魔法つかいプリキュア!第13話感想 あなたの幸せはあなたのそばにある。

ありがとう。でもこれはみらいのものよ。私も自分で探してみる。

魔法つかいプリキュア! リンクルスマホン

(主観的)あらすじ

 友達を連れてバーベキューへ出かけるリコとみらい。校長先生の手紙を持ってきたリズ先生も参加します。みらいはクローバー畑を見つけて四つ葉のクローバー探し。どれも魔法や家電を使った方が簡単なのに・・・リコの疑問にみらいの父親が答えます。「我々は便利な道具を使って生活をしている。だが、それをあえて使わないことで、普段の暮らしがいかに恵まれて幸せなのかわかるんだよ」 たしかに、自分たちの手でつくったご飯はとても幸せな味がしました。
 魔法や家電や、いろんなものの力を借りずに自分の手で幸せを探してみようと、リコも四つ葉のクローバーを探しはじめます。するとそこには光り輝く四つ葉のクローバーがありました。それは草のリンクルストーン・ペリドット。探してみれば、幸せはすぐそばにあったのでした。なにせリコは世界からの祝福を授かっているのですから。

 バーベキュー回。つまりはようやく魔法が使えるようになったリコに対して、あえて一旦便利なものを使わないでみせるエピソード。どうしてそんなことをする必要があるのかといえば、それは彼女が魔法に対してコンプレックスを持っていたからですね。魔法のある世界、科学がある世界。真逆な世界だけれど、どちらにも変わらない人の温かさがありました。それと同じこと。魔法がないとき、科学がないとき、それでも幸せはいつだってすぐそばにあるんです。肝心なのは見方を変えること。
 毎回ドタバタしているばかりに見えて、実は魔法つかいプリキュアの物語はひと連なりに連続しています。

 ところでタマネギを縦に刺して焼くのはあまりに無謀だと思います、リズ先生。

手の届かない幸せ

 正直なところ見逃していました。補習を乗り越えて魔法を使えるようになったところで、実のところリコの劣等感はまだ解消されていませんでした。魔法が使えるようになったといってもリコにとってはようやく少し遅れを取り戻しただけ。リズと並び、そして越える立派な魔法つかいになるリコの夢は未だはるか遠くにあります。彼女は未だスタート地点に立ったばかり。前回魔法界代表の肩書きを自分に課したのも、未だ心の奥でくすぶっている劣等感が根底にあったのですね。
 リコは自尊心の強い子です。だって彼女は自分のことを好きではないから。矛盾しているようですが実際そういうものです。より良い自分を求めているからこそ、自分で自分に虚勢を張るし、大きな夢を望むのです。
 もちろん悪いことではありません。みらいが尊敬しているように、彼女のそのあり方は自分自身を大きく成長させるきっかけとなる、善いものですから。そんなことを前回もエラそうに語りましたね私。

 問題はリコがあまりに身の回りの幸せに気づけないでいることですね。リンクルストーンを集めるというのは立派な役目で、立派な魔法つかいになるという彼女の夢にもつながることかもしれません。もしそれを叶えたら彼女は幸せになれるかもしれません。
 けれど、一度立ち止まってはーちゃんを見てください。あんなに楽しそうにクローバー畑で遊んでいたではありませんか。クローバー畑で楽しく遊ぶことだって幸せなことのはずです。それを打ち切って山の上へリンクルストーンを探しに行くことは、ひとつの幸せを捨てることに他なりません。「お花ー・・・」と名残惜しそうなはーちゃんにとってだけではなく、きっとそれはリコ自身にとっても。

目に見えない幸せ

 けれど困ったことに、幸せというのは往々にして目に見えなくなるものです。というか、その多くが目に見えないからこそ、見える幸せばかりを追い続けてしまうのですね。
 リコのように遠くの幸せばかり追いかける人にとって、バーベキューのような便利なものを使わず必要以上に手間をかける行為は歯がゆく見えるものでしょう。幸せを追いかけずその場でムダに足踏みするようなものですからね。

 けれどリコは勘違いをしています。そもそもバーベキューというのは遊びです。自分の手で手間暇かけること自体が遊びになるんです。こうやって毎週貴重な日曜日を潰して、何時間もかけて感想を書くのだってもちろん遊びです。
 遊びはムダですか?いいえ、遊びというのは幸せを得る行為です。今ある自分のあり方を幸せに変換することです。例えばマンガやゲームが手元にあったとしても、それ自体は何も楽しくありません。マンガを読む、ゲームをプレイする、そしてその行為を楽しいと感じる。そうして初めてマンガやゲームは遊びになるのです。
 「我々は便利な道具を使って生活をしている。だが、それをあえて使わないことで、普段の暮らしがいかに恵まれて幸せなのかわかるんだよ」 みらいの父親が言っているのはそういうことです。私たちは今、幸せの中にいます。世の中には私の想像の及ばない困難に晒されている人々もいるでしょうが、それでも断言します。すべての人のそばに幸せは必ずあります。けれどその幸せの多くは目に見えません。自分で発見しなければならないのです。
 その幸せを見つける手段のひとつが、例えば遊びなんです。バーベキューを通して豊かな生活の中の幸せを見つけたり、マンガを読むこと、ゲームをプレイすることでそれらを持っていることの幸せを見つけたり、あるいはブログに感想を書くことでアニメをより深く読み込んだり自分を見つめ直したりする幸せを見つけたり。
 つまりは今の自分の周りについて「見方を変える」こと。迷子のみらいが星空のキラキラを見つけたように、今の自分の「見方を変える」ことで今の自分を幸せにすることができるのです。なにも遠くの幸せを追い続けることばかりが幸せへの道ではありません。「見方を変えれば」あなたはすでに幸せです。

 幸せかそうでないかは見方次第。であれば他人に聞いたって何があなたにとっての幸せか教えてくれるものではありません。豊かな生活もキラキラの星空も、見方を変える前からそこにあったわけですしね。小鳥や落ち葉や森の木々に聞いたって、他人の四つ葉のクローバーをもらったって、何が自分にとっての幸せかなんてわかりっこありません。
 「みらいと一緒に頑張って探したら、見つかったときにとっても幸せな気持ちになれると思うの」 なんて彼女たち以外の誰が教えられるものでしょうか。

そばにある幸せ

 ペリドットは俗にイブニング・エメラルドとも呼ばれる石。独特の屈折率を持つこの石は薄暗がりの中でもよく輝きます。だからパワーストーンとしての効能は夜闇のような恐ろしいものを払いのけ、太陽のような希望を示してくれるというもの。たとえあなたの周りが闇のように見えたとしても、希望は必ずすぐそばにあります。あなたがそれを探し求めるならば。だから、あなたは絶対に幸せです。

 まして子どもならなおさら。みらいやリコが特別な杖を授かったように、全ての子どもは世界に愛されています。愛されるべきです。子どもというだけで誰もが祝福し、子どもというだけで多くの幸せを与えられ、子どもというだけで無条件に応援されるのが優しい世界というものです。
 だって彼らはきっと我々よりも世の中を良くしてくれるでしょうから。きっと我々も親たちにそういう願いを託されたでしょうから。だから、子どもたちはみんな特別です。人一倍幸せになる権利があります。

 四葉のクローバーの花言葉は「幸運」。ラッキーアイテムとしてあまりに有名なので、花とは別に葉にも花言葉が託されています。
 ちなみに花としての花言葉は「私を思って」。リコは自分がいかに周りから愛されているかを自覚しなければいけません。もっとも、今回でそれは今度こそ達成されたように見えますが。

今週の魔法文字

校長先生の手紙:「MIRDORITOMUZUNI KAKOMARETA KIYORAKANATHI.SOKONIKOUWO YADOSESHI KAGAYAKIARI.SOUOTHUGEGADETA.MOSHIKOKOROATARIGA-」

 もちろんリコが音読したとおりの内容です。相変わらず妙な綴りミスはありますが、初期に比べて少しずつ正確になってきている印象ですね。ただ「幸せ」を「KOU」と書いてしまうのはいくらなんでも痛恨の失態。

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