スタートゥインクルプリキュア 第45話感想 きらきらひかる。

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私は私。輝いていたいんだ!!

(主観的)あらすじ

 みんな変わりつつあります。ララは宇宙人だってクラスメイトに隠さなくてもよくなり、えれなは留学の準備中、まどかも主体的に進路を考えていて、ユニも前より距離を詰めてくれるようになりました。みんな心にトゥインクルイマジネーションを抱いています。――ひかる以外は。

 雨の日。なんとなくひとりになりたくて、ひかるは特に当てもなく寄り道しながら歩いていました。
 ふと目についたのは、遼じいのプラネタリウムで催される冬の星座教室のポスター。懐かしく思いました。小さなころ、ひかるはこの星座教室がきっかけで星のことが大好きになったのでした。
 織姫星でもあること座ベガがお母さん、彦星のわし座アルタイルがお父さん、そしてはくちょう座デネブがひかる。夏の大三角が、なんだか七夕の日にしか会えない自分の家族みたいに見えてきて、それなら1日しか会えなくてもずっとつながっているんだと思えたのでした。
 ひかるのそういう思いに遼じいがひとつ付け加えます。はくちょう座は夏の星座だけれど、デネブの輝きは冬でもよく見える。季節ごと、デネブのまわりに見える星は変わる。8000年後にはデネブは北極星になるともいわれている。環境や状況が変わってもデネブは変わらず輝きつづけるんだ、と。

 みんなに置いて行かれているように感じていました。
 昔のひかるはこうじゃありませんでした。まわりを気にせず、いつもひとりで楽しいことを見つけられていました。なのに、友達と過ごす楽しみを知って、前よりもっと楽しいことを見つけられるようになって、そうしたらどうしてか、こういう寂しい思いにまで向きあわざるをえなくなりました。
 ひかるはララたちのように変わることができずにいました。

 襲撃。
 ひかるにはとても理解できない深い憤りを武器に変え、カッパードが猛攻を仕掛けてきます。ひかるでは到底太刀打ちできません。フワやララ、他の仲間たちも助けに来てくれますが、それでも歯が立ちません。
 傷ついていく仲間たちを見て自分の無力さを嘆くひかる。なのに、ララはそんなひかるに対してそのままでいいと言ってくれました。みんなひかるのおかげで変わることができて、みんなひかるの言ってくれたとおりに変わることができて、だからひかるはひかるのままでいいんだと。

 変わらない自分の姿を受けとめて、ひかるは再び歩みはじめます。
 ひかるのなかにトゥインクルイマジネーションが完成します。
 知りたい。もっと。いっぱい。みんなを。ずっと。子どものころからひかるにキラやばー!な思いをたくさん見つけさせてくれた好奇心が、ひかるをひかるのままで輝かせます。

 今話はたくさんの魔法が織り込まれたエピソードでした。

 「サザンクロスはね、人々に進む力を、イマジネーションをくれる星座なんだよ。ね。ひかるにぴったりだろう」(第11話)
 「私がデネブで、織姫のベガがお母さん、彦星のアルタイルがお父さんだって。つながってるって思って」

 「同感だ。敵を知れば弱点もわかる。倒すのに好都合というものだ」(第35話)
 「怖くない。あなたのことが少しわかったから」

 「恐怖は思考を停止する。行け! 全てを奪い取るのだ!」(第1話)
 「俺が恐れているだと!? 砕け散れ!!」

 「そんなこと、ないルン。スターは遠く離れた宇宙からフワを呼んだルン。イマジネーションの力で」(第11話)
 「そんなこと、ないルン。キレイゴトなんかじゃないルン。ちゃんと仲よくなれたルン」

 「ララちゃんはララちゃんだよ!」(第2話)
 「ひかるはひかるルン」

 過去と重なる言葉。対となる言葉。セリフだけではなく、細かな行動ひとつひとつにもたくさんのリフレインが仕込まれていました。
 変わったものがあります。変わらなかったものもあります。そんな、ひかるの見てきたあらゆるものの集大成が今話で、今のひかるという女の子。
 観ている私たちが全部のリフレインに気付く必要はきっとありません。たぶん私も全部は見つけていません。こういう仕掛けは視聴者が見つけられなければ効果がないなんてことはなく、ただ観ているだけでなんとなく心に引っかかりを覚えるもの。なんとなく感動を増強してくれるもの。
 私たちは気付いてもいいし、気づかなくてもいい。どっちにしても仕掛けは十全な効果を発揮します。そういう意味で、私はこういう物語に埋め込まれた仕掛けを魔法と呼んでいます。

夏の大三角

 「待ってよ! 陽子ちゃん、春ちゃん!」

 いつも追いかけていた背中。微笑みあった日々。けれどそれぞれ進むべき道を歩みはじめたころ、気がつけば彼と彼女とともに歩む権利はささやかに失われていて。
 「叶ったな。天文台で働く夢」
 「おめでとう。遼ちゃん」

 恋愛感情があったのかといえば微妙なところ。あってもなくても物語は成立します。どっちにしろ彼の隣は彼女のもので、彼女の隣は彼のもの。子どものころなら3人並んで歩めた道も大人になれば2人がやっと。なにより、こちらももう自分のための道を新しく敷いてしまいました。
 「友達とときには比較してしまうよ。時の移ろいとともに周りは変わる。焦りや戸惑いだってあるさ」
 遠くの道をまぶしく思うこともあるでしょう。向こうのほうが先を進んでいるように見えることも。けれど、本当はそんな比較に大した意味はありません。歩んでいる道も、目指すべき目的地も、今はもう違っているんですから。
 周りの景色は常に移ろいつづけます。なにせ、あなた自身が今まさに歩んでいるんですから。

 「キラやばー!」

 時は流れ、ひとり歩んできた道に再び誰かの道が交わります。
 「目を離すとすぐいなくなる。まったく」
 「遼ちゃん。ありがとうね。もう2人でも追っつかなくて」

 かつて自分が背中を見送ったあの2人ですら追いつけないらしい、小さな背中。早足のような、うつむいているような、不思議なリズムの足音。
 「ひかるちゃん、出てみるかい? 夏の星座教室」
 もう一度背中を見送ってみるのもいいかもしれません。
 せっかく道が交わったのですから。
 自分以外の誰かが、どんな道を、どこへ向かって歩んでいくのか、それを見届けるのも楽しい。

 七夕の季節でした。
 お父さんがもうすぐ帰ってくる頃合いでしょうか。それともまた旅立ったばかりなんでしょうか。この子がひとりで遊びまわっているということは、少なくとも今日は家にいないんでしょう。もしかしたらさびしさを紛らわせたくて冒険していたのかもしれません。
 「三角になった!」
 その証拠に、彼女は織姫と彦星ともうひとつの星が線でつながったことをたいそう喜んでいました。
 「年に一度、お父さんは七夕に帰ってくるでしょう? 私がデネブで、織姫のベガがお母さん、彦星のアルタイルがお父さんだって。つながってるんだって思えたり」
 たとえ大好きな人と道が分かたれているように見えたとしても、見かたを変えればちゃんとつながっている。離れていても、離れはしない。

 「珍しいね。近頃、天文台に来るときはララちゃんたちと一緒だったろう」
 「・・・一緒、か。だよね」

 ひかるは今、寂しさを感じていました。
 かつての遼じいと同じ寂しさを。
 かつての自分と同じ寂しさを。

 今日はフワだけと一緒にいたいと思ってしまいました。
 「フワがいるから大丈夫フワ。みんなといつでも会えるフワ!」(第44話)
 だって、この子だけがずっと傍にいてくれると約束してくれたから。

 「留学って調べると大変でさあ」
 「まどかはどうするルン?」
 「まだ考え中です」
 「みんな色々考えてるルン。ユニもロケットに住むって言うし」
 「惑星レインボーに戻るまでの間だけよ」

 大好きなみんなが変わりはじめました。喜ぶべきことです。もうすぐみんな、自分の夢に向かってそれぞれの道を歩みはじめるでしょう。ステキなことです。
 それに、別に今生の別れってわけじゃありません。みんなでときどき集まろうって約束もしました。そもそもフワがいるんだからいつでも会いにいくことができます。だから寂しく感じる必要はないんだろうけど・・・。
 「トゥインクルイマジネーション・・・」
 私だけがみんなと違う。いつもの自分ならここまで重く感じることはないのかもしれないけれど、今はどうしても違いが気になってしまう。

 「私さ、いつも自分が楽しければひとりだって平気だった。でもね、今はララたちが、みんなが、とっても気になるの。『自分だけ進んでない』『取り残されてる』って思ったり、焦ったり。なんか、私、おかしいんだよ」

 一緒がいい。
 たとえこれから進む道がそれぞれ違っているにしても、それでも一緒がいい。
 織姫と彦星が会えるのは七夕の1日きりだけど、夏の大三角は七夕じゃなくてもずっと一緒。離れていても離れはしない。
 だけど。だからこそ。私は――本当にみんなとつながっていてもいいんだろうか?

 一緒がいい。
 だって、みんなと一緒だったら、つながっていても変じゃないでしょう?

デネブ

 「はくちょう座は夏によく見えるけどね、デネブの輝きは冬でもよく見える。それをみんなに教えたくて」
 「夏と冬ではデネブの周りで輝く星、星座は違う。デネブはおよそ8000年後には北極の近くで輝く。環境や状況が違っても、デネブは変わらず輝きつづけるんだろうね」

 遼じいは自身の経験を踏まえ、変わらないことはおかしいことじゃないと励ましてくれました。
 ひかるにとっても少しは救われる思いです。
 けれど、これだけではひかるの感じている寂しさを解消するには足りません。

 ひかるは、近い将来ララたちとお別れすること自体はすでに受け入れています。周りが変化することだけなら耐えられます。
 ひかるが本当に気にしているのはその後のこと。離ればなれになったあとで、それでもみんなとつながっていられるんだという確信を持ちたいんです。だからトゥインクルイマジネーションの有無なんていう、これまで気にしていなかったささやかな違いまで気になってしまいます。
 これまで周りとの違いを意識していなかったマイペースガールが、友達ができてから急に違いを意識するようになったのは、つまりそういうことです。一緒がいい。だって、友達と一緒な部分が多ければ多いほど絆も強くなるような気がするから。

 ですが、その願いが叶うことはまずありません。前話から引きつづき、相変わらず。
 少し考えてみればわかることです。
 だって、友達との絆って、そもそもひかるひとりで悩んでどうこうできるような問題ですか?
 そんなの、奇跡でも起きないかぎりありえません。

 では、どうすればひかるの感じている寂しさを解消することができるでしょうか?
 まず、ひとりの努力でどうにかできる可能性があるのは、自分が友達から必要とされていると確信することです。他に代わりのいない、どうしても必要な人とのつながりをわざわざ切ろうとする人はまずいないでしょう。
 カッパードの故郷の星も、水資源がある間は多くの異星人たちによって賑わっていました。根こそぎ奪われたあとは誰も寄りつかなくなったようですが。
 ただし、ひかるにはこの手段を取ることができません。そもそもこんな生臭い手段を選べるほどドライな友達関係じゃありませんし、しかも今のひかるは自分だけトゥインクルイマジネーションを完成できていないという劣等感に冒されているからです。
 「私のせいだ・・・。私がトゥインクルイマジネーションを見つけられないから・・・」
 フワのアシストを生かすことができず、ララに庇われている自分が彼女たちにとって必要な存在だなんて思えっこありません。変わらない自分というイメージもいよいよもって悪印象。なおさら必要とされる未来が見えません。

 だったらどうしたらいいんでしょうか?
 ・・・だからそんなの、最初からわかりきってるってば。

南十字星であり北極星でもあり

きらきらひかる お空の星よ
まばたきしては みんなを見てる
きらきらひかる お空の星よ

きらきらひかる お空の星よ
みんなの歌が 届くといいな
きらきらひかる お空の星よ

(武鹿悦子作詞『きらきらぼし』)

 ここ1年ほどのプリキュアチョコのCMですっかり耳に馴染んだ童謡『きらきらぼし』。今朝上げた別記事と比べていただけるとわかりますが、実はこの日本語詞は原詞に忠実な翻訳ではありません。(かといって私の訳もめっちゃ好き放題やっているのですが)

 1番はまだしも、2番に出てくる「みんなの歌が届くといいな」なんて原詞のどこにも存在しないフレーズなんですよね。
 ですが、原詞を読んだ人なら、おそらくこの日本語詞がきわめて秀逸な翻訳であることに納得することでしょう。

 「昔、人々は南の空に輝くサザンクロスを目印にして旅をしていた、そう教えたけどね。ただの目印じゃないんだよ。旅人はね、サザンクロスを見ながら遠くで待つ大切な人や、新たな大陸を思い描いたんだ。サザンクロスは人々に進む力を――イマジネーションをくれる星座なんだよ」(第11話)

 かつてひかるは南十字星に例えられたことがありました。
 「スターの想像力のおかげで、私、プリキュアになれたルン!」
 「スターが、ひかるがいなければ、私はみなさんと楽しくお話しすることもありませんでした!」
 「ひかるのイマジネーションはね、みんなを思って、結びつけてくれるんだ。みんなを新しい世界に連れて行ってくれるんだよ!」
(第11話)
 ララたちはみんなひかるの見せた豊かな想像力に惹かれ、導かれ、そのおかげでそれぞれの道を見つけた今にたどり着いています。
 ひかるの想像力には、周りの人たちの足を前へ踏み出させることができる、素晴らしいパワーがあるんです。

 ララたちにとってひかるが必要な人かといえば、今さら確認するまでもなくかけがえのない大切な友達。
 「見つけられるはずがないだろう。お前ごときが。この宇宙の現実も知らず、異星人同士が理解できるなどとキレイゴトを言っているお前ではな!」
 「・・・そんなこと、ないルン」

 ララたちはこれまでひかるにたくさん助けられ、ひかるのしてきたことがいかに正しかったのかをずっと見てきました。
 「キレイゴトなんかじゃないルン。ちゃんと仲よくなれたルン。ひかるやえれな、まどかたち、それだけじゃないルン。あなたも見たルン。2年3組のみんなを!」
 ひかるがいくら自分のことを卑下しても、ララたちはひかるがどんなにすごい子なのかを知っています。語ることができます。
 「みんなが受け入れてくれたルン! 私らしくしてても、ちゃんと理解しあえるって、ひかるが教えてくれたルン!」
 ひかるがどんなに自分を疑おうとも、ララたちがひかるのことを信じています。

 きらきらひかるお空の星は、みんなを見つめ、同時にそのみんなから愛されてもいます。

 ひかるの願いは叶いません。ひかるひとりの力だけでは。
 けれど、もし誰かの助けを借りることができたなら、こんなに叶えるのが簡単な願いもありません。
 友達との絆を確かめたいのなら、友達に直接聞いたらいいじゃないですか。

 「ひかる。ひかるは、ひかるルン」
 同じ言葉を少し前に聞いたことがあります。
 まだ肌寒かった早春の日。ロケットに乗ってやって来た、やたらと大人であることにこだわっていた女の子との、その出会い。女の子は自立していて、ロケットの修理までできて、傍目から見てすごい子だったのに、そのくせ変なところで自信がなくて、機械が計算した確率なんかに惑わされて、自分はプリキュアになれっこないだなんて言っていました。
 そんな子のためにひかるがかけてあげた言葉。
 「ララちゃんは、ララちゃんだよ!」(第2話)
 故郷の星では落ちこぼれ扱いだった女の子に、それでも自分の可能性を信じさせたまっすぐな言葉。

 「違う! 歪んでなんかいない! 私、何も知ろうとしていなかった。姫ノ城さんのこと。でも、今は少しだけわかる。私、もっと知りたい! 彼女のこと!」
 「同感だ。敵を知れば弱点もわかる。倒すのに好都合というものだ」
 「違う! 私は、私のことも知ってほしい!」
 「敵に自分を? はっ。何のためだ」
 「わかりあうため!」
 「『わかりあう』だと? くだらん。そんなことに意味はない」
 「意味なくなんかないよ、きっと。そこからきっと生まれるんだ。キラやばー!なものが!」
(第35話)

 今、ひかるがやりたいと、やるべきだと思っていることは、たくさんの人ともっとわかりあいたいというもの。
 その正しさをララが信じます。ひかるが信じた、ララが信じます。
 ララが信じてくれるのなら、ひかるも信じないわけにはいかないでしょう。

 「私、知りたい。宇宙のこと。みんなのこと。もっと知りたい! それに、カッパード。あなたのことも」
 うつむいていた顔を上げ、まぶたの裏で輝く星に導かれるように前へ、足を踏み出します。前へ。前へ。2歩、3歩、4歩、5歩。
 「知るだと!? ヌルい環境で育ったお前に何がわかる!」
 「うん。そうだよ。わからない。でも、だから私、あなたの輝きも、もっと、もっと、知りたいの!」

 もう何度目かもわからないくらい繰り返してきたやりとり。
 ひかるの考えかたは変わっていないといえば変わっていなくて、けれど変わったといえば変わりました。
 宇宙のことを知りたいと言っていたのはずっと最初から。
 最初はただ「好きだから」と言っていただけの主張が、「誰に何を言われても好きだから」に変わり、「大好きなみんなと知りあえたから」に変わり、「わかりあえたらキラやばー!なことになるから」に変わり。

 「みんな星みたくさ、きらきら輝いてる。この輝きが教えてくれるの。輝きはそれぞれ違うんだって。――私は私。輝いていたいんだ!!」

 この子は、誰かを好きになりたい気持ちによって、自分まで好きになれました。

 トゥインクルイマジネーション。
 自分ひとりだけでは絶対にできない大きな奇跡を起こすパワーは、誰かを理解し、自分も理解してもらおうという相互的なつながりの間で完成します。
 「カッパード。他の星の人のこと、信じられないかもしれない。でもさ、私のことやみんなのこともわかってほしい。知ってほしいの。・・・怖がらないで」
 過去のトラウマのため前向きに考えることを諦め、歪んだ思いのまま思考停止して暴れまわる人たちを救うには、それこそ奇跡でも起きないと不可能でしょう。彼らは本当はいくらでも変われるはずなのに、ちっとも自分を変えようとしないから。

 それを可能にしましょう。
 5人の女の子はそれぞれが人為的に奇跡を起こし、そして人為的な奇跡のパワーを体感しました。
 今の彼女たちならきっと何でもできるでしょう。
 声をかけ、語りあい、手を差しのべあうんです。やりたいことを「やるんだ」ってはっきり言うんです。奇跡なんて案外そういう陳腐なものでできていたりしますが、そんな陳腐すらめったに噛み合うことがないのが私たちの生きる世界です。
 めったに起きないから奇跡だなんて呼ばれるわけですが、起こしちゃいましょう。
 ただの中学生にすら起こせる奇跡で、物語をハッピーエンドへと導きましょう。

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    コメント

    1. ピンク より:

      ダークネスト様、そんな七夕伝説じみた引き裂き方はあんまりすぎません……?
      どんな気持ちで年末年始を過ごせと。

      という話は置いといて。
      わざわざララにうるさく口出しするからには、カッパードもまだ彼なりの未練があるんでしょう。
      あるいは自分を襲った不幸が宇宙全体で見たらちっぽけなものだと認めたくないのかもしれません(地球でも人が亡くなる交通事故とか、よくよく考えたらえらいことだろうにサラッと流されてしまう)

      いずれにせよ、もう一踏ん張りですね。

      • 疲ぃ より:

         「ぬくぬくとした環境で生きるお前が知ったようなことを!」(第10話)
         「考えたこともなかろう。宇宙の最果て、暗く凍える場所に追いやられ、闇に潜んで生きてきた我々を!」(第11話)
         「見つけられるはずがないだろう。お前ごときが。この宇宙の現実も知らず、異星人同士が理解できるなどとキレイゴトを言っているお前ではな!」

         カッパードは自分を理解してもらえなければ何も好転しないことを理解しています。
         そのくせ、自分が理解されないこと自体をアイデンティティにしてしまっています。
         彼らの力の源が“歪んだイマジネーション”と呼ばれている所以はこういうところ。やりたいこととやるべきことが矛盾しているんです。自分が幸せになれる方法を実践しないからいつまで経っても不幸なまま。不幸だけをひたすら拡大してしまう非建設的な思考停止ぶり。

         だから、今話のひかるが他人を理解しようとする態度を表明したのは彼にとって大きなことです。自分が理解させようとしていないのに、なぜか向こうのほうから理解しようと努めてくれる。奇跡みたいな優しさ。
         ある意味では『魔法つかいプリキュア!』とは逆の物語となっているのかもしれません。あちらのプリキュアが世界から無限の優しさを享受できていたのと同じように、ひかるたちは無制限の優しさをまわりに振りまいていける。それも、彼女たち自身にとっては間違いなく自分のためでもある理論を伴って。

    2. 東堂伊豆守 より:

      アイワーンがユニ/キュアコスモに、テンジョウが天宮えれな/キュアソレイユに、カッパードが星奈ひかる/キュアスターにそれぞれやたら執着していた理由はーーーーーー彼らがノットレイダーとしての戦いで必ずしも満たされていたわけではなく、心の奥底でプリキュアに救って欲しい、手を差し伸べて欲しいと願っていたからなんだろうと思います。
      では、特定のプリキュアに執着する様子を見せないガルオウガは?というと……おそらく、彼はダークネストが与えてくれたモノで既に満たされ救われていたんでしょうねーーーーーーダークネスト様は”死に場所”を与えてくださった、と。
      故郷の星が同胞もろとも崩壊してから、ガルオウガはたぶん”死に損ない”という負い目に苦しんでいたんだろうと思います。そんな彼の許にダークネストがやって来て、戦う”力”と”大義名分”を与えてくれた。これで戦場で華々しく散って、黄泉の国にいる皆の許に行けるーーーーーーそんな風に考えたからこそガルオウガは自分の全てをダークネストに捧げ、ときに無謀とも思える戦いにのめり込んでいけたのではないかなあ、と。
      この”死に損ないの負い目”はレインボー星人・ユニにもみられた傾向ですが、彼女の場合は石化したレインボー星人を甦らせる可能性が残っていたため自暴自棄一歩手前で踏みとどまることが出来た。対するガルオウガの場合は同胞が完全に吹っ飛んでしまっているので、もはや歯止めが効かなくなってしまったのかもしれない。
      さて、ここまで”絶対に諦めない”プリキュアが”諦め切れないでいた”ノットレイダー構成員に手を差し伸べる展開が続いてきたわけですが、では”究極の諦めに救いを見いだした”らしいガルオウガは如何にすれば救うことが出来るのか……?最終決戦に於けるガルオウガVSプリキュアに注目したいところですね。

      • 疲ぃ より:

         ガルオウガはそれこそ完全に思考停止している状態ですからね。彼は自分が誰かの手によって救われることをそもそも期待していません。ですが、今の彼のしていることの先にもまた、彼が救われる可能性もありません。当然のことながら。
         ひどい歪みです。みごとに誰も得していません。

         ・・・いいえ。それでも、彼の活動によって救われた人たちは数多くいました。アイワーンだったり、テンジョウやカッパード、ノットレイたち。ガルオウガは自分以外の救いなら期待し、実践することができる人です。
         その優しさを少しでも自分自身にも向けてあげたらいいのに。
         たったそれだけのことができないというだけで、彼は無限に不幸を拡大していくばかり。
         だったら、彼にしてあげるべきことは明確です。誰かが彼の幸せを願ってあげること。彼は自分が幸せになっていい人間だと自覚するだけで救われうる人です。たったそれだけでいい。

         たったそれだけのことができないからこそ、彼のイマジネーションは盛大にねじ曲がってしまっているわけですが。

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