URAHARA 第7話感想 たったひとりのあなたを探して。

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もともとクリエイティブ、できてなかったんじゃ。

―― 崩壊

 「借りモンの言葉でテメエを語るんじゃねえ!」

 昔、ヴァンドレッドというアニメがありまして(ちなみに高橋ナツコさんのアニメ脚本デビュー作でもあります)、その劇中でいけ好かないオッサンがいけ好かない言葉で主人公の少年を罵倒したんですよ。自分の言葉で語れないヤツがいい気になるな(要約)と。

 私、それが気にくわなくて気にくわなくて。
 世の中にどれだけの言葉があふれていると思っているんだ。普通の人が考えつく表現なんてとっくに開発しつくされているだろ。他人の言葉を借りずに今さら私だけのオリジナルな言葉なんてつくれるかよ。
 なんて。

 で、あんまりにも気にくわなくて、しばらく図書館に通いました。当てつけのように世界の名言集的な本を読み漁りました。今思えばいったい誰に対しての当てつけだったんでしょうね。

 あのアニメ今でも大好きなんですが、一番印象に残っているキャラクターは誰かといえば、結局あのいけ好かないオッサンなんですよね。
 今でも大っ嫌いです。大嫌いなんですが、当時私の生き方を誰よりも大きく変えてくれたのは・・・結局、あのオッサンだった気がします。
 ムカつくわー。

Identity Crisis

 「私たち、どうなっちゃうんだろう・・・」
 もしも自分が何者なのかわからなくなったとしたら、あなたはどうしますか?
 というか、そういう時期をどうやって乗り越えましたか?

 今話りとたちがぶつかった問題は、要するにそういう類のものです。
 今まで当たり前に自分は人間だと思っていたのに、いつの間にかそうじゃなくてスクーパーズになってしまっていた。

 別にね、自分が人間だからどうとか、たぶんそんなこと普段はめったに考えてなかったと思うんですけどね。だって人間なのは当たり前だし。何かを決断するときに、「自分は人間だからこっちを選ぶべきだ!」みたいなこと、普通は考えないと思うんですよ。どうです?
 だったら別にいいじゃないですか。別に人間じゃなくたって。
 人間じゃなくてもあなたの価値観には何の影響もない。人間じゃなくてもあなたはあなた。論理的にはそういうことになるはずです。
 普段気にも留めていなかった程度の事柄でうろたえる方がおかしい。

 冷静になってみましょうよ。
 「永遠の春休みが続く感じ」
 「たとえば100人いれば100人がカワイイと思える顔になることも」

 むしろいい話じゃないですか。あなたが欲しがっていたものが突然降って湧いたんですよ。わかっているんでしょう?

 けれど、どうしてでしょうね。
 当たり前のものほど失ってみると急に大切だった気がしてくるのは。
 焦がれて焦がれて焦がれつづけていた願望と引き換えですら、あまりに大きな代償だと思えてしまうのは。

 考えてみましょう。
 考えてみるべきです。
 それはきっと、あなたにとってすごく大切なことだから。
 それはきっと、あなたにとっての世界の見かたの基盤だから。根底だから。起源だから。

 前回も同じ調子で「考えろ」って言いましたけどね、私。
 だって、モラトリアムってそのためにあるものですから。

 現代社会は一般に、大人になろうとしている子どもに対してやたらと寛容です。
 ぼちぼちまともに教育を受けてマトモな分別がついてきた頃だろうティーンエイジャーに対してすら、「高校生(大学生)ってバカやりたいお年頃だからなー」と、よっぽどのことでなければ諦めて受け入れてくれます。(だから毒づくことくらいは許せ)
 その時期の子どもたちが、ダルそうな顔の裏で、死にたくなるほどしんどい思いをしているってこと、みんなわかっていますから。
 ま、その一方で、なんだか最近は逃避がちな子に対して異様に辛辣になりつつありますけどね。

 モラトリアム。
 猶予期間。
 ・・・いったい何の猶予かって?
 “自分”というものを確立するためのですよ。

 青虫がサナギのなかで一旦ドロドロに溶けて、やがて蝶になるように。
 子どもたちは一度自らを徹底的に破壊し、そうしてはじめて大人として再生するんです。

 モラトリアム最後の砦。
 原宿を包みこむあの透明な壁は、りとたちの心の一番やわらかい時期を守るため、あらゆる外部からの干渉を遮断します。

Originality Syndrome

 「今気づいたんだけど・・・スクーパーズって文化を奪うでしょ。ひょっとして私たちも同じことをしてたのかな? 流行りのものをマネしたり。・・・スクーパーズ化してるからじゃなく――もともとクリエイティブ、できてなかったんじゃ」
 「私の知識も私が生みだしたものじゃない。いつもwikiとかで調べてコピペしてたし。まりちゃんもダンスを踊るとき誰かのマネしたりするでしょ。それって――スクーパーズと変わらないんじゃ」

 クリエイティビティを愛するすべての人にとってクリティカルな問いかけ。
 さあ、若人よ、存分に自分を見つめ直すがいい。(そんな資格もなく上から目線)

 でもまあ、りとたちはすでに半分くらい答えにたどり着いているはずなんですけどね。
 だって前話で言っていたじゃないですか。
 「私、あのときスクーパーズが絵を求めてるって知って迷っちゃったの。でも! 奪われたいなんて思ってない!」
 それが答えですよ。

 そもそもがですね、一切パクらずにクリエイティブなんてできるわけねーだろと。現在過去未来どんだけのクリエイターが活躍してきたと思ってんだ。普通の人が考えつく表現なんてとっくに開発しつくされているだろうさ。
 なんて。

 他の誰にもマネできない、窮極絶対純度100%私にしかつくれない完全オリジナル!

 ・・・そんなものはね、副次的な欲求に過ぎないんですよ。
 オリジナルにたどりつくことはクリエイティビティの本質じゃない。
 それ自体は確かにステキなことですよ。偉業です。いっぱい褒めてもらえることでしょう。教科書にも載るかもね。
 でもね、昔々あなたが一番最初に何かをつくりたいって思ったとき、誰ともカブらないことなんて、果たして考えていましたか?

 この問いかけの趣旨は前話からつながっています。
 つくる楽しみだけに純粋になれない。
 つくるのも大好きだけど、やっぱりみんなにも見てほしい。いっぱい褒められたい。
 そんな、不純な思い。
 そういう汚い思いがどうしても生まれてきてしまうのは、さて、どうしてだったでしょうか。

 それは創作の本質が表現だからです。
 自己表現欲求こそが、要するに、クリエイティビティと呼ばれるものの根源だからです。

 クリエイティビティとはそもそもオリジナルなものをつくることではありません。
 あくまであなたらしさを表現する行為です。
 もし他の何者でもないただひとりのあなたを窮極に表現し尽くせたなら、そのときは結果としてあなただけのオリジナル作品に到達できるでしょう。ですが、そんなものはただの成果物であって目的ではありません。

 たぶんね、まりとことこは自分のアイデンティティが崩壊したショックから、ただちょっと、絶対に揺らぐことのないもの、自分だけのオリジナルというものに縋りたくなっちゃっただけなんだと思います。
 「やめて! スクーパーズなんて盗むだけの野蛮な宇宙人よ! 私たちは違うわ!」
 だからオリジナルがあると盲信して。
 「でも! でも、私たちだってクリエイティブできてないんだったらもっと研究に没頭できる方が!」
 だからオリジナルをつくれるようにと希求して。
 「相変わらずねことこ。自分のことに集中すると周りのこと見えなくなるって。私の気持ち、全然わかってない!」
 崩壊したての特別やわらかい心に優しくしてほしいのに、でも自分自身そんな余裕なくて。
 傷つけあって。

 そして自分を慰めることを優先するあまり、自分がクリエイティビティの何を愛していたのかを見失ってしまうんです。

Loneliness / Aloofness

 人が一番孤独を感じるときって、どういう瞬間だと思いますか?
 私は周りをたくさんの他人に囲まれているときに孤独を感じます。
 特に自分に関係のない笑い声。あれ、さびしい気分のときに聞かされるとキッツいんですよね。

 追い詰められていくまりとことこを見ていて、ふと親近感が湧いたんですよ。
 ついさっきまで誰もいなかった原宿。そのくせふたりの心が滅入ったときだけ“都合よく”人通りが増える。そうそう、この感じ。
 あー、キツいなあ・・・。今この瞬間、この世で私ひとりだけがひとりぼっちだー。なんて浸ってみたり。
 さすがに今はそんなでもなくなったんですけどね。

 孤独に毒されてまりとことこはどんどん歪んでいきます。
 このふたり、明らかにひとりぼっちにしちゃダメな子たちですからね。
 まりは他人からの承認によって自分らしさを確立していました。
 ことこは友達との関係性に依拠して自分らしさを確立していました。
 もうね、心の根っこからして孤独に非対応なんです。

 対してりと。この子だけがこの状況下で平然としています。
 他のふたりが自分のことで手一杯になっているさなか、この子だけは呑気に友達のことばかりを心配しています。
 ことこが自分たちのクリエイティビティを否定する失言をしたときですら、驚くだけで、まりのように取り乱しはしませんでしたね。
 「いいよね、自分ひとりで絵が描ける人は!」
 そうとも。超マイペース。やっぱりこの子は孤独を愛する子ですから。
 まりさんもっと言ってやれ。この子このままだと絶対マズい。

 まりやことこを歪ませた周人のなかの孤独。りとの場合は前話で描かれていました。
 クラスメイトのひとりが褒めそやされているなか、彼女はひとり机に座って黙々と自分の絵を描いていました。
 このとき彼女が気にしていたのは孤独ではありませんでした。そうではなく、自分の作品が誰にも見てもらえないことを思っていました。

 言ってしまうと、周りに無関心なんですよこの子。
 友達は大切にしています。大切にしていますが、そのくせイラストの題材にするのは結局自分の個人的な感傷。なにかと独断で行動したがるし、そうでなくても自分の考えで友達をリードしたがる。
 いわば精神的引きこもり。本来の意味での自己チュー。

 それはそれでいいんですけどね。これまでうまくやってこれたように。私、この子好きですよ。
 ただ、あまりにも関心が自分にばかり向きすぎていて、自分がスクーパーズになってしまったというショッキングな出来事を経てなお、アイデンティティの崩壊を迎えていないのがなんとも危うい。なんだかことこ以上にふらっとスクーパーズを受け入れてしまいかねない怖さがあるというか。
 さて、どうなるのかな。

 そういえば前話、感情にまかせて大型スクーパーズを撃破したとき、りとの身体を侵食するスクーパーズ成分が一部消滅しましたっけね。
 彼女が自分らしさを見失うことがあるとしたら、それはやっぱりガッツリとクリエイティビティに絡む出来事のなかで、ということなんでしょうか。

 そこらへんはまあ、次週以降をお楽しみに、ということで。
 どうか3人が無事に自分というものを確立できますように。

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