キミとアイドルプリキュア 第38話感想 キミがハロウィンを楽しみたいなら、私はおばけを破壊する。

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うたちゃんと一緒に好きなバナナの格好できて、win-win ハロウィンだよ!

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「一緒に踏み出す! ウィンウィンハロウィン!」

大きな出来事

メインキャラクター:なな

目標

 うたはハロウィンのイベントには興味があるのに、おばけが怖くて楽しめたことがないらしい。克服できるように手伝ってあげたい。

課題

 うたのおばけ嫌いは筋金入りだ。どんな工夫を試してみても、おばけである限りどうしても怖がってしまう。

解決

 幼少のころ、ななが一歩踏み出す勇気を持てるようになったのはうたがきっかけだった。自分ひとりではどうにもできないことだって、誰かと一緒ならいつも以上にがんばれるもの。ななは辛抱強くうたに寄りそい、ついにおばけを克服させることができた。

バトル

 仮装した少年を素体としたジャック・オ・ランタン型ダークランダー。

苦戦

 おばけ嫌いのうたが怖がって動けなくなってしまい、戦うどころではない。

勝利

 みんなでうたを守ったうえで、ななが隣につき、うたに目をつぶったままダークランダーを撃退させた。

ピックアップ

ジャック・オ・ランダム

 どう見てもハロウィンにかこつけてガンダムをつくりたかっただけのやつ。

バナバナバナナ

 なながバナナ好きだという話は第22話でも出ていたが、どうやら名前に掛けたボケというだけでなく本当に好きだったらしい。

出場者

 ・・・あれ? ジャック・オ・ランダム間に合わなかったの!?

チョッキリーヌ

 「ふふ。調子がいいねえ。あんたの番だよ、ジョギ。・・・無視か」

 別に仲がいいわけでもない、むしろお互いに小バカにしあっている、そもそも仕事上のつきあいすら大してあるわけでもない相手を遊びにつきあわせるとか、いよいよ本格的にメンドクサいなこの人。さびしんぼか。

 ふんわりと浄化フラグらしきものが立ったあたり、案外次話くらいであっさり退場しちゃうんでしょうか? ちょうど『Dancing Star プリキュア』もゲスト出演することですし。

 「あれは――、カッティーとザックリーじゃないか!? 無事だったのかい」

 口ぶりからすると、第18話で「カッティーのやつは闇に飲みこまれたのさ」と言っていたのは何かの比喩とかではなく、ダークイーネからそういうふうに通達されたことをそのまま信じていたってところなんでしょうね。
 第29話で「部下をやめさせないための本」を借りていたのも、やはり部下を失ったことを本心から嘆いていたからだということになります。

 「あいつら――。すっかりキラキラになっちまって」

 遠い日を懐かしむような目。

 ちなみにあの2人がチョッキリ団を離反した理由のひとつにチョッキリーヌからの度重なるパワハラがあったので、そういう目をされたところでゲンナリするだけだと思います。

 この人にワンマンチームを嘆く正当性があるかどうかは一旦さておき、いずれにせよチョッキリーヌは今、さびしがっていました。
 部下たちがいたころは楽しかった。少なくとも話し相手にすら事欠くなんてことはなかった。仕事だって、あいつらに任せておけば自分は何の気を使う必要もなかった。あいつらはきっと裏切らない、最後まで同じチームにいてくれるという奇妙な確信がありました。

 今、職場にいるのはイマイチどう扱えばいいのかわからないジョギだけです。上司でもなければ部下でもない。だからといって同僚という感じでもない。ちなみに性格はびっくりするほど合わない。同じ空間にいて、いつもお互いの気分を害しあう関係でした。

 そんなジョギとわざわざダーツで遊ぼうっていうんですから、いよいよですよね。クるところまでキている印象です。
 彼女のこの態度は、つまりそういうこと。

 「この前からなんか大人しいね。腑抜けてんなら次は私が行くよ」
 「どうぞご勝手に」
 「はあ? なんであんたに指示されなきゃいけないんだい」
 「じゃあ僕が行きますよ」
 「待ちな。私が行く」
 「はあ。メンドクサい人」

 ハタから見ている私たちには、これだけでは両者ともイマイチどういうニュアンスでトゲ刺しあっているんだかよくわからない言葉の応酬。その真意は直後にジョギが思いだす回想によってのみ、端的に説明されています。

 「カイトさんはあなたとの絆をとても大事に思ってる!」(第37話)

 つまり、このときジョギはチョッキリーヌの「私が行く」という言葉に、前話のうたの言葉に感じたことと同じニュアンスを感じ取っているわけです。

 うたがカイトとジョギの破綻した関係性に胸を痛めて言った、あの余計なおせっかい。
 あれと同じ思いを、ジョギはチョッキリーヌの言葉に感じ取ったわけです。

 すなわち、おせっかい。

 (元)パワハラクソ上司なりの、不器用な思いやり。あるいはただの人恋しさなのかもしれません。
 ・・・いずれにせよ、今回チョッキリーヌが自ら出撃した背景にあった思いをカテゴライズするなら、それは紛れもなく彼女の、ジョギに対する“優しさ”と呼んで差し支えないものだったのでした。

 なんだよ。案外仲いいじゃん。

ななの美学

 さて。そんなチョッキリーヌの心境の変化を添え物にした今話。ななの当番回。

 ななは何というか――、そう、毎度のこと周りの人を観察対象にして自分の学びに生かしている子なんですよね。それはもう、なな不思議回からずっと一貫して。
 この子は賢くて、そしてすごく分析的な子です。行動原理はびっくりするほどロジカル。

 今回、彼女はうたを放っておけなくなりました。
 意味わからないくらい根深くて、原因も謎なおばけ嫌い。いわゆる「生理的に無理」とかそういうレベルの根源的なやつ。そういう難しいものが克服されるまで粘り強く付きあってあげました。

 どうしてでしょうか? ななは優しいから?
 うん。たしかにこの子は優しい子なんですが、純粋に優しさだけで行動しているかと言えば、それはちょっと違います。

 「こんな自分嫌いだ。俺には世界をクラクラの真っ暗闇にする、チョッキリ団がお似合いだ! 俺にキラキラは似合わないんだよ!」
 「そんなことない! あなたにはちゃんとキラキラがある! そこはザックリしないで! あなたには、ちゃんとキラキラがある」(第25話)

 以前、ザックリーを浄化したときのななの姿勢は一貫していました。

 明らかに疲弊しているザックリーを助けてあげたい。そして、彼にチョッキリ団の活動をやめさせたい。

 一見すると前者は博愛的な優しさ、後者は正義感に限りなく近いエゴイズムであるように見えます。
 けれど、この2つはななのなかで論理的につながっていました。ななの目から見て、ザックリーの疲弊はチョッキリ団の仕事のせいに見えていたんです。
 彼は自分に向いていない仕事をしている。どこか無理をしている。だから結果的に自分で自分を傷つけてしまっている。やめさせてあげるべきだ。だって本当のこの人は、真っ白なハンカチが泥水に落ちて汚れてしまうことを心から悲しむ、そういう人なんだから。――そういう理屈。
 だから彼女はザックリーに干渉したんです。彼からすれば余計なおせっかいでしかないとわかっていても。ただ、自分のなかの論理的な秩序を守るために。

 なお、どうしてなながこういう行動原理を持つようになったのかといえば、それはかつて自分もそうだったから。

 「昔は私もあんなふうに楽しく弾いてたな。私のピアノでパパやママが笑顔になってくれるのがうれしかった。今は・・・、周りの期待を裏切るのが怖くて。失敗したあの日のピアノから、自分から逃げることしか考えてなかった」(第3話)

 ピアノを弾くのが大好きだったはずなのに、ピアノを弾くのが苦痛でしかたない。そんな不整合。
 じゃあ、今はピアノが好きじゃなくなっているのか、ピアノそのものが嫌いなせいで苦痛を感じているのかといえば、実はそういうことでもなくて。
 ピアノを弾くこと自体は今も変わらず好きでした。苦痛を感じるのは、周りの期待に応えなきゃいけないような気がしていたから。もし失敗したらガッカリされてしまうんじゃないかって、そういう悪い未来を想像するのが苦痛で。
 だから、彼女が選んだ解決方法は、勇気を持つこと。自分を大好きなピアノから遠ざけようとする弱い気持ちをねじ伏せて、とにかく前へ。余計なことは顧みない。一歩踏みだすwin-winウインク。
 自分のやりたいことに素直になる、自分はやりたいことをやっていいんだと信じる勇気こそが、彼女のなかの論理的整合性を守る最大の武器でした。

 ななはそういう子です。

 この世界にはいろんな人がいます。
 自分の好きなことにひたすら一途で、一点集中でいくらでもスキルアップしていくスペシャリストもいれば、いろいろなことにいちいち思い悩んで、あっちが立てばこちらは立たずで右往左往して、結果どちらにも進めなくなってしまう人もいます。
 この書きかただと後者をずいぶん悪し様に表現しちゃっていますが、もちろんそちらにだっていい面はあります。悩み苦しみを知る繊細さも、多くのことを幅広くこなせるゼネラリストも、それぞれがその人の魅力。

 「でもね、ピアノばかりじゃなくてもいいのよ。今のななにはいろんな友達と遊んで、世界に触れて、自分を知る。それが一番大切なんじゃないかなって思うの」(第9話)

 ななだって、お母さんに言われて一度試してみたことがあるんです。そのうえでみんなに変だって言われて、今の自分らしさを改めて確立しました。
 自分の好きなことを、好きなとおりにやる! その美しき論理整合性。なな独自の美学。

 「楽しそうでいいなあ。私、ハロウィンってあんまり楽しめたことがなくて・・・」

 「でも、私だって仮装したいし、トリックオアトリートしたいし、――今年こそはキラッキランランしたい!」

 今、目の前でその整合性が乱れまくっている子が頭を抱えていました。

対症療法

 人恋しさのあまりジョギに歩み寄りはじめたチョッキリーヌ。

 自分の美学のためならチョッキリ団を改心させることもやぶさかではないなな。

 単純明快な行動原理で動いている彼女たちに対して、うたのほうはハロウィンを楽しみたいのにおばけ嫌いのせいで楽しめないという、難儀なジレンマを抱えていました。

 そんなうたのため、ななが克服への協力を申し出ます。

 「題して『お化けなんて怖くない作戦』はどうかな。うたちゃん。おばけが怖いのは、おばけがいるって思ってるからじゃない?」

 「それじゃあ次は『おばけと会ったらウインクする作戦』はどうかな。勇気の出るおまじない」

 「かぼちゃっておいしいよね。実はジャック・オ・ランタンをつくった時に出た材料でつくったんだ。題して『食べて克服! ジャック・オ・ランタンの中身はただのかぼちゃだった作戦』!」

 ・・・なんというか、割と対症療法的。
 ななが考えたどの作戦も、おばけなんて大したことないんだ、本当は怖くないんだという方向へ感性を誘導しようとしています。

 こころがちらっと言っていましたが、世間の人はハロウィンのおばけを怖いものではなくかわいいものとして認識しているわけですから、そちらのアプローチをもう少し掘り下げてみてもよさそうなもの。どうせならおばけを好きになってくれたほうがハロウィンもより楽しめるでしょうしね。
 ですが、ななはそちらの路線に興味を示しません。一貫してうたの心に巣くうおばけの概念をとっちめてやることだけに腐心します。

 まあ、関係ないですからね。

 うたはあくまで仮装とかトリックオアトリートとかがやりたいだけなのであって、ハロウィンの概念全般を好きになりたいわけじゃありません。だったら、おばけなんてただの障害です。邪魔者です。敵でしかない。
 だから退ける方向に進むわけです。さすが、ピアノを楽しむと決めた瞬間から周りの評価を気にすることがなくなっただけはあります。

 「アイドルは目をつぶってて。私が合図するから。大丈夫。アイドルならできるよ!」

 最終的な解決方法に至っては「目をつぶる」でした。もはやおばけと和解する気ゼロ。その存在可能性すら視界に入れない。

 とにかく、うたがハロウィンのイベントを楽しめるようになりさえすればいいんです。それだけが今回ななにとってのゴール。
 そのためならうたが「あくまでおばけは敵だ」と認識していても全然構いません。ハロウィンなのに。なんて論理展開だ。合理的すぎる。

 「大丈夫。ななちゃんならできるよ!」(第3話)

 今日一日うたに付きあったななの脳裏に思い起こされるのは、初めてプリキュアへの変身に挑戦したときに見たうたのウインク。小さなころ、ピアノコンクールの舞台袖でうたが教えてくれた取ってつけたようなおまじないは、昔も今も、ななにとって大切な指針なのでした。
 ひとにピアノを弾かせておいて、自分は『どんぐりころころ』を歌いはじめた自由人のおまじない――。

 ななは、その人が本当にやりたいと思っていることを、いつも全力で応援しています。

 なにせ、自分だって好きなことを好きなようにやるのですから。

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    コメント

    1. ピンク より:

      あんなに強く「おばけはいない」と念じてたら、かえって目の前に現れるの怖くなりません……?

      しかしジャックオランタンですら大騒ぎする一方、実家のグリッターが堂々とハロウィン仕様なのはちょっと面白かったです。
      でもなんか、ご両親と妹本人を見てたらなんとなく「やるかもなあ」という気がw うたが克服しようとするのを見て、かもしれませんけどね。

      • 疲ぃ より:

         店長があのお笑い好きですから、そもそもイベントごと全般好きなタイプなんでしょうね。奥さんも奥さんで自分の子どもが店に来て歌うことを大喜びする人ですし。

         「おばけはいない」と信じ込むのは実際におばけが現れないならそりゃ効果的なんでしょうけど、プリキュアとか妖精とかって不思議現象が日常茶飯事なうたが本当におばけはいないと信じ込めるのかというと、若干疑念が残ります。

    2. 与方藤士朗 より:

      あの二人のバナバナバナナを国鉄の首都圏色(別名タラコ色)にすると、そういえば、そんな被り物をした少女のコンビがいたような(苦笑)(^ω^)・・・。ちなみにそのタラコ色が風雪や気動車のばい煙で痛むと、「焼タラコ」となるそうです。今も岡山近辺ではよくみられます。~以上、なんのこっちゃ。

      さて今回は、うたの弱さが妙な形でクローズアップされることとなりました。
      カボチャの生首、ねぇ。それええな、もろた。
      私自身、カボチャ祭のバカ騒ぎには何の興味もありませんが(55年前の大阪万博をバカ騒ぎと断じ切った大先輩の本を出したくらいですから、余計にね)、まあしかし、世の中にバカ騒ぎの種は尽きまじと、あきれるのみです。
      それはともあれ、今回のうた君すなわちキュアアイドルのビビり具合にはびっくりしましたが、それをフォローする他のプリキュア諸君には、あっぱれを。

      要はこれ、西鉄ライオンズの豊田泰光選手の度重なるエラーに対して苦情を述べたベテラン投手に、三原脩監督が言い返したこの言葉につながりますね。この回を見ていてふと思ったので、御紹介を。
      「豊田のエラーで負けた試合と、豊田の本塁打で勝った試合のどっちが多いか?」
      三原氏はその後も構わず遊撃手として豊田選手を使い続けました。
      その故事に当てはめれば、こうかな。
      この会は子どもたちにもいい教材になることでしょう。

      「キュアアイドルのビビりで苦戦した回と、キュアアイドルの勇気で敵に打ち勝った回のどちらが多いか」
      この一言に、尽きるのではないでしょうか。

                           プリキュア御意見番 名代藤本定義

      • 疲ぃ より:

         ジャック・オ・ランタンの元型は白いカブで、つまり人間の頭蓋骨に見立てていたんですよね。ハロウィンがアメリカに渡って、よく採れるかぼちゃに移っていっただけで。
         うたの言っていることは案外的外れでもなかったりします。

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