URAHARA 第6話感想 つくる楽しさとウラハラに。

今は描きたいものを描けるだけで楽しいかな。―― 猶予

URAHARA Vol.1 (豪華版)[Blu-ray]

 思春期×クリエイティブときたら避けて通れないのがこの葛藤。

 つくることは楽しい。楽しいからつくってる。
 ・・・そのはずなのに、誰かに見てほしいとも思っちゃう。

 潔癖症。
 つくる楽しみのためだけに純化できない我が不純。
 宣伝やら売名やらと創作以外の活動に勤しむことへの嫌悪感。

 「今は描きたいものを描けるだけで楽しいかな」
 そう、「今は」。自分でもなんとなくわかっているでしょう?
 汚いモノから目を背けて好きなことだけしていられる、今この瞬間はただのモラトリアムでしかありません。いつかこの葛藤には正面から向き合わなきゃ。絶対に。なんとなく直観しています。私は。あなたは。
 モラトリアムはいつか終わります。
 少女はいつか大人にならなければいけません。
 あなたが“逃げたくない”と思う限りは、絶対に。

 アンチテーゼ・エスケイプ。

潔癖症

 「ミドリちゃんのイラスト、SNSにアップしたら海外のフォロアが付いたって本当?」
 「すごいでしょ。だから次は海外ウケするタッチに変えてみようと思うんだ」
 「この世界、好きで描くだけじゃダメっしょ」
 「ミドリちゃんオっトナー」

 わかりやすーく汚らしい大人の世界に足を踏み入れるクラスメイトたち。

 「今のお客さん、私のファンなんだって。服褒められちゃった」
 「まりちゃん有名読モだもんね。私もスイーツ研究ブログのフォロアさんからたくさんイイネ!もらえると最高に嬉しくて楽しい」
 「スイーツの隣に話題になってるものを添えて写真に撮ったりするとイイネ!が増えるんだ」
 「そういう一手間、大事よね。ただアップしても誰も見てくれないもの」

 大好きな友達すら当然のようにそういう汚いことをしてる。

 「今は描きたいものを描けるだけで楽しいかな」
 私はそれだけの純粋な気持ちで充分だと思っているのに。思っているはずなのに。

 「りとちゃんはそれでいいと思う」
 「そうそう。たくさん描いて、たくさん“発表しましょう”」

 どうして純粋なままでいさせてくれないの?

 本当はわかっています。
 だって――
 「いつ見てもステキな家ね」
 「りとちゃん。私もこの家大好き」
 「みさも大好きなんですナ」

 だって。
 「みんなが好きって言ってくれるのって――」
 だって本当は、自分だってみんなに見てもらえることを嬉しいと感じているの、気づいているから。
 だって本当は、自分が「描けるだけで楽しい」なんて純粋な人間じゃないこと、知っているから。
 本当はわかっています。
 「・・・ううん。なんでもない」
 だけど、認めたくない。
 自分が不純だなんて。あの人たちと本質的に同じだなんて。

 りとは孤独を愛する子です。
 たいがいのことは周りに振り回されず、周りを気にせず、マイペースに自分の考えを貫くことができる子です。
 ですが、話がクリエイティビティの問題になると、どうしてかそうも言っていられなくなります。

 「自分の絵に自信がない?」
 「学校で絵描いても恥ずかしくて誰にも見せたことなかったし、美術の成績も普通、賞とかも取ったことないし」
 「まりやことこと違って、私にはファンとかフォロアもいないし」

 いっちょまえに友達に嫉妬して、うらやましいと思うクセに、自分からは誰かの評価を得るための努力をしようとしない。

 そんなのはもう、ただの“逃げ”です。
 自分ですらうらやましいと思うものを嫌悪し、欲しがっているくせに積極的に自分のなかに取り込もうとしない。そんなの、過剰で盲目的な純粋信仰、潔癖症でしかありません。
 それらをなんとなくで嫌う前に・・・あなたは考えたことがありますか? 最初は純粋につくる楽しみだけでクリエイティビティに没頭していたはずなのに、気づけばいつの間にか誰かから褒められたいと願うようになってしまう、その理由について。

初期衝動、裏腹衝動。

 第3話でりとが描いたあの家の絵には「みんなを笑顔にするために」なんて高尚ぶった気持ちは織り込まれていませんでした。
 「これ、お婆ちゃんと住む前に家族で住んでた家で、今はもう無いから、描いておかないと忘れちゃいそうで」
 本当にそれだけのイラスト。小さくてカワイイ家に、親子みたいな煙突が3本仲良く並んでいるだけ。これを通して誰かに何かを伝えたいという意図すら感じられない、ひたすら自分のノスタルジーを満たすためだけに描かれた絵です。

 もっと昔に描いた女の子の絵も似たようなものです。
 「この子は何も考えず、描きたいから描いたけど・・・」
 絵のなかの女の子の視線の先にあるものは、自分の膝頭。彼女は剥き出しの柔らかな自分自身を愛おしげに抱きしめて、どこか物憂げに薄く微笑みます。きっと本当に何も考えずに描いたんでしょうね。この絵からは作者の自分自身への関心しか伝わってきません。

 りとはそういう子。これらの絵に限らず、誰かを笑顔にするだとか、誰かに褒めてもらうだとか、そういう他者目線を意識して創作することがあまり得意ではありません。ずっといつだって自分が描きたいものだけを描いてきた、本質的に孤独志向なクリエイターです。
 その意味では確かに、つくる楽しみだけに純化することこそが、クリエイターとしての彼女のあるべき姿のようにも思えます。

 けれどね、彼女はこれらの絵を公共の街角にでかでかと描いているのですよ。
 もっといえば、こんなごく個人的な思いをわざわざ絵にして表現しているのですよ。
 誰に見せたいというわけでもないくせに。

 クリエイティビティとは要するに、自己表現欲求の発露です。
 人間というのはとにかく“表現”というものが大好きな生き物でして、呼吸を使って空気を震わすことを覚えればとりあえず歌い、脳に記憶を蓄積できればとりあえず語り、染料を手にしたらとりあえず描き、土をこねれば彫刻をはじめ、食べ物を混ぜては新たな美味を求め、ときに身体をくねらせて踊り、ときに神様を口実にセレモニーを演じ、ときに嘘っぱちのホラ話を物語り・・・手近にあるものなら何でも使って自由に“表現”を楽しんできました。
 歌や語り、絵画、彫刻、料理、舞踊、神事、小説・・・人間がものづくりをはじめる動機には、いつだって表現したいという渇望がありました。
 ならばこそ、すべてのクリエイターはギャラリーを必要とします。どんなかたちであれ絶対に。
 もしも誰にも見てもらえなくても構わないのならば、あえて“表現”として自分の情動を外部化する必要はないわけですから。

 「何描けばいいんだろう。みんなを笑顔にするためには」
 第3話、クレープ屋のお姉さんに触発されたりとは「みんなを笑顔にするために」とちょっとだけ高尚ぶったことを考えていましたが、これだってキレイゴトの仮面を剥いでしまえば“みんなに見てほしい”という思いの発露。
 孤独を愛する彼女だって、ことクリエイティビティに関してなら自分の作品を見てくれる誰かを必要としているんです。

 ちなみに私のこのブログだって自己表現欲求に突き動かされて運営されています。
 記事タイトルにいちいち <作品名フルタイトル> + <話数> + “感想”を含めているのはGoogle検索で見つかりやすくするためですし、ムダにポエミィな副題を付け加えているのは個人ブログを求めている人向けにパッと見でまとめブログ等と見分けられるようにするためです。(個人的な趣味でもあるけれど) カテゴリ分けや人気記事ランキングを充実させているのも、最下部に関連記事欄があるテンプレートを使っているのも、来ていただいた方にたくさんいろんな記事を読んでほしいから。こう見えて多少は欲深ーくSEO対策を取り入れているんです。アフィリエイトとかやってなくても。
 りとたちと違って一次創作ではない、単なるアニメ感想ブログなんですけどね。それでもチラシの裏に書かずにこうしてブログというかたちで公開しているからには、やっぱり誰かに見てもらいたいという気持ちがあるわけですよ。

 「今は描きたいものを描けるだけで楽しいかな」
 はじまりは純粋につくることの楽しさに突き動かされて創作するようになったのかもしれません。
 あなたはそれが自分の初期衝動だと思い込んでいるかもしれません。
 「私、あのときスクーパーズが絵を求めていると知って、迷っちゃったの」
 けれどね。その裏にはいつだって“みんなに見てほしい”という裏腹な思いもあるはずなんですよ。
 あなたのその衝動が“表現”というかたちをとっていることが何よりの証拠です。

 自覚するべきです。
 “つくることの楽しさ”も、“みんなに見てほしい”という思いも、無自覚なだけで最初からどちらもあなたの心のなかにありました。
 だから片方だけが純粋で、もう片方が不純だなんてことはありません。どちらもクリエイターとして自然な欲求です。
 あなたがどうしても他人の評価を気にしてしまうのは、あなたが不純だからではなく、あなたがクリエイターだからこそなんです。
 葛藤するのも当然ですよ。どちらも根っこは同じところから来ているんですから。

 汚く見えるモノから目を背けていては大好きなモノにも向き合えません。
 だってそのふたつは本来同じモノなんですから。
 あなたがこれからも“大好き”から逃げたくないと願うなら、さて、そろそろモラトリアムから卒業する準備を始めましょう。

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