ねえ月の綺麗な 夜は思い出して
――挽歌
今はこんなに 遠く離れても
世界で一番 君が大事だって
僕がここにいて 歌っているよ
そもそも暗号表なんてものはwebパスワードと同じで、何もなくても定期的に更新するものです。まして一時的にでも紛失してしまったなら直ちに新しくするのは当然のこと。
じゃあどうして共和国がわざわざ暗号表を探し求めるかといえば、そこから新しい暗号を読み解くための法則性を見出せることがあるからです。どんな乱数にも必ずクセというものがありますからね。まあ、少なくともたったひとつの暗号表で見破れるほど単純な法則性ではないでしょうけれど。
実は王国としては暗号表を見つけられなくてもそこまで困りません。共和国のスパイに盗まれたら厄介なことになる“かも”しれないので、できることなら回収しておきたいというだけです。
その程度の重要度だからこそ、ノルマンディ公はわざわざ本職のスパイをモルグに派遣するのではなく、そこらのチンピラを金で雇うことにしたわけですね。
なにせ“安い”ですから。彼らは。1ペニー(英国通貨の最小単位)あれば1回の食事か1晩の寝床のどちらかくらいは確保できた時代です。彼らの一生分の賃金程度、人ひとり殺す手間よりも、もっと安い。
この前提を頭に入れたうえでもう一度第6話を観てみましょう。鬱々としますね。
とりとめなく
ドロシーはスパイのくせに何かと甘い子です。まさか偽名が自分の母親の名前だなんて! そんなんだからコントロールにも素性を洗われちゃうんですよ!
「私たちが暗号表を奪ったら、父さんは・・・」
どれだけサイテーのクソ親父だとわかっていても、10年経っても相変わらずサイテーだったとしても、それでもドロシーの胸中は任務開始当初から複雑です。
親子というものはそもそもそういうものなのかもしれません。例えそうでなくとも、プリンセスを疑いきれなくて“白”にできる理屈をこね回していた第4話を見てもわかるとおり、ドロシーという少女は事実よりも感情を優先させて考えてしまう子です。
それでいいと思います。チームの中で一番の年かさとはいえ、彼女だってまだほんの20歳の少女なんですから。感情を殺して幸せに生きられるものか。彼女くらいの年頃ならもっとたくさんステキな想い出をつくるべきです。そうじゃなきゃいつか辛くなったときに自分を励ませないし、いずれやって来る老後だってきっとつまらない。
エモーショナルに生きましょう。少女の時間というのは人生においてとっても貴重なものです。子どものうちにしかできない時間の使い方というのはきっとあります。本当なら少女にスパイなんてやってる暇はないんです。
だから。少女でありスパイでもあるドロシーが、心に少女らしさを残しているのは、ステキなことです。
どうか。どうか、ステキなことでありますように。
さて、件のサイテー親父が働いているところをモルグといいます。劇中で語られているとおり、主な業務は無縁仏の死体洗いと一時保管ですね。言わずもがな当時の社会的地位としては最底辺です。日本でいうところの穢多がやらされる類のお仕事。もっとも、その代わりに給料は意外と悪くなかったらしいですが。
同僚にもいろんな人がいますね。ベアトリスに話しかけてくれた戦傷者のお爺さん。顔を黒いヴェールで覆っているのは未亡人。顔に入れ墨が彫られているのは犯罪者でしょうね。それからドロシーの父親、身体障害者。
社会権なんて概念すらなかった時代ですから、生活基盤が崩れた時点で問答無用で社会の最底辺へ真っ逆さま。そりゃ親父さんだって荒れるわ。
もっとも、本当は仕事と持ち家があるだけずいぶんマシな方なんですけどね。それだけあっさり社会から爪弾きにされてしまう時代だというのに身元不明死体を扱うモルグの求人が絶えないというのは、つまりまあ、そういうことです。
「本当のことでしょう! ケガしたってがんばってる人はたくさんいる! 父さんはケガのせいにして逃げてるだけじゃない!」
ドロシーの言い分は真っ当さ半分、ムチャも半分といったところ。
それができたら苦労しませんとも。それができたという人はいったいどれほどの苦労をしたんでしょう。それほどの苦労に誰もが耐えられるものでしょうか。
ヤですよ。普通の人はそんな苦労すら知らずに上等な生活を営めているというのに。どうしてコッチだけ。あーあ、苦労なんてしたくない。世の中は理不尽だ。宝くじでも当たらないかなー。(というところに“ノルマンディ公からの仕事”という宝くじが当たったわけですね。ラッキー)
真っ当さとムチャの混合物を「本当のこと」と言い切ってしまうドロシーはやっぱり青臭い少女で、まだまだ大人になりきれていません。そして、サイテー親父のような悲しい現実に立ち向かえるほど少女というものは強くありません。心にケアが必要です。
ちょうどそういうのにうってつけの子がひとりいましたね。
ベアトリス。スパイという境遇に身を浸しながら、それでも“普通”を手放さない無敵の少女。
「やめてください! 恥ずかしくないんですか、周りに当たり散らすなんて!」
ドロシーよりもさらに青臭い説教をひけらかすこの子こそはプリンセス・プリンシパルの物語における最大の良心です。彼女がいる限り、きっとアンジェたちは心の芯に少女らしさを保っていられるはず。
「ドロシーさんがそう言ってくれるってことは、私たち、もうカバーじゃなくて本当の友達ですね」
その全くもってスパイらしくない(そしてひたすら少女らしくある)言葉が、悲しい現実に傷ついたドロシーにとっては何よりの救いになります。
「やめろ!」「大丈夫か、ベアト」「触るな!」
ベアトリスが傍にいるからこそ、サイテーだけど愛さずにいられないクソ親父の呪縛を振りきって、ドロシーは悲しい現実の前でも青臭い少女のままでいられます。
少女であるというのは善いことです。きっと大多数の大人は無条件にそう信じています。どうかあまねく子どもたちがみな幸せなまま未来へ巣立てますように、と。私たちの後の未来をもう少しだけ良くしてくれますように、と。
まして、子どもを持ったことのある人ならなおさら。(といいながら私は独り身ですが)
そう、だから、ドロシーの見せた少女性が、サイテー親父のなけなしの親心を蘇らせます。
「待て! 俺を・・・俺を置いてかないでくれえ! うああああ! 悪かったよお! あああああ・・・」
見た目はなっさけないですけどね。けれどこの感性こそ真っ当だと私は思います。自分を含めたクソッタレな現実のいかに汚らしいことかを自覚し、少女たちの無垢さに憧れる。これこそ子どもを守り育てるという役割を負った大人のあるべき姿というものですよ。
これがあったからこそ、クソ親父はドロシーに秘密の儲け話を打ち明け、甘く明るい家庭の再生を夢見て、そして、愚かにも悲劇に向かって邁進するわけですね。
「もうすぐだ! もうすぐ大金が入る! 絶対に金は返すから! だから娘にだけは手を出さないでくれえ!」
「あいつ綺麗だからよお。服でも買ってやってさあ、一緒に街を歩くんだ。『どうだ? 俺の娘は美人だろ』って言ってよ」
「奇跡なんだよ。すっかり諦めてた娘とあんなところで会えた。だから俺たちにはやり直すための金が要るんだ」
「これまでのクソみたいな人生とはオサラバして、今度こそ俺は生まれ変わるんだ!」
子どものように目をキラッキラさせて、真っ当な大人はまるで少女のような青臭い理想を語りだします。
少し想像してみてください。
あなたは場末のバーで、そこそこマシなスタウトに唇を湿らせながら、ろくでもないお父さんの帰りを待つんです。
大切な友達が歌ってくれる、子どもの頃大好きだった歌を聞きながら。
釣られたバーの客たちが調子っぱずれに歌う喧噪に身を浸しながら。
ありえなかった“幸せな私”に思いを馳せながら。
本当に来るかもわからないお父さんの帰りを、ワクワクしながら待つんです。
もしかしたらこれからはちょっとだけ楽しく生きられるかもって。
下品にドアを蹴って、お父さんがバーに入ってきます。
両手にひとそろいの真っ赤なパーティドレスをぶら下げて。
あなたは客たちに囃されて、バーの裏手を借りてそのドレスを着てみます。
ちょっとサイズは合わないかもしれませんね。
でもお父さんは絶対に綺麗だって言ってくれます。
友達の歌に合わせて、世界で一番綺麗なあなたはちょっとだけステップを踏んでみます。
その不器用なダンスを見てみんなが笑います。
窓の外はすっかり暗くなっていて、そう、大きな満月が昇っているでしょう。
それがなんだか無性に嬉しくって、
そしてあなたはお父さんに10年ぶりの口づけをするんです。
本来少女が生きるべき世界とはきっとそういう甘やかな場所です。
大人が守ってあげるべき世界とはきっとそういう明るい場所です。
みんなが楽しそうに笑い合い、あなたも心から笑える、そんな場所です。
そんなもの、ここでは嘘でしかないのだけれど。
コメント
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夢想と現実のギャップが辛い
良い記事ですね
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> 夢想と現実のギャップが辛い
> 良い記事ですね
ありがとうございます。
だってあのタイミングであんな歌を聞かされたら“ありえたかもしれない未来”を想像しないではいられないじゃないですかー!
・・・というわけで読む人を選ぶのを承知で、感想文という枠をはみ出し気味に好き勝手やっちゃいました。