ゼノブレイド つながる未来 プレイ日記 その2「未来視が無くとも」

だから今はそれを支えさせてほしい。それは、僕の望む“未来”でもあるから。

※ 注意:本編最終話までを含むネタバレに関して、このブログは一切配慮しません。
※ そのくせ本編での描写がところどころ頭からすっぽ抜けている可能性もありますが、それはそれです。

(主観的)あらすじ

 皇都アカモートに到着したシュルクたちが見たものは、虚空に浮かぶ不気味な亀裂、そしてそこから湧きこぼれる黒い霧の怪物でした。霧がまとわりついたモンスターは凶暴になり、そして霧そのものの塊が霧乃王。マクシスから聞いた話のとおり、たしかに霧乃王にはどんな攻撃も通じないようでした。
 資料を探しに皇都を訪れたという幼い研究者・テトと再開し、シュルクたちは一旦皇都を後にします。

 テトはテレシアを研究している少年です。元々向学心の強い子でしたが、母親がテレシアと化して以降、彼女を元の姿に戻すためいっそう熱心に研究に打ち込んできました。
 霧乃王はテレシアと何か関係があるかもしれない。そう踏んだシュルクたちはテトの研究所で詳しく話を聞いてみることにしました。
 テトの研究所には意外な顔がありました。タルコ。メリアの兄を産んだアカモート光妃の隠し子で、かつて母親にそそのかされてメリアを暗殺しようとしたこともありました。母親の愛に飢えた苛烈な女性でしたが、どうやら今ではテトの姉がわりとして彼と彼の研究に心を砕いている様子。人は変われば変わるものです。本人は認めたがりませんが。

 タルコはメリアにひとつ問います。霧乃王に敗れ、恐れ、未来に絶望しているこの地のハイエンターたちへ、皇統の後継者はどのようにして未来の希望を示すのか。
 それを見届けたなら私も今の自分のありかたを受け入れよう。タルコはそう約束するのでした。

 プレイ日記その1を書いた直後に見たナカマトーク、自分が書いた内容とだいたい同じような話が出てきて気恥ずかしい思いをした今日この頃。そりゃね。ストーリーを見て考察したり感想語りしたりしているだけなので、補完するようなサブストーリーが来たら内容ダダ被りもするわな。

 今作地味にありがたいのが、ゲーム中にタイトル画面に戻れるようになったこと。
 『ゼノブレイド2』のときはイベントシアターを見ようとするたびSwitchのメニューに戻ってゲーム終了→初回ロード→タイトルメニューの手続きを踏まなきゃいけなくて面倒(※ 街の人の会話も参照したいときはさらに手間!)だったんですが、今作はいつでもスムーズに、気軽にイベントシアターへ行けます。
 そんな頻繁にイベントシアターを見に行くのなんて私みたいに感想ブログを書いている人くらいでしょうけどね。それだけにRPGでイベント回想まわりのアクセシビリティに気を回してくれるゲームって意外と少ないので、こういうところまで改善してくれるのはやっぱり嬉しいです。
 欲を言えばゲーム中のメニューから直接イベントシアターに行けるとなお良しかな! そうしたらいちいち着替えなくても今着ている装備をそのままシアターでも反映できるし! (人の欲望は留まるところを知らない)

変わる人

 「霧乃王にこの身を――と思ったが、何の因果かテトを助け、私は・・・死ねなくなった」

 タルコはもともと自分というものが薄い人物でした。自分を冷たく扱う母親をそれでも慕い、母からの愛情を欲しさに言いなりになってしまっていました。胸の内にあるのはひたすらに一途な母親への慕情、それから同じ混血ながら家族から多くの愛を受けとり日なたの道を歩んでいくメリアへの妬み。
 その母も1年前の戦いで亡くし・・・。呪縛から解放されるとともに自らの歩むべき道をも失くてしまいました。

 そんな彼女が、今はテトの姉。
 母親の代わりに今度はテトに依存している、代償行動だといってしまえばそれまででしょう。きっとテトの研究がテレシア化したハイエンターを元に戻すものじゃなかったとしても、彼女は今と同じような関係性に落ち着いていたでしょう。真に代償的なのは研究の手伝いというよりも家族となったことそのもの。
 「どんなだったの? 僕はここでのねぇちゃんしか知らないから、前はどうだったのかなって」
 「そ、それは――。強かったな。力もだが、自分が信じているものへの思いは一段とな」
 「へえ。それだったら今のねぇちゃんと一緒だね」
 タルコの本質は、私から見れば昔とさほど変わっていないように感じます。けれどメリアからすると、タルコは変わったという印象になるようです。張りつめていた印象がなくなりましたしね。依存対象が母親から弟に変わったぶん、相手を叱るなど主体的な部分も出てきましたし。

 変わっていないといえば変わっていないし、変わったといえば変わりました。
 変わったのは彼女を取りまく環境だけだということもできますし、反対に環境が変わったことで彼女も変わったんだと見ることもできます。
 人というもののありかたは必ずしも個人の資質のみに依るばかりではありません。そもそもその人がどういう人物なのかを見られる機会というのは誰かと関わりを持つなかで。すなわち、“その人らしさ”とは最初からその人の置かれている環境込みで“その人らしさ”なのかもしれません。

 そういうことを彼女も感じてか、あるいは無自覚にか――。

 「――ハイエンターの未来か。お前はどうなのだ? すでに聞いただろ。この地に住む同胞の苦悩を。お前は皇統を継いだ。大戦があったとはいえ皇太子。いや、今や女王だ。どうするのだ、ハイエンターの未来を。見せてもらおう。お前が思い描く未来を」

 タルコは問います。メリアはどう変わるのか。そして周りをどう変えていくのか。
 人は変わります。変わっていないかもしれないけれど、それでも変わります。変われます。誰かの手を借りて自分を変えることができます。そして、もしかしたら自分も誰かを変えられるかもしれない。

 「それが見えたとき、私も受け入れよう。今の自分をな」

 かつてタルコは母親の操り人形でした。慕情と嫉妬に支配された、自分というものが限りなく薄い人物でした。
 だけど、今はテトの姉。
 依存上等。それは人が誰かの影響を受けて変われるという事実の何よりの証左。
 人が誰かを本当に変えられるというのなら、いつかタルコも誰かが変わろうとする手伝いができるはず。あるいは、もうとっくに。

変わる未来

 「僕、最近よく考えるんだ。未来視ってなんだったんだろうって。“ザンザが望んだ未来”。それを見ていたのは確かなんだけど。その未来を否定しつづけることで道を切り開いてきたことも確かだと思うんだ。――でも、未来視が使えなくなった今、こうも考えるんだ。それって本当に自分自身の意志で未来を決めていたのかなって」

 シュルクがザンザの望みありきで未来を選択してきたというのなら、それはある意味でザンザに依存していたともいえるかもしれません。もしかしたら他にも無数の可能性があったかもしれない。シュルクは神斬りというとてつもなく大きな仕事を為し遂げたわけですが、それすらも考えようによってはシュルクの意志というより、むしろザンザ自身がもたらした因果。
 一度見かたを変えてみれば目の前にある事実というのは案外揺らぎやすく、「現実にあるのだから確固とした事実だ」と言い切れる事象は実のところ皆無だったりします。昔のエラい哲学者はあらゆるものを徹底的に疑った末に「我思う。故に我あり」との結論に至りましたが、本当に自分という存在だけは確かかと問い直してみれば、私からすればそれもどうだか。

 ですが、こう答えることもできます。
 目の前にある事実というものが案外揺らぎやすく、主観次第でいかようにも捉えなおせるからこそ。

 「だが、私はそなたに何度も助けられた! それは未来視があったからではない! そなた自身が決断し、行動したからではないのか!?」
 シュルクが疑っているのはまさにその部分なので、メリアの熱の篭もった反論には実のところさほど意味がありません。そもそもこれは何らかの意見によって完全に論破しきれるような議論でもありません。
 ただ、頼もしくはあります。とても。どんな的確な言葉よりも。
 「だからこそ私は少しずつ変わっていけたのだ!」
 人は誰かの影響を受けながら生きているんだ、とむしろ追証してしまっているがゆえに。

 「僕も『だからこそ』選びたいんだ。ザンザが望む未来でもなく、ザンザを否定したぼくたちだけが望む未来でもない。この世界に住むひとりひとり、その全員で決めていける未来を」

 シュルクがザンザの望みありきで未来を選択してきたことを否定することはできません。
 その一方で、その選択にシュルクの意志が介在していたことを否定することもやはりできません。
 誰かの下した決断は必ずしもその人個人だけの意志によるものとは限らず、それでいて他の誰かの意志に導かれているだけとも言いきれず。
 ならばその決断は、あなたと、あなたの出会ってきた全ての人間の総意に基づくものだということもできるでしょう。

 人は変わるのだから。
 出会えた誰かの手を借りながら、いくらでも自由に自分を変えていくことができるのだから。

 誰かの手を借りながら自分を変えていった私の意志には、きっと大好きなあの人の意志も寄りそってくれている。
 これまで出会ったたくさんの人たちの意志が、きっと同じ道を歩んでくれている。
 なぜなら私は変わるのだから。
 誰かの思いに触れて少しずつ変わっていった先が、今ある私の姿なのだから。そしてきっと、未来の私の姿なのだから。

 「父上や兄上が望んだ未来とは何だったのだろうな」
 「そんなの未来視が使えなくたってわかるさ。――メリアが幸せでありますように、さ」

 大好きな人たちのとてつもなく大きな愛を受け取ったメリアは、だからこそもっと笑えるようになるはずです。
 そして、もっと笑えるようになるべきです。メリアは全ての人たちが幸せになれる未来を望んでいるのだから。
 “ハイエンターの希望”たるメリアが笑えば、きっと彼女を慕う大勢の人たちがその影響を受けることでしょう。

 「一緒に遊ぶんですも! 後は一緒にうまうまなもの食べて、一緒に寝るんですも。そしたらあっという間に家族ですも!」
 「私がタルコとできるのだろうか、そのようなこと」
 「もー! じれったいですも! メリアさんはタルコさんと姉妹になりたいんですも!? なら、せっかく会えたんですも! 悩んでるなんておかしいですも! さあ、今からねぇちゃん遊ぼって言ってくるですも!」

 私たちの意志はそもそも出会った誰かの影響を受けながらつくられており、従ってたくさんの人の意志と共にあり、そして、いつか今度は誰かの意志に影響を与え、寄りそってさらに遠くの未来へと進んでいくでしょう。
 未来は変わります。人が変わるのだから。
 人は変わるし、変えられるのだから、未来だって変わるし、変えられる。

 『だからこそ』。

 「答えを見つけられないことが罪なのではない。答えに辿りつこうとする歩みを止めてしまうことが罪なのだ」

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