ファイアーエムブレム 風花雪月 プレイ日記 蒼月の章Ep.21「人の行く道」

世界のありかたを変えるのは君主ではない。この大地に生きる、ひとりひとりの人間だ。

(主観的)あらすじ

 ディミトリは昔からこういう人物でした。
 それぞれに別の信念があることを士官学校生のころから意識していました。ひとりひとり譲れないものが違うから世に争いが絶えないんだと。それを理解したうえで、同時にひどく子どもじみた夢も見ていました。自分と異なる信念を肯定することはできないとしても、せめて誰もがそれぞれの信念を認めあうことさえできたなら、悲しい争いはこの世からなくなるのかもしれない、と。
 そもそも彼自身の心にどうしても消えない憎しみが渦巻いていて、だから、こんなのただの夢想でしかないとわかってはいたけれど・・・。

 今、ディミトリは仇敵・エーデルガルトと対峙していました。武器を持たず。憎しみを抱かず。戦場と、兵と、互いの守るべきものから離れて。
 ただ、語りあうために。
 憎しみのためではなく、自分の信念によって戦うために。
 自分と異なる信念を認めるために。

 エーデルガルトは歪んだ世を変革するために戦争を起こしたのだと言います。強者が弱者を支配する構造を破壊しつくし、やがて誰もが対等に産まれ出ずる未来をつくるために。
 今の世に生まれる不幸な子はひとりでも少なくしなくてはならない。変革についていけない惰弱な者は対等の未来へ至る資格がない。だから、戦争こそが最善の道。
 やはり、彼女には彼女の信念がありました。

 残念ながらその信念はディミトリの信念と相容れないものだったけれど。
 長らく道に迷い、全てを失い、誰もを疑い、それでも手を差しのべてくれた人の温もりを知っているディミトリは、世界を変えるのに急進的な改革など必要ないと信じています。人は支えあって、助けあって、いつか自力で正道にたどり着けると。

 ならば、お互いに自分の望む未来を切り開こう。
 幼いころ短剣に込めて贈った思いを改めて彼女に贈り、ディミトリはひとつの信念を持つ者として、別の信念を持つ敵へ最後の戦いを挑みます。

感想

 はじめて出会ったときの印象は、「ああ、この子は周りに信用できる人がいないんだな」でした。
 エーデルガルトのことです。
 命を救ってもらったとはいえ、ずいぶん熱っぽくシンファニカを勧誘してくるなあと思ったものです。出会ったばかりの傭兵にいきなりそんな心を開いてくる? 皇位継承者のはずなのにそんなに人材に飢えているのか? それとも欲しいのは献身的な腹心? ――なんて。
 なんとなく彼女の置かれている普段の環境が透けて見えるようで、そのせいで自称“猜疑心の塊”さんの印象が私のなかで一気に薄れてしまったものです。

 ちなみにディミトリからの勧誘は、ペットショップの仔犬がガラス越しにじゃれてくる、みたいな印象でした。
 あ、こっちは単純に人恋しいだけだなって。それだけっぽい割に何故かエーデルガルト並みに熱心だったあたり、メンドクサそうなニオイが当時からぷんぷんしていたわけですが。(だから放っておけなかった)

 なるほど。
 要するに、エーデルガルトは潔癖症だったんですね。理想家ともいう。
 最初から自分の思うことが正しいと信じきっていたら、そりゃ無条件に信用できる人が欲しくなるわ。だって、そんなんだと自分と他人との考えかたの違いがいちいち気になって仕方なくなるでしょう。本当は誰もが違う思想を持っていて当たり前だというのに。
 「ふふ・・・。私が強い者だというのね、あなたは。信仰に縋ろうと、女神は応えてくれない。目的を見失ったまま、さらに多くの者を失う。私は、そうして死んでいった者のうちの、ひとりだというのに」
 「あなたのような持つ者には、持たざる者の気持ちがわからないでしょうね。おかしな話・・・。ようやくあなたの気持ちを少し理解できた。けれど、だからこそ、わかるわ。私たちは互いに理解しあえぬと」
 彼女は自分のことを“弱き者”と、“持たざる者”と言います。そのうえで、今を生きる人の幸福より、これから生まれてくる人の幸福を重視します。・・・出生に何かあったんでしょうね。まあ、炎の紋章を持っている時点でなんとなく予想はつきますが。
 そのうえで自分はここまで這い上がってきたという自負があるのなら、そりゃあ弱者にも相応の努力を求めたくなるでしょうね。努力するのが当たり前すぎて、努力できない人の気持ちなんて想像もできないでしょうから。

 「戦禍に喘ぐ民衆の顔を見てもなお、彼らに未来のために命をなげうてと強いるのか。弱い者の、持たざる者の悲鳴に耳を貸さず、戦に血道を上げつづける・・・。そんなやりかたでは、結局、強者が弱者を支配する構造を変えることはできない」
 「・・・そうだな。君のような強い人間ならば、そんなことが言えるのかもしれない。だが、それを他者に強いるな。人は、君が思うほど強い生きものじゃない」
 「・・・君は、何ひとつ信じてはいないんだな。手を取りあい、立ち上がる・・・人の力を。人は弱い生きものだ。だが、他者と助けあい、支えあい、正道を選べる生きものでもある」
 そんなエーデルガルトに対し、根っからの寂しがり屋であるディミトリの思想は真っ向から対立します。
 生まれよりも今を。目の前で苦しんでいる者への救済を。協調を。信頼を。あらゆる他者とともに緩やかに未来を変えていく、より穏やかな道を。
 ハリネズミのジレンマを地で行っていた彼が「他者を信じる」みたいなことを言うのは成長したようであり、昔からちっとも変わっていないようでもあり、なんにせよ感慨深いですね。私はキミのこんな姿が見たかった。

 もうすっかり心配いらなくなった元教え子に頼もしさを感じつつ、私とシンファニカからも少しだけ、教師視点でエーデルガルトを批判しようと思います。

 あなたの理想には、“伝達”という要素が欠けています。
 理想を掲げる。それ自体はいいでしょう。
 現在より未来を重要視する。それも間違っていません。
 万人に努力を求める。それも大切なことです。
 けれど、それを推し進める手段が戦争――急進的な世界改革だというのはいただけない。
 だって、こんなんじゃせっかくのあなたの理想がほとんどの人に伝わらないでしょう。

 あなたの理想はきっと良いものです。
 だからこそ、あなたが古い体制を破壊したそのあとは、あなたの理想をいち早く理解した少数の人々が他の人々を出し抜く世になっていくことでしょう。
 あなたの目指している理想は万人が対等な競争社会です。強者の特権を破壊し、一方で弱者にも救済は施さないわけですから。ならば、いかに早くスタートを切れるかが勝負の決め手となります。
 努力しなきゃいけない世のなかになったと知った人と、努力が報われることを知らない人とでは、果たして対等な競争が成立するでしょうか?
 結局、金や名誉の代わりに、あなたに近しいかどうかが権力の根源となる世界が生まれるだけです。
 あらゆる人が対等な条件から競争できる社会を願うのなら、あなたは旧体制を破壊することより、まずは万人に等しく意志を伝える方法を考えるべきでした。

 ・・・ごめんね。
 シンファニカも、あなたにはディミトリへの教えと対等のものを授けることはできなかった。

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