自分で自分をかわいいって思うことが大切だよ。かわいいって思えばみんなかわいい。
かわいいバーチャルYouTuberがいます。
名前を花京院ちえりといいます。
「やほやほ。こんちぇりー」
「ちえりだよ!」
「ちえりじゃないよ!」
「ちえりです! かわいいです!」
「今日もちえりってかわいい!」
「女は度胸! ちえりはかわいい!」
バーチャルYouTuberには他にもかわいいキャラクターがたくさんいるでしょうが、そういうことじゃありません。
花京院ちえりはかわいいバーチャルYouTuberです。ともかく本人が言うんだから間違いない。
「やー、今日もかわいい。今日もかわいい。あふれ出るかわいさ。控えめに言ってあふれ出てるわ。ドバドバだわ。かわいさドバドバ」
本人が言っているから何だ、と思う向きもあるでしょう。でもそういうことじゃないんです。
花京院ちえりはまず本人がかわいいと言っているし、そしてファンもかわいいことを認めているからこそ、かわいいんです。
何にも先んじてかわいいことが大前提。
かわいいことが花京院ちえりとファンとのお約束。
花京院ちえりはかわいくなくてはいけませんし、花京院ちえりである以上かわいいに決まっています。
「ちえりちゃんの配信を楽しむコツは『ちえりちゃんはかわいいなあ!』と思って過ごすことです」
花京院ちえりは「かわいい」ことそのものを一種のコンテンツとしているバーチャルYouTuberなんです。
実際にあなたが花京院ちえりを見てかわいいと思うかどうかは知りません。むしろ面白い子だと思うかもしれません。カッコいいと思うかもしれません。漢らしいところもあります。努力家なところもあります。人間として芯が通っていて尊敬できる人でもあります。
それでも、あなたは花京院ちえりの配信を観るとき「今日もちえりちゃんはかわいいなあ!」と思いながら観るべきです。その前提なしに花京院ちえりというキャラクターコンテンツの醍醐味を知ることは難しいでしょう。
なぜなら花京院ちえりはかわいいからです。
これは一種の演劇です。
まずファンが「かわいい」とコメントします。
すると花京院ちえりが「ありがと」と喜びます。
ファンは嬉しそうにする花京院ちえりを見てウキウキした気持ちになります。
花京院ちえりのほうも湧き立つファンを見てテンションを昂揚させていきます。
彼女の配信ではそういう茶番劇を毎回のように繰り返しています。
その定型文じみた筋書きに従うとみんなが楽しくなれるからです。
そろそろマジメなことを書きましょうか。(いや、↑までもだいぶマジメでしたが)
バーチャルYouTuberというキャラクターコンテンツがあります。
やっていること自体は全然特殊なことではありません。要はCGを使った着ぐるみ遊びです。モーショントラッキングでリアルタイムにアニメーションさせることができる2Dイラストや3Dモデルを動かして、俳優が身ぶり手ぶりしたり喋ったりするだけです。
「ガワを被っただけの配信者」と言う人もいます。割と間違っていません。
ですが、そのたかが1枚のCGの存在がバーチャルYouTuberを語るうえではとても重要になります。
バーチャルYouTuberにおいて、キャラクターと俳優は同一人物ではないからです。
アニメ声優がアニメキャラではないのと同じように。映画俳優が映画の登場人物ではないのと同じように。
バーチャルYouTuberを演じる俳優は、あくまで彼らの演じるキャラクターとして喋り、動き、ふるまいます。本来の彼らとは微妙に異なる性格や年齢、種族、境遇の人物を演じることになります。
ファンのほうもバーチャルYouTuberのキャラクターを俳優本人だとは考えません。多くの俳優はプロフィール非公開ですが、少なくとも“キズナアイ”とか“電脳少女シロ”とかいう本名を持つ人物が実在することはないでしょう。あんなアニメみたいな外見も。彼らの言動には大なり小なりフィクションが混じっていると捉えます。
バーチャルYouTuberのキャラクターは本来この世界のどこにも存在していません。誰かが演じている間だけ、そして誰かに観られている間だけ、YouTube等のメディアに出現します。
そういう虚構性がバーチャルYouTuberの“バーチャル”たる所以です。
俳優がたった1枚CGを被るだけで、その場に虚構の存在が出現したという俳優 – ファン間の共通理解を成立させられるんです。
俳優は(多くの場合)台本すらないキャラクターの“らしい”ふるまいを想像しながらその場その場の即興で演じてみせます。
ファンは実在しないとわかりきっているキャラクターをあたかも実在しているかのように心に思い描き応援します。
お互い虚構でしかない存在を見て、お互いその虚構存在に実在感を与えるため自分にできることをする。そういう相互的かつ創造的な営みが面白くて、私は今バーチャルYouTuberを観ています。
「ちえりちゃんはかわいいなあ斉唱。それではご唱和ください。
『朝からちえりちゃんはかわいいなあ』
『昼でもちえりちゃんはかわいいなあ』
『夜ももちろんちえりちゃんはかわいいなあ』
わ、すごい。みんなすごい。ありがとう! すごいすごい!」
花京院ちえりの配信で営まれているのはまさにその好例。
その場にいる誰もが「ちえりちゃんはかわいいなあ!」を最大限楽しむために集まっています。
誰かが求めれば誰かが応え、誰かが喜べばみんなも喜ぶ。とりあえず「かわいい!」って叫んどきゃみんな幸せ。そういう世界で一番平和な空間をみんなで力を合わせてつくっています。
いつからかファンは「従業員」と呼ばれるようになりました。
花京院ちえりは10万人の従業員を統べる経営者であり、ファンは彼女の喜ぶ顔を見るため時給200円(減給されなければ)かつ年中無休で働いているという設定が付加されました。
従業員と呼ばれる彼らは花京院ちえりにとってそれまで以上に大きな存在になりました。
いい感じに話題を振ればほどよく気の効いたコメントを返してくれ、しょうもない罰ゲームを振ればノリノリで付きあってくれ、従業員ネタの歌やグッズを出せば笑い、がんばったときは褒め、苦労したときは励まし、失敗したときは応援して、お腹が空いたら焼きそばパン、隙あらばキザにもなり。
従業員の存在は花京院ちえりの配信において欠かせない目玉コンテンツのひとつとなりました。
従業員が生まれたことで花京院ちえりというキャラクターはいっそう魅力的になりました。
花京院ちえりの配信はリアルタイムで参加するのが面白い、と評判にもなりました。
ちなみに彼女の配信を観た時点で視聴者全員従業員にされてしまうので悪しからず。
花京院ちえりをつくったのは彼女を演じる俳優だけの力ではありません。
もちろんその功績はきわめて大きいですが、それでも花京院ちえりを語るならファンの存在抜きにはできません。
花京院ちえりというかわいい虚構は人と人との間に生まれます。いつだって従業員一同のいるところにやってきます。かわいく。
彼女はそういう子で、そしてそういう子でありつづけるために彼女自身も日頃から最大限の努力と配慮をがんばってきました。凜としてかわいく。
花京院ちえりはかわいいバーチャルYouTuberです。
どこかで誰かがかわいくありたいと願ったからです。
誰もがかわいい彼女に会いたいと望んだからです。
「ちえりちゃんはかわいいなあ!」
私たちが言うんだから、間違いない。
コメント
全面的に同意します。
何故ならちえりちゃんはかわいいからです。
共感します。
なぜなら私もちえりちゃんはかわいいって思うからです。