に言い放ちつけ、女児向けプリキュア的にはこっから始まったと思える私にはやっぱり聴き応えがあるセリフでした!!☆☆♬
★与方さん
1978年(8月)というと、私のお母様が中学生の時のことですね
ちなみにこの時点でお母様が中学何年(生)の時?と質問されても、ここで書き込んでしまうと、私のお母様の実年齢がバレてしまうので、的確に返すことは出来ませんが
とはいえやっぱり管理人さんにはメールで伝えるかもしれませんね
私のお父様は高卒の仕事人の時のことでした!!
この時点でお父様はまだ私の二従兄弟伯父様が後に切り盛りするようになるインターネットにも出る建築板金の工場で働いていました
一方でキュアベースボールギャンブラーのお父様はこのイヤーの8月は清原(PL学園OBの元プロ野球選手)より一足先に5季連続で甲子園出場を帝堂(京)高校時代に遂げて、3回戦では浪商の香川さんより一足先に1試合3本もホームランを打ち込むことに成功しました!!☆☆♬
それで次戦の準々決勝では大阪府東大阪市内に今でも校舎もある東大阪桐蔭(元大阪工大東大阪)の当時2年のエースには監督の作戦にして方針でもある通り、9回の攻防までに先頭バッターとして打席に立った時も含めて4打席連続敬遠を繰り出し、延長でも2打席連続で敬遠し、最後は帝堂がサヨナラ負けでした!!(汗)
甲子園では12本も3年間でしかも清原より5季連続で打ち込み、ドラフト会議の時は、大洋ホエールズを除く5球団がセ・リーグでは指名して、パ・リーグからも2球団指名され、7球団の競合になりました
それでキュアベースボールギャンブラーは阪神と他球団の競合になった際、その阪神が交渉権を取り損ねた場合、ヤクルトだけは高卒直後に入団しても良いと思っていた唯一の球団です
それ以外の球団は生まれながらにして好きじゃないドラゴンズも、阪神の選手にも敵意むき出しなファンが嫌いな巨人を中心に、東京都立高校だけはどう転んでも最初っから生まれながらの学力からしてムリな自分でも行ける大学に行って、プロは阪神入りを伺っていたものでした
で、交渉権を手に入れるためのクジ引きに入ると、1番最初は巨人が引いて、ド真ん中のタイミングではドラゴンズが引き、そして残り物には福があるものだと信じ込みながら阪神が引きます
すると最初は巨人かドラゴンズのどっちかが交渉権のクジを引き当てた反応になりますが、実際には阪神が引き当てて、その直後の取材では
「巨人や中日(ドラゴンズ)のことまで考えると今は何も言えないですね!!」
と声を絞り出すようにコメントしたのもキュアベースボールギャンブラーのお父様でした
キュアベースボールギャンブラーのお父様はキュアベースボールギャンブラーのお父様のお父様の器も持ち合わせているキュアベースボールギャンブラーのお父様の方のおじい様の影響で、昔っから阪神ファンだし、その阪神に入団するとホームラン王だけは2回も獲得するなど引退試合でも決勝ホームランを打ち込んだことも含めて、518本のホームランを公式戦で打ち込むことが出来ました!!(案の定日本シリーズ・オープン戦を除く)
その選手の引退試合でも阪神特有の特定の選手コールが絶対の応援団であるファンからの声援を一身に浴びてツーストライクと追い込まれて弱気になっていたところ、この声援で我に返って打ちごろのコースに甘く入ったボールをフルスイングに成功し、ウイニングゴールともなるホームランを打ち込んで、ヒーローインタビューでも敵地ですが謙虚に受け答えたのもキュアベースボールギャンブラーのお父様でした
で、引退直後は阪神のコーチになりたくてウズウズしていたのに、その話は球団が分からなくて、高卒のプロ野球選手OBですが野球評論家になり、今でも現在に至ります
余談ですが岩瀬さんも選手を引退直後は球団は関係なしにピッチングコーチになって欲しかったのに、野球評論家になったのは、自分が大卒社会人のプロ野球選手OBになれたからなのがすべてでしょう
ちなみに岩瀬さんは引退するまではドラゴンズの現役選手の中で唯一好きな選手で、9回の攻防でマウンドに上がるとキッチリ抑えてくれることが多かったところが好きでした!!☆☆♬
それと引退する前年の公式戦に向けても、「今年がダメだったらどうしますか?」→「それこそ引退する」と潔さも感じ取れました!!☆☆♬
で、岡山県営球場に関しては、夏の岡山大会ですら再び出来るように改装工事する予算もないのですかね??!
ですが、私は高卒社会人を再開してから岡山県営球場はコロナ前に2回は岡山の高校野球を観に行ったのは20代から30にかけての時のことですが、昨日の事のようです
今では40が来ようとしているおっさんですが、岡山県営球場は岡山の高校野球で、メインで観たいチームが登場することが決まると、やっぱり鴨方(おかやま山陽高校がある地域)から車に乗って観に行きたいですね!!☆☆♬
しかし明日の1年生大会は岡山市北区内には行っても、県営球場には行きませんが
第1試合も倉敷商工対決の優秀校決定戦で、カネオくんが始まる5分前にプレーボールですし
話は変わりますが広島県立大OBで私の兄貴より普通に年上の私の現職の会社の後輩同僚からも
「岡山(県内)にプロ野球の球団が出来ても、やっぱり中日ファンでいるつもりなん?」って感じで、聞かれますし、岡山にプロの一軍の球団はなおさら出来ないものだと思いますね
☆ユキさん
お久しぶりです
今でも高校野球ファンで、プロ野球は相変わらずドラゴンズファンでもある亀ちゃんです
ユキさん自身はプリティーリズムから始まった幼稚園児向けのアイドルアニメのちゃお出身である今現在のアイプリやアイカツには興味がないんですか?
地上波では映らない府県でも今頃はそれもTVerで観ることが出来ますよ!!☆☆♬
もし興味がある場合は、追記でここでは出来るだけコンパクトにまとまるように語り合いたいものですよ!!☆☆♬
ユキはたぶん、台本を読むのじゃなくて、舞台の上で目立つのがイヤだったんじゃないですかね? 衣装係のモチベーションに配慮して舞台に立つことを決めるのはちょっと珍しいパターンだったかもしれません。
いろはの動物と仲よくなるためのアプローチはあとどのくらい深掘りしていくつもりなのか、ちょっと楽しみにしています。
今回の演劇、ユキの見事なシャミセン(あえて言います)によって素晴らしいものになりました。
で、結局は正式入部はお断り、ときましたか。
高校時代の落合博満さんの野球部入退部8回みたいに、演劇の度に入退部という感じになりそうなところかと。
もう一つ。ニコちゃん大女王様の演技。
思わず、彼女が「ただの本物よ」と言いたそうな雰囲気に見えました。
~ これまさに、グレンミラー物語の「真珠の首飾り」が演奏される前のジェイムス・スチュアート扮するグレンミラーの言葉です。
本編後のCMの時間、その「真珠の首飾り」が頭の中で演奏されていました(苦笑)。
ドクタースランプのニコちゃん大王みたいな不良宇宙人とはまた一味違った曲者お姉さまですな。~と言うと、ニコちゃん大女王様より「不良宇宙人も困るけど、あんな野球おじさんとも一緒にしないで!」と言われそうですが(汗汗)。
亀ちゃん様
広島対中日戦ですが、私は1978年8月、小学3年のときに岡山県営球場の外野席で見ました。確か中日のワンサイドゲームで、半球から移籍してきた森本選手が本塁打を打ち、副賞で地元飲料会社のミルクセーキが送られるとウグイスのおねえさんが放送されていたのを覚えています。
「三味線を弾く」といえば“相手の言うことに適当に調子を合わせてごまかす”くらいのニュアンスになってしまいますが、元を辿れば唄に合わせて三味線を即興演奏する様子から来た慣用句。相方と息をぴったり合わせなければできないことです。
アドリブ劇って割と職人技みたいなところありますよね。相手が何を考えてそのセリフを語りはじめ、どこに落着させたいのかまで想像できてはじめて、息の合った相づちができるというか。・・・苦手だったなあ。(コミュ障)
アドリブ伴奏のほうは私全然やったことないですが、あれもたぶんコミュ障にはそうそうできない領域なんだろうなあ。
一見、メインには見えないユキの名を冠したサブタイトル。初期のユキは自分の気持ちしか見えない過保護な母猫のような子でした。それがいろはやこむぎの言葉によってまゆと向き合えるようになり、キラリンアニマルやニコアニマルの気持ちに共感し想像できるようになりました。その後、悟やいろはの背中を押し、こむぎを励ませるまでになりました。今回は衝動に任せて動いたこむぎを支えてくれました。以前の回でユキは子離れしましたが、本質的に彼女は母猫なのでしょうね。一周回って、彼女はみんなを見守るお母さんになりました。それがユキの舞台。
最初のころのユキの過保護って、現実にいるモンスターな母親のソレとはちょっと違っていて、なんというか構ってほしい気持ちの裏返しみたいなところがありましたよね。
それがちゃんとまゆが一人で立てることを認められるようになったことで、自分自身が相手に執着していることに言い訳する気持ちがなくなったんでしょうか。肩の力を抜いて純粋な気持ちで庇護するようになったと思います。
特に、最近こむぎが端々で感じているペットだからこその思い。そこを全部わかってあげられるのはきっと、ユキだけなんでしょうね。
本項冒頭の「昴」の解説で「プレアデス」が「ペルセウス」になってしまっているんですが……。
ところで、プレアデスくんと袂を分かとうとするウルフェンさんにデートをお勧めするウィートくん。幼い彼女(彼?)は自覚的に言っているわけではないんでしょうが、たぶん彼女の言には「肩書とか立場とか責任とかぶっ飛ばして一匹の生き物同士として付き合っちゃいなyo!」というアピールが込められている。「ガオウさ、“我”の立場より“俺”のやりたいことを優先させなよ」。
一方、ニコ様が代役を務めた女神様は……「人間と動物の架け橋」だの「世界を守る」だのと、ただでさえ同族とのしがらみを抱えて身動きとれなくなってるウルフェンとプレアデスに、更なる肩書・立場・責任をおっ被せにかかるのよね。
何ともこういう「志ある者に肩書・立場を与えることが、閉塞状況を打開する力になる……と思い込んでいる」ところに、150年前のアニマルタウンで、ダイヤモンドユニコーン様が人間とオオカミの間で起きた悲劇を回避させることに失敗した理由が透けて見えてしまうわけなんですけど……。
まあやりたいことがある人をそれができるだけ責任ある立場に押し上げてやるのは至極プリキュア的ですし。それこそ超人的な戦いへの参加権を与えるとともに巻きこまれる“プリキュア”への変身とか。
ハタから見ているぶんには子どもに任せるような使命じゃねえ!って感じですが、当の本人たちが割と満足そうにしてるの見てますからね、私たち。
案外、受ける人の立場次第ではウィートの願いも森の女神の託宣も大して変わらんです。
・・・リアタイ視聴時からもうプレアデスってどうしても男性名っぽく聞こえないなと思って脳内変換かかっていたのよね・・・。