
サクヤさんが気がついて、木も、草花も、湖も喜んでいます。私の思い込みです。ふふ。

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(主観的)あらすじ
みんなでおおらか市の自然公園へハイキングに行きました。
すこやか市からはちょっと遠いですが、澄んだ湖畔があって、気持ちいい風が吹いていて、とってもステキなところでした。人の姿もほとんどないのでラビリンたちも気兼ねなく遊べます。
その公園で、サクヤさんという樹木医さんに出会いました。巣立ちたてで地べたへ落ちてしまった小鳥に不用意に近づこうとしたのどかのため声をかけてくれたのです。
木は言葉を話すことができません。けれど、木の様子を見て、診断して、それで必要な処置をわかってあげられるのだとサクヤさんは言います。木が枯れるのは地球の悲鳴、風が吹くのは木々の会話を運んでいるんだとも。彼女自身はただの思い込みだけどね、とつけ足しますが。
けれど、地球の精霊であるアスミはサクヤさんの言葉を思い込みだとは思いません。ちゃんとわかっているし、わかろうとしてくれている。だから彼女がお手当てした自然はこんなにもステキなんだと考えるのでした。
明くる日、ビョーゲンズ出現。
どうやらダルイゼンがメガパーツの実験で新しい幹部を生み出したようです。けれど現場はおおらか市の自然公園。電車で向かうのでは時間がかかりすぎてしまうことでしょう。
そこで、アスミはサクヤさんの言葉を思い出しました。風は自然の思いを届ける。だとしたら、風のエレメントさんの力で自分たちをワープさせることもできるかもしれない。
果たして、そうなりました。生まれたての幹部は強敵でしたが、それもアスミを中心としたチームワークで撃退に成功。あとは帰るまでが遠足です。
駅から5kmで山の中の湖畔・・・? 大丈夫? その市、ちゃんとバス走ってます? 自家用車前提の観光ガイドだったりしません?(田舎者の視点)
すこやか市もたいがいひなびた街だと思うんですが、ひなたもまたずいぶんシブい地域のカフェに行きたがったものです。そういうカフェって、どっちかというと田園風景に憧れる都会人向けの観光スポットなのでは? 私自身はカフェ巡りしたいと思ったことすらないのであんまり詳しくないのですが。ちなみに田舎の電車賃相場だと片道2時間の距離の普通列車で2000円くらいかかります。往復だと電車賃だけで1人4000円。グループ旅行なら青春18きっぷを利用したいところ。
ちなみに一話かぎりの新幹部にされたあの雛はキビタキという山鳥です。全国的によく見られるメジャーな渡り鳥のようです。子供のうちは背に斑点があるくらいの地味な姿ですが、大人になると喉元が鮮やかなオレンジ色に染まります。事件解決後の数フレームだけ親鳥の姿が見られますね。ヌートリアと違って人間に何かしらの因縁があるとかそういうことはないので、そこはご安心を。レギュラー幹部になるには憎しみが足りなかったか。(※ そういう設定は今のところ無い)
ちなみに、割と器用な鳥らしく、様々な鳴き声を使い分けたり、ときには他の鳥やセミの声をマネることすらあるようです。ぶっちゃけ劇中で聞こえたどの声が親鳥のものだったのかわかりません。
人間と自然と
「ねえ、ここに行こうよ。みんなで遠くに行くの初めてだし、アスミちゃんの行きたいところにしない?」
もうすっかり人間らしく表情豊かになったアスミ。ヘタしたら仕事中の私より喜怒哀楽はっきりしているかもしれません。
なんだかんだでやはり地球が生んだ精霊らしく、自然豊かな環境に心惹かれるようです。
自然といえば、日本人が野山や草木のことを「自然」と呼ぶようになったのは西洋思想が流入してきた明治期以降になってからのことでした。
「自然」という言葉の原義はあくまで“あるがままの様子であること”。その意味では、日本人にとって野山や草花を「自然」と呼ぶのは適切な表現ではありませんでした。だって、よほど人里から遠い山奥でもないかぎり、野山にはだいたい人の手が加わっていましたからね。「nature」が“あるがままの様子であること”“手つかずの山林や動植物のこと”の両方を指す西洋文化圏とはそのあたりの価値観からそもそも異なっていたんです。
日本人にとって野山は山菜やキノコ、材木などを得られる大切な採取地。さすがに田んぼや畑ほど手塩にかけるわけではありませんが、それでも資源量が目減りしないよう、陽射しを遮りすぎる枝を払ったり、危険な獣が入りこまないよう囲いをつくったり、ときには病気の草木を間引いたり、様々なかたちで管理を行き届かせていました。
大昔からずっと長いことそうしてきたので、植物も動物も、人の手が加わること前提で生態系を最適化してきました。マツタケの話なんて顕著な例ですね。明治期頃までマツタケは大衆が食べる安いキノコでした。そこらにぽこぽこ生えていました。それが今日ではどんどん貴重なものになっています。マツタケは乾燥した土地を好むのですが、里山を管理する人間がいなくなり、本来なら刈り取られていた余計な草木が繁茂した結果、風通しが悪くなってしまったせいです。
現在では世界自然遺産に指定されている屋久島や白神山地ですら例外ではありません。自然遺産に指定され人の立ち入りが制限された結果、これらの生態系が昔より健全化したかというと必ずしもそんなことはありません。もちろん無計画な山林開発などもっての外ですが、一方で一部の貴重な固有種がかえって数を減らしてしまったり、エサ不足に見舞われた獣たちが人里近くまで出て来ざるをえなくなったり、少なからぬ弊害もたしかに報告されているんです。
西洋人にとって「人間」と「自然」は棲み分けるべき対存在だったのかもしれませんが、日本においてこのふたつはむしろ古くから共存共栄してきたパートナーでした。
さて、かつてはそういう“自然”観をもっていた私たちが観る今話。私があなたに今回何を語ろうとしているのか、だいたい話が見えてきたでしょうか。
「アスミちゃん、なんか自然とお話ししているみたい。言葉がわかるの?」
「いいえ。思いが伝わってくるのです」
「思い? 草や木の?」
「土や花、そして湖の」
なんだかご機嫌なアスミ。地球が生んだ精霊だから人間には聞こえない声でも聞こえているのかと思えば、どうやらそういうわけではないようです。彼女はのどかたちと同じ風の音や小鳥のさえずりなどを聞きながら、それでものどかたちには気付けない、自然が示す感情のようなものを感じ取っているようでした。
じゃあ、やっぱりアスミは人間にはない特別な感受性を持っているということでしょうか?
いいえ。そんなことはありません。
「木が話してる」
「風が吹いただけでしょ?」
「そう。でも話してるよ、木が。お互いに『元気?』って声をかけあってる。風って、自然の思いを届ける力を持ってるんじゃないかな。――なんて。私の思い込みだけどね」
人間のなかにだって、アスミと同じものを聞き取ることができる感受性の持ち主はたしかにいました。
人間は草木や動物たちの言葉を理解することはできませんが、それでもなんとなく理解した気がして、思い込みかもしれないけれどコミュニケーションを取れる人。
人間なのに自然と共に生き、人間なのに積極的に自然環境に介入していって、そして人間なのに自然を助けることができる人。樹木医さん。
今話はそういう物語です。
おそらくはアスミ加入前後のファーストエピソード、その総仕上げとなるお話。
ひとつ謎かけをしてみましょうか。
アスミは人間ではありません。人間と違って今の姿のままで生まれ、人間と違って生まれついての使命を持ち、生まれつきエレメントパワーを操る力も持ち、それでいて人間と違って当初は感情をほとんど持ちあわせていませんでした。
そんな彼女が、今ではのどかたちと一緒に笑い、怒り、悲しんでいます。まるで人間のように。
それは――、彼女にとって本当に正しいことだったんでしょうか?
物言わぬ相手に向きあえる人
アニメの感想文でこんな持論ベースの謎かけごときを長々引っぱるつもりはありません。(※ いつだったかは最後まで引っぱりましたけどね)
話の流れからして見え見えでしたが、もちろん答えはYesです。
正しいに決まっているじゃないですか。アスミ本人があんなに楽しそうにしているんですから。
「下等生物ではありません。彼らは人間と共に生き、笑い、互いを思いやっている。その姿はとても、とても抱きしめたくなる姿です」(第23話)
前話、アスミは“かわいい”を理解しようとするなかで、最終的に異種族との親交を視野に含めた“かわいい”観を体得しました。
一般的な“かわいい”の定義と照らすとなかなか不思議な理解のしかたで、だからこそアスミという個人がどんなことにこだわっているのかよく伝わってきます。
この子がこれから紡ごうとしている物語は、自分とは違う誰かと共生するための物語です。
「ええー! お医者さん? 木の!? サクヤさん、木を治せるの!?」
「そうよ」
「ふわー、すごい!」
「え、どうすんの、どうすんの? だって木、喋れないし」
「あはは。木の様子を見て、診断をして、何か問題があれば処置をしてあげるの」
そう。それこそ樹木医さんの仕事は言葉すら伝えあえない相手とコミュニケーションをとり、相手に合わせた助けを施してあげるものです。
自分とは違う誰か、言葉すら通じない他人のために、それでも何かができるという好例。
「親鳥が近くで見ているかもしれない。人間が勝手に連れていってはダメよ」
「え、どこ? 親鳥なんで助けに来ないの?」
「私たちがいると親鳥も近寄れません」
「そう。人が近くにいること自体、野生の雛にとっては大きなストレスなの。さあ、すぐにここを離れましょう」
一方で、そんな自然と寄りそう樹木医ですら踏み入れられない領域があります。絶対に共有できない価値観というものがあります。
なにせ相手は自分と異なる存在なんですから。言葉すら通じあえない他人なんですから。
サクヤさんはこの自然公園が大好きなんだそうです。ここにいると心が安らぐんだそうです。人間なのに。人間の街で生まれ、人間の間で育ったくせに。草や木、動物たちとはまるで違った生い立ちをしているはずなのに。野生に雛に直接触れてはいけないように、結局どこまで親しみを持っても、言葉や価値観、突き詰めるとどこかでどうしてもわかりあえないところが出てくるはずなのに。
それでも、彼女はここの自然が好きだと言いました。
相手の気持ちがわかるとまで言いました。「私の思い込みだけど」と言い添えつつ。
「そんなことありません。サクヤさんは本当に自然の思いがわかる。――いいえ、わかろうとしている。ここの自然がステキなのはサクヤさんがいるからです。私もここが大好きです」
アスミにとって、そんなサクヤさんのありかたは正しい。絶対に正しい。
サクヤさんと自然とは、きっとどこまでいってもお互い完全に理解しあえるわけではないでしょう。「わかる」と断じてしまうのでは少々語弊があるかもしれません。けれど、「わかろうとしてくれる」。それが何よりも嬉しい。
だって、アスミ自身他のみんなと違うから。アスミは人間じゃないから。
それでも、今ではのどかたちと一緒にいたいと思っているから。
窮極的には全てを理解しあえない間柄かもしれないけれど、それでも諦めずに相手を理解しようとしてくれる人の存在は、アスミにとって心強い。
アスミも、人間じゃないのに、人間と一緒にいるひとときを好きになったんだから。
あなたは、私じゃない
「行かなきゃ。ビョーゲンズが湖を、あそこの自然を病気にしてるんだよ!」
「うん。でもおおらか市までだいぶ時間があるよ。どうしよう」
どうしてもやりたいことがあるのに、どうしたらいいのかわかりません。
自分たちの知っている手段だけでは問題を解決することができません。
子どもには知らないことが多すぎる。子どもには足りない力が多すぎる。
それでも、どうしても叶えたい望みがある。
「助けます。サクヤさんを。あのステキな自然を」
そう思ったとき、子どもたちはプリキュアになるという手段を選びました。
自分ではない他人と手を取り、心の肉球がキュンときた誰かと心をつなげあい、ふたり力を合わせてお互いの望みを叶えるための約束をしました。
それが今代のプリキュア。
それがパートナー。
それが、今は何もできない無力な子どもにもできる、未来をつかみとるための現実的な手段のひとつ。
「風って、自然の思いを届ける力を持ってるんじゃないかな」
「風よ。私の思いを運んで!」
私にできないことがあるのなら、私以外の誰かからできることを教えてもらえばいい。
だって、私とあなたは窮極的にはどこまでも違う他人同士なんだから。あなたは私が持っていない何かを絶対に持っているのだから。
かつて、日本人の世界観において、人間は自然の一部でした。人間は山林と共にあり、山林は人間の持たない豊かな恵みをもたらし、対して人間は山林にできない土地管理を行っていました。
人間と山林とは共生していました。
なぜなら、人間と山林とはそれぞれできることが違っていたからです。
絶対にお互いわかりあえない部分があるから仲よくできない、なんてことはありません。
絶対的にお互い異なる部分があるからこそ、仲よくしたいんです。
私のために。あなたのために。
私が、あなたが、ひとりではできなかったことをできるようになるために。
「行きましょう、地球のお手当てに!」
今日、アスミは本当の意味でプリキュアになりました。
「アスミ。帰り道よろしくラビ」
「ほら、ここまで来たトンネル」
「ああ。できません。あれはとても力を使うので、続けてはできないのです」
アスミは生まれたばかりの子どもなので、まだ何でもできるわけではありません。
ですが、できることを少しだけ増やすことならできます。
自分とは違う誰かの力を借りることで。
電車賃、本当にどうしようもないときはけっこう貸してくれる駅員さんもいますよ。(※ その節はたいへんご迷惑をおかけしました)
コメント
地理的条件は私も少し気になりましたw
自然はただ守ればいいってもんじゃないんですか。
そういえば、ツバメは多少人間の手が入った住宅街の方が逆に暮らしやすいと聞いたことあります。
今回のどかが悪気なくしでかしそうになったように、思い込みで相手の意向や最善手を無視しちゃうのは良くないなと改めて考えさせられました。
まあ今回に限らず、プリキュアは手を替え品を替えこういう話多いですね。
そして視聴者にだけ突きつけられたネブソックの正体と、芋づる式に浮上し続ける【ダルイゼンたち3人も地球で暮らすなんらかの生物だった】疑惑。
浄化すれば元に戻れることは確定したので、プリキュアにはいずれこの辺向き合ってほしいところです。
本当は、そうなったら必ずするだろうのどかたちの悲しい顔なんて見たくないですが、自分なりの覚悟は決めてます。
>自然はただ守ればいいってもんじゃないんですか。
というよりは、人間の営み含めて自然状態ってことですね。人工物を排除したら自然を守れるってわけじゃない。私たちは地球の外から来たエイリアンじゃない。
プリキュアは元々個人主義的な傾向が強い物語なので、この手のエピソードではノーマライゼーションっぽい価値観を押し出してきますね。人間が樹木をお手当てする姿を描きつつ、同時に人間が鳥の雛を触っちゃいけないという話も織り込んでくる矛盾っぷりときたらもう、シビれますね。
それはそれ、これはこれ。単純な融和でも棲み分けでもなく、ケースバイケース。相手ごとに対応を考えなきゃいけない。
ビョーゲンズたちの件も、もし主人公がのどかじゃなかったなら普通に倒したらいいじゃんって思うんですよ。生存競争レベルでどうしようもなく対立しちゃっている構図なんだから。
でも、この物語の主人公はのどかで、のどかは誰にでも分け隔てなく接しようとがんばる優しい子。そんな子に絶対悪を倒してめでたしめでたし、なんてオチは似合わない。
これもケースバイケースですね。
「姫君の乳母」だの「スポーツ」だの「ペットの飼育」だのといった極めて人間的な営みと異なり、今回のテーマは(アスミを生み出した)自然界の営みだったお陰か、透明化機能発動に見舞われなかった風鈴アスミ氏。……ともかく、およそお手当て任務遂行には妨げにしかならなそうな機能が彼女に付与されているのは「地球の神秘」か「地球の失態」か、はたまた「地球の深謀遠慮」か。
精霊のアスミと同じく、地球のお手当て遂行の為に生み出されたヒーリングアニマルは、見習いとして充分な教育訓練を経ないと単独でお手当てを遂行出来ず、もし見習いにお手当て任務を遂行させる必要が生じた場合には「心の肉球がキュンときた」人間とコンビを組むことで初めてお手当てが出来るようになっているわけですが(つまり見習いが単独でお手当て出来ないのは、体力とか知識・技術が足りないというより、精神的に未熟だから”免許”が与えられていない、ということなのかも)……おそらくアスミの場合、一刻も早くラテを救出せねばならないという切迫した状況の中「ろくすっぽ教育も受けていないのに、プリキュア3人分を上回るお手当てスペックを単独で行使出来る」という非常にリスキーな仕様で出撃させる羽目になったので、取り急ぎ透明化機能という安全装置(サーキットブレーカー兼アラーム)を組み込むしかなかった、んでしょうね、地球さんとしても。
さて……この精霊や見習いアニマルに課せられた”制約”の内容から判断すると、地球さんがお手当て遂行要員に求める最重要の資質は、体力・知識・技術といった合理的要素ではなくーーーーーー愛情・友情・人情といった非合理的な”情”という要素であるように思われます。
もしかすると……かつて精霊あるいはアニマルに”情”を学ぶ機会を持たせないままお手当て任務に従事させた結果、そのアニマルが”合理的”な判断ーーーーーー功利主義的なエゴイズム、あるいは血の通わない理想主義(原理主義、とも言えようか)によってーーーーーーお手当てを放棄し、逆に「地球をむしばみ」はじめた……という、地球さん痛恨のミスがあったのかもしれません。
この推測、信じるか否かは貴方次第……ですけど、ビョーゲンズVSプリキュア陣営の対立点を「合理主義VS”情”」と考えると、結構本作の展開に筋道が通ってくるように思えるんですが……。
つまりOJTってことですね、OJT!(※ 社会人一年生を追い詰める魔法の言葉)
そして初代のやりかたを次世代にも踏襲させる前例主義でもあります。(※ )
いつもの敵幹部と比べてビョーゲンズが合理主義的に見えるのは、彼らの仕事への姿勢に野心が感じられないからでしょうか。別にそこまで仲よくないくせに、周りを出し抜こうって発想があんまり無いんですよね、彼ら。妙に仕事に真摯で、(穿った見かたをするなら)プライベートが見えてこない。
そのあたり、のどかたちと対照的だと思います。のどかたちがプリキュアしているのはあくまでそれぞれの個人的な願いのためですもん。プライベートしかない。
その意味で、アスミが自分を見失うと透明化するっていうのは教育プログラム的になかなかの矯正力。(※ 結局そこに戻ってくる)