超人女子戦士ガリベンガーV 第48話感想 バーチャルキャラクターであると同時に歌姫。

生徒役:小峠英二

そんなことより英二。

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→ TVerアーカイブ配信(放送後1週間限定)

→ 未公開シーンが投稿されているYouTube公式チャンネル

出演バーチャルYouTuber

電脳少女シロ → YouTube公式チャンネル

 テレワーク時代到来により、共演者だけでなくご近所さんにも気をまわすことになった電悩少女。また、ついに電力会社を押さえ、ファンたちをライフラインレベルから支配することになった電柱少女でもあります。制度の仕組み上、乗り換えても極端に料金が変動したり電力供給が不安定になったりすることはなさそうなので、とりあえず私も案内予約を申し込みました。ふつつか者ながら支配されようと思います。

 「いるだけで○○な子」という表現がこれほど似合わない人物もなかなかいないでしょう。いればだいたい何かしています。傍若無人に暴れてみたり、賢く機転の利くトークを繰りひろげてみたり、斜め上にカッ飛んだ名言を連発してみたり、他の共演者を気遣ったり、イジりたおしたり、あるいはゴキゲンにキュイキュイ笑っていたり。ちょくちょくワケワカンナイこともやりたがりますが、そういうときは「シロちゃんの動画は為になるなあ!」と、とりあえず納得しましょう。彼女はあなたが為になることを望んでいます。
 まるでアブない人のようですが、そして実際アブない人なのは確かなのですが、ああ見えて彼女は共演者をよく見ています。聡明です。共演者の対応力を推し測り、ギリギリ捌ききれる程度のムチャ振りを仕掛けるのです。おかげでいつのまにか人脈の輪がずんどこ広がってきました。タチが悪いったらありゃしない。

もこ田めめめ → YouTube公式チャンネル

 とにかく楽しいことが大好きな移り気ひつじ。広く浅くたくさんのゲームやマンガに手を出すので飽き性なのかと思いきや、たまにトコトンまで突き詰めてディープな一芸を披露することもある読めない子です。ライブで歌う楽曲もその嗜好が如実に表れて電波ソングと高難度曲ばかり。どこにいてもめめめはめめめだなあ。
 キャラクターとして無敵のかわいさ大勝利って感じです。まず「もこ田」ときて、直後「めめめ」ですよ。めめめ。めめめめめ。はいかわいい。はいわかりやすい。ふわもこヘアー&シュッとしたスタイル、ピコピコお耳にピコピコBGM、そして忘れちゃいけない靴下ときた。とにかくマスコットに求められるもの全部がバランスよくまとまっているキャラクターです。いるだけでもうかわいい。すっかり大抜擢にも慣れてきたようで、どこにいてもリラックスした様子が見られるようになりました。とはいえ、そもそも頭の使いかたが草を食むようにまったり進行なこの羊。相も変わらず口癖でありつづける「えっとねー」に酔いしれろ。
 ところで人間よゆめゆめ忘れるな。めめめは強い。つよいぞ。

ときのそら → YouTube公式チャンネル

 隙あらばホラーゲーム、隙がなければムチャ振りねじ込んで共演者の困り顔を堪能したがる超正統派アイドル。現在放送中のドラマ『四月一日さんちと』でメンドクサイ長女を演じていますが、妙にハマり役なのでときどきどこまでが芝居でどこからが本来のキャラクターだったのかわからなくなります。
 定期的に垣間見えるサドっ気はさておき、それ以外はきわめてまっとうにアイドル活動しています。おっとり朗らかで親しみやすいキャラクター、豊富なステージ経験とよく訓練された喉に裏打ちされた歌唱力、そして情熱的なマイクパフォーマンス。以前『ガリベンガーV』に出演した際の「私は甘いもの好きだから、きっと自分の好きな人もスイーツの匂いがすると思います」という回答はアイドルとして100点満点だったと思います。どこぞの「ABCでいうところのA」と違って墓穴の掘りようがない。

田中ヒメ → YouTube公式チャンネル

 ゲラ笑い姦しいコンビの赤いほう。あるいは歌声がスモーキーなほう。とにかく何をやらせても騒がしいキャラクターで、普段の姿は完全にリアクション芸人。今どきコマネチをこよなく愛する骨董品級のギャグセンスの持ち主でもあります。けれどゲラ笑いでゴリ押してくるのでそれはそれとして笑っちゃう。
 ユニットとして活動するバーチャルYouTuberとしてはおそらく最も早い時期から活動してきました。2人いる強みを最大限に生かし、変なゲームを協力プレイしたり、お互いにクイズを出しあったりしています。ただでさえ姦しい子たちが常に2人で喋っているのでそれはもう華やか・・・というかやかましい! 笑い声が姦しいだけあってよく鍛えられた喉を持っており、ひとたびマイクを握ればボディのどっしりとしたパワフルな歌声で聞く者を圧倒するカッコいい一面もあります。
 本人がまず女児ですが、彼女自身も女児をこよなく愛する人物なので、ファンと一緒に女児女児帝国を建国しては嬉しそうに君臨しています。女児はもれなく近う寄れ! 女児じゃないなら今すぐ女児になって来来来ー!

鈴木ヒナ → YouTube公式チャンネル

 ゲラ笑い姦しいコンビの青いほう。あるいは歌声がスイートなほう。口調こそのんびりしていますが、打てば響く良いリアクション乱発で結局騒がしいのは相方と同じ。相方をイジって笑わせ、笑っているのを見て自分も笑い、あるいは相方を困らせて笑い、その笑いっぷりで相方も笑わせるという、やたら楽しそうな日々を暮らしています。
 ホラーに強く、辛いものにも強く、ゲームやアニメの知識も豊富で、ついでに都合の悪いことは聞こえなくなる便利な耳の持ち主。色々な意味で安定感があるので普段は進行役として田中ヒメのリアクションを引き出す役目を担うことが多いのですが、自分がイジられる側にまわっても独特のクレイジーな発想力によって強烈な存在感を放ちます。歌うときも相方のパワフルさに隠れることなく、こちらはこちらで別のカラーを奏でることによって楽曲全体の厚みを増していく、陰にも日なたにもまわらない名パートナーですね。

前書き

 バーチャルYouTuberは根本的にキャラクターコンテンツです。タレントにアニメキャラちっくな見た目と設定を付加することで、生身のままでは受け入れられにくい奇抜なキャラクターとして売り出していくことを可能とします。
 ハリウッド映画のヒーローが現実に存在したらただの社会不適合者ですが映画で観るぶんにはカッコよく、アニメキャラの言動を現実に当てはめたらイタいだけですがアニメとして見るぶんにはかわいいのと同じです。言ってしまえば視聴者側が主体的に“キャラクターコンテンツ”というフィルターをかけて楽しもうとしてくれることを前提に、彼女たちは外見と言動双方から現実にはありえない奇抜なパーソナリティを演じているわけです。
 本来であればあれほど奇抜なキャラクターは物語のなかでしか存在を認められません。にもかかわらず現実に活動できているのは、ひとえに私たちが彼女らを一個の人物ではなく創作されたキャラクターと見なしているおかげ。その意味で彼女たちは本当にバーチャルな存在です。彼女たちはYouTubeやテレビ番組でタレントのようにふるまっていますが、私たち視聴者にとってその楽しみかたはむしろアニメや映画を観るのに近い。彼女たちが思い描く虚構の世界を私たちが受け入れるからこそ、彼女たちはあたかも現実に存在するかのように私たちの前で活動できているんです。 (※ 小峠教官が生身のタレントとしての立場を譲ることなく、彼女たちの活動を自分と別世界の出来事として切り分けつつ尊重しているあのスタンスが、ちょうどバーチャルYouTuberの楽しみかたの理想型だと思います)

 バーチャルYouTuberというコンテンツの楽しみかたは本質的にアニメキャラと大きく異なりません。従って、その商業展開もアニメキャラの売り出しかたに準じます。つまりはイラスト入りのグッズ販売とキャラクターソング展開、そしてライブイベントですね。
 本来のメインコンテンツであるアニメ本編やYouTube動画はどちらも無料公開されるものなので、そこでの収益はファンのお布施以上のものにはならず、どうしても限界があります。広告単価も安いらしいですし。(※ これが映画だと本編自体に収益性があってわかりやすいんですけどね)
 そういうわけで、バーチャルYouTuberにとって歌が重要になってくるわけです。今どきの声優に歌唱力が必修科目となっているのと同じで。
 歌はいいです。なにせそれ単体でキャラクターイメージを表現しやすい。しかも一度つくってしまえばなかなか飽きられず、楽曲販売にライブ公演にと、様々な場面で使いまわせます。キャラクターコンテンツとして幅広く展開していくためにはこれほど手堅いパッケージ商材もそうありません。同じくキャラクター売りとしての側面が強い日本のアイドルが必ずといっていいほど歌を基軸に展開しているのもむべなるかな。

 今回の授業では電脳少女シロを解説役とし、バーチャルYouTuberの歌唱の側面を紹介していきました。

感想

もこ田めめめ

 「まあ、これがだから俺の知っているめめめですよ」
 もこ田めめめ最大の強みはその場に居合わせるだけでも強烈に印象に残るキャラクター性にあります。
 彼女に限っては歌唱での展開はそこまで重要ではありません。歌というパッケージ化されたキャラクター表現に頼らずとも、とりあえずそこらへんに立たせて適当に喋らせておけば、それだけでどういう個性の持ち主なのか理解してもらえるからです。
 もちろん商材という観点では歌も大きいので、やっぱり歌うわけですが。

 「そうだよ。なんか今すごい薄ーいリアクション来たけど、ダメだよ英二。いつもみたいにやって」
 正直、私もあんまり興味が湧かなかったりします。普段の喋っている姿を見ただけでもこ田めめめに対するイメージがガッシリ固まっているので。彼女を知ったうえで「声にギャップがある」と聞かされても、自分のなかでもこ田めめめのキャラクターイメージは今さら揺らがないだろうなと確信してしまいます。それほどに普段の彼女が魅力的で、また、唯一無二に個性的なんです。

 実際、彼女の歌はもこ田めめめというキャラクターイメージの枠を逸脱するような、いうほど意外性があるようなものではないと思っています。
 選曲はいかにも彼女の好きそうな、歌っていて楽しい曲。歌いかたも器用な彼女らしい、フィジカルよりテクニックの比重が大きい歌唱。もこ田めめめ元々のイメージを補強するものであっても、特に新しい一面という感じではありません。この子の声にこういう曲調が乗ればああいう歌声になるだろうな、というイメージ通り。

 「みんなにはめめめの声が届いてますか?」
 「いや、歌ってんだから届くだろそれは」
 それだけ彼女のキャラクターイメージが一貫していてアピール力も強いという意味です。もこ田めめめは喋っていても歌っていても、どんなときでももこ田めめめ。良いことです。

 「あんだけ盛り上げることができたらまあ大したもんだよ」

ときのそら

 「あー、これアイドルっぽいね。この歌」
 『夢色アスタリスク』は彼女のために書き下ろされたオリジナルソングなのでなおさらですね。正統派アイドルとしてのときのそらのイメージを過不足なく表現しています。
 普段の彼女はおっとりしているイメージが強いのですが、こちらの楽曲では爽やかでエネルギッシュな彼女の別の側面をうまく引き出していて、キャラクターイメージをうまい具合に補完しています。もこ田めめめは普段も歌もほぼ同じイメージ(※ 彼女の場合はオリジナルソングでもそういう傾向です)で一致していますが、ときのそらの場合はこの歌唱を合わせることによっていっそう魅力的なキャラクターとして印象づけられますね。

 「みんな! 本当にありがとう!!」
 『ヒロイック・ヒロイン』での魂を燃やすようなマイクパフォーマンスも、『夢色アスタリスク』で補完されたキャラクターイメージを合わせるとものすごくしっくりきます。ああ、この子は確かにこういう子なんだな、と納得させられます。普段のおっとり口調とカッコいい歌唱を合わせ、すごく厚みのあるキャラクターを感じさせますね。

 「すごくアイドルしてたってキーワードを英二が言ってましたが、どうですか? おっとりしてね、優しそうな、一生懸命なそらちゃん、歌うと?」
 「曲もいい。アイドルって感じだったね」

田中ヒメ&鈴木ヒナ

 「ええっ!? 生身出たよ、今! え、生身のパターンあるの? バンドが生身だよ。生身のパターンあるんだね、へー!」
 このあたりはアニメキャラや初音ミクなどから続くキャラクターライブの文脈を知らなければ意外に感じるものかもしれませんね。
 キャラクターコンテンツはあくまでキャラクターコンテンツ。現実空間とはなかなか交わり難いポジショニングにあるわけですが、それでも活動の舞台はなんだかんだいって現実空間です。私たちファンは彼女たちが現実に存在しないことを承知のうえで、それでもあえて現実に存在すると錯覚しているかのようにして彼女たちを応援します。従って、できることならキャラクターイメージを損なわない範囲で相応のリアリティも欲しいところ。変な言いかたになりますが、ある程度「現実に存在する」という確証を得られたほうが自分を都合よく騙すことができるんです。
 だから、アニメキャラのライブではキャラクターイメージに沿った衣装を着た声優が舞台に上り、ボーカロイドやバーチャルYouTuberのライブでは生バンドや3Dスクリーン、ライト演出にガス演出などを駆使して現実空間との融合表現を図ります。「確かにここにいるんだ」と観客の想像力を大いに刺激し、その手続きを踏むことによって虚構の存在でしかない彼女たちが現実空間に顕現できるようになるんです。

 さて、田中ヒメと鈴木ヒナの歌唱となるといよいよ普段の彼女たちから感じるイメージとはまったくの別物になります。これをキャラクターとしての厚みと捉えるか、はたまたそれぞれ別のコンテンツ性を持った二面性と解釈するかは受け取る側次第。
 特に田中ヒメはバーチャルキャラクターではない純粋な歌手としてもやっていけるんじゃないかというくらいの恵まれた才能を持っているんですよね。あの声量。そしてあの低音域の広さ。声楽の世界において高音域はある程度ボイストレーニングで幅を広げられるものとされていますが、低音域は努力だけではどうにもなりません。こればかりは天性のギフト。加えて相応の腹圧を維持できるフィジカルも必要なので、才能も努力も両方必要になるんですよね。

 「あのふたり鈴木と田中っていうんだね。あんだけぶっ飛んだ感じなのに鈴木と田中なんだ」
 ただ、キャラクター性と関係ない純粋な歌手としてもやっていけそうと感じるわけですが、それでもあくまでキャラクターコンテンツとして展開していく意味はあります。
 そもそも興味を持ってもらえなきゃ歌を聞いてもらえませんから。どんなに巧みな歌唱力を持っていても埋もれるときは埋もれます。良いトレーニングを受けさせてもらえる環境がなければせっかくの才能も開花しませんし。
 その意味で、田中ヒメや鈴木ヒナのような濃いキャラクター性を持ちながら歌でも活動していくというのはかえって動きやすいのかもしれませんね。生身の歌手も『ミュージックステーション』みたいな番組で歌だけじゃないトークやビジュアルなんかの魅力もアピールしているわけですし。結局のところバーチャルYouTuberもそうじゃないアーティストも大なり小なりキャラクター売りは欠かせないわけで、堂々と奇抜なキャラクターコンテンツとして売り出せるバーチャルYouTuberという形式は大きな強みになる場合もあるかもしれません。

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