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ドキドキ!プリキュアを観る。第2話

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問:友達を巻きこんでもいいのですか?

緒戦

 みごとキュアハートに変身した相田マナ。そのパワーはきわめて強く、ジコチュー幹部2人と互角に渡り合います。しかし戦いのさなか、キュアソードとジコチューの怪物がタワーから落下。「私を助けるためにその子が命を投げだすと思ったら大間違いよ」ソードの考えとは裏腹に、ハートは落下するソードを追って迷いなく飛び降ります。

 イーラとマーモの立つ瀬がない緒戦。まあよくよく考えるとスイートあたりから(未変身の)幹部が圧倒的な戦闘力を見せること自体なくなっているのですが。近年のプリキュアにとって最大の敵は戦闘力ではなく思想。これが基本。人質を取って「どんな汚いやり方もありなのよ」と演説をぶつマーモに対して憤りではなく哀れみの表情を見せるあたり、思想面でも最初から勝敗が決してる感があるのがまた泣けます。

 キュアソードはキュアハートに助けを求めずひとりで窮地を脱しようとしますが、あと一歩のところで失敗します。これはソードの「私を助けるためにその子が命を投げだすと思ったら大間違いよ」それからもう少し後の「仲間なんて要らない」という発言に対する物語からの批判ですね。
 ドキドキ!プリキュアの物語は愛によって人と人とが繋がることを推奨します。

あなたに届け

 ビルを落下するキュアソードとジコチューの怪物、そしてキュアハート。ハートはソードへ手を伸ばし、辛くも救出しますが、一方でジコチューの怪物は哀れな声をあげながらひとり落ちていきます。怪物の中に救いを求める声を聞いたハートは彼女を救うことを決意。その強い意志が新しい力、マイ・スイートハートとなりジコチューの怪物を浄化します。

 届かない手のひら。一瞬両者の手が画面から消えた直後、キュアハートの手が伸びキュアソードの手を掴みます。「あきらめない、負けない」がモットーの歴代プリキュアのなかでも、キュアハートの自分の力で危機を脱する描写は特徴的ですね。大好きです。ロープを掴んで勢いを殺すシーンとか無茶きわまりないのですが、それだけに彼女の目的のためなら自分にできることを全部やる姿勢がうかがえます。

 変身前からマナはジコチューたちに対して敵対的な姿勢は取っていなかったのですが、怪物に変えられた人の声を聞くことでようやく戦う理由を見出します。ええ、実のところ彼女はここまでジコチューたちと戦う理由を持っていませんでした。どころか実際まだ戦っていません。イーラ&マーモ戦でも回避に徹していました。力づくでどうにかしようとしたのは変身前にキュアソードを助けようとした1回だけです。
 相田マナは徹底した非戦主義者で、“罪を憎んで人を憎まず”の精神の体現者です。喧嘩の仲裁は自分を仲介して両者を友達にすることで解決しますし、暴れるジコチューの怪物に対してはどれだけ攻撃されても説得を試みます。プリキュアに変身したのもキュアソードを助けるためであって、ジコチューたちと戦うためではありません。前話で当初シャルルの頼みで変身しようとして失敗したのも、変身して何をするかの意思に欠けていたからでしょう。こうして改めて書いてみるとバトルものの主人公としてはエラく腰の重い人物像ですね。
 そんなマナ/キュアハートを戦いに赴かせる理由づけとして、ジコチューの怪物は自分の意に反して暴れている、浄化して彼らを救わなければならないという設定が提示されます。なるほど、ここまでしないとこの子戦わないんだなあ・・・。トランプ王国の件やレジーナの親子問題も対話で解決しようとするくらいですしね。ジコチューの怪物への口上「愛をなくした~」と合わせて、「君を信じる。ために戦う」プリキュアの誕生です。

あなたは本当に大切な人を守れるの?

 ジコチューの怪物を浄化後、キュアハートはキュアソードに握手を求めます。ハートはソードをすでに仲間、友達だと思っていますが、ソードの方は違うようです。ソードはひとり暗がりのなかで「仲間なんて要らない」とつぶやきます。

 ↑見出しの問いかけはこの後のシャルルの発言にも通じるものですね。アン王女をはじめ多くの人々失ったキュアソードですからこの言葉はことさらに重いです。仲間を拒絶するのもこれ以上失うことを恐れてですね。彼女は優しいのです。脳天気な様子のキュアハートを不安視するのも無理からぬ話ですね。
 キュアソードの物語は一旦中断。愛を拒絶しようとする彼女の物語はもう少し後の回で改めて語られます。今回はマナと六花の物語が本題。

打ち明けたいこと

 マナのたいへんな一日もようやく終わり。家へ帰る道すがら、六花はマナを幸せの王子になぞらえて「他人の幸せばかり考えて自分を磨り減らしちゃうんだから」と心配します。どうやら四葉ビル展望台に上ったあと何かがあったことを察しているようです。マナは正直にプリキュアに変身したことを打ち明けますが、荒唐無稽すぎて信じてもらえません。

 エレベーターホールに降りたとき、帰り道で幸せの王子の話をされたとき、翌朝六花と出くわしたとき、マナは3度髪をいじります。どういうときにする癖なのかは説明されませんが、察するに何かもどかしい気持ちを我慢したときの癖ってところでしょうか。少なくとも幼馴染みの六花はこれを理解している様子です。

 六花は帰り道でマナに話を促しますが、これは決してマナに隠し事をされた不満からではありません。前置きとして聞かせた幸せの王子の物語のようにマナが自分を磨り減らさないよう、彼女の抱えた厄介ごとを自分も一緒に背負いたいという思いやりです。
 エレベーターホールでのマナは説明に窮して表情が引きつっていました。髪をいじる癖もあり、六花はマナが何かを抱えてしまったことにいち早く察知したのですね。だてに10年ごしのパートナーを自負してはいません。マナも当然のこととしてその好意にこたえようとします。
 ところが今回に限っては抱えた厄介ごとが特殊すぎました。六花はマナのプリキュアの話を信じることができませんでした。「だったら私は白兎のあとを追いかけて世界の真実を暴きに行くわ」気のきいた返しですが、要ははぐらかすのかとマナを非難しているわけです。信頼のすれ違いですね。
 すれ違いなのですが、六花としてはここでいくらかカチンときたのでしょうか、お互い一度頭を冷やしましょうといわんばかりに「続きはまた明日」と話を打ち切った後の真顔が怖いです。マナの家族に向けるときだけ笑顔なのがなんともまた・・・女性はこういうとき器用に表情を使いわけますよね。おっかない。

 六花の反応を見てマナは悩みます。「六花だったら信じてくれると思ったのになあ」マナは無条件・無制限に六花を信頼しているようです。他のクラスメイトの前では話せなかったことも、六花になら話せる。六花ならどんなときでも力になってくれるという絶対的な信頼がありました。ところがそれをプリキュアという信じがたい非日常が邪魔します。
 いっそ六花に打ち明けることをあきらめて自分ひとりの胸の内に締まっておくのも手かもしれませんが・・・。「お前に元気がないとみんな心配になる」さすがプリキュアの親、いいところを突いています。六花がマナに打ち明け話を求めたのは何のためだったでしょうか。エレベーターホールでのマナを見て心配したからです。このまま打ち明けずに我慢していたところで自分の悩みどころか六花の心配すら解消されません。六花だけではありません。目の前の父親だって心配してオムライスをつくってくれたではありませんか。マナは多くの人に愛される子です。もし元気にふるまうことでその愛に答えることができるならば、彼女はできる限りの努力を尽くして元気であり続けようとします。
 すなわち、今やるべきことは六花にプリキュアのことを打ち明けて調子を取り戻すこと。ほかでもない六花のために。
 相田マナというキャラクターはそういった愛の双方向性に自覚的なのです。

打ち明けられないこと

 もう一度話し合うため六花の家を訪れたマナでしたが、それをシャルルたちに阻まれます。プリキュアのことをバラしてしまうと六花をジコチューとの戦いに巻きこんでしまう結果になるからです。秘密を守ることに決めたマナですが、六花のくれる信頼との板挟みに苦しみます。

 このあたりは↑先ほどまでの流れの補強ですね。物語がループしています。秘密を守ることで身の安全を守るという理由づけは一見すると正当性があるように見えますが、これはマナから六花への一方通行な愛の伝達にすぎず、六花が指摘した幸せの王子の物語そのものです。マナは磨り減ってさらに元気をなくし、愛を与えられたはずの六花もいっそう表情を曇らせてしまいます。
 愛を互いに与えあうことで幸せの王子的結末を回避する、というのがドキドキ!プリキュアの核になる物語ですので、こういったエピソードはシリーズを通して繰り返し強調されます。

王子とツバメ

  「六花に隠し事なんてできない」マナが決意を撤回しようとしたところに折り悪くジコチューの怪物が襲いかかります。六花に避難誘導を頼んでひとり立ち向かおうとするマナ。ところが六花はそんなマナに食ってかかります。「私はあなたのツバメにはなれない!?」立花の瞳に強い決意の色を見たマナは彼女に協力を願い出ます。目の前で変身することだってもはやためらいません。ふたりが協力しあうことで無事ジコチューの怪物は浄化され、ふたりの信頼関係も元通りに戻るのでした。

 「この幸せの王子!広場に立ってる王子の銅像には、困ってる人たちに金箔を配るツバメが必要なのよ!私はあなたのツバメにはなれない!?」悲痛な響きを帯びた熱演と相まって実に魅力的なセリフです。“重い”と評されるゆえんでもありますね。マナがプリキュアのことを打ち明けられずにいた最後の一線を、向こう側から踏みこえる殺し文句。
 あなたが自分の身を磨り減らすのをやめないなら私もそれにつきあう。これまでそうしてきたように。それとも今日までの私の手助けは余計なお世話だったとでもいうつもりか。
 六花には自負があります。10年もの実績があります。マナから信頼されているという確信があります。それらすべてを天秤に乗せて、今一度マナの六花への信頼を問うているのです。だってマナが昔から幸せの王子のように人助けをしてきたのならば、それに付きあう六花は今さら確認するまでもなくすでにツバメ役を担っていたはずなのですから。「必要なのよ」というより「必要だったでしょ」、「なれない?」というより「なれていなかった?」六花による重い重い捨て身の体当たり。
 これによって秘密を守ることで六花を守るという一方通行な愛は、10年間の信頼の積み重ねという双方向な愛と対立することになりました。六花お手柄です。どちらかを選べばもう片方は失われる、ならばどちらを選ぶべきかは明白。片方はすでにマナにとっても六花にとっても不幸でしかない。

 そうしてふたりが挑むものは、かたちとしてはジコチューの怪物との戦いですがやっていることはただの人助け。10年の実績があるふたりに対処できないものではありません。六花の助けがなければマナ/キュアハートが敗北していたであろう物語運びは示唆的ですね。あとついでにプリキュアについて改めて説明する手間も省けました。「私も本当のことを言ってくれて嬉しかったよ。ありがとう」ふたりの間のすれ違いも解消されてめでたしめでたし。
 一方通行の愛と双方向の愛の対立、なんてこのアニメの主ターゲット層である幼児には難しいお話かもしれませんが、本当のことを言うのが大切、とだけ押さえておけばおおむね物語のツボは押さえられますね。子ども番組のこういう段階的なテーマの押さえさせ方が私は好きです。

答:離れたところで心配させるより、近くで一緒に考えてくれる方がいい。

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