諦めないフワ! トゥインクルイマジネーション、探しに行くフワ!
(主観的)あらすじ
お手伝いするフワ! 成長してワープがうまくなったり、ひとりでご飯も食べられるようになったり、フワは自信をつけました。今ならひかるたちのトゥインクルイマジネーション探しもお手伝いできる!
・・・そう思ったのですが。
ひかるたちはフワのお手伝いを許してくれませんでした。学校や仕事が忙しくてフワに付きあってくれません。それどころか、フワがひとりで探しに行こうとするのも止めようとしてきます。忙しいって言っているくせにわざわざフワを追いかけてきて、そのくせ時間を使っちゃったと嘆くのです。
「みんな忙しいのに、どうして勝手なことするの?」
フワはワガママを言っているんじゃなくて、プリキュアの大いなる役目をお手伝いしたいだけなのに。せっかくできることが増えて、今こそみんなの役に立てると思っていたフワは、何もさせてもらえないことに悲しくなりました。
あちこちワープしたあげく、うっかりカッパードとかち合ってしまったフワ。しかもフワを追いかけてきたひかるの飼い犬・イエティの歪んだイマジネーションまで利用されてしまいました。
ひかるたちの言うとおり、やっぱりフワは今も何もできない子どものままだったのかもしれません。ますます悲しい気持ちでいっぱいになりました。
けれど、そういうわけではありませんでした。
カッパードとの激しい戦いのなか、絶体絶命のピンチに追い詰められたひかるを助けることができたのは、ワープができるようになったフワだけでした。
そもそもひかるたちはフワのお手伝いしたい気持ちを迷惑に思っているわけではありませんでした。ただ、それぞれが忙しくて、お手伝いを任せてくれる余裕がなかっただけであって。
フワにもひかるたちのお手伝いができる力はちゃんとありました。
カッパードをみごと追いはらい、フワはもう一度ひかるの役に立とうとまたワープをしてみました。
今度は失敗して、またひかるに迷惑をかけてしまったけれども。どうやらもっともっと成長するためには、もっともっと頑張らないといけないようです。
毎年第3クール恒例の妖精主役回。そういえば去年は珍しくこういうのありませんでしたね。はぐたんが最後まで赤ちゃんで、ハリーは徹頭徹尾大人側のキャラクターだったので仕方ないのですが。代わりに愛崎えみるがそういうエピソードを受け持っていました。
プリキュアシリーズにおいて、妖精主役回は子どもの視点を描くために挿話されます。プリキュアはなんだかんだいって視聴者にとって“お姉さん”なカッコいいキャラクターたちなので、完全な子ども視点にはなりきれないんです。愛崎えみるみたいな小学生プリキュアでなんとか、ギリギリ。
妖精主役回は大抵今話のように、妖精がお手伝いしようとして逆にトラブルを起こしてしまうストーリーとなります。
「ワガママじゃないフワ!」
フワの言うように、大人からすると一見ただのワガママにしか見えない子どもの意固地も、本当は全然自分勝手なんかじゃなくて、むしろ誰かの役に立ちたいという純粋な気持ちの表れだったりするんですよね。
なまじっかそれが道徳的に正しいことだと確信できるからこそ、子どもはますます意固地になるし、自由にやらせてもらえないことにとてつもない理不尽さを感じてしまいます。お母さん、いつもは優しい子になれとか強い子になれとか言ってたじゃん! ダブルスタンダードか?
前話、前々話と、『スタートゥインクルプリキュア』は“責任”の物語を描きました。ここにおいて責任とは、苦しいけれど理不尽ではない、自分が何かをしたいという意志そのもののことでした。誰かに課される義務だから仕方なくこなすんじゃない。自分の目的を達成するために必要だからこそ、苦しいことにも自ら立ち向かうんだと。
今話のフワも同じです。本当にひかるたちのお手伝いをしたいのなら、大きくなってできることが増えたと喜んでいるだけではなく、その力をどのように、何を為すために使うのか、自分で考えなければなりません。
子どもには子どもなりの責任の持ちかたというものがあります。だって、子どもにこそ、どうしてもやってみたいという切実な思いはいっぱいあるのですから。どうすればなりたい自分になれるのか、考えて、考えて、挑戦してみて、ときどき失敗もして。自分のやりたいことのために自分で精一杯に頑張って。最初はハイハイ歩きしていた子どもたちも、次第にお父さんやお母さんと同じく2本の足で歩いてみたい気持ちが募ってきて、自分から自然と立ち上がる練習をはじめるんです。
そうして彼らは、やがてお父さんお母さんのようにたくさんのことができる、立派な大人へと育っていきます。
嬉しかったこと
「ひかる、起きるフワ。やっと起きたフワ。いつまで寝てるフワ?」
「見て見て、ひかる! 簡単にワープできるようになったフワ」
「自分でできるフワ。――おいしいフワ!」
今朝のフワはいつもよりおしゃべりさんです。体が大きくなって、これまでできなかったことが色々できるようになったので、早くひかるに見てほしくてウズウズしていました。
一番の目玉のワープはちょっぴり失敗してしまったけれど、ひかるに「キラやばー!」って言ってもらえてフワは大満足です。
「何でもできるフワ。トゥインクルイマジネーションもすぐ見つけるフワ!」
自分の成長を見てほしかった理由はもうひとつありました。
「12本のペンを集めて、これできっと解決する、今度こそ惑星レインボーを元に戻せるって思ったのに」
「トゥインクルイマジネーションって何なんだろう」
「フワを成長させた私たちがその力を探し当てるしか・・・」
ひかるたちが困っていたからです。
これまでずっと、フワはひかるたちにお世話されてばかりでした。ノットレイダーからも何度も守ってもらっていました。それが、今の体になって、ようやくプリキュアと一緒に戦える力を持てるようになったんです。
「守るフワ! フワも、プリキュアを守るフワ!」(第32話)
それはフワにとって何よりも嬉しいことでした。
ずっとしたいと思っていたことがようやく実現できた瞬間でした。
これでやっと、大好きなひかるたちと同じことができる!
フワがこれまでしてもらえて嬉しかったことを、今度は自分も、ひかるたちのためにできる気がしていました。
なのに・・・。
「トゥインクルイマジネーション、探しに行かないフワ? 早く探しに行きたいフワ」
「探すよ、もちろん。学校が終わったらね」
その機会が来るまでには、思ったよりも待たされてしまうようでした。
「じゃあプルンスのお手伝いにいくフワ!」
「お願いだから放課後までトゥインクルブックのなかでおとなしくしてて」
しかも、自分ひとりでお手伝いをはじめることすらも認めてもらえませんでした。
せっかくできるようになったのに!
任せてもらえれば、きっと今の自分ならトゥインクルイマジネーションだってすぐに見つけられるのに!
自分にならできると思っていることを邪魔されてぶーたれているフワの顔は、いつぞやの某ロケット修理ガールと重なりますね。
「ワガママじゃないフワ!」
「どうして邪魔するルン!?」(第6話)
「もう! ユニのところ行くフワ!」
「――ロケットの修理は私の仕事ルン!」(第6話)
足りない自分
ひかるたちの制止を振りきって、ひとりでお手伝いをはじめるフワでしたが、現実には自分が思うほどうまくお手伝いできないようでした。
「ひっ! フワ、どうして? あー! フワ山さんはこちらへ――」
まどかのお手伝いを自分ではうまくできたつもりでしたが、なぜだかまどかは困り顔。
「探したくても、こっちも手がかりゼロ。お手上げニャン」
ユニのところに行けばお手伝いできると思っていたのに、あいにくユニもフワに何もさせてくれません。
「宇宙人よりも宇宙に詳しい自信はないが・・・」
ユニのぼやきをヒントに、自分で遼じいにたどり着いたまではいいものの、きっと頼りになると思っていた彼も残念ながら空振り。
間違いなく成長できているはずなのに、なぜだか今日のフワの頑張りは空回りばっかりです。
「みんな忙しいのにどうして勝手なことするの」
「フワ・・・、勝手じゃないフワ!」
勝手なワガママであれこれしているつもりじゃありません。
ひかるたちを困らせたくてひとりで飛び出したわけじゃありません。
むしろみんなの役に立ちたいから、忙しいみんなに代わってお手伝いしたいから頑張っているはずなのに。
なのに、自分で期待していたような成果を出せなくて、自分がいかに頑張っているのかを見せられなくて、フワは理不尽に咎めてくるひかるに対して言い訳することもできません。
そうしているうちに、ふと気付いてしまいます。
「フワ! イエティを返すフワ!」
「愚かなヤツめ!」
本当は、今の自分は何もできないままなんじゃないか。
ただ体がちょっと大きくなっただけで、ひかるたちに守ってもらうことしかできなかった昔の自分から、本当は何ひとつ成長できていないんじゃないか。
自分はどこまでも無力な存在なんじゃないか。
ああ。だって、そうだ。
「――またワープ失敗フワ。飛んだ方が早いフワ・・・」
一番成長を実感させてくれたはずのワープすら、そもそも自分はろくに成功できていなかったじゃないか。
「ごめんなさいフワ。フワ、みんなの役に立ちたかったフワ・・・」
成長できたと思っていたのは、全部気のせいだった。
結局のところ、強いプリキュアと違って、ただのか弱い妖精なんかには、なりたい自分になるなんて夢は叶えられっこないのかもしれない・・・。
プリキュアに限らず、ヒーロー作品にしばしば子ども視点のエピソードが挿話される事情には、大抵この思いが念頭にあります。
「つまるところヒーローがカッコいいのは、普通の人と違う特別な強さを持っているからじゃないか。どんなに憧れても自分はヒーローになれないんじゃないか」と。
視聴者のそういう、憧れを憧れのまま諦めてしまいかねないネガティブな思いを打ち払うため、プリキュアの妖精たちは頑張ります。自分を弱いと思っている子どもたちの代表として。
頑張りたいのは自分自身
今日一日のフワの頑張りはことごとく失敗に終わりました。
自分の弱さ、自分の情けなさを、これ以上なく突きつけられてしまいました。
ただ、大好きなひかるたちのお手伝いがしたかっただけなのに・・・。
「私はスタープリンセスを、宇宙を守れなかった。自分の弱さを知ったである。だが、私はトップを、リーダーを退かないである。・・・何故だかわかるか?」(第31話)
「圧倒的な力の前では全ては無力。私は星を、仲間を失った。――私は全てを捧げ、力を得た。お前たちは甘い!」(第32話)
「いろんな人たちがいて、いろんな考えかたがあって、まだよくわからないし、あなたのこともメチャクチャ恐い。でも――、フワを守りたい。あの気持ちだけは変わらない。てか、変えられない!」(第32話)
だったら、それでも、頑張るしかありません。
フワがひかるたちのお手伝いをしたいと思うのなら、フワはそれがうまくいくまで自分で頑張りつづけるしかありません。
フワが自分に力が足りていないと感じるのなら、フワは充分に強くなるまで自分で頑張りつづけるしかありません。
それはあくまで自分の問題です。フワ個人が課題として心に抱き、フワ個人の満足のためにのみ解決されるべき戦いです。たとえ自分以外の誰かを思ってのことだったとしても、窮極的にはそれは彼女たちの幸いを望む自分の個人的な都合でしかありません。だから、その問題を乗り越えられるのは、いつだってフワだけ。
フワが頑張るしかありません。
「スター・・・。フワも、みんなを助けたい! みんなを助けたいフワ!」
「諦めない、負けない」こそがプリキュアの合言葉。
かつてプリキュアは個人的な問題のために苦しんでいる子を、プリキュアの力で救ってあげることができませんでした。
以来、プリキュアは何年もこの負債とも呼べる問題に向き合いつづけ、いくつもの回答を提示しつづけてきました。
たとえば『Go!プリンセスプリキュア』では各個人の自己研鑚を奨励することで。たとえば『魔法つかいプリキュア!』では自分がたくさんの人に祝福されていることを信じることで。たとえば『キラキラプリキュアアラモード』ではみんなで寄り集まってお互いの弱さから守りあうことで。たとえば『HUGっと!プリキュア』では応援しあいお互いを奮い立たせることで。
自分を高め、周りを信じ、ときにお互い助けあい、今や誰もがプリキュアになれる時代です。
フワはプリキュアではありませんが、フワも立派なプリキュアです。
ひかるたちプリキュアが「なりたい自分に!」と掲げるのなら、フワだってなりたい自分になれるはず。
だから、頑張ればいいし、頑張っていい。
この広い宇宙のなか、あなたは他の誰とも違う、唯一特別なひとりなんだから。
あなたにはあなただけのやりたいことがあって、あなただけにできることがあるんだから。
「宿題まだ終わってないよー! 急げばまだ間にあうかも!」
「学校に戻るフワ! フー、ワープ!」
今はまだ、失敗だらけかもしれないけれど。これから何度だって失敗して、ときにまわりに迷惑をかけてしまうことすらあるかもしれないけれど。失敗なんてあとから挽回すればいい。世のなか一度の失敗をいつまでも許さない人たちだけじゃあるまいし。
あなたはあなたのやりたいことのために頑張っていいんだと、私は思います。
コメント
プリキュアって、使命や責任だけに目線を向けると必ずどこかで失敗するような。
そういうのってやっぱり大人が持つイメージですけど、そこしか見えないのはまだ子供ってことでしょうか?
にしてもいちばん切羽詰まってるでしょうに、スタープリンセスにちょっと食ってかかる程度で収めるユニの大人ぶりよ……。
言ってしまうと第31話で「責任」って言葉が出てきたからこういう表現を引っぱっているだけで、常識的な語彙としては“目標を達成する意志”とか“夢を叶えるまでの障害”くらいのニュアンスで「責任」という言葉を使っています。我ながら下手な言葉選びをしてしまっているなと思うところはあるのですが、そういうわけで、ここでいう「責任」は過去のプリキュアたちが挫折してきたものとは別物です。なんというか・・・ゴメンナサイ。
「誰かに頼まれたから」「そういう使命だから」という実体のない責任意識だから、自分が何のために頑張っているのかを見失って失敗するんだと思います。
「私がそうしたいから」「何があっても諦めるつもりはないから」と、主体的に取り組むのなら、“責任”はむしろ自分の努力の価値を支えてくれる“誇り”へと変わります。
私もプリキュアを語るうえで「責任」という言葉を使うのはどうかと思ったのですが、ふり返ってみるとプリキュアって意外と「プリキュアなら~しなきゃ!」みたいなこともよく言っているんですよね。けっしてネガティブなシーンだけでなく。
そういうことを考えていると、プリキュアがまだ子どもだからといって「責任を取る必要はない」とばかり主張するのもかえって失礼かもしれないなあと思って、ここ3話の感想文を書いた次第です。
ユニはブルーキャット時代と比べて丸くなりましたね。
元々他人に頼らない性向の強い子でしたから、「実際不可能だというならあえて責任を追及しても得はない」くらいの建設的な割りきりかたをしているのかもしれません。そのあたりの心情は次の当番回あたりで描写されるかもしれないって考えて楽しみにしておきましょう。
今回の「自我に目覚め始めた幼児と新米ママのすったもんだ」エピソードは、あんまりスタートゥインクルプリキュアらしくない、というか”いつもの「日常を守るヒーロー」プリキュア”に回帰したエピソード、という印象を持ちました。
懸案となっている”トゥインクルイマジネーション”がメーテルリンクの「青い鳥」のような「実は意外と身近な所に有る」っぽい雰囲気を漂わせているのも、「新章・トゥインクルイマジネーション編で”日常における幸せや成長”を描いて、本作でもプリキュアシリーズの伝統はないがしろにしない姿勢を打ち出しておきたい」というスタッフの思惑の産物だったりするのかな……とか思うんですが、はてさて。
そういえば、「青い鳥」を元ネタの一つにして作られた「銀河鉄道999」の主人公・星野鉄郎って本作のユニと似たような境遇だったりするんですが(親を殺され一人ぼっちとなった少年が”永遠の命”を手に入れるべく謎のガイド役と宇宙への旅に出る)……あれ?もしかして最終的に「石化したレインボー星人を元に戻さない(死者を無理に蘇生させない)」エンドあるんじゃ……(まあ「石化したレインボー星人に心が残っている」という描写を入れているので”石化したまま放置してエンド”は考えにくいんですが、ただ一方でユニがオリーフィオの願いに背いて他者を騙し・奪う罪を犯した事実は消えない以上「元に戻った惑星レインボーで仲間たちと幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」となるのかも疑問が残るところで……)?
> ユニがオリーフィオの願いに背いて他者を騙し・奪う罪を犯した事実は消えない以上「元に戻った惑星レインボーで仲間たちと幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」となるのかも疑問が残る
そのあたりは罪罰というものに対する思想次第だと思いますね。一般的には3種類の考えかたがありまして、ひとつは「罰は社会全体における罪への抑止力である」、ひとつは「罰は被害者の心情を救済するためにある」、そしてもうひとつは「罰は罪を犯した者を更生させるためにある」・・・といった具合です。ネットでは前の2つばかりが罰の存在意義だと捉えられがちですが、犯罪者救済も大切な罰の機能のひとつですし、実際日本の刑法にもそのための条項がいくつか存在します。
罪を犯したという事実はたしかに消えないものですが、大切なのはその罪に対する罰が何のために存在しているのかを考えることです。罰というのはあくまで誰かを幸せにするためにあるんですよ。罪を犯した本人含め。