生徒役:電脳少女シロ、斗和キセキ、カルロ・ピノ

緩い雰囲気だけど問題はガチめですよね。

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↓レジュメがガチなことで知られる私立ガリベン大学↓
出演バーチャルYouTuber
電脳少女シロ
「先生はシロは“あり”ですか?」
「無しだよ! 無しに決まってるだろそんなの」
このところのコロナウイルス騒動で大切なシロの日企画が延期になってしまった無念少女。けれど小峠教官から青いバラの花束を受け取ることはできました。青いバラの花言葉は「夢叶う」。どんなに品種改良してもつくれない色であることからかつての花言葉は「不可能」でしたが、2009年にサントリーの研究グループが開発成功。不可能は可能へと覆りました。これまでたくさんの夢を叶えてきた電脳少女に、これからも不可能は無い。
「いるだけで○○な子」という表現がこれほど似合わない人物もなかなかいないでしょう。いればだいたい何かしています。傍若無人に暴れてみたり、賢く機転の利くトークを繰りひろげてみたり、斜め上にカッ飛んだ名言を連発してみたり、他の共演者を気遣ったり、イジりたおしたり、あるいはゴキゲンにキュイキュイ笑っていたり。ちょくちょくワケワカンナイこともやりたがりますが、そういうときは「シロちゃんの動画は為になるなあ!」と、とりあえず納得しましょう。彼女はあなたが為になることを望んでいます。
まるでアブない人のようですが、そして実際アブない人なのは確かなのですが、ああ見えて彼女は共演者をよく見ています。聡明です。共演者の対応力を推し測り、ギリギリ捌ききれる程度のムチャ振りを仕掛けるのです。おかげでいつのまにか人脈の輪がずんどこ広がってきました。タチが悪いったらありゃしない。
斗和キセキ
「いやー、当たってましたね。よっしゃー!って感じ。あはは」
「軽いんだよな。軽いよねー」
2次元の存在なのに私物は3次元なギャル系バーチャルYouTuber。前回筋肉トークしていたのはけっして営業トークじゃなかったらしく、バッグの中身はびっくりするほど筋トレグッズだらけ。ちなみにプロテインはソイ派です。クラウドファンディングの異様な集金力で話題になった3次元生首も最近ついに完成しました。・・・異様!
背中に背負った三角が某ガンダムに似ているとかなんとかTwitterで大爆発したのが全てのはじまり。そんな意味不明なバズにフツーにリアクションを返していたら、なんだかフツーに爆発的にファンが増えていきました。げに恐るるべき陽キャパワー。どうやら本人も事務所も相当陽気な性格らしく、いっつも無軌道な企画でとりあえず底抜けに明るい動画ばかりを配信しています。
彼女の魅力はなんといっても盛り上げ上手に聞き上手。彼女は自分の知らないことを素直に「知らない」と言える人物です。知らない話題にムリに合わせようとしたり、知ったかぶったりせず、自分は自分のままサラッと寄りそってくれる子。そのさっぱりした性格が心地よくて、BGM代わりに動画を流しているだけでも元気になれます。
カルロ・ピノ
「・・・っ。まあ、まあ、まあ」
「あ、照れてる照れてるー! ツンデレなんだから」
とってもノーブルなクソガキ娘。物腰が落ち着いていて、教養豊か、笑いかたもお上品。だけど妙に負けず嫌いで煽りあい大好きです。小峠教官イジリ大好き。イタズラも大好き。隙あらば1ネタ仕込んできます。その一方で本人に隙はなく・・・、ああいや、滑舌がありましたね。
この子は鉄壁です。知識の盤石さもさることながら、そもそもどんな話題を振られても動揺するということがほとんどありません。というのも、彼女は日頃からよくものを考えて話すクレバーな子だからです。彼女は自分がどういう人物であり、また周りからどういうふうな期待を向けられているのかを明確に把握しているようです。だからブレません。いつも優雅に穏やかに、ウフフとイタズラっぽく笑っています。
人気コンテンツは知識を生かした生物講座と、ゲーム内設定を現実に置き換えて考えてみる考察遊び。なにかと頭が回る子なので、今回のようにゲスト出演するときはちょくちょく気の効いた(こまっしゃくれた)コメントを発します。
授業構成おさらい(+ 補足事項)
超難問:VRの謎を解明せよ!
鳴海拓志先生はVR(仮想現実)の技術者であり、あるいは人間の感じる“現実感”の研究者ともいえる人物です。
VRというと、ゲームやバーチャルYouTuberのようなエンターテイメント分野の技術というイメージがありますが、鳴海先生の研究分野はもう少し基礎的な部分。人間はどんな刺激を与えられるとそれを現実と認識し、もしくはどんな刺激を与えたら人間に現実同様の影響を及ぼせるのか、といった内容の研究を行っています。
こう書くとVR技術がエラい壮大なもののように思えるかもしれませんが、実際そのとおり。そもそも人間が何のためにVR技術を開発したのかを考えたなら、鳴海先生の研究もそこまで大それた発想というわけではないことがわかるかと思います。VR技術自体がものすごく夢のある技術なんです。
そもそも「現実」とは何でしょうか?
どうしたらあなたの目の前にある“それ”を現実のものだと確認できるでしょうか?
簡単です。
目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、指で触れて、舌で舐めてみたらいい。それで私たちは目の前にあるものを、ちゃんと現実に存在しているものだと確認することができます。
「現実」とは、ただそこにあるから現実なのではありません。「現実」とは、私たちが自分の感覚を通して認識してはじめて、そこに確かに存在する現実となれるんです。
VRを“仮想現実”と翻訳することには昔から異論が根強くありました。この訳語では「現実には存在しないもの」というニュアンスで受け取られかねないからです。
VRとはそういうものではありません。VR機器を使ってゲーム世界を冒険したり、飛行機の操縦訓練をしたりする体験は、たしかに機器を外せば目の前から無くなるかもしれません。ですが、そこで何かを体験したということ自体は事実として残ります。私たちは体験した冒険の想い出を語ることができますし、操縦訓練も実際の業務に役立てることができます。
VRとはむしろ、「本質的には現実そのもの」なんです。
今回の授業ではそういった意味でのVRを勉強していきます。
トピック1:VRは何のために作られたの?
VRの源流といえるものはいくつかあります。
1960年、映画監督のモートン・ハイリグがTelesphere Maskという世界初のヘッドマウントディスプレイを開発。これはあくまで3D映像とステレオ音声を流すだけの普通のヘッドマウントディスプレイでした。ちなみにモートン・ハイリグはSensorama Machineという、現代でいうところの4Dシネマのようなものを体験できる機器も開発しています。先進的すぎて商業的にはいずれも失敗しました。
そのおよそ30年後、1989年には“VRの父”ジャロン・ラニアが中心となってThe Eyephone & The Data Gloveを開発。こちらは頭の振りや手の動きを映像表現に反映することができました。(このうちThe Data Gloveの廉価版を一般向けに販売したものが、知る人ぞ知るファミコンの周辺機器Power Gloveですね)
この流れとは別に、フライトシミュレーターとしての歴史もVR技術の発展には大きな影響がありました。
フライトシミュレーターには、飛行機というものが発明された瞬間から現代に至るまで、きわめて高い需要がありました。まず飛行機そのものが高価で、さらに実際に飛ばしたときの燃料費や整備費も高くつき、あげく事故リスクもきわめて大きいというわけで、訓練生にいきなり飛行機を操縦させるのは実質的に不可能だからです。
特にアメリカ空軍では昔から高速飛行中の目視による状況判断を重視していて、飛行中の映像を表示できる訓練機器の開発が進められていました。
1970年代にはコンピュータグラフィックスを活用した映像表現がなされるようになり、80年代にはいよいよVR技術を採用。現代では操縦を反映してモニタの映像が動き、さらには音響や機体の振動まで細かく再現された高度な訓練機器が実際に使用されています。
お金がかかる。危険が大きい。そんな分野においてVR技術は大いに活用され、また、今後のさらなる発展を期待されています。
「人間の欲望と快感。やっぱりこの世では我慢ができなくなった人間たちがつくったんじゃないですかね」
「よっぽどプレイボーイの遊び人が、リアルのおなごじゃ飽き足りず、理想の恋人とリアルな同居生活をするためにつくったんだと思います」
斗和キセキと電脳少女シロの回答はある意味でVRの歴史の本質を突いています。VRの歴史とはエンターテイメントにおける新たな表現の追求であり、またその一方で現実にはなかなかできない訓練などを実現するための実用品としての側面もありました。
新しいこと、できないことを実現しようというのがVR技術の開発動機です。
VRのことを「欲望のスポンジ」と表現したのは、先ほど登場したThe Eyephone & The Data Gloveの開発者でもあるジャロン・ラニアー。現在はMicrosoft社でHoloLensの開発に携わっています。
ちなみに、先生はこの発言をポジティブな意味で紹介していましたが、元々の発言意図は「VR技術は、本来なら様々な制約によって抑制されるはずの人間の欲望を際限なく実現させてしまう危険性がある」といったニュアンスのものだったりします。
いずれにせよ、新しいこと、できないことへ向かっていく果てしない欲望があるからこそ、VR技術は今日まで脈々と発展しつづけてきました。
トピック2:なぜVR内の体験で体が反応するの?
「前世の記憶なんじゃないですか? 板渡ってて、落ちて、お星さまになってしまった人の記憶がVRによって呼び覚まされる」
「あんまり板の上から落ちてお亡くなりって・・・、『カイジ』か何かだよそんなの。あんま聞いたことねーよ」
カルロ・ピノの回答と小峠教官のツッコミ。
人類史をネアンデルタール人出現から数えておよそ40万年、寿命をだいぶ長めに見積もって40年としても、転生できるチャンスはおよそ1万回。1万回も人生を繰り返していたら、1度くらい板から落ちて死ぬ経験をすることも無きにしも非ず?
「映像を見て、なんか共感を覚えちゃった体が、こう、勘違いしてドキドキしちゃうのかなって。シロも今映像を見てて吊り橋効果が発生してきて、今すごく英二にドキドキしてるよ」
電脳少女シロが正解。吊り橋効果の話も何気にいいところを突いています。
ここでは「ラバーハンドイリュージョン」と呼ばれる実験をしました。被験者はもちろん小峠教官。
小峠教官には右手を自分から見えないように衝立の向こうに広げてもらい、衝立の手前側には右手の模型を置きます。次に、この状態で本物の右手と模型の右手を同時に、同じようにハケで撫でます。こうすることで小峠教官はなんだか模型が本物の自分の右手のように感じられてきます。
そこをすかさずハンマーでドン! 模型の手を思いっきり殴りつけます。
すると、小峠教官はまるで自分の右手が殴られたような感覚になって、慌てて手を引っ込めました。
これがVR内の体験で体が無意識に反応してしまう原理です。触覚から来る情報では自分の手が撫でられていて、なのに視覚から来る情報では模型の手が撫でられている。この情報の齟齬を埋めるため、人間の脳は模型の手を本物の手だと錯覚してしまうんですね。だから、模型だけしかハンマーで殴られていないはずなのに、自分の手にまで痛みを感じてしまう。
もうひとつ実験を紹介。
被験者にはVRゴーグルを被った状態でプレーン味のクッキーを食べてもらいます。そのまま食べればもちろんプレーンな味。しかし、VRでクッキーの画像をチョコレートクッキーに差し替え、ついでにチョコレート香料を嗅がせると、被験者は本当にチョコレートクッキーを食べたのだと錯覚するようになります。
実は、人間の五感はクロスモーダル知覚といって、それぞれの感覚が独立しているのではなく、視覚と触覚で自分の手が撫でられていると理解したり、視覚と嗅覚と味覚を複合してクッキーの味を判断したりしているんです。
このあたりの研究が鳴海先生の一番の得意分野のようです。
「これって、錯覚するためにはやっぱり近しい食感のものじゃないとダメなんですか?」
ここでカルロ・ピノが出した質問はいいところを突いていて、確かに感覚刺激として近いものを揃えないと脳は錯覚してくれません。もっといえば、本人が体験したことのないこともなかなかうまく錯覚させられません。たとえば小峠教官に虫を食べさせるVR体験をさせてもリアルな味を感じないでしょうが、食虫経験豊富なカルロ・ピノなら同じVR体験で虫の味を鮮明に感じることができるでしょう。
錯覚するのはあくまで脳の働きによるものなんです。五感から伝えられる情報はあくまでそれぞれの感覚刺激のみ。その情報を統合して、過去の経験を踏まえつつ、脳は「今体験しているものは何か」を“解釈”するんです。その脳の解釈の余地に欺瞞情報を差し込むことこそがVRという技術。
「現実」とは、ただそこにあるから現実なのではありません。「現実」とは、私たちが自分の感覚を通して認識してはじめて、そこに確かに存在する現実となれるんです。
私たちはそれぞれの主観でもって目の前にある現実を観測(あるいは解釈)しています。
トピック3:階段の昇降を体感させる工夫は?
これもクロスモーダル知覚に関連する話題ですね。
もし人間が階段の段差を視覚だけで認識しているなら、ただVRゴーグルにそういう映像を流すだけで簡単に錯覚させることができるでしょう。しかし、実際には映像だけではなかなかリアリティを感じることができません。ではどうしたらVRでの体感の質を向上させられるでしょうか?
「自ら風を切って歩けばいいんじゃない?」
逆、逆! この設問はVRを体感させる側にできる工夫の話です。体験する人の行動を直接制御できるならVR技術を使う意味がありません。
というか、階段を昇り降りするときってそんなに風を切るものでしょうか? ・・・いや、もうすぐお腹が6つに割れるところまで来ているらしいバズーカ2号・斗和キセキなら、普段からそのくらいシャキシャキ動いているかもしれません。あの斗和キセキです。ありえなくはない。
「人間って、高い場所に登るときと低い場所を登るときに使う筋肉がちょっと違うって聞いたことがあるから――、目の前に見せてる段差の高さをめっちゃ変える」
賢いことを言っているはずなのに結論がやたらめったら力押しなあたりが実にカルロ・ピノ。
考えかたは合っています。要するに人間の脳を錯覚させて、平地を歩くのではなく段差を昇り降りするときの筋肉の動かしかたを引き出すことができれば成功なんです。そこまで理解していて“とにかく視覚刺激を強化する”というパワー系な解決方法に至ってしまうのは何故なのか。直前までクロスモーダルの話もしていたのに。
ここの模範解答はとてもシンプルです。床に突起物を置くだけでいい。
VRゴーグルで階段の映像を見せられている体験者は、この突起物を階段の縁として認識します。階段の縁を爪先で感じることで、「今、自分は階段を昇っているんだ」というVR体験の質を向上することになります。これも視覚と触覚のクロスモーダル知覚ですね。
VR体験に充分なリアリティが感じられると、あとは番組で小峠教官がみごとなへっぴり腰を披露していたとおり、脳が自然と階段を昇り降りするための筋運動を全身に指示するわけです。自らそういう体の動きをすることで、体験者は本当に階段の昇り降りをしたのと同等の体験をすることになります。
この技術のことをパッシブハプティクスと呼びます。
トピックex:先生に聞いてみよう!
「先生はどうしてVRの研究をしようと思ったんですか?」
こういう何も考えてなさそうな質問を何の嫌みも卑屈さもなくさらっと投げかけられるのが、おそらくは斗和キセキの魅力なんだと思います。あと「めっちゃわかる、その気持ち!」とかちょくちょく差し込んでくる共感力。
これがあるからこそ、本人は全く知識のないガンダムネタでバズったとき、当初本人そっちのけで盛り上がっていたガンダムオタクたちをそっくりそのまま自分のファンとして引き込むことができました。電脳少女シロとはまた違った方向性で聞き上手なんですよね、この子。
ちなみにアイドル部では神楽すずが似たような話術で30代男性のハートを鷲掴んでいます。斗和キセキファンにオススメ。神楽すずファンにも斗和キセキがオススメ。
そんなわけで鳴海先生の根底にある思想がするすると語られていきます。
「僕にとってはVRがわかるってことは人間がわかるってことなんじゃないかと思って。バーチャルリアリティってのはリアリティを考える学問なので、“リアリティ”ってどうやってできているんだろう。我々が本当にここに立って何か感じているってどういうことなんだろう?ってことを知りたい。そもそも、だって人間ってよくわかんないですよね。人間のことが一番知りたいなって」
ロボット工学は人間の身体の仕組み、AI開発は人間の知能の仕組みを解き明かす学問だとよく語られますが、VR技術は人間の体験の仕組みを研究することで発展していきます。
そもそも人類史において学問とは博物学、つまり自然観察から始まりました。何かの技術を開発するということは、すなわち何かをじっくり観察するという意味に他なりません。
「あとVRだとですね、他の人の立場に立って考えることができるかもしれないんです。つまりはいろんなシチュエーションを体験するとか、いろんな人の視点を体験することで、初めて人に優しくなれる。お互いの理解が進む。なんかそういうふうに、みんなが自分のこととか他人のことをわかりあえるような世界が来ないかなと思ってVRの研究をしています」
鳴海先生には自閉症の弟がいるそうで、そのあたりも今の自分に影響を与えていると、他のインタビューで語っています。普段から一緒にいる先生には弟さんの考えていることが何となくわかるのだけれど、初めて会う人にとってはそうじゃない。一見して異様な人だと思われてしまう。
その違いをもたらすものはきっと、体験の有無だろうと鳴海先生は考えます。だから、VR研究を通してまず自分が人間をより深く知り、そしてVR体験を提供することで今度はみんなに人間を深く知ってもらおう。
そういうふうに考えて、この先生はVRという先進技術の研究に日夜勤しんでいるそうです。
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