
そうよ。大好きよ! 悪い?

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(主観的)あらすじ
アスミが消えかけるという事件が起きました。
自分の部屋をもらい、いつもラテとべったり一緒にいるアスミ。けれどラテのことを気にかけすぎ、心配しすぎて逆に避けられるようになってしまいました。アスミのほうもラテに嫌われたかもしれないと思うと、もうそれ以上どうしたらいいのかわからなくなってしまうのでした。
ラテを守るために生まれたのに――。そう思っているうち、アスミの体は透けて消えてしまいそうになるのでした。
アスミの話を聞いて、ちゆはアスミの心に“悲しい”の気持ちがあることを見出します。同時に“好き”の気持ちも。消えかけていたアスミはどうやら“好き”を感じるたびに元の存在感を取り戻すようでした。
“好き”は良いもの。そう理解しようとするアスミに対し、ちゆは良いばかりとは限らない“好き”のありかたを教えるべく、ハイジャンプ練習の見学に来てくれるよう誘いました。
今日のハイジャンプ練習はいつもより目標点を高く設定しました。何度も挑戦して、何度も失敗しつづけるちゆ。そのたびに残念そうな表情を浮かべるちゆを見て、アスミはどうしてこんなことを何度も繰り返すのか不思議に思います。
対するちゆの答えはこう。“好き”だから。好きだから何度失敗してもまた挑戦したいと思う。どんなに失敗しても好きな気持ちを止められないんだと。
ちゆは、アスミのなかにもそういう“好き”があるんじゃないかと問い返します。
メガビョーゲン襲来。
今日のメガビョーゲンを操っているのはシンドイーネです。大好きなキングビョーゲンを早く復活させたくてまた地球を蝕みに来たようです。
攻撃の余波に巻き込まれかけたラテを見て思わず体が動いた自分自身を鑑み、アスミは先ほどのちゆの問いかけの意味を理解します。自分は、何があってもやっぱりラテが好きなんだ、と。
こうしてアスミは自分を取り戻し、ラテと一緒に戦いへ赴きます。シンドイーネにも“好き”の気持ちがあることを認めつつ、それでも自分とみんなの“好き”を守るため、みごとメガビョーゲンを浄化するのでした。
「実は私、ラテに避けられているようなのです。もうどうしていいかわかりません」
「それが原因で体が消えちゃいそうペエ?」
「そういうことなの。地球の神秘ね」
今話もちゆは相変わらずちゆでした。
・・・そこを君が一言で納得しちゃったら視聴者に説明できることも説明できなくなっちゃうでしょうが!
この子、なまじ自分自身は理解が早い分、場の流れを牽引する立場になるとコミュニケーション下手な性質が一気に前面に出ちゃいますね。「アオ、いいよね」「いい・・・」のオタクトークを地で行く周りの人置いてけぼり感。この子のこういうところはたぶん一生治らないと思うので、彼女の言わんとすることは私たちのほうで能動的に理解しようと努めましょう。
今話は、これまでアスミの自己肯定感がラテからの承認に依存していたところを、アスミ自身の「好き」の気持ちに依拠できるよう変えていく物語です。少なくともちゆはそういうつもりで動いていました。
ちなみに私も私で相当なコミュ障なので、正直この説明であなたに充分理解してもらえているかどうか全然自信がありません。だから毎回ムダに文章が長くなっちゃうのよね・・・。
“好き”とはラテのことではないのですか?
「ねえねえ、好きな色は?」
「青」「黄色」「ラテです」
「好きな食べものは?」
「おまんじゅう」「パンケーキ」「ラテです」
「・・・キャウン!」
「“好き”とはラテのことではないのですか?」(第22話予告)
次回予告の時点で物語の核心をだいたい語りきっていた今話。ただし、本編のアスミは第22話開始時点で自分がラテのことを“好き”だということをまだ自覚していません。
「そうだ。ここにラテのベッドを運ばなくては」
「ラテ様の寝るところは今までと同じでいいラビ」
「いいえ。私がお傍でしっかり見守らなくては。ラテに何かあってはたいへんですから」
彼女の行動原理は個人的な“好き”の感情ではなく、生まれついての使命、義務感。少なくとも本人にとってはそう。ハタから見ている分には好きでこうしているようにしか見えないんですけどね。義務でやっている割には、ラテ、むしろ迷惑そうですし。
「いちか。いつも笑顔でいなさい。いちかが泣いたらね、パパもママも友達も、みんな悲しくなるの。いちかが笑ったらみんなも楽しくなるわ。だから、いつも笑顔でいなさい」(『キラキラプリキュアアラモード』第31話)
「やめたまえ。女の子がギターなんて。女の子は女の子らしく、ピアノやバイオリンの方が似合っていると思う」(『HUGっと!プリキュア』第15話)
「失った星の輝きを取り戻す。私にはその責任があるである。だが、無力な私には頼るしかないのである。君たちの力に。無力な私にも責任はある。だが、力がある者にも責任があるのである。皆を守る責任が」(『スタートゥインクルプリキュア』第31話)
義務感からの自分ルールに歪みが生じるというお話は、これまでのプリキュアシリーズにおいて毎年のように繰りかえし語られてきた大切なテーマのひとつです。
「誰のために?」と問われて「そうしなければいけないから」と答えた人の行動は、大抵自分も周りの人も不幸にしてきました。そりゃそうです。自分のためでも周りのみんなのためでもない行動だって、まず本人が自覚していながら動いてしまっているわけですから。
誰のためでもない行動。だから、誰も幸せにできない。
使命というからにはその行動の発端には誰かの願いがあるはずなのですが、アスミのように自己規律に疑問を問い直さない人たちはしばしばその発端を忘れてしまい、結果、自分も周りの人も誰も幸せにならない自分ルールに縛られてしまいがちです。ルールとは何かを守るためにあるもの。けれど、何を守るためのものだったのか考えずルールを運用してしまうと、不思議とそのルールが誰かを傷つける武器に変わってしまう。
「私が笑顔でいればみんなも笑ってくれる。みんなが笑ってくれると私も笑顔になるんだ」(『キラキラプリキュアアラモード』第31話)
「見てください、ルールー! これ、ライブのチケットなのです! お兄様がくれたのです! これからはおうちでギターを弾いてもいいって、お兄様が」(『HUGっと!プリキュア』第20話)
「フワを守りたい。あの気持ちだけは変わらない。てか、変えられない! だから私はフワを守る!」(『スタートゥインクルプリキュア』第32話)
自分を幸せにするためには、自分のために行動するべきでしょう。
誰かを幸せにしたいなら、誰かのために行動するべきでしょう。
とてもシンプルで当然の因果。ルールのために行動したところで誰も幸せにはできません。誰かのためにルールを利用するのならともかく。
「外に出るなんていけません。万が一おケガでもされたらどうするのですか」
「ちょっとくらいのお散歩なら大丈夫ラビ」
「いいえ。ラテを危ない目にあわせるわけにはいきません。さあ、こちらへ。・・・ラテ?」
「アスミはちょっとやりすぎラビ。そんなにうるさくしたらラテ様だって嫌ラビ。ラテ様、行きましょうラビ」
「ラテ・・・。そんな・・・」
今話の面白いところがこのシーン。
ラテが主役だった第20話まで、アスミは子どもの言い分をつっぱねる頑迷な大人といったふうな描かれかたをしていました。
けれど今話はその反対。今話の主役はアスミで、つまり視聴者たる子どもたちが感情移入する相手もアスミです。だから今話のアスミは子どもとして描かれます。このあいだまで頑迷な大人のようだったアスミが、見かたを変えると、まるで親の受け売りそのまま何でもダメダメ言ってみんなを困らせる幼児期の子どもみたいに見えてきます。
視聴者とアスミ、子どもたちは今話の出来事を通して考えていくことになります。自分は誰のために、何を意識して行動しなければいけないのかを。
教師役を務めるのはちゆ。賢い彼女はアスミの本心をわかりやすく整然と分析してくれ、そしてイマイチ喋るのはヘタクソなのでちょっと回りくどい解説をしてくれます。
「好き」と「悲しい」
「私はもう本当に、このまま消えてしまいたい」
「そんなに悲しいのね、アスミは」
「“悲しい”?」
「そう。今のその気持ちを“悲しい”っていうのよ」
「おいしい」
「たくさん食べるペエ」
「よかった。アスミは甘いものが好きなのね」
「“好き”? おいしいことを“好き”というのですか?」
第17話のエミリーちゃんとの語らいを彷彿とさせる、相変わらずのパワー系会話術。
相手の話題から新しい話題を持ちかけるキャッチボール感一切なし、オウム返しのごとくひたすら相手の発言の掘り下げしか出力しません。それでもなんとなく会話が成立します。このあたりは彼女の人徳というか、とにかく会話相手に興味を持っていることだけははっきり伝わる素直さがあるおかげでしょうね。
ちゆはアスミに感情があることを指摘します。
体が消えかけていたのは悲しいから。おまんじゅうをやたらムシャムシャ食べるのは、ついでにそれで体の不透明度も回復したのは甘いものが好きだから。
そんなアスミの様子を見ていてピンと来たのでしょう。続けて、“好き”についてもう少し掘り下げていきます。
「温かい・・・」
「心もぽかぽかするペエ」
「これも私は“好き”よ」
「おいしくて、温かいもの。“好き”というのはいいものですね」
アスミはどうして“好き”を感じると透けていた体が回復するのでしょうか。
それは、アスミにとって“好き”が良いものだからです。
反対に“悲しい”は悪いもの。
だから悲しみを感じると消えそうになってしまいます。
アスミは個人的な感情によって自分のありかたを変えています。
ラテを守るために生み落とされた彼女にも、その使命のためだけに存在するのではない自分本位な性質があって、そして彼女の本質はむしろ、使命を果たせるかどうかより自分自身の好悪の感情にこそ支配されています。
「そうだ。ここにラテのベッドを運ばなくては」
「ラテ様の寝るところは今までと同じでいいラビ」
「いいえ。私がお傍でしっかり見守らなくては。ラテに何かあってはたいへんですから」
アスミは使命という名の自分ルールのために行動しているのではありません。
そして実はラテのために行動しているわけでもありません。
アスミは自分のために行動しています。ラテを守る。その自己規定を果たすことを通して、自分で自分を満足させるために行動しています。
だったらつまり、アスミが消えかけていたのは、アスミが「悲しい」を感じてしまったのは――。
「“好き”はいいものばかりじゃないかも。ときには辛いけど、でも、“好き”をやめられないものもあるわ」
謎かけのようなちゆの言葉は、まさにアスミという子の存在理由の核心。
「ちゆ。なぜ失敗してばかりなのにそんなに何度も跳ぶのですか?」
「それは私がハイジャンプを“好き”だから」
「“好き”? おいしくも温かくもないのに?」
「ええ。練習はハードだし、失敗もするけど、でも私はハイジャンプが“好き”。どうしたらうまく跳べるのか。もっともっと高く跳びたいっていつも考えてる。この気持ちは止めようと思っても止められない。“好き”って、きっとそういうものよ」
「『そのことばかり考える』、『止められない』気持ち・・・」
思い当たること、ありますよね。
共有できる気持ち、できない気持ち
「あーあ。どうして私はキングビョーゲン様が好きなのかしら。ずっとお会いできないまま、思いは報われないのかしら」
あ。これ、新しい浄化技で敗れる役になるフラグだ。(※ 先走りすぎ)
珍しく敵幹部がプリキュア側と同じ思いを共有する今話。
すでに何度か書いていますが、アスミは登場当初、のどかたちと同じ思いを共有できない、何を考えているのか理解しがたい存在として描かれてきました。
それが前話ではのどかと同じ経験を共有し、今話ではちゆと同じ“好き”の気持ちを共有することができました。
理解できない相手が存在しうるのは、必ずしもその相手が本質的に自分と何の価値観も共有できない相手だからとは限りません。どうしても理解できない誰かというのはそうそう存在するものではありません。むしろ、単にお互いのことをまだよく知らないから、ただお互いの理解が足りていないからわかりあえないという状況のほうがずっと多い。
「『そのことばかり考える』、『止められない』気持ち・・・。ラテ。私はラテのことが好き。いいえ、大好きなのです。だから少々心配しすぎてしまったようです。これからはラテの気持ちを第一に考えて、ずっとお傍にいたいと思います」
さて。ちゆからの謎かけの答え。
アスミや、ちょうど今アスミと同じ失敗をしてしまっている子どもたち以外には簡単にわかる答えでしょう。
アスミは自分のためにラテを守ろうとしてきました。これは使命なんだと自分を惑わしながら、その実、ラテを守ろうとすることを通して自己満足に浸ろうとしてきました。
字面はあんまりよくないですが、私はこれをけっして悪いことだとは思いません。人は常に自分のために行動するべきです。他人のために自分を犠牲にしたところで誰も喜びません。助けられた人に余計な負い目を背負わせるだけです。どうせなら他人と一緒に自分も幸せになるべき。他人のための行動は自己満足のためでもあるのが一番いい。
ただ、アスミは自分のしてきたことが本当は自分のためだったことを自覚していませんでした。だから彼女の行動には歪みが生じていたんです。
アスミは自分がラテの役に立つことで幸せを感じる人間だと理解していませんでした。
だからこれは使命なんだと錯覚して、ラテを幸せにしようとするわけではない、もちろん自分を幸せにするわけでもない、実態のない義務感に縛られた、無目的な行動を繰りかえしてしまっていました。
アスミが“悲しい”を感じていたのは、ラテを喜ばせられなかったから。
そしてアスミが本当に“好き”なのは、ラテを喜ばせること。
「地球のため。みんなのため。それもいいけど忘れちゃいけないこと、あるんじゃないの?」(『ふたりはプリキュア』エンディングテーマ『ゲッチュウ!らぶらぶぅ?!』)
このシーンでアスミの体を突き動かすきっかけが「ただサッカーボールが転がってきただけ」というのがまたいいですね。
こんなもの、ラテを守るという大いなる使命からするとすっごいどうでもいい“危機”でしかないんですが、アスミの過保護ぶりはアスミ自身がそうしたいからしているだけのものです。誰かにそうしろと言われた義務じゃありません。だから、こんなどうでもいい“危機”ですらもアスミにとってはラテを守るため行動する理由として足りる。
義務感からではなく、ちょっと自分本位に振りかえってみれば、なんてことはない。精霊みたいな出自とはいうけれど、アスミという子のパーソナリティは、実はどこにでもいる平凡な人間の女の子とそっくり同じだったのです。
アスミは自分の“好き”のために行動する。
ラテを幸せにしたい自分の気持ちのために行動する。
「もう! 私は大好きなキングビョーゲン様にお会いしたいだけなのに!」
「“大好き”?」
「そうよ。大好きよ! 悪い?」
「いいえ。“大好き”は悪くありません。ですが、あなたの“大好き”のために、私の、そしてみなさんの“大好き”を傷つけることは許しません!」
そんな彼女の指先が、誰よりも早く、これまでずっと一番遠くにあったものへと届きます。
「あなたたち、なんでこんなひどいことするの!?」
「ひどい? 何が」
「地球を病気にしてみんなを苦しめることだよ!」
「決まってるだろ。俺はそのほうが居心地いいからさ」
「自分さえよければいいの!?」
「いいけど?」(第6話)
最初はどうしてもわかりあえないとしか思えなかったビョーゲンズの気持ち。
それが今回、やっと少しだけ共感できるものに変わりました。
自分のために平気で他人を傷つける身勝手さはもちろん到底受け入れられるものではありませんが、彼らの行動の本質には、人間の心にもある当たり前の思い、“好き”がありました。
今はまだ彼らを許すことはできません。彼らと共存する道は見えません。彼らと全く同じ思いを共有することはできません。
それでも、いつか手を取りあえるかもしれない光明が、今日、ついに芽吹きました。
「この世界にも、私の心のなかにも、まだまだ知らないことがたくさんありそうですね」
たくさん学んでいってほしいと思います。
その学びは、気付きは、共感は――。いつか、彼女たち自身も想像できなかった未来を描いていくことになるでしょうから。
“好き”は時と場合によっていいものばかりじゃないのかもしれませんが、どんなときでも悪いものではありませんでした。
コメント
好きというのは感情のことなのに、何故か「おいしい」「温かい」なんて外側の要因ばっかり拾うのが妙におかしかったです。
そのくせ一度きちんと理解できたら次の瞬間にはもう【赤の他人が抱く好きの気持ち】にまで思いを寄せられるとは……
大人でもできてない人が割といる部分だと思われますが、アスミさん凄い。
まあ正直あんな誕生経緯では、ラテが元気にしてる場面での立ち回り方なんてすぐには分かりっこないですよね。
前回はのどかが一緒なのと初めて尽くしな環境で矛先が逸れてましたが、あの学習能力ではすぐ学びきってしまったでしょうし。
で、次回は【可愛いの意味】ですか。
好きと区別して説明するのがめちゃくちゃ難しそうです。
好きのうち、目下のものに抱く感情を指して言う言葉……いやちょっとだいぶ違いますかコレ。
好きという言葉に対する語感というか、手触りがほしかったんですかね? 幼児語に「ぶーぶー」「わんわん」「しーしー」みたいな擬音語が多いのと同じ理由で。
かわいいの意味については1週間かけて自分なりに結構考えました。結論は今週の感想文にて。
正直、あんなガッツリ“かわいい”そのものに焦点を当てるストーリーだとは予想していませんでした。どうせいくら考えても感想文的には余話にしかならないと思っていたのにー。
ありがとうございました。