
僕じゃない。このモナドが見せてくれてるんだ。

(主観的)あらすじ
巨神の右太腿にあたる大草原、巨神脚。
そこでシュルクたちはコロニー6がすでに機神兵たちに占領されてしまったことを知ります。立ち向かった防衛隊はことごとく消息不明。ごくわずかな市民だけが脱出に成功し、今はこの巨神脚の隅に息を殺してキャンプを張っています。
キャンプに案内してくれたのは少年ジュジュ。はやる気持ちを持てあまし、ひとりキャンプを抜け出しては草原をバギーで駆けまわる日々を送っていました。
ジュジュはコロニー9にも機神兵が現れた話を聞くといよいよ焦りだし、何の用意も勝算もなくコロニー6へ単独行。シュルクは少年とその姉が機神兵の手にかかって無残に殺される未来視を見ます。
当然、救出に向かおうとするシュルクとライン。しかしその道行きに同道を申し出る人物がもうひとり。コロニー6の若き衛生兵・カルナ。治癒エーテルと狙撃銃の使い手であり、そして、未来視に現れるジュジュの姉でした。
彼女の気持ちを思うと、シュルクはとてもモナドの見せた未来の全てを話すことはできません。肝心なことを誰にも話せないまま、それでも、自分に未来を変えることができるんだろうか・・・。不安を抱えながら、ともかくジュジュを追います。
幸か不幸か、ジュジュの乗っていたバギーは草原の途中で立ち往生。シュルクたちは辛うじて彼に追いつくことができました。襲い来る巨大機神兵もモナドの新たな力によってなんとか撃退。今回も未来は変えられた――。
そう思った矢先。
突然、空から顔付きの機神兵が飛来し、ジュジュを攫っていきました。シュルクが未来視に見たのは先ほどの機神兵などではなく、この顔付きだったのです。コロニー9に現れたのとはまた別個体の、しかも喋る機神兵。
彼は嘲るような口調で、シュルクたちにコロニー6へ来るよう要求するのでした。

誰が未来を変えるのか
「カルナだって聞いただろ! やつら、コロニー9にまで現れたって! それってコロニー6でのことがやつらにとって一段落したって意味じゃないの!?」
漠然とした不安にかき立てられ、自分の力不足を理解していながらも動かずにいられなかったジュジュ。
それに対して、シュルクは確実に起こる未来を知りながら、なのにどうすることもできません。
「・・・けど、今彼女を無理に止めることはできない。どうする。できるのか、僕に」
未来視ではジュジュだけでなくカルナも命を落とすことになっています。その未来を変えたいなら、カルナが同行しようとすることをなんとしてでも止めるべきでした。けれど、シュルクはほんの少し声をかけてみるだけですぐに口を閉ざしてしまいます。
カルナがジュジュを心から心配していることは明らかでした。その真剣な思いを食い止められるほどの言葉をシュルクは持ちません。なにせ、仮にカルナを置いていったところで助かるのは彼女ひとりであって、ジュジュの死を食い止められる保障があるわけでもないんですから。
話せない以上、シュルクは自分ひとりの力で2人ともの未来を変えてみせるしかありません。
だからといって――、シュルクに、自分にはそれができると確信できるほどの自信なんてないのですが。
今、シュルクが信じ、頼っているのは神剣モナドの力です。
数々の機神兵を斬り伏せ、絶望的な未来を打開してきたのは全てモナドの力です。モナドは1年前の戦争でも人類の未来を大きく覆す活躍を見せました。シュルクはモナドが示してきた数々の実績から、その大いなる力を信じて頼っています。
ところが。
未来視に関してモナドがしてくれることは未来を見せてくれることだけです。その未来を変えようとするのはあくまでシュルク自身の意志と決断によるもの。また、1年前の戦争ではそもそも未来視という力自体が発現していなかったと聞きます。
「モナドの使い手は未来を変えられるか?」 その命題に、これまでモナドが示してきた数々の実績は何の保障にもなりえません。だからシュルクは迷います。モナドの絶大な力を手にしていながら、こと未来を変えることに限っては、モナドではなく自分自身の力を信じなければならないから。
今、シュルクが信じ、頼っているのは神剣モナドの力。けっして自分自身の実力ではありません。
シュルク自身の力なんて・・・、フィオルンが目の前で殺されるのを泣きながら見つめることしかできないのですから。
ジュジュなら何の根拠も保障もなくとも、未来を変えようと無鉄砲に行動することができます。それは彼が若くて不思慮だからという理由もありますが、そもそも彼には(シュルクにとってのモナドのように)頼れる相手がなく、全て自分の意志と力でやり遂げるしかないからです。たいへん危険な思想ではありますが、ある意味では健全です。
自分を信じるしかないのなら自分を信じるべきでしょう。たとえ何の根拠もなかったとしても。自分が弱いとわかっていても。少なくとも、何もできずに立ちつくしているよりはずっといい。
シュルクには自分以外に信じられる存在があります。これもまたけっして悪い心理ではないのですが、ことこの場面においては少し悪い方向に働いてしまっていますね。
自分よりもモナドを信じる。モナドを信じるなら自分を信じきれずにいても問題ない。前へ進める。
だからこそ、モナドに頼れないことについてはどうしても逡巡し、決断する意志を鈍らせてしまう――。
「モナドにまた新しい文字が! ――やれるのか?」
土壇場でモナドがまた新しい力を発現します。まるで未来を変えるためにさえもモナドを頼っていいと言っているかのように。
「すごい。これがあなたの力?」
「僕じゃない。このモナドが見せてくれてるんだ」
「そうさ。そして俺たちが纏っているこの光も、モナドの力なのさ」
こうしてシュルクは知らず知らずのうちにモナドへの依存心を高められ、本当は自分自身で決断しているはずの諸々を、あたかもモナドに導かれているかのように錯覚していきます。信じるべきは自分の意志ではなくモナド。頼るべきは自分の力ではなくモナド。――全て、神剣の主の目論見どおりに。
「望まない未来を変えたいと願うのは人の常さ。そうだろう?」
「それが運命られたものであっても、君は抗うのかい?」
「――できるさ」
謎めいた夢で聞いた声は、モナドではなくシュルク自身の意志を問うていたはずなのに。
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