ID:INVADED 考察 ドグマに落ちる、とは何か。

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私はもうすぐ壊れ、世界を歪めてしまう。だから鳴瓢さん――。

※注:私の考察はガッツリ書いているものほどまず当たりません。

前置き(という名のボツネタ供養)

 ジョン・ウォーカーの出現するイドの世界にはひとつ共通点がありました。
 それはカエルちゃんを殺す凶器が刃物であること。
 穴空きの世界では胸を包丁で刺されて。墓掘りAの世界でも胸を何らかの刃物で刺されて。墓掘りBの世界では首元を自ら掻き切って。

 反対に、ジョン・ウォーカーが確認されなかったイドの世界の場合は。
 本堂町の世界では首つり自殺。花火師の世界では無差別に射殺される地獄に放り込まれて。模倣犯の世界では火事の犠牲者のひとりであるかのように偽装されて。鳴瓢の落雷の世界ではランダムに落とされる雷に撃たれて。鳴瓢の砂漠の世界では水と食料が無いままに衰弱死。
 砂漠以外の世界では一応現実における殺人衝動とある程度リンクしているんですよね。本堂町の殺人衝動は自殺というかたちでしたし、花火師は無差別爆弾テロ、模倣犯は自らの犯行を墓掘りによるものと見せかけようとし、そして鳴瓢は相手が殺人犯なら殺す理由がなくとも殺す、といったように。
 もっとも、リンクしているといってもだいぶ私の解釈が入り込んでいますし、まして砂漠の世界の説明がつかないんじゃ片手落ちもいいところ。これじゃ読んでいる人を納得させるのは無理だなと思って記事にするのは諦めたんですけどね。

 ただ、ずっと気になってはいました。
 ジョン・ウォーカーが出現するイドの世界でのカエルちゃんの死にかたって、現実での犯行手口と全然共通点が見出せないな、と。

連続殺人鬼たちの共通点

 「世界が完全に崩壊するまでまだ少し時間がありそうだ。こうなったらこの架空の世界でジョン・ウォーカーの捜査に全力を挙げよう」(第10話)

 ところで。
 イドのなかのイドの世界において、鳴瓢は連続殺人鬼を殺しまわる傍ら、ジョン・ウォーカーについても捜査を進めていました。
 彼のアジトにあるホワイトボードにはジョン・ウォーカーについて知りうる情報とともに、連続殺人鬼たちのプロファイルがまとめてありました。カメラが遠くて全ては判読できませんが、まとめられている内容はおおむね以下についてのもののようでした。

調査対象:顔削ぎ、舌抜き、腕捥ぎ、股裂き、対マン
プロファイル項目:通称、被害者数、犯行手口、犯行動機についての考察、精神科通院歴

 ちなみに精神科通院歴については以前井戸端スタッフたちが語っていたように、全員ありません。
 被害者数はそれぞれ5~7名。
 犯行手口についてはおおむね彼らの自殺した状況そのまま。舌抜きが使っていた凶器はエンマだと説明がありますね。やっとこの一種で、名前からお察しのとおり閻魔大王が罪人の舌を抜くのに使うアレと同じものです。

 注目するべきは鳴瓢による犯行動機の考察。鳴瓢がここに着目しているということは、少なくとも彼はこれがジョン・ウォーカーを追うための手がかりになりうると考えているということです。
 顔剥ぎについては「自分の顔に対するコンプレックスの裏返しか?」とあります。
 舌抜きについては「嘘を吐かれるのが嫌い?」と読めます。
 腕捥ぎについては「特殊なフェティシズムの暴走 股裂きと同傾向か」
 股裂きと対マンについてはほぼ読むことができません。が、股裂きは腕捥ぎと同傾向ということですし、対マンについては飛鳥井木記が「あの男は人を殴るのが好きなだけじゃなくて殴られるのも好きだから」(第9話)と語っています。鳴瓢との格闘の様子からして素直にこれを犯行動機と解釈してよさそうです。

 また、ここに出ていない穴空きの犯行動機は、脳に自分と同じ風穴を通すことによって何らかの精神的作用を狙っている、というところまではわかっています。
 墓掘りの2人は、瀕死で苦しむ人間に対して倒錯した愛情を抱いていたのが犯行の理由でした。

 これでジョン・ウォーカーの出現が観測された全員について、ひととおり犯行動機が推察されたことになります。
 猟奇的な犯行の割に意外とどれもシンプルな動機ですね。要するにどいつもこいつも自分の欲望を満足させていただけです。(穴空きはもう少し深い考えを隠していそうな雰囲気もありますが) 普通はこんなバカげた動機で人殺しなんてしない、という根本的な点に目をつぶれば、一応は犯行動機として納得できるんじゃないでしょうか。

侵略されたイド – ID:INVADED –

 ここで心理学における“イド”の概念について、ニワカ知識ながらざっくり説明します。

 フロイト心理学において、人間の精神には大きく分けて3つの領域が存在しているとされています。

 ひとつはエゴ。自我ともいいます。
 おおむね私たちが普段「これが私という存在だ」と認識している自分のことです。自分らしさを基準に色々な意志決定をします。頭を使って意識的に判断することもあれば、直感だけでなんとなく行動することもあります。
 なんとなくの意志決定は果たして私が決めたといえるのか? という疑問もあるでしょうが、ほら、いくらなんとなくでも突然鳴瓢が「おっぱいいっぱい夢いっぱい!」とか口走ることはまずないわけでして。明確に意識していなくても、通常、私たちの判断や行動は私の意志によって私らしく決定されています。
 言語化しようとするとすごくややこしい概念ですが、つまるところ「自分」という言葉になんとなく当てはまるものがそのままエゴだと考えてください。

 ひとつはスーパーエゴ。基本的は家族や学校の先生から教わったモラルのことだと思えばいいと思います。
 スーパーエゴは心の監視役です。人が何か悪いことをしたいと思ったときに、法律や、宗教、文化、常識、慣習、その他様々な社会的制約を思いだすことで、取り返しがつくうちに心を踏みとどまらせます。
 こちらも意識されるときと特に意識されないときがあるとされています。どちらかといえば意識されないことの方が多いでしょう。たとえば「人を殺してはいけない」という当然のモラルを私たちはいちいち根拠をつけて検討しないじゃないですか。
 どうしてこれがエゴと分けて考えられているのかといえば、それはこれが他人の影響を受けて育まれるものだからですね。元々自分のものじゃない、後付けなんです。なおかつ大部分は社会全体で共有される価値観でもあるので、まあ、そんなものさすがに「自分」という言葉には当てはまらないですよね。

 そして最後のひとつが、イド。無意識です。
 通常、人間は自分の無意識を観察することができません。意識したくないからこその無意識だからです。無意識領域には剥き出しの欲望、衝動、本能などが押し込められているとされます。たとえば誰かを殺したいとか、他人の金を奪いたいとか、女を犯したいとか、公園でおちんちんびろーんしたいとか。できるわけない、どころか、そんなのやりたいとすら思えないようなとんでもない衝動が渦巻いています。
 「こんなの自分じゃない」と。自分のなかにあるのは事実なのに、なのにどうしてもこれが自分の一部だとは認めたくないものの吹き溜まりがイドです。
 普通の人間が自分の無意識を観察できないのは、無意識が目に見えないものだからではありません。そもそも、見たくないものだからなんです。だからこそ人間の心に無意識なんてものがあるんです。

 人間の精神は自らを3つに分け、そのうちの「自分」と定義したい部分をエゴとし、「自分」じゃないものはイドに押し込め、そしてときどきイドが暴れだそうとするのを「自分」ではないスーパーエゴが監視しています。(ただし、本人が勝手に切り分けているだけで実際は3つとも全部自分の一部なんですが)
 そういうふうに解釈するのがフロイト心理学における人間の精神構造です。

 「自らのイドのなかで自分を思い出して、自意識が無意識の侵略をはじめ、それから逃れようとするイドが嵐を引き起こす。――鳴瓢がドグマに落ちます!」(第10話)

 無意識を意識することがいかに危険な行為なのか、この拙い説明で多少なりとも理解の助けになれたでしょうか?

 ドグマ(dogma)とは宗教における基本教義のことです。その語源には、基本的なもの、原則的なもの、権威をもって定められるもの、(学ばせるのではなく)教えるもの、疑う余地のないもの・・・などといったニュアンスがあります。
 なので、私は当初「ドグマに落ちる」とは自我がスーパーエゴに溶け込んでしまうことだと思っていたんですが・・・。
 第10話のイド嵐の描写を見ていると、どうももっと素直に、第3話で松岡元刑事が説明していた言葉まるっきりそのまんまの現象として理解した方がよさそうな気がしてきました。

 「自分自身のイドに入ることは禁じられている。イドは無意識からの産物だ。イドに潜ることはつまり、無意識を意識することだ。あくまでも理論上だが、イドはその意識の侵略から逃げようとするように、自らを不可視化しながら膨張すると考えられている。そして名探偵はその嵐に呑みこまれ、自分のイドのなかで永遠にさまようことになるんだと。その状態を『ドグマに落ちた』と呼ぶらしい」(第3話)

 「イドは無意識からの産物だ」と、微妙に引っかかる言いまわしになっているのは、単にミヅハノメのつくるイドの世界は思念粒子を元にしていて、本人の精神からは切り離されているからですね。本当に切り離されているかというときわめて疑わしいですが。
 「イドはその意識の侵略から逃げようとする」「自らを不可視化しながら」 このあたりはわかりますね。イドは本来自我に観察されてはいけないものなので、人間の精神の防衛反応として両者の邂逅を可能なかぎり避けようとするでしょう。
 「膨張する」 これがよくわかりません。膨張することがどうして逃げることにつながるのか。
 「名探偵はその嵐に呑みこまれ」 この名探偵はすでに自意識を認識している状態なので、エゴに相当する存在ですね。それが嵐に呑みこまれる。無意識を意識して心穏やかになんていられないでしょうから、それは当然です。
 「自分のイドのなかで永遠にさまよう」 つまり、これまで表層意識で「自分」としてふるまっていたエゴが、今度は無意識領域に封印されてしまうということですね。

 ということは、もしかして「膨張する」というのは、イドに隠していたものがエゴの侵略を避けるべく、反対に表層意識まで出てきてしまうことを意味するんでしょうか。
 つまり、意識と無意識が入れ替わる。

 ジョン・ウォーカーが観測された連続殺人鬼たちの犯行動機は、幼稚な信条だったりフェティシズムの暴走だったり、いずれもシンプルすぎるくらいシンプルな個人的欲望でした。
 まるでイドのなかで抑制されるべきものが一切の抑制されていないかのように。

 ジョン・ウォーカーが観測された連続殺人鬼たちのイドの世界において、カエルちゃんの死因はいずれもシンプルな刺殺でした。現実の世界であれだけ猟奇的な犯行を行っているのに、本来欲望の世界であるイドの世界では殺人を楽しでいる様子がありませんでした。
 まるでイドの世界こそが理性的であるかのように。

ジョン・ウォーカー新説(どうせ当たらないだろうけど)

 これはひょっとすると・・・。
 ジョン・ウォーカーとは、自らを不可視化した、本来イドだったものの姿なのかもしれません。だから顔が見えない。
 そしてジョン・ウォーカー=イドが本来の自我に代わって現実の肉体を動かし、殺人衝動の赴くまま猟奇殺人を楽しんでいる。
 意識が無意識を侵略した結果、逆に肥大化した無意識によって己の尊厳を陵辱されている状態。パンドラの箱を開けたようなもの。

 どうしてそんなことになったのか? 彼らはミヅハノメを使用したことすらないはずなのに。
 いいえ。飛鳥井木記がいます。彼女の夢のなかで、連続殺人鬼たちはいくらでも猟奇殺人を楽しむことができました。よりにもよって自意識を保ったままで。

 そういえば鳴瓢も心ゆくまで殺人を楽しみましたね。対マン。顔剥ぎ。舌抜き。股裂き。腕捥ぎ・・・。もしかしてそのせいでもある? ドグマ落ちと同時にジョン・ウォーカーが出現したのは。
 殺人衝動を極端に肥大化させさえしなければ、第3話で松岡元刑事が語っていたように、肉体を動かす意識が存在しない植物状態になる場合もあるんでしょうか。

 では、そもそも飛鳥井木記の夢に最初に現れたジョン・ウォーカーは何者か?
 この考察においてなら、そいつは飛鳥井木記のイド、と考えるべきでしょう。
 彼女は幼いころから何度も自殺未遂を繰り返していました。この物語においては自殺も立派な殺人衝動。ジョン・ウォーカーを出現させる条件に足ります。
 そして彼女はサトラレ能力持ち。彼女(というか彼女のジョン・ウォーカー)自身が望むのなら、他人を飛鳥井木記の精神に呼び込むことは可能かもしれません。(肝心の彼女の能力でできることの範囲自体がまだ未知数なんですが)
 彼女は自分自身をいたぶりたいがために、連続殺人鬼候補たちを自分の夢に招待した。

 結果、彼女の夢のなかで精神を歪ませ、ドグマ落ちと似た状態となり、自らのイドに肉体を乗っ取られた殺人鬼たちを複数発生させてしまった。
 ただ自分が死にたいだけだったのに、望まぬ影響を世界に与える結果となってしまった。
 ――あげく、結局まだ死ねていない。

 「そもそも生きているかぎり夢は終わらないんです。私のなかから殺人鬼が完全に排除されたとしても、私の記憶がかたちを少しずつ変えて、繰り返し、繰り返し、私を殺すんです」
 「私、暴力の世界のなかで自分がなくなってきているのがわかるんです。このままだと“私”というタガが外れそうで。私が“私”じゃなくなるんです。それは肉体的な死じゃなくて、“私”というものが溶けて、世界にあふれ出て、混ざりあってしまうような。そんな“私”のなくなりかたなんです」
 「それだけじゃありません。世界に溶け込むことで、きっと私は世界のありかたのほうをねじ曲げてしまう。――私は、人間らしく終わりたいんです」
(第10話)

 残り3話。
 物語の結末を見る前に、こうして自分なりの考察を楽しんでみるのも一興です。

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