フリップフラッパーズ第4話感想 現実のなかで。停滞から抜け出すための、「好き」って気持ち。

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・・・せーのっ!

(主観的)あらすじ

 ふたりの気持ちをひとつにするため、共同生活を命じられたココナとパピカ。不安を感じるココナを尻目に、周りの人たちは拍子抜けするほどあっさり共同生活のことやパピカを受け入れています。それでいて、付いていけずにいるココナを穏やかに受け入れてくれる美術部の先輩もいます。
 前回敵対したヤヤカも気安い様子で話しかけてきてくれます。けれどココナはそんな彼女に正直な気持ちをぶつけることができず、さりとて向こうの提案に協調することもできません。
 それはそれとして共同生活開始。合宿場所は校内だし、見たこともない動植物と遭遇するし、パピカはパピカだし、戸惑うココナは振り回されるばかり。無人島で遭難したあたりでついに付いていけなくなって、ひとりぼっちになってしまいます。
 けれどパピカはココナを探しに来てくれました。無力感に打ちひしがれるココナのために、彼女のすごいところをたくさん見つけてくれました。だからココナはパピカを好きになります。彼女と一緒にいたいと思います。彼女に倣って、自分から前に踏み出したくて、イカダづくりを提案します。
 ふたりのお互いを思う気持ちが同じになったとき、ピュアイリュージョンへの穴が再び姿を現します。

 色のない世界を彩る今日は現実世界の大冒険。ピュアイリュージョンじゃないので夢十夜からの引用はありません。いえまあ、夢十夜がどうこう言ってるのは私だけな気がしますが、そこはそれ、おもったことをつらつらと。
 かつて日本において、ボーイミーツガールの類型は突き詰めた果てにセカイ系と呼ばれるジャンルへと発展しました。出会いが人を変えるなら、出会いが世界を変えたっていいじゃないか。だってどちらにしても観測者(=主人公、あるいは視聴者)の主観からすれば、世界観が塗り替えられたという点で同義なのですから。
 舞台がピュアイリュージョンだろうが現実だろうが、ココナの司る物語は変わりません。あなたとの出会いが私の何もかもを塗り替える、ボーイミーツガールのド王道。

 ところで心理面を緻密に描いているくせに隙あらばセクハラをぶち込むこの捻れた作風、既視感あるなあと思って軽く調べたところ、スタジオ3Hzとアニメゆゆ式のキネマシトラスって同じ創業者がつくった会社だったんですね。どうりで。これは最終回まで期待できそうです。

停滞する子どもたち

 なにも変わっていくことばかりが優れているとは限りませんが、停滞することで本人が鬱屈するなら、それはやっぱりヤなことなんでしょう。

 「多すぎかな。でも足りなかったら困るし」 子どもは案外失敗を恐れるものです。だって失敗したらどうなるか、まだ知らないから。だから慎重に慎重を重ねて、立ち止まる。特に思春期は、これまで失敗をフォローしてくれた大人たちの庇護から巣立とうともがく時期なので、なおさら。
 もう4話もおつきあいしているので、ココナの慎重さや生真面目さについては言わずもがなですね。彼女にそれを強いている、深層意識の大樹の檻の中身が何なのかは気になるところですが、それも追々。
 「お店開いてどうしたんだい?」 この言い回し、自分も祖母によく言われたものだなー、懐かしいなー、なんてどうでもいいことを思い出しながら見守りましょう。彼女がちゃんとできる子だということも、私たちはすでに知っているのですから。

 「天気がいいから筆が進まないんだ。雨の日も進まないんだけど」 未だ多くは語られない美術部の先輩もまた、どうやら停滞しているひとりのようです。カメラが回り込んでくれない彼女のカンバスにはいったい何が描かれているのでしょうか。
 第2話で、赤い森の絵について「恐いです。・・・でも」と言いよどむココナに食いつく彼女は、おそらく今最もココナの気持ちに近しい位置にいます。「恐い」に臨み、逆接の接続詞で接がれた向こうを知りたいと願う心に停滞は似合いません。ココナと同じように、彼女もまた鬱屈した現在をもがくひとりです。
 似たもの同士だからこそ彼女とのティータイムはココナの心を安らがせるわけですが・・・ああいうフチがすぼんだ形のティーカップって、私あんまり好きじゃないんですよね。香りが広がらないし、冷めにくくて舌を火傷するし。どうやら彼女とは茶器の趣味が合わないようです。無念。(心底どうでもいい)

 「言いたいことあるんじゃないの」 ヤヤカは思っていたよりさらに拗らせている子だったみたいですね。彼女は鬱屈した現実をすっかり諦めているんでしょう。ココナや先輩と違って停滞を受け入れてしまっています。それでいて満足しているわけでもなく鬱屈しているんですからメンドクサイ。
 目的は世界征服だと言いました。自分が変わることを諦めて、なおかつ現実に満足できないなら、そりゃあ現実の方に変わってもらうしかありませんわな。後ろ向きなセカイ系。ヤヤカが間違っているのか現実の方が間違っているのかは知りませんが、自分が停滞することを選んだ結果、より大仰な道を歩むハメになったこの子は難儀な子ですね。
 それでいて後ろめたい気持ちもある。敵対しているココナに期待した言葉は「また菓子パンばっかり」なんて当たり障りのない言葉ではありませんでした。だから挑発して、あるいは逆に勧誘もして、けれどそれに反発してきたのは結局ココナではなくパピカ。欲しい言葉は欲しい人が言ってくれなきゃ意味がありません。ホント、難儀な子です。
 それにしてもローカル菓子パンってどうして揃いも揃って高カロリーなものばかりなんでしょう。クリームボックスとかメロンクーヘンとかイギリストーストとかチョコレイとかチョコスプレーとか。カロリー高い方が美味しいからさ。自己解決しました。

汚れる

 「ココナ―! ココナもー!」「いい」 共同生活のなか、野菜採りには参加できたココナですが、海での魚取りは拒否します。まあ汚れますからね。あとで洗えばいいという理屈を超えて、汚れるのってなんとなく嫌なものです。
 けれど密かにスカートのスソをつまんでみるあたり、本当はやってみたい気持ちもいくらかあるんでしょうか。ひょっとするとやってみるべきだ、という義務感に似た感情もあるかもしれません。

 ココナはパピカに誘われてピュアイリュージョンの冒険に出会いました。そしてそれはココナにとって思いのほか楽しいものでした。けれどパピカはなんだかもっと楽しんでいるように見えました。同じものを見て、同じものに触れているのに、私とあなたではいったい何が違うのでしょう。
 「パピカすごいね。私何も知らない。何もできない。私には何も・・・」 自分と相手との違いに興味を向けることは、つまるところ相手への憧れで、もっといえば好きという気持ちなわけですが、ココナはまだそんな自分の気持ちに素直になることができません。第2話の延長線上の課題ですね。
 ピュアイリュージョンの冒険を続けることを選んだのはココナです。誰に強制されたわけでも報酬に釣られたわけでもありません。冒険自体が楽しかった。だから選びました。自分で選んだからにはもっと楽しめるようになりたい。むしろもっと楽しむ「べき」かもしれません。選択の責任は自分に掛かってくるのですから。

 とはいえ、そうしてパピカを知りたいと思っても、そのために「汚れる」という負担が掛かってくるのであれば躊躇もします。汚れるのを躊躇しながらパピカについていくのは大変でしょうね。彼女は小さな子どものように天真爛漫で、裸足で駆けまわって、多少の汚れなんて気にしませんから。
 結局ココナが汚れたのはつまずいて転んだときと、果物を取ろうとして足を踏み外したときでした。パピカのような汚れかたではありません。失敗してしまいました。無様です。やっぱり自分はパピカのようになれないのでしょうか。もうどうしたらいいのかわかりません。

誰にだってできること

 落ち込むココナをパピカが励まします。「ココナいっぱいできるよ。ココナ勉強できるよ。教科書読むの上手だし、歩くの速いし、あと・・・あっ、スカーフまっすぐ付けられる!」
 「これくらい誰だってできるでしょ」
 ココナはそう言いますが、それはパピカにはできないことです。あなただからできるステキのひとつです。

 というかですね、それをいうならパピカのやっていることだって誰にもできることです。海に入ること、よく知らない食べ物を口に入れること、野山を駆けまわること。やろうと思えば誰にもできることです。躊躇するからできないだけで、失敗するかもしれないだけで、本当は誰にだってできることばかりです。
 「迷惑かけないようにね」 ココナが無理だと思い込んでいた外泊許可を、お婆ちゃんはあっさり認めてくれました。「たのもー!」 ココナが逃げだしたパピカと入る教室も、クラスメイトたちは当たり前のようにノってくれていました。

 やろうとする意志は案外通るものです。現実は私たちが思っているよりもずっと優しい。ピュアイリュージョンはココナたちの意志がそれなりに反映されて、強く願えばそれなりに無理を通すこともできますが、実は現実もそう大して変わりません。願えばある程度叶うし、やろうとすればある程度できます。
 失敗を恐れるから停滞するのであって、躊躇するから何もできないのであって、その気になれば、私たちは私たちの意志でいくらでも現実世界を変えられます。ココナが好きになったピュアイリュージョンも、ココナが嫌いな現実も、そこはおんなじです。
 夢は現実ではありません。けれど夢には現実を変える力があります。目の前の世界を塗り替えたいという気持ちを私たちに与えてくれることによって。・・・ポエミィな理想論を語りながら、私自身は別にご大層なことを成せているわけでもないんですけどね。単に自分を好きになれた程度です。現実をそこだけ塗り替えて、私はそれで満足しました。

 ココナがパピカとピュアイリュージョンを好きになった気持ちは、実は現実世界相手でも十分に通用して、だからココナが彼女たちを好きになった気持ちはいつかきっと現実を好きになるためのパワーに変わる。
 あえて舞台を一度現実に戻すことで、夢見るステキの拡張性を語り示した今話。現実から抜け出してピュアイリュージョンの冒険を楽しむココナは停滞をやめて歩きはじめました。
 誰にだってできることは、案外誰にもはできません。何もできなくていっぱいできるココナはココナのまま、パピカへの「好き」を一歩前へ踏み出す勇気に変えて、さあ、次回はピュアイリュージョンの冒険です。予告の雰囲気だと次回は第三夜かな。

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