プリンセス・プリンシパル 第7話感想 たとえばこんな明るい未来図。

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もひとつ回してがんばって稼ごう
おいしいご飯を食べるため
疲れたときにはみんなで歌おう
ため息つかなくなるように
悲しいときにみんなで笑おう
父さん母さん会いに行きたい
泣きたいときにはみんなで笑おう
嬉しい涙になるように 

――手を取りあう子どもたちの労働歌

 かわいらしいオルゴール曲と無骨な機械駆動音のディソナンスで幕を上げる今話の主役は児童労働者たち。過酷な労働環境の中でもがきながらも、あくまでかわいらしく華やぐ少女たちの細腕繁盛記です。
 「最適なカバー」とうそぶきプロのスパイたるドロシーすらドンビキさせるタワケなアンジェさんはとりあえず脇に置いといて(というかコレ、本当に隠蔽したがっているのは身元じゃなくて、プリンセスが出張ってきたことへの不機嫌ですよね?)、今宵も少女たちの奮闘を見守りましょう。

児童労働者

 なんか毎回言っていますが、この時代には社会権なんてお優しい概念はまだまだ芽吹いてすらいません。
 児童労働者とかいう字面からして不健全な存在が公然とまかり通っていました。
 彼女たちの立場は前話モルグで働いていた社会の爪弾き者たち並みに弱く、しばしば日雇いの低賃金&過酷な労働環境で使い潰されていました。

 有名なところだと煙突のスス落としですね。身体が小さく狭い煙突内に潜りやすいこともあって、この仕事は子どもたちによく斡旋されていたそうです。
 煙突内という労働環境がどんなものか想像できますか? ここに滞留する空気は燃焼済みのものです。ススが詰まっているわけですからなおさら、新鮮な空気なんて望むべくもありません。
 そんなわけで、現場監督者のろくなフォローもなく、窒息したり一酸化中毒に陥ったりする子どもたちが後を絶たなかったそうです。なまじ安く雇えるだけに安全管理もずさんで、ときには作業中に暖炉に火をくべられて蒸し焼きになってしまうケースまで。
 本来なら私たちより先の未来を担うはずだった子どもたちを、いったい何だと思っていたんでしょうね。

 今話の舞台となる洗濯工場はそれに比べたらずいぶんマシですが、児童労働者たちに対する考え方はスス落としと大差ありません。
 経営状態が火の車だというのにいきなりアンジェたち5人をまとめて雇ったことに疑問を感じた方もいるかと思います。ですが考え方としては逆です。経営が芳しくないからこそ5人も雇うんです。機械をメンテナンスするにはある程度まとまったお金が必要ですが、それに比べて児童労働者の賃金なんてたかが知れてますからね。機械の不調による生産性の低下に対して、二束三文の労働力を数だけ揃えてその場しのぎしているわけですよ。
 危険な労働環境で労働者がケガしようが知ったこっちゃねえ。どうせ安いんだから使い潰して次々新しい子を雇えばいいだけの話。機械の駆動部近くでパン屑を散らかす愚か者がいても指導すらしない。監督できるくらいの高度な技術者を雇うくらいなら安い子どもを5人雇った方が目先の利益は上がるから。
 いったい何のための工場なのかわからなくなる本末転倒ぶりですが、実際こういう不効率な労働環境は現代でも割とよく見られる光景ですね。

 ついでに言うと、当時洗濯工場は確かに女性が活躍する職場だったそうですが、それは(言うまでもなく)女性が日頃から家庭で洗濯に慣れていたからです。
 だというのに年端のいかない少女たちばかり集めて社長はいったい何がしたかったんでしょうね。同じ女性だからって、子どもじゃそこまで家事に習熟しているわけでもないでしょうに。(だからこそ安いのですが)
 「まだ教わってないこといっぱいあるのに」
 プリンセスたちとの別れを惜しむ声の中にこんなものもありましたが、実務的にも割と切実な話だったと思われます。日雇いばかりで、あげく最年長でも30歳に届いていなさそうなスタッフしかいないこの工場では高度なスキルの継承なんて望むべくもなし。本当に労働者を使い潰すことしか考えていない経営思想としか思えません。
 旧体制のまま5年、10年働きあげたところで、あの子たちはたぶんいつまで経っても安い労働者のままだったでしょうね。・・・その前に身体障害を負ってドロシーの父親ルートか。

プリンセスの労働改革

 そんな絵に描いたような劣悪な労働環境だったので、プリンセスの行った労働改革はきわめてめざましい成果を上げます。前年比231%て。
 ベアトリスが一晩でやってくれた一斉メンテナンス&イラストによる注意喚起。
 アンジェによる工場内動線の整備。
 ちせ発案の労働歌の導入。(勤労意識の改善)
 ドロシー主導の新規顧客開拓。
 並の経営者と労働者ではそもそも実現不可能な改革ばかりですが、これこそがまあ要するに、プロフェッショナルな技術者を抱えたときの強みですね。コストがかさむのを恐れて自転車操業していた愚物にはチートだなんだと言う権利はありませんのであしからず。

 「私ね、シャーロットと堂々と一緒にいたいの。でも、そういう気持ちは私たちだけじゃないわ」
 生まれつきのロイヤルブラッドではないプリンセスには弱者の痛みを解する広い視野があります。
 親、兄弟、恋人、友人。このロンドンには「壁」によって離ればなれになった人がたくさんいますが、「壁」とはなにもコンクリートブロックのことだけを指すわけではありません。

 何らかの事情によって王族としての地位を追われスパイに身をやつしたアンジェ。
 機械狂いの父親による虐待のせいで謂われのない差別を受けてきたベアトリス。
 大政奉還の混迷により親殺しの業を背負うこととなったちせ。
 (この時点のプリンセスは知らないはずですが)転落人生に荒れる父親と仲違いしてしまったドロシー。
 それぞれに悲しみを抱えた少女たちの群像。その少女らしからぬ重すぎる負債を、この社会に生きる人々のほとんどはまだ知りません。誰にも知ってもらえないからこそ、彼女たちは身を寄せ合ってじっと耐え忍んでいます。
 他人の痛みに無頓着だからこそ、子どもたちの生活の苦しさにつけ込んだ児童労働者なんてものまでまかり通っています。

 これこそが「壁」。
 壁とはロンドンにだけ生えるものではなく、実際には人と人との心の間にもそびえているわけです。
 それぞれに痛みを抱えた少女たちと触れあい、また、自身も「空気姫」として日々己の無力を痛感しているプリンセスが戦おうとしているものこそが、この「壁」です。

 「ところで、どうして姫様まで来たんですか?」
 「私だってチームの一員です!」

 合理性を欠いてでも彼女がアンジェたちの任務に同行しようとするのは、おそらく「壁」と戦うためなんでしょうね。空気姫のままではとても打ち崩せない。もっと力をつけて女王にならなければいけない。そのためには・・・
 「いつか彼らの声が揃うときが来るわ。大きく、波のように」
 そのためには、悲しみを嘆く人々の声を束ねなければ。市民からの革命の要請をまとめあげなければ。「壁」を打ち崩したいというみんなの意志を、「壁」を越えてひとつにしなければ。

 共和国スパイの力を頼るなんて嘘っぱち。そもそも彼らの目的はプリンセスを即位させることではありませんし、仮に即位させてもらえたとしても、その先にあるのはどうせ現女王と同じ傀儡の身分。頼っていい相手じゃないことは初めからわかりきっています。
 プリンセスは王国を欺き、共和国を欺き、「壁」に苦しむ人々をまとめ上げるべく日々戦っています。

 今話が苦みのないハッピーエンドで終わったのは、その大望が小規模ながら実現できたからですね。
 「この工場なくなっちゃうの?」
 「どうしよう」
 「わかんないよ」
 「月末にお母さんの手術があるのに」

 危うい生活基盤の上に生きることを強いられていた児童労働者たちの悲しみの声を聞き入れ、労働改革を経て彼女たちの不安を取りはらえたからこそ、無能な前社長には理解できなかったみんなの心の「壁」を打ち崩せたからこそ、今回は成功を収めることができました。

 「でも私、あの工場で損するつもりはありませんよ」
 「あの工場に稼がせようというのか? 無理だ! あんな工場では」
 「ちせさんらしくありませんわ。何事も努力と鍛錬ではないんですか」

 全ては、生産性の低さの原因が児童労働者たちの資質ではなく、勤労意欲を引き出せない労働環境にあると見抜いていればこそ。

ちせが見た光

 「あの女たちが怠けすぎなのだ! 励めばもっと数を稼げる」
 精神論に立脚してものごとを見つめるちせの目は、プリンセスが戦っている「壁」の姿を浮き彫りにするために良い活躍をしてくれました。
 「ここの機械はポンコツだ! 適当に休みを入れないと怪我人が出るんだよ」
 怠慢なように見えて、実は機械の都合に合わせていただけ。その誤解(これもひとつの心の「壁」ですね)があったからこそ、今回プリンセスがしてみせたことの価値がよくわかります。
 「Get across the wall. In the shade, see that even darker shape. I’ll light it up」
 壁に遮られてできた暗がりを見ているからこそ、そこを照らそうとする光の尊さが伝わってくるというものですね。

 それから今回のちせの役割もうひとつ。
 ちせは工場に忍び込んだ毒ガスジャックを無力化したとき、その荒事を工場で得た友人であるマリラに見られてしまいます。
 「これは、その・・・」
 マリラは黙って立ち去ります。
 ちせの「嘘」。工場に潜り込んだ理由を偽っていた後ろめたさは、せっかく友情を育んだふたりの心を隔てる「壁」となりうるものでしょう。

 けれどね、「壁」はもうないんです。
 この工場にあった「壁」は、もう全部打ち崩されていたんです。
 プリンセスが、そしてちせ自身が成したことです。
 「ちえ子に伝えてくれないか。私はあいつの事情とかよくわかんないけどさ、その・・・『負けるな』って」
 ちせは確かに嘘をついていましたが、築いた友情はそれとは関係なく真実偽りないものでした。その友情の前に不誠実な嘘は心の「壁」とはなりえず、ちせの心を暗くする後ろめたさは真実の輝きのもとに晴らされたのです。

 ちせたちはスパイという少女らしからぬ生き方を強いられた、けれど普通の少女たちです。
 今回彼女たちはあたかも「壁」を打ち崩すスーパーヒーローのようにふるまいましたが、その実、彼女たち自身も「壁」に苦しむ被害者でもあります。
 だったら彼女たちの心の「壁」は誰が打ち崩してくれるのか。
 それは例えば、マリラのような普通の少女。

 この世界の神様はすこぶる冷たくて、心の「壁」に苦しむ少女たちにヒーローひとり派遣してくれやしません。
 ちせやプリンセスだって、本当はヒーローなんかじゃありません。どこにでもいる普通の少女です。
 心の「壁」を打ち崩せるのは結局のところ、ヒーローのような特別な存在ではなく、自分自身も「壁」に苦しむ普通の人だけなんです。
 だからこそ、プリンセスのように「壁」に苦しむ人々に働きかけることには意味があります。
 その戦う意志はいつか自分のところにも返ってきて、いつかどこにでもいるどこかの誰かが、あなたを苦しめる「壁」を打ち倒してくれるでしょうから。

 「泣きたいときにはみんなで笑おう 嬉しい涙になるように」
 あなたが戦い続ける限り、あなたの悲しみはいつか幸せな未来の糧となる。

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