魔法つかいプリキュア!第44話感想 みんなで守る、みんなの輪。あと子どもかわいい。

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・・・だから今度は私たちが頑張るの!

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(主観的)あらすじ

 はーちゃんの過去を探ろうとしたオルーバの闇の魔法で、みらいたちは幼児にされてしまいました。子どもらしく自由に振る舞い、魔法も失敗してしまうみらいたちのお世話でモフルンはてんてこ舞いです。
 おまけに復活した闇の魔法つかいたちが襲撃してきてもう大変。一番年長のモフルンはみらいたちを庇って戦おうとします。けれどみらいたちだってモフルンが大好きなので、みんな一緒に戦います。
 戦いの中、自分の過去を探るためだけにみらいとリコまで巻きこまれたことを知ったキュアフェリーチェは怒り、大切なみんなを守るために闇の魔法つかいたちを撃退します。

 河野作画がとってもかわいい子ども回。けれど子どもになること自体には実はそれほど意味はないので、物語的には助け合い回と考えるべきでしょうか。それにしてもかわいい。ぷにぷにかわいい。
 魔法つかいプリキュア!は敵側の事情を描かない物語なのですが、それでも闇の魔法つかいたちには終わってしまった物語についてそれぞれ思うところがある様子。このあたりの描き方はみらいたちの知らないところで成長していたジュンたちに通じるところがありますね。私たちの生きる世界は私たちが知る範囲だけが全てではなくて、だからこそみらいたちは3人の閉じた輪を飛び出して外へ手を伸ばす必要があるんです。

子ども

 本筋にはあんまり関係ないのですが、子どもの心理についてニワカウンチク。

 一般に、子どもの集中力は大人ほど長く持ちません。プリキュアの映画が上映時間70分を超えられないのはそのためですね。本当はこれでも長すぎるくらいで、実際未就学児を中心に途中で飽きはじめる子を少なからず見かけますね。
 ちなみにアンパンマンはもっと短くて、長編45分程度、短編20分程度の2本立てが基本になっているようです。
 いくら映画が面白くても夢中になれる時間には限界があり、それは年若くなればなるほど短くなっていきます。大人向けですら、七人の侍とかアラビアのロレンスとかの3時間を超える大作には途中休憩がありましたね。

 学校の授業時間にも子どもの集中力限界は考慮されていて、小学校は1コマ45分、中学校は1コマ50分が基本とされています。私の通っていた学校(全て公立)だと小学校低学年はさらに短くて1コマ40分、高校は普通より少し長くて1コマ60分でしたね。大学は1回の講義あたり1コマ45分×2単位で90分。また、週あたりの授業数自体も少しずつ増えていきます。
 もっとも、心理学的には大人でも連続90分なんて集中してられないはずなので、教育学や心理学の教授の中には適宜講義時間を調整したり休憩時間を挟んだりする方もいますね。一般企業でもお昼休み以外に適宜小休止を認めているところは少なくありません。

 「ねえ、手もこんなにちっちゃくなってる」「鳥さん遊ぼ」 みらいたちが校長先生の長話を聞いていられず、奔放に遊びはじめるのはそういうわけです。・・・わざわざ長ったらしく説明しなくても誰もが感覚的に理解していることでしたね。
 大発見した!って顔でどうでもいいことを言いだすみらいかわいい。

 また(当たり前のウンチクおかわり)、実は子どもは現在・過去・未来の時間の連続性が曖昧です。いくら魔法が失敗してもすぐにまた別の魔法を使ってしまうのは、失敗に懲りていないのではなくて、さっき使った魔法とこれから使う魔法を全く別のものと認識してしまうからなんです。
 リコが空を飛んで失敗した。はーちゃんが空を飛んで失敗した。はーちゃんがパンケーキを出して失敗した。3つの出来事がそれぞれ全く別の経験として脳内で処理されてしまうんですね。
 ちなみに経験自体は蓄積されていくので、成長して時間の連続性を認識できるようになると幼いときの経験もちゃんと生きてきます。
 自分で出したパンケーキを自分で消して誇らしげなはーちゃんかわいい。

 さらには自分と他人の境界すらも曖昧です。サリー・アンテストが有名ですね。アスペルガー障害の診断に用いられることで知られていますが、あれは本来幼児の発達段階を見極めるために開発されたものです。
 子どもは自分が知っていることは他人も知っていると考えてしまいます。自分がやりたいことは他人もやりたがっていると思ってしまいます。「あの子がボールくれるって言った(実際は奪い取った)」「一緒にケーキ食べた(実際は一人で全部食べた)」などと事実と異なることを言う子がよくいますが、あれの一部は嘘をついているわけではなく本気でそう認識していることがあります。わざと嘘をついている子もいますけどね。
 ほうきから落ちたはーちゃんを「大丈夫?」と気遣っている最中のリコを押しのけて、みらいが「痛いの痛いの飛んでけ」を始めちゃうのはそのせいです。別にリコの邪魔してまで自分のやりたいことを通そうとしたわけじゃなくて、自分が「痛いの痛いの飛んでけ」をやろうとしていることを、リコも同意しているはずだと思ってしまうのです。
 いきなり間に入られてきょとんとしているリコ可愛い。

 というかこんな細かい描写にまで子どもらしさを盛り込んでくる河野作画監督がスゴイ。河野さんがやったことだと確定しているわけじゃありませんが、過去の仕事ぶりを見る限り、こういうのをきっちりやるのはたぶん河野さん。

モフルンだけじゃない

 子ども描写以外で今回の面白いところといえば、ミトメールの対象がモフルンじゃなかったところですね。彼がプリキュアじゃないから必然的にそうなったといえばそれまでですが。それにしたって今話のストーリーと直接関係のない部分でのフェリーチェの怒りがキーになったのは引っかかるところ。

 トルマリンは磁性を持つことが特徴の石です。磁石のように惹かれ合い繋がり合う人間関係を育みます。
 ふたつの磁石のように、お互いに、です。人と人との関係性はたったひとりが守り、維持し続けるものではありません。

 彼女たちの関係は、みらいたちが一方的にモフルンを守る関係でもなければ、モフルンが一方的にみらいたちを庇う関係でもなく、さらにははーちゃんが一方的にみんなを巻きこんでしまう関係でもありません。みんながみんな、できるときにできることで繋がりを維持しあう関係です。
 「今はみんなちっちゃいし、魔法もうまく使えないモフ。だから今日はモフルンがみんなを守るモフ!」
 「だから今度は」「私たちが頑張るの!」
 「ミラクルもマジカルもモフルンも大切な存在です。私のために彼女たちにまで手を出すのは許しません!」

 だから三者三様に、それぞれ自分の立てるステージで、お互いにみんなを守り合うんです。「悲しいお別れ」を退けることができるとしたら、それはたったひとりの努力ではなく、みんな一緒に頑張って初めて勝ち取れるものです。

 たったひとりで手は繋げません。みんながお互いに手を取り合って初めて手を繋ぐことができるんです。すさまじい力を持ったひとりではなく、どこにでもいる私とあなたの間にこそ、奇跡の魔法は宿ります。
 だから、今回精霊の祝福を受けたのはきっとモフルンでもフェリーチェでもなく、みんながお互いを守り合おうとした関係性そのもの。
 「私のおかず分けてあげる」「私も」 それはちっとも特別なことじゃなくて、どこにでもある、いつだってある、誰にでもできる、けれど何よりもステキな奇跡の魔法。悪い怪物をやっつけることから晩ご飯のおかずを分けてもらうことまでなんだってできる、究極の魔法。

 残り3つ。間もなく太陽魔法が完成しようとしています。手を繋ぐ物語はいよいよ繋がり合うステキを当然のものとし、次回、断絶したきり永遠に失われた死者との繋がりすらも再び取り戻そうとしています。ソルシエールさん、出番ですよ。

今週の魔法文字

闇の本1ページ目左:「NAKAMI NO MONDAI」「THUGI NO KADAI WA KOKONI NANI WA IRERUKA DEARU.」
「中身の問題」「次の課題はここに何を入れるかである。」
 つくづくこの人の「I」の書き方はフリーダムですね。ひとつの文中にあってすら、とても同じ人が書いた同じ文字とは思えません。

闇の本1ページ目右:「GEN-」「1」「HIKARI NO MAHO NI MOZHI RARERU」「OYOSO 20 CM」「2」「HOKA- YO ITE」「YOSUMIGA TUITEIRU M- WA SAIKI-」
「1」「光の魔法に用いられる」「およそ20cm」「2」「四隅がついてる魔法はさいき-」
 クシィの研究のアプローチは魔法陣の形についてのものが多いですね。20cmってなんだ。大きさ固定なのか。
 ちなみにキュアミラクル・キュアマジカルの使う魔法陣は5芒星なので1の光の魔法、キュアフェリーチェの使う魔法陣は四隅がある形なので2の“さいき-(最強?)”に分類されますね。他にも5角と7角を組み合わせたレインボーキャリッジや、3つの円を直線上に配する校長先生、三角形を重ねた形のダークマターなど、このアニメ、意外と魔法陣の種類は多かったりします。

闇の本2ページ目右:「NANI- HOSHI WA KANKEI NAI」
「星は関係ない」
 闇の魔法は星形(光の魔法陣)からは派生しないようです。実際、後に完成した闇の魔法陣はドクロを三角形に配したものですからね。ダークマターも三角形でしたし、三角形はムホーに近いのでしょうか。

闇の本3ページ目左:「HAMIDASI WA GENKIN」
「はみ出しは厳禁」
 完成した闇の魔法陣でははみ出しまくっていますけどね。闇の魔法が既存の魔法と異なる法則だったのなら、そりゃなかなか完成しないわけですよ。

闇の本3ページ目右:「MEMO」「KYO KIGATUKEBA PAN- DOOR NO NOBU NI KUDAMONO TO – AITHU GA KITEKURETA NODAROUKA.ARIGATAKU ITADAKUKOTO NI SIYOU.HEYANO NAKAKARA HURUI SHASIN GA DETEKITA.」「MAHO GIN NO KATATI」「MAHO GIN NIWA MAWARI WO KAZARU SHINBOL(KATATHI NIWA RURUGA ARU.) GA SONZAI SURU」「1 HOSHI」「KOKO WA ATTEMO NAKUTEMOII.」「HIKARIWO TUKASADORU YAMI NO MOHO NIWA KANKEI NA INO DAROUKA.」「2」「SANKAKU WA KASANETE- NANIMO WOKINAI…」
「メモ」「今日、気がつけば- ドアのノブに果物と- あいつが来てくれたのだろうか。ありがたくいただくことにしよう。部屋の中から古い写真が出てきた。」
「魔法陣の形」「魔法陣には周りを飾るシンボル(形にはルールがある)が存在する。」「1 星」「(注:五芒星の内側の五角形を指して)ここはあってもなくてもいい」「光を司る。闇の魔法には関係ないのだろうか。」「2」「三角は重ねても何も起きない・・・」

 メモというより日記。同人作家が喜びそうなネタです。写真は2ページ目に挟まれていますね。
 闇の魔法については三角形(六芒星)が正解だったわけですが、どういうわけかこの時点では何も起きなかったため、次のページ以降で一旦研究対象から外されています。いったい何が足りなかったんでしょうね。
 ちなみにオルーバが逆順にめくっているだけであって、この本は本来左綴じです。実際には3ページ目→2ページ目→1ページ目の順に書かれていることになります。

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