スタートゥインクルプリキュア 第34話感想 理解不可能・友好可能

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私。私・・・、サボローに謝りたい!

(主観的)あらすじ

 星空連合の視察員・サボローが地球にやって来ました。がんばっておもてなししなければなりません。特に通訳の仕事をしているお母さんを見て育ったえれなはやる気いっぱいです。
 予定よりだいぶ遅れて到着したサボローはどうやら植物から進化した人のようで、言語コミュニケーションが全く取れませんでした。予想外のことにひかるたちは大苦戦。
 周りを笑顔にすることが得意なえれなのおかげでなんとかサボローを楽しませることができましたが、そのえれなもよかれと思って切り花を贈ったことで、かえって相手を怒らせてしまいました。

 異文化コミュニケーションの難しさを痛感したえれな。そんなえれなにお母さんがアドバイスをくれます。
 たとえ言葉が通じたとしても、それだけで相手のことを理解できるわけじゃない。大切なのは相手を理解しようとする思い。

 後の連絡で、星空連合視察員のサボローだと思っていたあの人が、実はまったく関係ない通りすがりの宇宙人だということがわかりました。
 けれど、えれなにしてみればそんなの関係ありません。えれなは視察員だからどうこうではなく、あの人とわかりあいたいと思うのです。仲直りの邪魔をするテンジョウを追いはらい、もう一度サボローとお話しをしてみることにしました。
 えれなは、彼が植物の星出身だから切り花を贈ったことで怒らせてしまったんだと考え、謝りました。そのうえで自分がどういう意図で花を贈ったのかを心を込めて説明しました。ただ、あなたに笑顔になってほしかったんだと。
 サボローはえれなの思いをわかってくれました。最初は切り花を贈られたことで怒っていたはずなのに、今度は彼の方から自分の身に咲かせた花を一輪、えれなに贈ってくれるのでした。

 「・・・できない。この星の人たちにとって大切なもの、それを奪うってことは笑顔を奪うことと一緒だよ!」(第8話)
 えれなには苦手にしていることがひとつありました。
 それは、相手の価値観とぶつかってでも諦めず自分の望みを相手に伝えようとする、強い押し。
 えれなは周りが笑顔であることを大切に思うあまり、自分が他人を傷つけてしまうことを極端に恐れていました。自分の都合を押しつけるどころか、その都合を相手に伝えることすら忌避しがちでした。すごく優しくて、相手の立場を思いやれる良い子でした。

 けれど、それって本当に我慢しないといけないこと?
 その思いやりって本当に相手が求めていること?

 わかりません。
 だって、知らないんですから。まだ教えてもらっていないんですから。
 「笑顔も大事だけど、もっと大事なのは――理解しようとすること」
 だからこそ、壊れ物に触れるような思いやりだけではなく、ときにはもう一歩踏み出さなきゃいけないこともあるんです。

触れると痛い

 「そっか。トゲがあると握手もできないね」
 「言葉も喋らないみたいだし、コミュニケーションを取るのは難しそうね」

 サボローはコミュニケーションを取るのが著しく困難な人でした。
 彼は身ぶり手ぶりでしか自分の気持ちを伝えることができません。どうやら聴覚すら未発達らしく、相手からの語りかけも、声ではなく身ぶり手ぶりで伝えてもらわないと理解することができません。そのせいで、どうやらこれまでもいろんな星を訪れては現地の人とケンカになってしまっていた過去があるほどです。

 「そうだね。その挨拶はうまくできそうにないし、私にはあなたたちみたいに立派な毛もない。だから、私たちの星の挨拶をするね」(第8話)
 ケンネル星のとき、あるいは他の異星人との交流のときも、えれなは地球式の挨拶として握手でファーストコンタクトを乗り越えてきました。けれど、今回はその手段も使うことができません。
 「もしかして『水』って言ってるんじゃないかな。――私はえれな。水、案内するよ」
 もっとも、えれなという子はそれだけではコミュニケーション不能にはならない、とても柔軟な子なのですが。
 彼女は相手の笑顔のためならいろんなことができる子です。相手の立場に立って、相手が喜ぶだろうことならいくらでもイマジネーションをふくらませることができます。

 そういう子なので見逃されがちなのですが、一方で彼女は繊細な子でもあります。
 「他の家がどうかは知らないけど、ウチはウチでしょ?」
 「ウチは変なんだよ!」
(第14話)
 「・・・ごめんね」
 「私たちのせいで修理が遅れてしまって」
(第28話)
 自分の言った言葉、した行動が、誰かを傷つけたり迷惑をかけてしまったりしたとき、彼女は意外なくらい深く落ち込みます。
 だって笑顔が好きだから。彼女にとって、誰かを笑顔にできない自分はけっして望ましいものではありません。

 「その花、気に入った? ――はい」

 ひとつ、大きな失敗してしまいました。
 サボローが興味を持っているように見えた花を贈れば、彼にもっと喜んでもらえると思ったのに。
 「もしかして、・・・怒らせちゃったのかも」
 まさかそれがかえって相手を不愉快にさせてしまう結果につながるだなんて。
 「植物型の異星人だから、地球人が花を売っているのを見てショックだったのね」
 そこまで考えが及びませんでした。自分の考え足らずのせいで不用意に相手を傷つけてしまいました。
 いつもならいろんなことに気が回り、どんな人とでも仲よくなれるえれなですが、ときどきこうして自分が失敗してしまったとき、彼女はとたんに身動きが取れなくなってしまいます。

 「ねえ、ママ。・・・わかりあうって難しいね」

 えれなは周りのみんなを笑顔にしたいと思っている子です。
 だからこそ、誰かの笑顔を奪ってしまう自分は、違う。
 こんなんじゃいくらがんばっても“なりたい自分”になんてなれない。

七つ転んだのなら

 「えれな。いくら英語やスペイン語が上手に話せてもね、わかりあえないこともあるのよ」

 えれなに限らず、今年のプリキュア全員に言えることなのですが、彼女たち最大の弱点は“自分の失敗にナイーブすぎるところ”にあります。
 失敗なんて本当は誰でもするものです。小さな失敗はもちろん、大きな失敗ですらも。
 ちょっとした失敗が大きなネット炎上に結びつく奇妙な光景を日常的に見せられてしまう昨今です。そのせいか、最近の子どもたちは自分が失敗する可能性を極端に恐れる傾向があるように感じます。・・・でも、いざ社会に出て自分が実際に働いてみると、案外世のなか大抵の人は失敗に寛容なものだなと気付かされるんですよね。そもそもいろんな社会システム自体が誰かが失敗することを前提に組まれています。刑法とかその最たるもの。
 一度失敗したらそれで全部おしまい、なんてことはそうそうあるものではありません。本当はえれなみたいにガッツリ落ち込む必要なんてないんです。もっと大切なのは、今“何ができなくなることがイヤで”自分が失敗を恐れているのか自覚すること。

 「わかりあうのは簡単なことじゃないわ。だからこそ、相手のことをもっとよく知らないとね」
 お母さんは何のためにえれなに語りかけているのでしょう?
 それはもちろん、えれなを元気づけるためです。彼女は今、そのために失敗の可能性がどこまでも消えないことを説いています。
 我が子の手をそっと温めながら、どうやら何か人間関係で参ってしまったらしい彼女にどうかもう一度勇気を吹き込めますようにと、祈りを込めながら自分の考えを語ります。

 「笑顔も大事だけど、もっと大事なのは理解しようとすること」

 あなたは今、何ができなかったから悲しんでいるんでしたっけ?

 えれながサボローに贈ろうとした黄色いバラの花言葉は、「友情」
 「みんな、ちょっと待って。まだ何も解決してないよ。サボローは友達になりたかっただけなんだ。だけど、このままだとわかりあえないまま行っちゃう。私。私・・・、サボローに謝りたい!」

 あの人のことはまだ何もわからない。
 また何か失敗しちゃうかもしれない。
 けれど、したいと思うことがある。
 そのためにやらなければいけないことが、ある。

嬉しいと感じたひとつひとつ

 「笑わせるわね。そんな言葉がコイツに届くとでも? 違う星の者同士、わかりあえるわけないのさ」
 サボローに声は通じませんでした。握手もできず、えれながいつもしているやりかたでは彼とわかりあうのは困難でした。
 それから価値観まで違いました。予想不可能なところで彼を怒らせてしまって、落ち込むこともありました。

 それでも、伝わる思いは確かにありました。
 サボローが森のなかで見つけた小さな花はキバナコスモス。サボテンと同じく、暑くて乾燥した地域(メキシコ)原産の花です。彼がこの花にお辞儀をしていたのは、きっと同胞としての敬意と親近感を感じてのことだったのでしょう。
 「お花、好きなんだ。――そっか。私も好き!」
 そんな自分に近しい花を好きだと共感してくれるえれなの好意、サボローからしたらどんなにか嬉しいことだったでしょうね。

 店先に並べられていた切り花を見たことは彼にとってショッキングな出来事でした。
 さっきまで不便な身ぶり手ぶりでのコミュニケーションに付きあってくれ、さらに水場を教えてくれたり、展望台や商店街を案内してくれたり・・・。そういう親切な人が突然恐ろしいことをしはじめた意図がまったく理解できませんでした。

 お母さんのアドバイスが「もっと大事なのは理解しようとすること」だったのでちょっとややこしいんですが、えれなが抱えていた課題は“何かを理解できるかどうか”ではなく“何かしようとする思いがあるか”です。より重要なのは意志のほう。
 他人の都合に配慮するあまり何かしようという自分の思いを我慢してしまうのではなく、多少衝突することがあっても自分の思いを持って他人と接すること。それがこれまでの彼女に欠けていたもので、今の彼女に一番必要なものでした。それをすぐ引っ込めてしまう悪いクセがあったからこそ、ケンネル星のときや弟のとうまのとき、彼女は一番気持ちを伝えたい人に誤解されてしまっていたんです。
 コミュニケーションって、相互に行うものだから。
 何かをしてほしいと言われてはじめて相手のパーソナルな部分に目が向きます。お互い相手のことを知ろうとしなきゃなかなか教えてもらえず、そして知ろうとしてもらえなきゃなかなか教えてあげられません。そういうものです。
 「いつも言ってるんだ。『まず相手の話を聞いてあげな』って」(第3話)
 えれなの場合はその次がなかったんですね。

 「サボロー。私の星では大切な人に心を込めて花を贈るんだ。・・・でも、ごめん。サボローの気持ちを考えてなかった。私、サボローに笑顔になってほしかったんだ。本当にごめん」
 えれなの涙ながらの説明を聞いて、サボローはやっとえれなの人となりを理解しました。
 何の理由もなくただ親切なだけじゃない。友達になりたいと思ってくれていて、だからいろいろ優しくしてくれるんだと。
 言ってしまえばある種の打算。けれど、サボローにとってはむしろそのほうが嬉しいものでした。だってサボローはもともと宇宙に友達がいなくてさびしい思いをしていたし、えれなの親切さ以上に、そこから感じ取れる彼女の好意をこそ嬉しく思っていたんですから。こんなステキな子が友達になってくれるのなら、それはなんて嬉しいことだろう。
 だから、先日は切り花に驚いていたはずのサボローは、えれなに自分の身から生えた花を贈ります。彼女の流儀に合わせ、ずっと探し求めていた友達に最大限の好意を表明するために。
 サボテンの花言葉は「枯れない愛」。過酷な環境をじっと耐え忍び、まれにしか降らない恵みの雨をひたすら待ちつづける様子に由来する花言葉です。

 「たしかに言葉は届かないかもしれない。わかりあえない相手もいるかもしれない。けど、わからないからって何もしないなんて、そんなの、そんなの――、私はイヤだ!」

 笑顔を見たい。
 友達になりたい。
 その思いはとてもステキなものです。なんといっても思いの主体にまず“自分”がちゃんとあるのが良い。私はあなたの笑顔を見たい。私はあなたと友達になりたい。そこが良い。
 「先輩が“太陽”って言われてるの、わかった気がする。だって先輩の周りはいつも笑顔でいっぱいだから!」(第3話)
 えれなの周りはいつもみんなの笑顔でいっぱいです。だって、彼女をよく知るみんなは自分が笑顔になるとえれなが喜んでくれることを知っているからです。
 今回えれなが乗り越えた大切な課題は、本当はそんな、普段の彼女なら当たり前に実践できていたくらいに身近なものでした。ただ、自覚していなかったせいで変に押し殺してしまっていただけで。

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    コメント

    1. 東堂伊豆守 より:

      「笑顔も大事だけど、もっと大事なのは理解すること」と娘に諭す母・かえでさんは、えれなの欠点が「”みんな笑顔でいること”に固執するあまり”表面的に笑顔を取り繕う”ことに流れてしまい、根っこにある問題から目を背けてしまう傾向がある」ことだと気付いている。
      ……んですが、このえれなの気質のおかげで「天宮家の世話をえれなに押し付ける」ことが可能になっているという現実もあって……。
      もちろんえれなには家の事を”押し付けられている”という意識はないはずですが、かえでさんの方には少なからず”押し付けている”という自覚がありそうなんですね。かえでさんのえれなに対する「決裂も辞さない覚悟で本音をぶつけ合うことも必要」というアドバイスが、いささか遠回しな分かりにくい表現で為されたのは「(当面は)えれなの”我慢強さ”と”事なかれ主義”に甘えて家の事を任せざるを得ない」という事情を背負った彼女の”ズルさ”と”後ろめたさ”の顕れ……なんだろうな、と。
      (そういえば、とうま君の”反抗”に対して天宮夫妻がかなり”木偶の坊”だったことなど、結構この夫婦”子供達の自覚”と”えれなの気質”に依存している傾向が垣間見えますわな。まあそうでなきゃ大家族なんてやっていけないでしょうが。)
      このような形で浮き彫りになった天宮家の”歪み”が時限爆弾のように発火するーーーーーー展開を今後やるのか、あるいは「どんな家族にだって”歪み”がある。天宮家とて例外ではない」という”当たり前の事実”を(リアリティの付加として)描写しただけで留めておくのか。おそらくあと一回あるだろう天宮えれな当番回を大いに注目する必要がありそうですね。

      • 疲ぃ より:

         ひかるが自ら進んで“フワを守る”ことを選んだこと、ララが自分から“大人の責任”を課されることを望んだことと同じです。えれなが喜んで家族の手伝いをしているのなら、それはきっとえれなにとって幸福で、充実した時間なんでしょう。
         もちろん子どもがものをよく理解していないことを悪用していいように働かせるのでは論外です。けれど、今話の物語を越えたえれなはすでに自分の思いの在処をはっきり自覚しています。みんなを笑顔にしたい、という従前の善意のなかに、目の前の人と友達になりたい、お互いをよく知り仲を深めたいという自己都合も隠れていたことを知っています。
         家族と濃密な時間を過ごし、しかも家族の笑顔も見られるのなら、えれながそのように求めている自己都合は家族の手伝いによっても充足できるでしょう。だったら、それはけっして悪いことじゃないと思いますよ。

    2. ピンク より:

      えれなの行動が理解できず怒ったサボロー。
      自身もまた周りから理解されないまま怖がられた/襲われた身だったという。

      異文化に対する恐怖心は最低10光年以上離れようと、宇宙共通の普遍的な感覚のようで。
      劇中でもスタードーナツやおにぎりを最早お約束のように変な目で見られますね。
      それでもせめて「そういう文化もある」という考えは意識したいものです。

      そういえばレインボー星人が今の星に住んだ経緯を最初聞いた時「なんて酷い話なんだ!」と思いましたが、案外どこにでもあるお話のひとつに過ぎないのかもしれません。
      ノットレイダー幹部が比較的近い事情を抱えてるようですし。
      香久矢家のカッパ退治も、見方を変えればヒーロー伝説じゃない何かになったり……?

      • 疲ぃ より:

         知らない相手にはどうしようもない怖さがあって、深く知り合った知己はなかなか嫌いになれるものじゃありません。たぶん誰しもそういうものです。誰かと仲よくなるための一番確実な方法は、お互いを知ること。
         ただ、ひとりの人間が世のなかのあらゆる全部を知りつくすなんてことはそうそうできることではありませんね。宇宙大好きなはずのひかるが、そのくせ宇宙のことをまだ前々知らないことからも窺えるように。
         だから想像します。「こういう風景があるかもしれない」「いつかこんな人と出会うかもしれない」などと、ワクワクするような空想をめいっぱい。いつか出会うかもしれない未知の誰かを恐れず、むしろ好きになれるように。想像力が未知を既知へと変換します。
         「そういう文化もある」などという楽観は、そういうふうに想像力によって裏付けられたものなのかもしれません。

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