魔法つかいプリキュア!第38話感想 見方を変えよう。目の前にいるあなたを見よう。

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結果は自らの手で確かめてこそ意味があるというもの。

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(主観的)あらすじ

 今夜は魔法界でカボチャ(鳥)祭り。逃げ回るカボチャ鳥を捕まえたら金の卵がもらえます。しかしカボチャ鳥も追いかけるみんなをお菓子に変える力を持っているので一筋縄ではいきません。
 追いかける途中、モフルンはカボチャ鳥がときどき恐い顔をしていたことに気がつきます。もしかしたらカボチャ鳥は追い回されるのが嫌だったのかもしれない。そう思い至るとみらいたちは悲しくなって、襲いかかってきたドンヨクバールとも戦うどころではありません。
 モフルンはカボチャ鳥を追いかけて、その本当のところを知ろうと頑張ります。なんと、カボチャ鳥は虫歯が痛くて恐い顔をしていただけでした。気に病んでいた問題が解決したプリキュアはあっという間にドンヨクバールをやっつけます。
 もちろんお祭りの優勝者はモフルンです。

 映画の販促回。主題歌歌手本人が出演、エンディングはダンスの予行演習、物語そのものも映画序盤の展開をなぞるような構成で、思わず映画を観たくなる要素がてんこ盛り。今年のプリキュアはやる気満々ですね。いいことだと思います。
 麻友さんは映画主題歌を担当するアイドルだそうです。私はこの人のことを初めて知りましたが、たぶん子どもたちにはおなじみの人気アイドルなのでしょう。現実とファンタジーが地続きに繋がる感触こそがエブリデイマジックの醍醐味です。驚くべきことをあまり大げさに扱わず、なんでもない当たり前のこととしてサラリと描くからこそ、魔法が現実に存在するかもしれないという説得力が宿ります。魔法つかいプリキュア!のこういう夢のある物語運びが、私は大好きです。

「見方を変える」は「裏を探る」ではない

 販促猛プッシュなお話でありながら、同時に重要なテーマを描く語り口もまた魔法つかいプリキュア!らしさですね。今回のテーマは正直なところ私にとっても虚を突かれる思いでした。ミトメールがあってもいいと思ったのですが、そのあたりは総まとめになりそうな次回でやるのでしょうか。
 「裏を返すと」「真実の裏の裏」なんて言い回しがありますが、実際には裏と表の二元論で語り尽くせるものなんてそうそうありません。ある考えが真実ではなかったからといって、だったらその反対こそが真実に違いない、なんて発想は安直で不誠実です。それは真実を知ろうとする態度ではなく、単に自分の頭の中で辻褄を合わせてようとしているに過ぎません。相手をまっすぐ見ていません。

 「ケイが触ったら恐い顔になったモフ」「そりゃあ捕まりそうになったら嫌な顔をするだろう」
 「お前たちとて力づくであの生き物を捕まえようとしていたであろう」「わ、私たちはあくまでお祭りとして追いかけてて・・・」

 今までの見方が間違っていると感じたら一度見方を変えてみなければいけません。見るべきものを見て、気付くべきことに気付かないと、自分か相手か、誰かを不幸にしてしまいます。
 魔法つかいプリキュア!はそうしてねじれてこじれたものの見方を見つめ直してきた物語です。自分の興味にばかり気を向けてそれ以外をないがしろにしていたみらいを正し、夢ばかり追いかけて現在に関心を向けなかったリコを正し、迷惑をかけてばかりの自分を呪って周囲の愛情の深さに気付けなかったはーちゃんを正し、周りの人のものの見方も変えながら成長してきた物語です。たぶんこれからも。
 だからただ手を繋ぐだけではダメ。心からお互いに向き合い、いろんな「あなた」を知ろうとしなければ。「手を繋ぐ」物語はそういう物語でした。
 だからこそ、ただ「見方を変える」だけではダメなんです。・・・ずいぶん難しいことを要求してきますね。

 「本当はお祭りを嫌がってたモフ?」 自分が楽しんでいたことを、ある人は嫌な顔でやっていた。見方を変えるなら、それは本当は楽しんではいけないことだったのかもしれないという考え方に至ることもできます。
 見方を変えました。楽しかったことを嫌なことに変えてみました。「カボチャ鳥さんが恐い顔をしてたモフ。追い回されて嫌だったのかもしれないモフ」「ずっと笑ってるような顔だから気付かなかったけど、実は辛かったのかしら」 いつもならこうすることでみんなで幸せになれました。さて、今回も誰かの不幸を取り除くことができるでしょうか。
 「こんなときになんですけど、私、カボチャ鳥に謝りたいです!」 もしこれが真実なのであれば、謝るなり償うなりしてカボチャ鳥の不幸を取り除くことができるかもしれません。
 ・・・かもしれません、が、ところで今見方を変えたのって、何に対する見方でしたっけ?

 見方を変えたのは、みらいたちから見たカボチャ祭りの思い出です。カボチャ鳥が嫌がっているかもしれないとは思いもしなかった頃の記憶です。
 「カボチャ鳥さんしっかりモフ。どこが痛いモフ? 教えてモフ」「・・・モフ? ひょっとして」「調べればきっと見つかるモフ」 実はみらいたちは嫌がっているカボチャ鳥をまだ見ていません。そういう考え方もあるなあと、記憶を再解釈しただけです。ものの見方といっても、カボチャ鳥を見て気付いたわけではありません。状況的にやむを得ないところですし、限られた情報から推察するのもとても大切なことなのですが・・・それだけで結論を出してしまうのはまだ早い。
 もしカボチャ鳥の本心を知りたいと思うのなら、本人に会うほかありません。カボチャ鳥の見方を変えようとしているのですから、まずはカボチャ鳥を見ないことには何も始まりません。こう書くと恐ろしく当たり前の理屈になっちゃうのですが、なかなかできることではありませんね。

 目の前にいるあなたと、私の記憶の中のあなたが同じ人とは限りません。私があなたを見るとき、私は私なりのものの見方であなたの一側面を切り取り、解釈するからです。普通はこのふたつの違いなんて気にしませんよ。次にあなたを見るときも同じものの見方で切り取るなら、結局同じあなたにしか見えないんですから。
 ところが見方を変える場合は別です。見方を変えたなら、私は新しいものの見方であなたの別の一側面を切り取り、解釈することになるわけですから。見方を変えてからのあなたの姿は、見方を変える以前のあなたとは別人に変わります。
 それなのに、みらいたちはひとつのものの見方から切り取ったカボチャ鳥の姿を別のものの見方で解釈しちゃったわけですね。記憶の中のカボチャ鳥は彼の一側面でしかないので、それに対して見方を変えようとすると齟齬が出ます。元々見えていなかったものを、情報の更新なしに見ようとするのですから、本来あるべき情報が欠けてしまいます。「お祭りで追いかけられるのが嫌なカボチャ鳥」を知るための手段として「楽しいお祭りに参加していたカボチャ鳥」だけでは不足なんです。本当は。
 「結果は自らの手で確かめてこそ意味があるというもの」

 難しいことです、本当に。実際、ドンヨクバールの相手もしなければいけないみらいたちには、記憶の中の姿ではない本物のカボチャ鳥に会いに行く機会がありませんでしたしね。大人ですらそう簡単にできることではありませんよ。
 それでも魔法つかいプリキュア!の物語はそういう難しいことをみらいたちに要求します。だって彼女たちが背負っているのは「手を繋ぐ」物語だから。本人を見ずに知った気になるなんて、そんなの心から繋がったことにはなりません。
 去年もたいがい難しい理想像を幼児向けに可能な限り噛み砕いて、それでもなお難しいテーマでしたが、今年もプリキュアはやはりプリキュアなようです。だからプリキュアはステキ。手と手を繋ぐ奇跡の魔法、その物語の行く末にあるであろう哲学。ひとりの大人として楽しみで仕方ありません。

とりとめのないこと

 「しっかりして。それは精霊さんよ」 ものすごくどうでもいいことなんですが、エメラルドの精霊って後ろから見ても真ん中の黄色い部分(頭花)が見えるんですね。

 「そんなに甘いお祭りじゃないのよ」 だったらどうして「チョコもマシュマロもパンケーキもある」なんて紹介したの。初心者殺しですか。

 「虹の彼方目指すの」 映画でモフルンが飛び上がるシーン、足場のオブジェがさりげなく日時計ですね。なにか太陽魔法との繋がりでも出てくるんでしょうか。

 渡辺麻友。魔法のある世界が現実と地続きだという夢を描くために、実在のテレビタレントを使うというのは説得力ある良いギミックですね。よくあるバラエティ番組のように司会に徹しているのもまた等身大の人物としてのリアリティがあってステキ。「お腹を壊すのでご注意ください」とか言ってますが、このお祭りにおいてこれはどういう意図の注意なのでしょうか。

 フランソワさん。声優変わってましたね。迫力ある演技です。

 「おや、カボチャのオブジェが何やら震えております」 この茶番感。絶対仕込みですよね。校長先生が絡んでいるならこのくらいなんてことないさ。

 金の卵。至上の喜びがまさか歯ブラシだったとは。健康な歯って満足感高いですよ。失ってはじめて気付く類の幸せですが。

 「卵の中からこんにちは!」 そういえばこの元ネタ知らないなあと思ってググったんですが、NHKのスタジオパークからこんにちはって番組でいいんでしょうか? こーんにーちはー!
 高所恐怖症という最大の個性を克服してしまったがために、出るたびキャラが迷走するエミリーさんその1。

 「みんなが追いかけてるカボチャ鳥を捕まえられたらすごいじゃない」 三つ子の魂百まで。リコのこの気質が痛々しかったのは、その名声に縋ろうと必死だったからであって、ある程度安定した今となっては微笑ましいものですね。

 「それならキュアップラパパ! 網!」 よく考えなくてもリコの「無闇に突っ込んでいくのは危ないわ」に全く対応していませんが、そういえばリコの進言がうやむやにされるのはいつものことでしたね。がんばれ。

 「カボチャ鳥の注意を逸らすのよ!」 何がすごいって、せっかく作戦がうまくいっているのに、そもそも肝心の網担当がふたりとも戦闘不能なところですね。そんなんだからいっつもうやむやにされるんですよリコさん。

 「秘技! エミリースピン!」 エミリーさんの迷走その2。空飛ぶ魔法は彼女が一番うまいってのはわかりますが、それにしてもどうしてこんなひどい絵面に・・・。だからひとりくらい網持ちなさいな。

 「捕まえた!」 ケイが掴んだところが歯だった時点で虫歯オチだというのは読めていましたが、まさかそれをこんな難しい物語に落とし込んでくるとは思いませんでしたよ。

 「リコたちは先に行って。私とジュンはエミリーをみとくから」 結果だけ見ると、目を回してしまっただけの子が箒をお菓子に変えられてしまった子たちの足を引っ張っていることになってしまった、わけのわからない構図。エミリーさんの迷走その3。

 「スミマセン、間違えました」 初恋回からこっち妙に不憫なイジラレキャラ・シャーキンスさん。彼を見ているとなぜだか「瓜実顔」というワードが頭をちらつくのですが、どうすればいいでしょうか。種じゃなくて瓜の実そのものですが。

 「どこなの!? カボチャ鳥をどこに隠したの!?」 ギャグっぽく見せておいてさりげなく今回のテーマに重なる「記憶から演繹した結果、間違ったものの見方になってしまった」事例。・・・なんてことはなく、たぶん脚本の意図としてはただのギャグなんだと思います。
 ちなみにカボチャ鳥を見つけて追いかける、一瞬しか映らないカットでは瞳がグルグル模様になっています。かわいい。

 ドンヨクバール。シリアスな展開にあわせてはーちゃんの頭の上のパフェを取ってあげるシャーキンスさん優しい。ただし今度はマジカルがプリン乗っけてくるのですが。フェリーチェも腹の虫鳴らせちゃいますし。
 プリキュアを捕まえた敵が謎攻撃をしかけるのはいつものこと。ベールビーストとか。欲望ダダ漏れですよ男衆。

 虫歯。まさかその場でムシったんですか、モフルンさん。ムシったんですか。

 「やったわね、モフルン」「おいしい」 みらいさんたまに場に全く関係ないこと言いだしますよね。たしか今回が初めてではないはず。

 ジュンの魔法。これ散々はーちゃんが使って驚愕された「何もないところから思ったものをつくり出す魔法」だと思うのですが。・・・やはりはーちゃんの魔法は現代魔法のルーツなのか。(考えすぎ)

 ケーキを食べるエミリー。それってケイの身体ですよね。エミリーさんの迷走その4。冒頭で麻友さんが言ってた「お腹を壊すのでご注意ください」ってそういうことでしたか。

 歯ブラシ。色々と種類がありますが、結局歯医者さんに行くと毛先がまっすぐな普通の歯ブラシを勧められますね。あと縦磨き。特に大人は歯そのものを磨くよりも歯茎をよくマッサージした方がいいそうで、歯ブラシを縦にして歯と歯茎を一緒に磨けと言われました。縦磨きの方が歯と歯の間もきれいに磨けますしね。
 もっとも、歯医者さんによっては逆に横磨きを推奨する人もいるらしいのですが。医学ですら答えはひとつではないのです。いろんなものの見方があっていい。

 「お菓子にカボチャって、まるでハロウィン」 私はてっきり今週がハロウィン回だと思っていましたが違うようです。

今週の魔法文字

お祭りのステージ:「KABOCHA MATURI」
「カボチャ祭り」
司会席:「KOCHO」「MAYU」
「校長」「麻友」
 カボチャ祭りなのかカボチャ鳥祭りなのか。初心者を驚かせる気満々ですね。

ケイのメモ左:「KABOCHADORI NENNNI IHIDO MAHOUKAINI ARAWARE HITOBITOWO SAWAGASERU SONOSEITAINITUITEHA NAZOGAOOKU KUWASHIIJOUHOUHA ISSAINAI KABOCHADORIWO TUKAMAETAMONO- SHIJOUNOYOROKO- RERU-」
「カボチャ鳥 年に一度魔法界に現れ、人々を騒がせる。その生態については謎が多く、詳しい情報は一切ない。カボチャ鳥を捕まえた者には至上の喜びが訪れるという」
ケイのメモ右:「IZEN HITORINO MAHOTUKAIG KABOCADORIWO THUKAMAETATOIU UWASAGA- SUBAYAI UGOKIDE- KABCHADORINO-」
「以前、ひとりの魔法つかいがカボチャ鳥を捕まえたという噂がある。素早い動きで・・・カボチャ鳥の・・・」
 ところどころ脱字があるのはケイのドジッ子がぶり返したってことにしときましょう。脱字もそうですが、実は見切れている部分なんかも文脈等から推察して毎回テキトーに補完しています。
 魔法界の文書ってやたらと「謎が多い」という記載が多い気がしますが、科学のないあちらの世界では博物学も発達しなかったのでしょうか。
 最近ようやく一覧表なしで魔法文字を読めるようになりましたが、スラスラ読めているわけではないので、もし映画に出てきたらお手上げかも。

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