映画 プリキュアオールスターズ みんなで歌う♪奇跡の魔法! 観て来ました。

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このブログはあなたが視聴済みであることを前提に、割と躊躇なくネタバレします。

 テレビシリーズと違ってまだ何周も見ているわけではないので、見落としや理解の甘い部分があるかもしれません。

雑感

 ああ、楽しかった!

 緻密に織り込まれた非常に密度の高い映画でした。主人公たる魔法つかいプリキュア!のふたりの成長、魔女ソルシエール(フランス語でそのまんま女性魔術師ですね)の苦悩と再生、そしてプリキュアのアクション。よくもまあこれだけの内容を70分に納めきったものです。
 特に楽曲の凝りようは素晴らしかったですね。歌曲はもちろん、シリーズの変身や戦闘のBGMひとつひとつがアレンジされ、ときにメドレーまで。そりゃこれだけの作業量ならテレビシリーズ序盤までは手が回らないってものです。お疲れ様でした。
 アクションでは特にドキドキ!プリキュアチームが良い動きをしていましたね。今回特に活躍したドキドキ、ハピネスチャージ、プリンセス、魔法つかいのなかで最も役割分担が明確なチームだということもあり、お互いに声を掛け合っての連携戦闘が小気味よかったです。彼女たちならではのクレバーな戦い方も健在。それにしてもハートダイナマイトは使うたび毎回効果が変わりますね。
 ほかにハピネスチャージチームはラブリービームを筆頭に射撃技の雨あられで砲台と化してましたし、プリンセスチームも相変わらずタナカリオン演出的なノーバンク技の巧みさが光っていました。魔法つかいチームは後述するように成長要素を演じる都合もあって、努力と絆の尊さをこれでもかと証明していきました。
 例年オールスターズ映画の物語は成長したプリキュアが悪者を倒す、あるいはゲストの成長を手助けするといった文脈で描かれてきましたが、今作は新人プリキュアの成長が大きなテーマのひとつに置かれています。そのためテレビシリーズのテーマが例年以上に色濃く表れており、どちらかというと秋の単独映画に近い構成となっています。そのうえでミュージカルやってオールスターズ動かして、とやってるんですからとんでもない。繰り返しますがコレほんとよく70分で納めましたね。プロの調整力を垣間見ました。

あなたはどうして戦うの?

 敵の集中攻撃を受けて戦う意志を折られてしまったキュアマジカルに、キュアエコーがプリキュアになった理由を問いかけます。マジカルは魔法をうまく使えない現実から脱出するためにリンクルストーンを求めました。彼女がプリキュアとして戦う動機は過去にあります。
 同じく屈しかけたミラクルは、立ち上がって他のプリキュアたちを助けることをルルンから懇願されます。ミラクルがプリキュアとして戦う理由は今のところ、マジカルの助けになりたいからです。夢を持たない彼女は、明確な夢を持つ友達に憧れ、やがて自分も未来の夢を持つことを望んでいます。
 エコーもルルンも彼女たちが戦う理由を知ろうとはしません。それはあくまでミラクルたちの戦いです。オールプリキュアの願いは別にあります。すなわち、お花見すること。みんなの日常を守ることです。この映画の物語はあくまで魔法つかいプリキュア!たちの戦い。ある意味で明確に線を引きます。けれどお花見メンバーにはミラクルとマジカルも含まれるのですから、めいっぱい手伝う理由はなくなりません。
 エコーたちの問いかけによって自分の戦う理由を再確認したミラクルとマジカルは、だから自分たちの足で自分たちの戦いの舞台へ駆け出します。ひとつの歌を歌いながら。遠く離れた手と手を取り合って。性格真逆でありながら心をひとつにする彼女たちは「離れていても離れはしない」。この映画において彼女たちが一人前のプリキュアとなった瞬間です。

誰が助けを求めているの?

 どこかもの悲しい歌を歌う、幻の女の子。プリキュアたちは彼女がミラクルたちを待っているといいます。歌声を辿り追いかけてみると、果たしてその先には魔女ソルシエールが立っていました。幻の女の子の正体はソルシエールの幼いころの思い出。けれどソルシエールにとって歌は苦い記憶でしかないといいます。自分を認めてくれなかった大嫌いな師匠を思い出して胸が苦しくなると。
 では、どうして思い出の彼女はミラクルたちをソルシエールのもとへ導いたのでしょうか。その歌は本当に苦い記憶?師匠のことは本当に嫌い?ミラクルたちは半ば確信を持って問いかけます。だって、彼女の歌う歌を口ずさむと元気が湧いてくるから。ミラクルたちには思い出の女の子が苦い記憶だとは到底思えません。思い出して。思い出して。もし迷子になってもつないだ手のひらが助けてあげる、と歌ったその人はどんな表情で歌い聞かせてくれた?
 結局助けを求めていたのはソルシエール自身でした、というお話ですよ。憎い女を蘇らせて胸の中に凝り固まったものを浴びせてやる、なんて言い訳。最高の魔法を教えてくれなかったから嫌い、なんて嘘っぱち。彼女が本当に欲しかったものはきっと、愛情の証だったのでしょうね。

この世にいない人と手をつなぐには

 手をつなぐことをテーマに物語を紡ぐ魔法つかいプリキュア。けれどソルシエールの大切に思っていた人はすでに亡くなっています。手をつなぎたくてもつなぐことができません。ミラクルたちの歌によって悪感情から解放されたのに、結局ソルシエールが本当に求めていたものは手に入らずじまい。手と手をつなぐことで生まれる奇跡の魔法も、手を繋げない人までは救うことができないのでしょうか。

 いいえ。そんなことはありません。

 辛い戦いの中、ミラクルとマジカルは手を取り合ってソルシエールの思い出の歌を歌います。その歌を歌うと元気が湧いてくるから。それはどうしてでしたか? 歌を歌った思い出が、苦い記憶ではなかったからです。ソルシエールがその歌を、その歌を教えてくれた大切な人を愛していたからです。そしてその大切な人は、どんな表情であなたに歌を歌い聞かせてくれましたか?愛おしげに、あなたを慈しむように歌っていたではありませんか。
 人は死んでしまった人に会うことはできません。どんなに惜しみ、悔やんでいても二度と会うことはできません。・・・いいえ。大切な人はいつまでもあなたの思い出の中に生き続けます。あなたがその人を大切に思っている限り、絆が断たれることはないでしょう。
 思い出の歌を通じて、ソルシエールは今ようやく師匠の愛を受け取ることができました。たとえ実際に手をつなぐことが叶わないとしても、思い出が人と人をつないでくれます。つなげない手なんて本当はありません。
 だからこそ、ソルシエールと師匠をつないだ思い出の歌は奇跡の魔法となりえるのです。ミラクルとマジカルが証明してみせたように、誰かの暖かな絆は他の人にまで力を与えてくれますから。仲の良い親子を見ているとこちらまで幸せになってしまうとか、そういう素朴な感情の力です。ソルシエールのふたつに割れた心は、ふたつの心をつなぐ絆に生まれ変わりました。絆が奇跡の魔法であるのならば、その作用は自ずと決まっています。すなわち、万難を排してハッピーエンドへたどり着くこと。トラウマなんてやっつけて、みんなでお花見に行きましょう。これからもどんどんたくさんの人と絆をつないで、みんなで幸せな毎日を過ごしましょう。

 11年前、初代プリキュアは平和な毎日を守るために戦いました。その後たくさんのプリキュアがそれぞれに本当にたくさんの物語を紡いできましたが、その「平和な毎日を守る」精神は一貫してきました。
 43人目と44人目のプリキュアも平和な毎日を守るために戦っています。今年は、手と手をつなぐ、絆の力を武器として。

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