明日へ行こう。ミラクルンも、――あなたも。
花寺のどかは正義の味方じゃない
「ミラクルンを閉じこめて、永遠に今日を繰り返すのです」
リフレインのやろうとしたことは、まあ、相当に身勝手なことです。時間をループさせたのは小学校舎が解体される日の到来を拒むためであり、いってしまえばただの感傷。ワガママ。校舎を守ることで誰かを喜ばせたかったとか何かを為したかったとか、別にそんなんじゃありません。また、彼自身はどこかから流れ着いてきて校舎の時計台に宿っただけに過ぎず、校舎が取り壊されたところで生存の危機に立たされるとかそういう事情すらありません。
本当にただ、想い出の場所を壊されたくなかっただけ。たったそれだけのためだけに、全世界を巻き込んで時間を操作するという恐ろしいことをやってのけました。
彼の企みは当然に阻止されるべきことです。実際、劇中でも彼は最初から最後まで倒されるべき敵として描かれます。近しい身内であるはずのミラクルンすら彼に同情的なそぶりは見せず、むしろ彼を倒そうとするプリキュアたちに力を貸していました。
“絶対悪”といってしまえばそれまで。
彼には味方が誰もいません。というか、ここまで身勝手な行動理由だと誰も同調しようがありません。
ひょっとするとビョーゲンズよりどうしようもない。ビョーゲンズとの戦いは実質的に生存競争のようなもので、和解することが困難なことにもある程度納得はできるのですが、リフレインに至っては単にこちらの譲歩できないところでワガママぶちかましているだけです。きっと話しあえばどこかで譲歩しあえるでしょうに、実際のどかのお母さんなどはまっとうな手段で校舎を残す手段を思いついていたのに、彼ときたら向こうのほうから勝手に和解の余地を断っています。
こんなヤツ、どんなヒーローでも問答無用でぶちのめしたところでどこからも文句が来ることはないでしょう。
「明日へ行こう。ミラクルンも、――あなたも」
それでも、のどかは彼に一定の救いがあってほしいと願います。
花寺のどかとは本質的にそういう子です。
穏やかな性格で、度量も広く、周りのことをよく見ていて、たとえケンカ中であっても相手の気持ちを思いやらずにはいられない。なぜなら彼女が優しくあろうと心に決めたのは、入院中に体験したお医者さんたちの優しさがきっかけだからです。本来なら医者→患者という非対称の関係性だからこそ成立する無制限の献身を、のどかは誰にでも分け隔てなく行おうとしているからです。
現実的に考えて無理のある理想像ですが、少なくとものどかは本気です。これまで折れることなく、曲がることなく、ひたすらまっすぐその理想にふさわしい自分になろうと努力してきました。
だから、どんなヒーローでもさじを投げそうな身勝手な人であったとしても、のどかだけは救いの手を差しのべられる余地があります。のどかという子はそういう意味で優しい子なんです。
リフレインの望みの本質は小学校舎を守ること。
そのために選んだ手段があまりに最悪すぎて、ミラクルンを害したり周りのみんなに迷惑をかけてしまったりするのは必然ではありますが、彼自身はそういう迷惑行為をはたらきたくてわざとやっているわけではありません。
そして、本質的に悪意から出た行動でないのなら許せてしまうのがのどかです。
彼女の憧れた優しさは、どんな厄介な病気を持ち込まれても迷惑そうな顔ひとつ見せず、絶対に諦めず献身しつづけるものでしたから。(※ 逆をいえば、そういう性格だからこそダルイゼンが「自分さえ良ければいい」と言い切ってしまうことを許せなくなる子でもあるのですが)
実際行ったことを一旦脇に寄せて考えた場合のリフレインとは、一体どのような人物でしょうか?
愛情深い人です。
実際に児童が登校してくるわけでもないのにわざわざ半ドンになぞらえ、大した意味もなく12時までのループを繰り返す人。「これで最後の授業にしましょう」などと、ついつい教師ぶった口調で話してしまう人。自分の生まれた場所でもない校舎を、ただ子どもたちとともに過ごした日々の想い出を守るためだけに必死になってしまう人。
そんな、ダメだけど優しい人だからこそ、のどかは彼にも救いがあってほしいと願います。
のどかは優しい子だから。
のどかは優しい人たちに憧れた子だから。
無理解を越えて
97回目のループに敗北し、98回目では最初からスタートゥインクルプリキュアやHUGっと!プリキュアたちの力を借りようとするのどか。
けれどそれは思うようにうまくできません。リフレインの妨害があったわけでもなく、単純にのどかの無力さによって。
説明がうまくできませんでした。
自分は何者なのか、何に困っているのか、ひかるやはなたちに何をしてほしいのか、初対面の彼女たちにうまく伝えることができませんでした。逡巡しているうちにもどんどん時間は過ぎていき、結局何も伝えられないまま空手柄でその場を去るばかり。
『ヒーリングっどプリキュア』はテレビシリーズのほうでも、そういうお互いへの無理解が障害となってしまうエピソードが数多く描かれます。相手の気持ちがわからずギクシャクしてしまったり、あるいは仲違いしてしまったり。そのままもう二度と友人に戻れないと考えてしまう人たちまでいました。
「生きるということは変わっていくことなの。今さら顔を合わせても、私たち、もうきっと話すことなんて何もないわ」(『ヒーリングっどプリキュア』第16話)
誰もが最初は他人で、あるときたまたま気が合ったから友達になれたにすぎません。
友達なんて所詮そういうものですから、気が合わなくなったらまた他人に戻ってしまうかもしれませんし、まして時間を戻されてしまえば当然他人に逆戻り。私たちが他人について理解してあげられることなんてほんの一握りのことでしかなく、理解できたつもりの“友達”と何も知らない“他人”とを分ける境界線ですら、実はごく曖昧なもの。
同じ小学校の校舎と桜の木とに宿ったリフレインとミラクルンですら、時間の経過とともにやがて敵対関係に変わってしまうんです。ふたり並んで微笑むラストシーンを見るかぎり、きっと元は同じ精霊同士仲よかったことでしょうに。
では、“他人”同士という無理解そのものともいえる関係性において、自分を理解してもらおうとする行為はムダなことなんでしょうか?
まさか。だって、誰もが最初は他人だったんですから。他人だからって誰にも理解されないと最初から諦めていたら、この世界に“友達”なんてものは1組たりとも存在しえません。
のどかの拙い説明とお願いは、実際にはちゃんとひかるやはなたちを動かしていました。
ただごとではないと察してくれた2チームは、リフレインとの戦いまでに応援に駆けつけてくれました。
「のどかちゃん。自分を信じて。ミラクルンを助けたいって気持ちを。それで、そのキラやばー!な気持ちをもう一度私たちに伝えて」
また他人に戻っても伝わるものはあるんだと、ひかるが力強く言います。
それは彼女たちの経験則。『ヒーリングっどプリキュア』だけでなく、『スタートゥインクルプリキュア』も『HUGっと!プリキュア』も、他人という無理解な関係に挑戦してきた物語です。ひかるたちは理解されることを拒む相手に自分の思いを知ってもらうために。はなたちは自分のありかたを決めつけてくる相手に本当の思いをわかってもらうために。彼女たちは、伝えることに成功しました。
だから言います。「信じて」と。
誰もがみんな、本当は伝えるための力を最初から持っているんだよと。
他人だからって理解してもらうことを諦める必要はありません。
だって、どんな“友達”も最初はみんな“他人”だったんですから。
「もうみんながプリキュアだって知ってるし! てか、私もプリキュアだし!」
思えば過去の春映画もだいたい全部、この手の一言さえあれば一瞬で友達になれていました。
未来と過去と
「明日に行くんだ!」
「キラやばー!な明日に!」
「ミラクルンと一緒に!」
今回、プリキュアは未来を象徴するミラクルンを守り、過去を象徴するリフレインと対立することになります。
やはり子どもは未来を望むべきです。勝手な言い分ですが、大人のひとりとして切にそう祈ります。
でも、過去は?
過去は必要のないものなんでしょうか?
リフレインのように愛しき想い出に束縛されるばかりで、未来を目指すうえでは邪魔でしかないものなんでしょうか?
いいえ。
だって、そうではないからこそ、リフレインは強敵だったんですから。
「あなたがたの動きは予習済みです。一度戦っていますので」
リフレインは自分だけがループの先へ記憶を持ち越せることを強力なアドバンテージとしていました。
彼に対抗できるのは、同じく記憶を持ち越せるようになるミラクルンライトの力だけ。だからこそ彼はミラクルンを捕らえようとしていたほどです。“友達”を“他人”に戻してしまう時の力は絶大。事実、ミラクルンと出会っていなかった96ループ目までのプリキュアはリフレインのしていることを察知することすらできずにいました。
「私ね、いろんな人にたくさん助けてもらって、今、こうやって元気でいられるの。それで、私もいろんな人を助けたいって思うようになったのね。だから、そういうふうに生まれたんじゃなくて――、経験して、変わったんだと思う」(『ヒーリングっどプリキュア』第21話)
過去は、その人の全部です。
何かをしたいと思う気持ち。何者かになりたいと思う気持ち。変わりたいと思う気持ち。未来を望む切実な思い全部、その人の過去の経験に立脚しています。
私たちは生まれつき何かしらの使命を背負って生まれてきたわけではありません。生まれてからたくさんのことを経験し、たくさんのことを考え、そうして自分なりの夢を持つようになるんです。
のどかが優しい子なのは生まれつきではありません。優しい人たちに出会い、優しさに憧れ、自分も優しくありたいと理想を抱いたからこそ、今、のどかはみんなに優しくあろうとがんばっているんです。
過去と現在と未来とは連続しています。どれひとつ欠けたとしても、私たちはなりたい自分を夢見ることができなくなります。
大人は子どもたちに明るい未来を掴んでほしいと祈るものです。夢を叶えてほしいと願うものです。そのためにも、子どもたちの過去は大切にされなければなりません。
未来を司る精霊であるはずのミラクルンの力がのどかたちに過去の記憶を持ち越させたのは、きっとそういう理由。ミラクルンの力とリフレインの力、未来と過去は、もしかしたら似た者同士、分かちがたい双子のようなものなのかもしれませんね。
のどかはリフレインを救わなければなりません。
のどかは優しくありたい子で、その理想ゆえにみんなに優しくなければならないから。
メタ的にも、今ののどかをかたちづくったのは過去の経験によるものだから。
そして何より――。
「だって私たちはプリキュアだから!」
プリキュアとは、自分が一度決めたことを絶対に諦めないものだから。
キュアブラックとキュアホワイトの時代から連綿と受け継がれてきたプリキュアの魂は、今、キュアグレースにも確かに継承されています。
なかにはのどかの会ったことのないプリキュアだってたくさんいます。それでも、過去の少女たちが悩み苦しみ笑いあいながら紡いだ一連の物語は、その歴史の最先端に立つのどかのもとに届いています。会ったことのない子ですら他人ではありません。みんな同じプリキュアの仲間です。
「プリキュア・ヒーリング・タイム・リミッション!!」
「remission」とは、日本語で“寛解”と訳される医療用語です。白血病などなかなか完治されることのない病気において、少なくとも表面的には症状が観察されなくなくなった状態のことを指します。
本当に完治したのか、それともただの小康状態なのかはお医者さんでも判断つきかねます。それでもひとまずは元気を取り戻し、穏やかに暮らせるようになった状態。それが「remission」です。
未来を目指す力であるミラクルンライトの加護で戦ったのどかたちにできることはそこまで。
病気を癒やすお医者さんたる今代のプリキュアは、必ずしもリフレインの怒りや悲しみを完全に治癒してあげられるわけではありません。
『ヒーリングっどプリキュア』第11話において成長しきったメガビョーゲンの苗代となっていた花のエレメントさんに対してもそうだったように、病気を治すためにはお医者さんの力だけでなく、患者の元気になろうとする意志も必要となります。
だから、本当の意味でリフレインを救ってあげられるのは“未来”ではなく“過去”に属するもの。
かつてすこやか市立第三小学校に通い、リフレインと同じ想い出をやはり同じく大切に思う、のどかのお母さんたち。同窓会の嘆願が、校舎を解体の決まっていた未来から守ります。
こうして過去と未来とは再びつながりを取り戻しました。
過去は未来があることによってその存在価値を回復し、未来は過去があるからこそ夢叶える舞台として存在することができます。本来リフレインとミラクルンとは対立するべき存在ではなく、できることなら並んで微笑みあうのが誰にとっても一番うれしいありかたでしょう。
リフレインに追われるミラクルンを見たとき、誰がこんな未来を想像していたでしょうか。
映画が始まったとき、のどかたちどころか私たち観客すらも、リフレインがどういう立ち位置にいる存在なのか知りませんでした。けれど、やがて知って、納得します。のどかがどうしてリフレインを救わなければならなかったのかを。
絶対にわかりあえない敵なんて、きっといない。
のどかたちのところはいつか、ビョーゲンズたちともわかりあえる日が訪れるのでしょうか。
「楽しい想い出をありがとう」
「これからもっともっと楽しい想い出をつくっていけるといいね」
過去と現在と未来が連続する流れのなかに、私たちにとって大切なあらゆるものが待っています。
コメント
とりあえず、小学校の同窓会というあからさますぎる伏線に全く気づけなかったのが悔しいなと。
時間遡行ものは主人公側にどうしても起こる歯痒さが苦手なので避けようと考えてたのですが、結局評判の良さに惹かれ鑑賞して良かったです。
のどかが割と賢い子&もともと異常事態に慣れた先輩方という組み合わせで、最小限の混乱に留まりましたしね。
本筋と関係ないとこで、男の子を交通事故から助けるくだりを毎回欠かさず入れるのも好感が持てました。
その優しさと真っ直ぐさが本編でどんな結末に導くか、ますます楽しみです。
最後に、近年の傾向的に『ミラクルっとlink ring!』をEDでそのまんま使うのは珍しいですけど、めちゃくちゃしっくり来ますね……!
総じてキラやばなお話でした。
アブラハム監督に比べたら同窓会なんてどうでもいい気がしてしまうからしゃーない。(※ 同類 / 言い訳)
“よくわからないけど気になる子がいたからとりあえず探してみる”的な行動力とお人好しぶりとに助けられましたね。毎年誰かしらの助けを求める声に応じてきただけのことはある。物語テーマ的には“説明がうまくできない(=意思疎通の困難)”が割と重要な要素になっているはずなんですが、先輩チームの物わかりがいいおかげでバトルには毎回参戦してもらえました。
男の子の交通事故フラグ、私としてはあれをHUGっと!プリキュアチームへの説明のタイムリミットとして使っていたところに「おおっ!」ってなりましたね。一方でスタートゥインクルプリキュアチームにもバスの時間としてしっかりタイムリミットが設けられていましたし、よく考えられているというか、よく整理されたプロットだなあと思いました。
EDテーマをそのまんま持ち込んで映えるのはテレビシリーズとテーマ的に地続きだからこそでもありますね。オールスターズものの映画でありながら、しっかり『ヒーリングっどプリキュア』でもあるという一粒で二度おいしい感。良き!