やっぱり私スイーツが好き! スイーツに込めた私やみんなの願いがあったから、今こうして笑っていられるんだもん!
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(主観的)あらすじ
前回の戦いでキラキラルクリーマーからクリスタルアニマルが現れ、それからビブリーとも友達になれました。
いちかたちがいつもどおりみんなでスイーツづくりを楽しんでいると、闇の魔獣・ディアブルが現れます。ディアブルはキラキラルを闇に変えてしまうそうです。みんなを笑顔にするスイーツのキラキラルも、かえって利用されて人の心を荒ませてしまう。いっそスイーツなんか無い方が人は穏やかに暮らせるのかもしれない。スイーツは必要の無い食べ物かもしれない。いちかたちはそういう考え方に気がついてしまいます。
辺りの闇に溶け込んで攻撃してくるディアブル。けれどいちかたちは戦います。スイーツはみんなを繋ぎ、そして私の「大好き」を伝えてくれた。スイーツは必要の無い食べ物なんかじゃない!
クリスタルアニマルたちがディアブルの居場所を教えてくれます。みんなで心を繋いだプリキュアは、闇になんか絶対に負けません。
前話に引き続き、闇と戦う意義についての解説回。前回感想文に書いたとおり、闇(=悪意)はそもそも「大好き」と相反し、阻害する概念です。これに対峙するにあたって、今まで「大好き」を繋ぐ力で戦ってきたキラキラプリキュアアラモードは一度意識改革をしなければいけませんでした。「大好き」を繋ぐ力を前提に、今度は「大好き」を守る力へ。・・・どうしよう、前回ちょっと先走っちゃったので今回あんまり書くことないかも。
まーたキュアマカロンが『楽しい幼稚園』の表紙で目立ってるー。つくづくこの子ってば子どもたちに人気なんだなあ。――とか思った矢先に、さっそく次回また主役回だそうですよ。やったね! でもせっかくかわいいエピソードっぽいのに、どうして河野作画監督担当じゃないんだ・・・。(幼児化イベントじゃないからです)
悪意から解放されて
「ねえ。こっちも30個追加ー」
ヘッドドレスが白くなったり上着の前が開いたりリボンやカフスのデザインが控えめになったり、衣装の細かいところがさりげなく変わったビブリー。全体的に今風のゴスロリ服からヴィクトリア朝イギリスのメイド服っぽいシルエットになりました。やっぱりあの時代は鹿鳴館時代だったんでしょうか。ビブリーさん130+α歳。どうりで今話の彼女は口調がちょっとオカンくさ――女性の年齢を語るなんて失礼です!
「ねえ、やっぱあと40個追加ね!」
まあそれはともかくとして、ビブリーが前話でノワールの闇の悪意から解放された以上、あとは簡単。いつもどおり一緒にスイーツを食べて、つくればよろしい。
「ペコリンも食べたいペコ! ――おいしいペコ! ありがとペコ!」
「レッツラ―、クッキーン!」
はい解決。
「やだ、すっごいモコモコ」
「キラキラルが出てるペコ」
「そっか。こうやってつくるのね」
ピカリオのときはキラキラルクリーマーという破邪の力が未完成だったので、闇から完全には解放されず、キラキラルが黒ずんだままでしたが、今回はちゃんと輝くキラキラルを生み出せていますね。
よかったよかった。これでどんな敵が現れても今度こそ万事安心ハッピーエンド保障! ・・・とはならないのが今話でして。
「――キラキラル、か」
エンプティ・フード、もしくはケーク・サレ
「グウウ。まだ足りない。もっとスイーツを、キラキラルを闇に変え、この身の糧とせねば・・・」
「あの魔獣はノワールに付き添っていたしもべ。近くのキラキラルをすべて闇に変え、そこにいる人たちの心を巻きこんで荒れさせるのよ」
ネット上では前々から疑問(というかヤボというか)に思われていたことです。スイーツさえ無ければ悪い妖精やジュリオたちは悪事を働けなかったのではないのか。キラキラパティスリーの活動は敵に塩を送る結果にしかなっていないのではないのか。
「いっそスイーツがなければ、闇に利用されず、人は心穏やかでいられるのかしら」
悪意はケーキを食べません。ですが悪意とは他人の幸せを食い物にするものです。世に光なければ闇もなく、真っ当な人がいなければ悪党もきっといないはず。
食べた人を幸せにするスイーツは、なるほど、悪意を助長する存在と捉えることもできるかもしれません。
「みんなを笑顔にしたくてつくったスイーツが、みんなを苦しめるの?」
ならば“それ”はエンプティな、人にとって必要のないものなんでしょうか。
「ねえ、ひまり。さっきエンプティ・フードって言ってたろ。スイーツは必要のない食べ物だって。でもさ、なんでこんなにスイーツの店があるんだろう。なんでみんなスイーツをあんなに嬉しそうに食べるんだろう」
それは逆説的にいえば、スイーツには存在意義があるということ。
「ねえ、あきらは考えられる? スイーツのない世界」
それは逆説的にいえば、私たちがスイーツを必要としているということ。
「らしくないピカ。スイーツの力を信じるピカ」
それはきわめて自明なことで、揺さぶられなければ本来疑問を挟む余地すらなかったこと。
「スイーツがなければペコリンとも出会わなくて、みんなでキラパティをやることも、それに、お母さんに『大好き』を伝えることもなかったんだ」
それはきわめて自明なこと。私たちの人生は色とりどりのスイーツによって彩られています。
記念日にはいつも傍にあるものって、なあに?
「スイーツがなかったら――」
いいえ。もし仮に“それ”がなかったとしても人は生きられるでしょう。誰かと出会うことが無くたって、何かをすることが無くたって、誰かに気持ちを伝えることが無くたって、人は平穏に生きられます。
あなたがスイーツを必要とする理由はそうじゃないはずです。
「ううん。スイーツがあったからだ!」
スイーツのくれる“それ”は私たちにとって必ずしも必要なものではありませんが、しかし私たちは“それ”を何よりも必要だと信じているんです。
「いっそスイーツがなければ、闇に利用されず、人は心穏やかでいられるのかしら」
ええ。確かに心穏やかでいられるでしょう。悪意に心かき乱されることなく、・・・そして、幸福に心躍ることすらもなく。
スイーツのくれる“それ”――喜び。幸せ。「大好き」。
そういったもの無しでも、確かに人は生きられるのかもしれません。
けれどあなたは本当に望みますか? そういったものが一切ない“心穏やか”な生き方を。
ヤなこった。
私はクリスマスにショートケーキを、テストや運動会のご褒美にはバナナケーキを、親戚の結婚式があればバタークリームケーキを、誕生日にはチョコレートケーキを、それぞれいつも楽しみにしていました。事あるごとにパウンドケーキを焼いて友達に配ってまわるのも大好きでした。
全部おいしかったです!
お前の都合なんざ知るか!
「闇になんて負けるもんですか! 私はスイーツを守る。スイーツは空っぽなんかじゃない! なくてはならない大切なものなんだから!!」
闇は、悪意は、確かにスイーツのくれる幸せを食い物にする存在かもしれません。
だからどうした。
だからといって幸せになることを諦めてなるものか。
そんなことをしなくても悪いヤツをグーパンでノしてしまえばみんなハッピーじゃん。
スイーツを食べることの、幸せになることの何が悪い!
「いくらスイーツつくったって闇の力には敵わない。それどころか闇に利用されるだけ」
だからどうした。
それでも守りたいものがあるなら、戦って当然じゃないですか。
だいたい――
「ルミエルの力を継ぐ新たなるプリキュア。再び私の邪魔をするというのか」
「昔のプリキュアに封じられた恨み、今こそ晴らしてやる」
効いてんじゃん。
キラキラルクリーマーとクリスタルアニマル――プリキュアの「個性」の力。
前回書いたとおり、このバラバラの個性の力は「大好き」で結ばれている限り、お互いの心の隙を守りあう破邪の力となりえます。
ディアブルの気配を察知して吠えるクリスタルアニマルたちがなんとも頼もしいですね。
そうとも。向こうに私たちの幸せを害する用事があったとしても、こっちはその悪意になんてちっとも興味ないんです。何を言ってこようが、何を仕掛けてこようが、あんなヤツら“だからどうした”で切り捨てられる外敵でしかありません。
「闇なんて怖くない! 闇が生まれても、私たちはスイーツをつくり続ける! つくって! つくって! いっぱいつくって!! スイーツに込めたキラキラルでみんなの心があふれかえるくらい! みんなの笑顔が見たいから!!」
私たちの「大好き」の邪魔をする悪意の闇め、お前の都合なんざ知るか!
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