あのときだって・・・! 死んじゃうかと思った。
(主観的)あらすじ
朝。ココナは何ごともなかったかのように自分の部屋で目覚めました。ところが当たり前のようにまたパピカが現れ、懲りずにピュアイリュージョンの冒険に誘ってきます。あんな危ない冒険はもうたくさん。なのにパピカは転校生になって追いかけてくるし、学校についてきてしまったペットのユクスキュルは逃げちゃうしで、ココナの学校生活はしっちゃかめっちゃかです。
ユクスキュルを追いかけて迷い込んだピュアイリュージョンは認識がかたちを決める不思議な世界。ココナは危なっかしいパピカから離れてひとりでユクスキュルを探しますが、ふとした拍子からたちまち生命の危機に陥ります。
パピカは必死にココナを助けようとしますが、傷つくココナの姿を見せられるばかりで、どうしても手が届きません。今になってようやくココナが冒険を嫌がっていた気持ちがよくわかります。ココナを助けたい。その純粋な願いがパピカを変身させたことで、ふたりは無事に現実へと帰ることができました。
象徴と空想が彩る物語、今夜の夢は第四夜。あわや母親の臍の奥に回帰しかけたところから、再び外の世界へと旅立つ冒険譚。
明らかに意味を持たせて配置してある草花やら光やら影やら、逐一拾おうとしましたが諦めました。多すぎて無理。そういうのはきっとどこかでデキるオタクがやってくれるはず。普通に観ていて気付いたところだけ拾うことにします。幸い話のスジはド王道で、細かいことまで気にしなくても楽しめる構造ですしね。
細かいことといえば前回Cパートの引きは「ココナ大丈夫だった? ヤツらに変なことされなかった?」の一言で片付けられましたね。必要になるときまで情報は小出しに。その無理矢理なユーザーフレンドリィがステキ。
きょうのわんことどようびのにゃんこ
パピカはココナが大好きです。何でそんなに大好きなのかってくらい大好きです。そこらへんは後々説明されるかもしれませんし、されないかもしれません。でもとにかく大好きです。この子やたらと犬っぽい。
ココナにとってはその熱烈な好意が救いになります。だって誰かの瞳を通して観察した「私」は、きっと何かしらの明確なかたちになっているはずだから。ココナは進路を決めることができずにいます。進路を決めるための夢もありません。自分が何になりたいのかわかりません。そんな不定型な「私」を、他人の視点はきっと明確に規定してくれます。特に好意を持ってくれている人ならなおさら、ひときわステキな「私」を見つけてくれていることでしょう。
あれですよ。「私のどんなところが好き?」「私のいいところって何?」「私って何に向いていると思う?」 よく面接練習の時期なんかにいろんな友達に聞いて回る自分探しアンケート。
「どこがいいかな・・・。ううん」 ココナは生真面目なのでお婆ちゃんにすらそれを頼れずにいますが、実際のところ自分ひとりの力では八方塞がりです。ハタから見ている分にはもっと周りを頼ってもいいのにな、と思わないでもないですが、どうやら何かしらのプライドが邪魔して素直に弱音を吐けない様子。若さですな。
「また一緒に探しに行こ」「ひとりじゃ行けないよ」「でもやっと見つけたんだよ」「ココナは私が見つけたの」「ココナのこと絶対離さない」 これだけ求められたらもうたまりませんね。外付け自己肯定感MAX。私はきっと誰よりもスペシャルな「私」に違いない! ボーイミーツガールなら早くも両思い確定で物語が終わってた。ガールミーツガールでよかった。
パピカがあまりにも気安くプライドの壁をぶち破って好意を伝えに来るものだから、ココナは耐えかねて逃げ回ります。逃げて逃げて、やっと絶対安全な保健室という結界にたどり着きますが、追いかけられないのも寂しいもの。だって本当は求められて嬉しいんだし。なんとなくテンションだだ下がりで、なんとなくすぐさま結界から這い出します。お前は猫か。ここまで露骨だとヤヤカじゃなくても嫉妬するってもんです。
そんなわけで、今回のピュアイリュージョンは素直になれない子の天敵です。是が非でも素直になっていただきましょうという性格の悪い善意がほとばしります。
地獄の門=サイクロンクリーナー
この門をくぐるものは一切の希望を捨てよ。門の向こうで恥をかかずに済むと思うな。『考える人』は地獄の門の上に腰掛ける詩人を形取った彫像です。
今回のピュアイリュージョンは己の認識が全てを形づくる世界です。極彩色の混沌のるつぼは、どれだけ目をこらそうが呼びかけようが、決して向こうから正体を明らかにしてはくれません。モウセンゴケっぽい牛のよだれとか、ビンに見せかけたジャムクッキーとか、ははは、なんだそれ。
だからせっかくパピカの気配を見つけても、あなたがそれをパピカだと確信しなければパピカの形になりません。わけわかんないやつ、なんてあやふやな認識はあなたにとっても本意じゃないでしょう? 嫌ならプライドの壁をかなぐり捨てて、触ったりニオイを嗅いだりしてディテールを確定させましょう。あの恥ずかしいったらありゃしないパピカとおんなじことをしましょう。あの子はあなたにとってどんな子でしたか?
どうでもいいですがその文脈からすると、脳みそ剥き出しな姿のブーちゃんはやっぱりそのイメージが一番強烈だったんですね。ユクスキュルはココナにとっての何なんだ。
今になる、蛇になる、きっとなる、笛が鳴る、
すると神さんが、
「御爺さんの家はどこかね」と聞いた。爺さんは長い息を途中で切って、
「臍の奥だよ」と云った。神さんは手を細い帯の間に突込んだまま、
「どこへ行くかね」とまた聞いた。すると爺さんが、また茶碗のような大きなもので熱い酒をぐいと飲んで前のような息をふうと吹いて、
「あっちへ行くよ」と云った。
「真直かい」と神さんが聞いた時、ふうと吹いた息が、障子を通り越して柳の下を抜けて、河原の方へ真直に行った。
スタッフロールの並びからすると実はこちらこそが主人公らしいパピカさん。
ニオイ嗅がせたり固いもの噛ませたりしてひとしきりココナのプライドもへし折り終わったので、少しくらいはこの子の物語も進めましょう。
パピカはココナがピュアイリュージョンの冒険を嫌がる理由を理解できませんでした。見るからに精神的に幼いですからね。サリー・アン課題でよく知られるように、幼児はしばしば自分の思いと他人の思いを混同してしまいます。自分が冒険したいのだから、ココナだって本当は冒険したいに違いない。その思い込みが先にあるものだから、ココナが嫌がってる理由なんてさっぱりわかりません。
それを知るためには口で説明されるだけではダメで、自分も体験する必要がありました。共感でもってココナが抱いていた思いのディテールを獲得するのです。子どもはそうやってひとつずつ感情のバリエーションを豊かにしていくものです。
パピカの目の前でココナが傷ついていきます。まるで前回のパピカをなぞるように。
パピカの目の前でココナが燃えたぎる海に沈んでいきます。まるで前回のパピカをなぞるように。
パピカにはそれを止めることができません。まるで前回のココナのように。無力感に打ちひしがれます。ココナのように。
「あなたといるとこんなことばっかり」「あのときだって・・・! 死んじゃうかと思った」 ココナが浮かべた涙の意味を、ココナと同じことを追体験してようやく、パピカは悟ります。涙を浮かべながら。
ここまでシンクロするなら、願いごとだってあのときのココナと同じに叶ってもいいですよね。願いを叶えるという欠片が輝きます。
ふたりが気持ちをひとつにしないと行けないピュアイリュージョン。その不思議な世界でココナとパピカはひとつの同じ思いを経験します。1話分ほど時間はズレたけれど。
だから、「ココナが冒険嫌だって言ったの、わかった。私もココナ死んじゃうかと思った。ゴメンね」 あなたがそうやって相手の気持ちに共感したのと同じように、相手もまたあなたの気持ちに共感しているのです。「でも楽しかった。最後のすごかった。また行くの? 懲りないね。・・・まあ、たまにだったらいいよ」
パピカがココナの思いを追体験した今日、ココナはココナで素直になるための試練を受けていて、そんなこんなでふたりはようやく同じ気持ちでいることを確認することができました。
もとより気持ちをひとつにしないと行けないピュアイリュージョン。そこに行けたってことは、本当は初めからふたりの気持ちが一致していたってことなんですから。
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