魔法つかいプリキュア!第11話感想 叶わない夢、叶えたい希望。

モフルンには無理モフ。はーちゃんにはもっと無理モフ・・・。

魔法つかいプリキュア! おしゃべり変身モフルン

(主観的)あらすじ

 校長や教頭、それからみらいの母親。大人たちの計らいによって、みらいとリコは同じ家に住み、同じ学校に通えるようになりました。みらいとリコの、ナシマホウ界でのワクワクする毎日がはじまります。
 一方モフルン。ただのぬいぐるみだった頃からみらいに語り聞かされ憧れていた、みらいの学校に、モフルンだけは通うことができません。ナシマホウ界の人に魔法を知られてはいけないからです。それでも諦めきれないモフルンははーちゃんといっしょにみらいのカバンに隠れて、学校についていきました。憧れの学校はみらいに聞かされていたとおり、友達がたくさんいて楽しいところでした。
 ところがそこに現れるリンクルストーン・トパーズとガメッツ。トパーズは守らなければいけないけれど、モフルンにそのための力はなく、みらいたちを頼ることもできません。モフルンは勇気を振り絞ってトパーズのもとへ突進します。あえなく捕まってしまいますが、それでもトパーズだけは絶対に手放しません。その心にトパーズが応え、はーちゃんが呼んできたみらいたちにプリキュアの新たな力を与えます。
 ガメッツを撃退したみらいとリコはモフルンたちに事情を聞きます。けれどモフルンはしょんぼりと謝るばかり。彼の気持ちを代弁するため、はーちゃんは言葉がしゃべれるように成長します。「モフルンはひとりで頑張ったの。ふたりの学校、邪魔しないように。でも、やっぱりモフルンもはーちゃんもふたりと一緒がいいの。学校は一緒がいいの」 その気持ちが伝わったみらいたちは、明日からもモフルンたちを学校へ連れて行くことを約束します。

 シリーズ恒例の妖精回。それでいてテーマ的におそらくとても重要なエピソードですね。手をつなぐことをテーマに掲げる今作はたくさんの人の思い、たくさんの人のつながりかたを描いていくのだろうと思います。例えば、誰よりも身近で、それ故にその本心を伝えられずにいる心優しい隣人とか。
 あざといだろう、あざといだろうと予想されていた黄色枠は期待通りあざとかったですね。キャンディ飛び交う万華鏡の世界。コンコン、パカッのリズムで現れるプリン。正面に突き出される指先。サファイアに引き続き2枠目の笑顔変身。あざとさは作画枚数以外でも表現できるといわんばかりの盛り合わせ。ちなみにあざといという言葉を褒め言葉としてネット上に定着させたのはキュアレモネードだとか。・・・それにしても変身はバレエモチーフ、必殺技はテニスモチーフって初期のはるかみたいな組み合わせですね。

叶う夢、叶わない夢

 もしもなんでも願いが叶うなら、ぬいぐるみが願うことはなんでしょうか。それはきっと持ち主とおしゃべりすること、自分の足で駆けまわること、それから冒険すること。児童向けのフィクションでは元来そのように描かれてきました。それはぬいぐるみに空想上の人格を与えて話しかける子どもたちにとっての願望であり、両親の思い出話に夢ふくらませる子どもたちにとっての憧憬なのでしょう。もしもなんでも願いが叶うなら。私たちの空想上の友達はきっと私を好きでいてくれるし、私と同じ思いを共有してくれる。言ってしまえばぬいぐるみの願いとは、未だ自分ひとりで何もかもができるわけではない子どもたちが仮託する、彼ら自身の願いです。
 モフルンはみらいとおしゃべりする夢を叶えました。駆けまわる夢、それも今回よく見知ったみらいの部屋を駆けることでこのうえなく叶えました。それらは大好きな友達と自由に動かせる身体があればほぼ何の苦労もなく達成されるものです。なにせ視聴者たる子どもたち自身がそうですから。
 けれどみらいが楽しそうに通っている学校に行く夢、それだけは叶いません。子どもが両親の思い出の場所にひとりで行くことができないように、子どもたちの世界には自分の力だけではどうしようもないことが存在します。

  ・・・いえまあ大人にとってもそうなんですけどね。子どもたちが知らないだけで。けれど学校に編入させる手続きとか、居候をひとり養うとか、そういったことの困難なんて子どもは知りません。それは大人の世界の話。子どもの世界ではそれらがもたらす幸福は何の苦労もなく享受できるものであり、また大人からしても子どもにとって何の苦労もなしに与えてあげたいものです。

 しかし学校に行きたいというモフルンの夢は、そういった何の苦労もなしに得られる類いのものではありませんでした。魔法がバレてはみらいたちに迷惑をかけてしまいますし、そもそもみらいたちにモフルンのその夢が伝わっていません。けれどモフルンはどうしても自分の夢を叶えたいので、自分の力だけでどうにかできる方法で夢を叶えようとするわけです。みらいのカバンに隠れて学校へ行く。
 ですがそのやり方ははっきりと間違っています。自分ひとりの力にみえて、その実みらいたちに大きな心配をかけてしまいますから。

希望するために

 憧れていた学校は実際楽しいところかもしれません。けれどそこは夢の世界ではありません。現実です。ままならない現実だから、そこにはモフルンが想像していたような楽しいことばかりでなく、どうしようもない困難だってあるのです。リンクルストーンという使命、ガメッツという敵。悪いことをした罰ですらなく、ただ理不尽に巻きこまれる不幸。
 「モフルンには無理モフ。はーちゃんにはもっと無理モフ・・・」 ええ、モフルンにはどうすることもできません。けれどリンクルストーンは守らなければいけません。はーちゃんも守らなければいけません。みらいとリコの生活を守ろうと思うなら、彼女たちの助けを頼ることすらできません。できないけれどやらなくてはいけないことが目の前にあります。理不尽なことに。さてどうするべきでしょうか。
 「モフー!」 やるしかありませんね。リンクルストーンを守ること、はーちゃんを守ること、みらいとリコを守ること、それらすべてをモフルン自身が希望しているのですから。それらを守りたいならやらないわけにはいきません。自分ひとりの夢なら叶うまで待ち続けることもできますが、ままならない現実のなかで希望を叶えるためには今やるしかありません。

 前作GO!プリンセスプリキュアは夢がもたらす個人の強さをテーマとして扱いましたが、今回モフルンが自分を奮い立たせたものはよりか細く、シビアなもの。責任とか覚悟とか呼ばれるものですね。ネガティブな印象をもたれがちな言葉ですが、これらの言葉の裏にはいつだって何かを守りたいという自分自身の希望があります。手をつなぐ、関係性の物語とは切っても切り離せない言葉だと思います。はるか達が守った夢とはまた少し違って、それらはより現実というままならないものに根ざした、理不尽に晒されやすいものですから。能動的に守らなければいけません。

叶える力

 はーちゃんもまた、モフルンと同じに成長していますね。リンクルストーンを守りたい気持ちは同じ。モフルンを守りたい気持ちもお互いに同じ。できないけれどやらなくてはいけない状況下で、できることを最大限にやる強い責任感と覚悟を感じました。モフルンと少し違うのは彼女がモフルン以上に幼いためにみらいたちの助けをどうしても必要としたことですね。未熟な羽で懸命に飛んだのはみらいたちに助けを求めるため。誰かに見つかる危険性を顧みない行動は幼さゆえですが、結果としてモフルンにはできなかったことでモフルンを助けました。
 特に意味の大きかった部分はラスト、みらいたちに付いてきた理由を問われたシーン。モフルンは自分が悪いことをしたという自覚があるので言い訳せず反省しましたが、それでは本当の気持ちはみらいたちに伝わりません。非建設的です。はーちゃんが自身を成長させてまで言葉でモフルンの気持ちを代弁したのは彼女の幼さゆえの行動ですが、この場においてはそれが正解です。

 きっかけを得られなかったとはいえ、それでもモフルンはカバンに隠れる前に何度でもみらいたちに相談すべきでした。子どもにはできないことがたくさんあります。自力では叶えられない夢もたくさんあります。けれど、それを叶えられる人はそばにいるのです。できる人の力を借りられる、支えあってみんなでみんなの希望を叶えられる。それこそが絆の力。
 自分を信じられずにいたリコがみらいを通じて自信を取り戻したように、知らない世界でもリコがいたから自分らしくいられたみらいのように、モフルンだってもっと素直にみらいたちを頼ってもよかったのです。だって彼らはいつも3人で手をつなぎあっているのですから。

 できないけれどやらなくてはいけないときというのはどうしてもあります。そのときは自分の希望を守るために自分の力でできる限りのことをしましょう。けれどそうでないなら。そのときは手をつないだ友達に頼ってみましょう。「趣味バラバラ、ノリちぐはぐ、性格真逆」 お互いに違う人間なのですから、きっとできることも少しずつ違うでしょう。

 トパーズの石言葉は「希望」「豊穣」「誠実」など。そしてその名前はギリシャ語の「探し求める」に由来するといわれています。みらいやリコ、モフルンにはーちゃん、それから闇の魔法使いの皆様お疲れ様でした。
 どうかみんなの希望が叶う、実り豊かな未来が訪れますように。

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