問:あなたは自分の力をどう使うのですか?
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暖かな家
マナが巻きこまれたプリキュアのことについて知るべく、さしあたってマナと六花はラビーズを調べることにしますがなかなかうまくいきません。手詰まりなときはとりあえず晩ご飯。マナの家の洋食屋ではいつも賑やかな家族が六花を歓迎してくれます。一方六花の家は両親が忙しく、六花ひとりで過ごすこともしばしば。けれど母親とはマメに連絡を取りあってますし、父親もよくお土産を送ってくれます。ひとりきりだけれど六花の笑顔は曇りません。愛されて育ったマナと六花はお互いの家族を讃えてじゃれあいます。
前回プリキュアのことを打ち明けた流れ からさっそくラビーズを調べはじめるあたり、つくづくドキドキチームは優秀ですね。彼女たちの優秀さは中学校の備品でラビーズの素材を解明するようなトン デモ特殊能力以上に、こういう行動の早さ、的確さ、それから他人の気持ちを汲む聡さに表れていると思います。
六花がプリキュアに変身するエピソードと2つの家族を描くエピソードが平行して描かれますが、順序をならべなおして先に家族のお話の方から。
マナの家族はいかにも愛があふれている感じでステキですね。父親と祖父は喧嘩仲間。けれどどちらも母親には頭が上がらない。ひととおり終わったあとはすぐ笑顔。娘のマナにも、その友達の六花にもよく気を配っていて、子どもたちもそれに負けじと明るくふるまっている。マナのような子が育つのも納得の家族仲です。
愛を配ってまわる幸せの王子、その愛の原資は家族から与えられたものなのでした。
六花の家族は一見するとマナの家族とは対照的です。仕事が忙しくてなかなか帰らない両親。広いけれど静かな家。ですが、それでも六花の表情には寂しさが表れません。なぜなら母親には連絡用の携帯電話を持たされてますし、父親もよく手紙を送ってくれるからです。忙しいなかでも娘を気にかけているのが伝わってきます。棚には父親が送ってくる骨董品がぎっしり。そのほとんどが人や動物をモチーフにした愛嬌のあるものばかりです。写真ではなく骨董品にこだわるのも、ひとりで留守を守る娘への思いやりなのでしょうか。
六花もまたマナと同じく愛に育まれた子なのだと、机の上の家族写真が雄弁に語ります。いやこれ本当にいい写真だ。
「らぶれちゃー?」からはじまるお互いの父親へのヨイショ合戦は、そうした家族からの愛を確信した子どもたちだからこそ成立する遊びですね。もし自分が親を嫌いだったら、あるいは相手が親を嫌いだったら、こんなの喧嘩のもとにしかなりません。なによりそれを理解しあっているマナと六花の関係そのものがまず暖かい。ええい、見ているだけでくすぐったいなあ、いい子たちだなあ。
ドキドキ!プリキュアは家族愛を大きく取りあげます。それは多くの子どもにとって最初に得られる、そして最も大きな愛です。愛の力で戦い、多くの人々の愛を育んでいく今代のプリキュアにとって、これ以上に強力な原資はありません。
プリキュアなんて似合わない
六花を見初めたラケルは彼女をプリキュアに推します。マナも「六花が一緒に戦ってくれたら百人力」と喜びますが、しかし六花は断ります。マナとは違う。私はダメ。自分のことだけで精一杯。結局六花が約束したのは明日の予定だけでした。
ラケルが六花を選んだきっかけは六花が母親に電話をかける姿を見たことでしょうか。描写が少なくてはっきりしませんが、どことなく初恋っぽい様子に見えます。ちょっとした興味から「あ、いいな」がはじまり、気がつけば相手のいいところばかり探してるアレです。あんな感じ。まあ後の回で恋心を描写されるのを知っているからこんなことも語れるんですが。ともあれそうして慕われるだけの魅力が自分に備わっているのにそれを信じられない女の子が、ちょっとだけ自分を好きになるまでが今回の物語。
マナと違ってスポーツ万能じゃない、人前が苦手、ひらひらした服が似合わない。マナほど正義感が強くない、頼られていない。六花はそんな理由を並べてプリキュアを辞退します。ずるいですね。ラケルが言う「頭がいい」や「優しい」の反論になっていません。さらにマナの得意分野を並べることで絶対崩れない予防線まで張っています。
だって、新しい一歩を踏みだすのって怖いじゃないですか。できることならいつまでもお母さんの背中に隠れていたいじゃないですか。いつまでも友達に手を引いていてもらいたいじゃないですか。「私はダメ。自分のことだけで精一杯だもん」 そういうことにしたいじゃないですか。
「そんなことない。六花にはいつも支えてもらっているよ」 ところがマナはそうさせてくれません。なにせ自分の負ったトラブルに散々巻きこんできた実績があります。今だってプリキュアのことで助けられています。スポーツがどうとか人の前に出るのがどうとか、そういう前提条件をつける前から六花はとっくに実績を出していたんです。本当はもう子どもの頃のように母親や友達を必要とする人間ではありません。目の前の友人がそれを保証するだけの大きな信頼を示してくれています。
そんなものを不意にぶつけられたらもう逃げるしかありませんね。「ありがとう」とマナの言葉をお世辞として受け取ったことにしたくても、もう嬉しくて仕方がありません。これ以上ここにいたらプリキュアになることを承諾してしまう流れです。きっと自分にはそれに見合うだけの力がないのに。
その力をどう使うか、それを決めるのは君自身
翌日、マナと六花はラビーズをくれた例の胡散臭くて意味深な言動の目立つ骨董屋さんと再会します。どうやら大貝町に店を構えるようです。六花はラビーズについてあれ
これ問い詰めようとしますが、彼はのらりくらりとかわしてばかり。逆にラビーズを贈られてしまいます。
いったい岡田は当初どんな役回りを当てられる予定だったのか。これでもかとばかりに胡散臭さを漂わせます。マナの手を取って言う「ありがとう」は偽らない本心に思えるので、そう大きく路線変更したわけではない気もしますが。なんにせよ警察を呼ばない六花さんは心が広い。
「私はあなたの思い通りにはなりません」 警戒心を露わにする六花に対し、岡田は「その力をどう使うか、それを決めるのは君自身じゃないかい」と語ります。昨夜のマナとの会話の続きですね。新しい一歩を踏みだすか決めるのは自分自身の意志。マナやラケルに勧められたから、ラビーズを手に入れたからプリキュアになるのではありません。
マナもそうでした。シャルルに頼まれただけでは変身できず、キュアソードを助けるために自分の意志で力を求めたときはじめて変身できました。
ラビーズという力を手に入れました。マナからの信頼という後ろ盾もあります。新しい一歩を踏みだす準備は整い、一方で踏みださないための予防線は決壊しました。あとは自分の意志次第。
・・・ああいや、ところで六花がプリキュアになるべき理由ってなんでしたっけ?彼女自身にはなにか動機がありましたっけ?
その最後の1ピースはジコチューの怪物が運んできます。
人の想いを踏みにじるなんて許せない!
そんな矢先にジコチューの怪物が出現。マナがキュアハートに変身しますが、ヤギ型の怪物から人の想いのこもった手紙を守るために防戦一方。次第に追い詰められてしまいます。そんなキュアハートを助けるため、彼女とともに大切なものを守るため、六花はキュアダイヤモンドへと変身して怪物を浄化します。
「みんなの想いが詰まった手紙を食べさせるわけにはいかないもの」 キュアハートがそこに思い至ったのは六花のエアメールを見つけたから。先ほど六花とともに父親への愛について語りあったからです。彼女はそこから視野を拡張して、六花のものだけではなく全ての手紙に想いが詰まっていることに気付きます。せめて六花の1通だけを守るならジコチューとも戦えるでしょう。なまじ気付いてしまうからこそ両手いっぱいの手紙のような、自分ひとりの手には余る問題を抱えこんでしまうのです。あたかも街中の人々を救うため犠牲となった幸せの王子のように。
ではどうするべきか。
戦いを見ていた六花はマナと過ごした日々を思い返します。「私、マナとずっと一緒だった。マナがいてくれたから毎日が楽しかった、輝いていた」 おどおどと母親の背中に隠れていた気弱な少女は友達に手を引かれ、いつしか生徒会役員になるほどの高みへ手を届かせました。そしてそれは彼女にとって輝かしい日々だと感じられるほど、実は本意にかなった行動だったのです。
「自分のことだけで精一杯」と六花は言いました。しかしそんな自己評価とは裏腹に、彼女はすでに生徒会役員としてマナとともに日々人助けに奮闘しています。もちろん生徒会以外でも。何度も繰り返しますが、彼女には実績があります。そして今語られたように、彼女自身この人助けの日々を好ましく思っています。つまり、六花のこころざしはマナのそれと一致していたのです。
今、目の前でこころざしを同じくする仲間が問題を解決しあぐねています。それはあなた自身の問題でもある、想いのこもった手紙を守るための戦いです。彼女は言いました。「六花と一緒なら今までできなかったようなすごいこともできる気がするんだよね」 さあ、あなたにしかできないことがここにあります。
だから六花は変身しました。
キュアハートを助けるために、ひいては彼女と並び立つ自分の理想を叶えるために。そのための力を自分は持っているのだから。
「英知の光、キュアダイヤモンド!」
「私もマナと一緒なら飛べる、どこまでも高く!」 童話ではツバメは幸せの王子への協力に見返りを求めません。それはきっと、ツバメも幸せの王子と同じ優しい心を持っていたからでしょう。たとえ幸せの王子に頼まれるまで自分で行動を起こさなかったとしても、王子と行動をともにすることを決めたツバメの心に元々愛が宿ってなかったといえるでしょうか。
六花の物語は、はじめマナに手を引かれて立ち上がった彼女が自分の力を自覚して、やがて自分ひとりで飛び立てるようになる物語です。力がないから手を引かれたわけではありません。力を得たから飛び立てるようになるわけでもありません。彼女に必要なのはちょっとした気付き。愛の力は初めから家族によって育まれています。
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