ドキドキ!プリキュアを観る。第4話

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問:本当にやりたいことはなんですか?

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彼女がこどもだったころ

 ありすがまだ小学生だった頃、彼女はよくイジワルをされていました。男の子に色鉛筆セットを取られて泣きそうになるありす。そこにマナが割って入ります。「よってたかって女子をからかうなんて最低よ!」 イジワルな男の子相手に敢然と立ち向かうマナの姿は、まるでヒーローのようでした。

 ヒーローのように強いマナに憧れたありすの物語。
 ありすはマナのシンパサイザーです。第1話でマナの言いそうなことを想像し行動したように、彼女のなかでマナの言動は生き方の規範となっています。シンパサイザーという意味では六花も該当しますが、六花がマナのそばで直接マナの助けになることを選んだのとは少し異なり、ありすはマナのそばにいなくてもマナと同じ生き方をしていくことを選びました。
 見ようによってはたいへん大人な考え方です。見ようによってはヒーローに憧れる子どものような考え方です。どちらかが優れているという意味ではありません。

プリキュアプロデューサー

 臨時のお茶会に招待されたマナと六花は、主催するありすに真意を問いかけます。ありすは穏やかに答えます。マナたちとはぐれたランスを保護したこと、マナがプリキュアに変身したことを知ったことを。そのうえでありすは自分がプリキュアのプロデューサーになることを申し出ます。折しもジコチューの怪物の気配。マナたちは四葉財閥のバックアップを受けて怪物のもとへ駆けつけます。

 トンデモ大富豪四葉ありす。お金持ちキャラというのは概してファンタジーな存在感を発揮するものですが、そのなかでも四葉財閥のなんでもありっぷりは際立ってますね。
 防犯カメラの映像という夢も情緒もない正体バレ。スクリーンのなかできらびやかに舞うキュアハートの変身バンク。脂汗ダラっダラ垂れ流してそれを見つめる本人。なんたる羞恥プレイ。現代社会はかくもヒーローには生き辛いものか。のちにGO!プリンセスプリキュアのシリーズディレクターを務めることになる田中裕太の演出も冴え渡り、とてつもなく滑稽な画面を醸成します。
 この空気の中で悪びれもせず自分を売り込むありすはビジネスマンの鑑ですね。「私にマナちゃんたちをプロデュースさせてくださいな」 お金持ちキャラは現代に生きるファンタジー。あるいは悪魔。

 トンデモが過ぎる画面にばかり気を引かれて仕方ありませんが、ありすの申し出は要するに前話の六花と同じものです。
 自分にできることでマナの手助けをしたい。たいへん立派な考え方です。実際彼女たちは持てる限りの力を尽くして貢献しようとするのですからなおさら。ラビーズの特性を看破したり行動立案をしたり、あるいはクシャポイしたり車を用意したり。ドキドキ!プリキュアの主人公たちはみんな精神の成熟度が高い。
 けれどプリキュアの物語はそこまでしても満足しません。いつだって誰にだって、常に新しい一歩を期待します。自分にできること?言い換えればそんなの“あなたにならできて当前のこと”でしかない。

こどものためのおとな

 キュアハートとキュアダイヤモンドはジコチューの怪物と戦います。なかなかに手強い相手。はやるランスはありすとともに変身して加勢しようと考えます。「さあありす、僕たちも変身・・・」 ところが当のありすは戦いからはなれて優雅にお茶を飲んでいるのでした。彼女の予想するとおり、キュアハートたちは加勢を必要とせず怪物を浄化できましたが、ランスは納得できません。
 「ありすはどうして戦わないランス?マナも六花も一生懸命戦ってるのにありすだけ後ろでお茶を飲んでるなんて、おかしいでランスよ!」 ランスはありったけの思いをぶつけてありすにプリキュアになるよう求めますが、それでもありすは固辞します。泣いて飛び去るランスと、それを浮かない顔で見つめるありす。

 ありすの行動は合理的です。プロデューサーを自分に任じた彼女のすべきことは、事前事後の情報管理とちょっとした(?)雑務。彼女は自分にできる最大限の貢献をしています。ありすの尽力でマナたちもずいぶん戦いやすくなったはずです。車酔いはしましたが。事実、戦いのあとのマナたちの表情は和やかです。自分にできることをする、任せられることは人に任せる。お仕事の基本。いかにも大人らしい考え方。

 大人な考え方のありすとは反対にランスは一貫して子どもとして描かれています。ひとりで眠りこけて迷子になったり、助けてくれたありすにべったり懐いたり、スクリーンを見ればふらりと近づいたり、地下からせり上がってくる自動車を見ては目を輝かせたり。関係ないですが最後のはもうひとり同類がいましたね。かわいい。
 とりわけ重要なのはランスがありすに懐いている点です。ランスは自動車に轢かれかけ気を失う間際に一瞬ありすの顔を見ています。大人びた少女の、自分を心から心配してくれている表情。まるで母親か年の離れた姉のようで、このときの印象がどうやらそのままランスにとってのありすのイメージに結びついているようにみえます。
 子どもにとって親(あるいは年かさの兄弟)というものは絶対的です。なんでも知っていて、なんでもできて、自分のことをなんでもわかってくれて、いつだって助けてくれる。この人にくっついてさえいれば絶対安心。ある種のヒーローといえるかもしれません。ちょっとした拍子につないでいた手を離してしまい、どうしようもなく不安になった記憶はありませんか?

 「さあありす、僕たちも変身・・・」 それだけに、ランスが行動しようとしたときありすが追従してくれなかったことは彼にとって大きな衝撃でした。ましてありすは戦うことと真逆にのほほんとお茶を飲んでいるのですから。つないでいた手を不意に突き放された心地です。なにもわかってくれない。助けてくれない。
 だからランスはありすに自分のしたいことをわかってもらえるようお願いします。「ありすもプリキュアに変身して一緒に戦うべきでランス」「ありす、僕は君と巡り会うためにこの世界に来たんだランス」「お願いランス。プリキュアになって僕と一緒に戦ってランス」 何度聞いても愛の告白にしか聞こえないですねコレ。それだけランスにとって切実な願いだということです。ただ、言ってしまえばこれは子どものわがままです。前提から全てがランスの都合でしかなく、ありすに事情があるかもしれないことを想像できていません。子どもにとって親とは(それに類する存在とは)それだけ絶対的なものです。なんでもわかってくれて、いつだって助けてくれる・・・はずなのに。

彼女がこどもをやめた日

 ありすの気持ちを理解できないランスにマナたちが心あたりを語ります。ありすが未だ小学生だった頃、マナがやっつけてくれたイジワルな男の子たちが強そうな兄を連れて復讐に来ます。分が悪くても精一杯の虚勢で啖呵を切るマナでしたが、イジワルな男の子たちの悪口によって深く傷つき泣きだします。大切な友達を傷つけられたありすは怒りに我を忘れ、暴力でもってイジワルな男の子たちに仕返しをしてしまいます。ありすは何よりもそんな自分自身を恐れているのでした。

 ありすの物語でありながら、マナにとっても転機となる物語。肝心なその後のエピソードは削られてしまったそうですが、今のマナとは大きく異なる幼いマナの態度から察せられることは多いですね。
 「最低よ!」「恥を知りなさい!」「自分じゃ敵わないからって年上に頼るような卑怯者じゃないもん!」正義感というのは裏を返せば攻撃性です。穿った表現になりますが、それは自分と違う考え方の人をお説教や喧嘩などによる屈服を通して矯正させようとする気持ちです。多くは善意から発する気持ちなので良い結果を生むことが多いですが、同時に自分が大なり小なり相手を傷つけていることに気付かなければ、どこかで手痛いしっぺ返しを食うでしょう。
 男の子たちが兄を連れてまで復讐に挑んだのはそれだけマナが恐ろしいからです。これ以上マナに傷つけられたくないからこそ、兄にしがみついて、必死の表情で、マナを傷つけるための言葉を吐くのです。どちらが正しい、間違っているという尺度はこの際問題ではありません。
 「お前、本当は自分が目立ちたいだけだろ」 それはどうでもいいことです。今も昔もマナは自尊心を満たすためには行動しません。
 「お前、みんなからウザいって言われてるんだからな」 手痛いのはこちら。マナの行動はすべて愛に立脚しています。「困った人がいれば手を差しのべ、ともに未来へ進もうという気持ち」 彼女の名前にはそんな願いが込められています。けれど、善かれと思ってしてきたことが実は誰かを傷つけていたとしたら?「出しゃばりなのはホントだろ」「おせっかい」「目立ちたがり」 現に目の前でそうして傷つけられた被害者たちがシュプレヒコールをあげています。
 幼いマナには変革が必要でした。そうして彼女は、例えば第1話で喧嘩の仲裁をしたとき善悪の裁定ではなく手と手をつなぐことで仲直りをさせたように、誰も傷つけない愛の伝え方を模索していくようになります。現段階でもそれはまだ発展途上なのですが。

 さて、ありすの物語に戻ります。
 マナと同じように、この日ありすも変革を迫られます。マナが傷つけられ涙をこぼしたのを見て、ありすは驚きました。
 男の子にだって敢然と立ち向かっていく強いマナ。いつかの昔は自分の父親にすら打ち勝って本当の願いを叶えてくれたマナ。幼いありすにとってのマナは、先ほどのランスが思うありすの姿と同じ存在でした。絶対的なヒーロー。いつだって自分を守ってくれる人。そんなマナが目の前で泣いている。実はマナは絶対無敵のヒーローなんかではなかったのです。誰かに傷つけられれば泣くことだってある。当たり前のように庇われてばかりでは、当たり前のように矢面に立たせててばかりではいけなかったことを、ありすはこの日思い知ります。
 だから踏みだすはじめの一歩。マナが自分を守ってくれたように、今度は自分がマナを守らなければ。「取り消してください。マナちゃんに対する暴言、今すぐ、取り消してください!」 しかしありすはこの一歩目を踏み外してしまいます。少なくとも彼女はそう考えました。怒りのままに暴力を振るってしまった自分は、愛を振りまくマナに顔向けできないのではないか。
 オフィシャルコンプリートブックのキャラデザインの項によると、なんとこの頃彼女たちはわずか6歳。中学生と思しき巨漢によく勝ったな・・・。アニメに現実を当てはめるのも無粋ですが、本来ならそこまで気に病むことではないように思います。ありすの不幸は幼い身には荷が重すぎる達成目標を抱いてしまったことに尽きます。なにせ本当は憧れのマナですら達成できていなかったことなんですから。現行学習指導要領によると、道徳の学習目標「自分の特徴を知って、悪い所を改めよい所を積極的に伸ばす」「だれに対しても思いやりの心をもち、相手の立場に立って親切にする」はいずれも5・6年生向けの内容です。それをありすはあまりに幼いうちから大きすぎる罪の意識を抱え、わずか14歳までに大人らしい考え方を身につけてしまいます。

こどもとおとなが重なるとき

 ジコチューの怪物が現れたという報告があってもありすは動きません。「現場のことはマナちゃんたちに任せます」 浮かない顔で自分の役割を再確認するばかり。見かねて執事のセバスチャンが進言します。「本当はご一緒に戦いたいのではないのですか」 しかし自分を恐れるありすはそれに応じることができません。そこにランスが乱入します。「プリキュアの力は大切な人を守るためのものランス。それを怖がっちゃダメランス!」 幼い頃祖父に聞かされた言と重なるその言葉に、ありすはプリキュアになる決意を固めます。

 幼い頃の事件以来、ありすはマナたちから一歩引いた位置に立つようになります。どこからが彼女の意志でどこまでが家の事情かはわかりませんが、進学先はひとりだけ別。お茶会も月に1度だけ。不要と判断したらプリキュアの戦いにすら立ち会いません。プリキュアではなくプロデューサーという立場にこだわったのにも、ひょっとしたらそういう引け目が含まれているかもしれませんね。「やはりお嬢様が一番輝いているのはマナ様たちと一緒にいるときだと思います」「ときには素直になられてはいかがですか」 セバスチャンの進言が胸に刺さります。
 ありすが素直な気持ちを抑え込んでいるのはおそらく事実です。セバスチャンの言葉を彼女は肯定も否定もしません。ただ自分が戦えない理由だけを語ります。プリキュアになるための理由が複数必要なのは前回の六花と同じですね。怪物を浄化する理由が必要だったマナも含め、つくづく中学生らしからぬ難儀な子たちです。そこがステキなのですが。

 セバスチャンによる進言を経て、最後にありすが必要とする言葉はランスと祖父、ふたりによってもたらされます。
 ランスは言います。「プリキュアの力は大切な人を守るためのものランス。それを怖がっちゃダメランス!」 そして記憶の中の祖父も同じことを言います。「お前が拳を振るったのは何のためだ?力は己の愛する者を守るためのもの。それを忘れなければ二度と力に飲まれることはない」 ・・・真面目なシーンですが、どこの少年漫画だコレ。
 年齢不相応に大人びてしまったありすに対して、大人と子ども両方の視点から同じ言葉が投げかけられます。だいたいが本当は自分でやりたいことをやらずに我慢するってこと自体、それほど大人らしい考え方ではないと思うんですよね。もちろんできること、できないことは誰にでもあります。そのために仕事を任せたり任されたりと組織化するんです。けれど、大人って案外成長できる余地が残ってるんですよね。というか案外成長することを要求される。できないことをやれるようになれって言われる。大人は子どもの頃思っていたほど子どもと違わない。書いてて胸が痛くなってきました。とにかく。だから子どもも大人も同じことを言います。やりたいことがあるならやればいいじゃん、と。おや、なんだかジコチューちっく。
 けれどありすが踏みとどまっていた理由はそのくらい子どもにとっても大人にとってもどうでもいいこと。だって何が問題かわかっているんでしょう?それなら変わればいいだけですよ。“あなたにならできて当然のこと”の先へと進む一歩はいつだって挑戦できます。何度だって挑戦できます。はじめの一歩でつまづいたくらいで何ですか。
 つまるところ、プリキュアになることを自制してプロデューサーの位置に納まることは大人でも何でもありません。ありすのしたことは自分の素直な気持ちを大人ぶった理由づけで覆い隠しただけです。六花と同じく本当に必要なものははじめからありすの中に揃っていました。あとはランスの素直な気持ちに当てられて一歩踏みだすだけ。

 ところで回想で咲いていた花はヒルガオでしょうか。ピンクのヒルガオの花言葉は「思慮深く柔らかな愛によって支えられた価値」。今日あなたの得たものが、あなたの賢さと優しさとによって永く守られますように。
 ええ、もちろんこの先のありすの活躍を知っていてカッコつけましたとも。

答:友達の隣で、友達を守りたい。

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