超人女子戦士ガリベンガーV 第71話感想 地獄は私たちの足元にあるわけで。

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生徒役:電脳少女シロ、因幡はねる、メリーミルク

地獄はあります。しかもですね、みなさん、VTuberのかた、小峠さん含めて、私も含めて、地獄に行く可能性がどうもありそうなんですね。

出演バーチャルYouTuber

電脳少女シロ

「楽屋は天国です。ここは地獄です。楽屋からこのスタジオ来るまでの通路を僕は霊道と呼んでます」
「楽屋にあとで凸しに行こうよ!」

 ファンネームはシロ組ですが、指定暴力団とかではありません。あくまで幼稚園です。一昔前のバーチャルYouTuber界ではどこでもその手のネタが流行っていたってだけなので誤解なきよう。わずか3歳ながら、やたらめったら濃い波瀾万丈な人生を歩んできました。
 「いるだけで○○な子」という表現がこれほど似合わない人物もなかなかいないでしょう。いればだいたい何かしています。傍若無人に暴れてみたり、賢く機転の利くトークを繰りひろげてみたり、斜め上にカッ飛んだ名言を連発してみたり、他の共演者を気遣ったり、イジりたおしたり、あるいはゴキゲンにキュイキュイ笑っていたり。ちょくちょくワケワカンナイこともやりたがりますが、そういうときは「シロちゃんの動画は為になるなあ!」と、とりあえず納得しましょう。彼女はあなたが為になることを望んでいます。
 まるでアブない人のようですが、そして実際アブない人なのは確かなのですが、ああ見えて彼女は共演者をよく見ています。聡明です。共演者の対応力を推し測り、ギリギリ捌ききれる程度のムチャ振りを仕掛けるのです。おかげでいつのまにか人脈の輪がずんどこ広がってきました。タチが悪いったらありゃしない。

因幡はねる

「極道なの、あなた」
「うぐっ。いや、・・・ちょっとここでは言えません」

 事務所からNGが出ていたにも関わらず因幡組の組長として名乗りを上げた過去を持つ、見ようによっては本当に反社なロップイヤーガール。夜の喫茶店ハニーストラップのライバル店である有閑喫茶あにまーれ雇われ店長として、周防パトラとはほのぼの仲よしな関係を結んでいます。
 「VakaTuberは誰だ」「Vのから騒ぎ」という、所属事務所の垣根を越えた名物コラボ配信シリーズを企画・運営していることで有名です。なかなかその手の企画には出たがらないキャラクターまで引っぱり出すことができる抜群のコミュニケーション力と気づかい精神とによって、バーチャルYouTuber界有数の顔役としても支持を集めています。
 自分のファンを心から大切にしていることでも知られています。たくさんのファンの名前を覚え、日頃からよくエゴサし、twitterなどでひとりひとりの言動を追跡し、ときどき他の子に浮気しているファンを見かけては密かに(※ 密かに!)悲しむという、ヤンデレめいたムーブをかましています。

メリーミルク

「はい。自信あります! すごく!」
「自信ある。やっぱ自信あるからさっきと明らかに声量違うもんね」

 儚げな印象で虚を突く暇もなく秒で殴りかかってくるパワープレイヤー。森のなかでひつじさんたちと一緒にパンを焼きながら暮らしています。ときどきくまさんも遊びに来ます。ときどきウォークライもあげます。うおおおおお!! 去年はよく電車で山登りに出かけていたはずなのですが、最近引きこもり気味だったせいか電車の乗りかたを忘れてしまった疑惑あり。
 得意なことはイラストとデザイン。あと力押し。おおむね1時間ちょっとでラフ画からカラーイラストに仕上げるパフォーミングアーツを心得ています。多少うまくいかないことがあっても強引に押し通す! よくわかんない部分があってもGoingMyWay! でも描きたいフリルは気が済むまで描ききる! だいたいそういう子です。
 ちなみに好きなものはパンとコーギー犬。コーギー犬のお尻は見た目食パンそっくりなので、実質ただのパン中毒者ですね。あとフリルも大好きです。なんやおら。なんやおら。プンプンな人はフランスパンでメリメリしやすぞ。それとも両手で念入りにスリスリしてやろうか。

授業構成おさらい(+ 補足事項)

超難問:地獄の謎を解明せよ!

 「地獄とは何か?」と問われて当ブログらしい言葉で答えるならば、それは“正義”と答えるべきでしょう。

 地獄というものはおおよそ仏教思想“らしく”ない概念です。
 仏教思想の根幹にあるものは輪廻転生とそこからの解脱。この世に生きるということはただそれだけで一切皆苦、なのに死んでもまた生まれ変わってしまうという世界観です。だから仏教徒は生きる苦しみから解放されるために修業を積み、徳を積み、現世から抜け出そうとするんです。この世に生きることそのものが苦痛であるのなら、どうしてわざわざ別口で地獄なんてものを存在させる必要がありましょうか。
 仏教において地獄という概念は後付けです。基本教義が成立したあと、後世において後付けされたものにすぎません。具体的には平安時代ごろのこと。

 日本の平安時代は世襲制の貴族が既得権益を貪っていた階級社会でした。平民は何をせずとも理不尽に虐げられていたのに対し、貴族はどんな横暴をふるっても許されていました。現実にどうだったかはさておき、そういう時代だと認識していた人々が一定数いました。
 「貴族には社会正義が届かない」そういう社会への怒りが、地獄という“怒れる者たちにとって都合のいい”概念を生み出したのだと考えられています。
 要するに、「あいつら死ぬまで罰せられない」なら「死んでから罰を受けてもらおう」という鬱憤晴らしですね。昭和の時代に活躍したトラディショナルなヒーローたちが“子どもたちの夢や憧れを育む”という教育的な役割を担う一方で、“力なき者たちの憎しみに応えて正義を代行する”という大人くさい願望に染まった存在でもあったことと、根源的な理由は同じです。(※ ええ。私は正義を振りかざす人たちが大っ嫌いです)

 本来の仏教思想でも、今世で悪徳をはたらいた人は来世で獣や虫として生きることになるという因果応報のシステムは元々存在するんです。けれどそれではあくまで自業自得。そのシステムだけでは怒れる“正義”の人たちが積極的に他人を攻撃することができません。鬱憤晴らしができません。
 だから、彼らが満足するためには“地獄”という別途のシステムが必要だったんですね。

 村松哲文先生は仏教美術の研究者です。駒澤大学仏教学部に所属していますが、本人は文学部出身ですし、僧侶でもありません。仏教にまつわる事柄をあくまで美術的観点から、文学的に読み解く研究をしています。とはいえ美術を学術的に研究する以上は制作された歴史的・文化的背景だったり、製作者の素性だったりを探る必要があるため、結局仏教とその歴史についての造詣も深くなるんですけれども。

トピック1:地獄はどこにあるの?

 「電脳神田です! シロ、食べました! 電脳地獄ラーメンを食べたんです」
 東京の外食事情はよく知らないのですが、どうやら神田は激辛で有名なラーメン店の本店があるからか、地獄のように辛い激辛ラーメンのお店がたくさんあるようですね。

 「実は私、先日見たかもしれません。地獄を。先日祖父のお葬式があったんですけど、その場で家族が変なことをやらかしてしまいまして、その場の空気が凍って地獄みたいになりました」
 因幡はねるはバラエティ番組のフォーマットを模倣した企画の経験が豊富なだけあって、こういう場面での立ち回りをよく研究していますね。
 なるほど。この手の大喜利で視聴者から一番期待されているのは、たしかに自分語りですよね。自分が実際に体験したエピソードほど個性を出せるトークは他にありません。この子じゃないと聞けない話というのは、ただそれだけで興味深く、新鮮で、面白いものです。
 バーチャルYouTuberの面白みには、本来の自分とは違う人間を演じる、本来の人格とは異なるキャラクターとして認知する、という要素があるのもあって、『ガリベンガーV』に出演するゲストにはあんまりこういう方向性のネタ出しをする人が多くなかったように思います。勉強になりました。

 「えっと、脳のなかにあるんだと思います。自分の脳のなかに地獄をつくりだすのかもしれないですよ」
 メリーミルクの回答。
 そりゃまあ、当然それも間違いじゃないんですが、先生が「ちゃんと地獄がここにある」という前提で出題したんですから、回答側もそういう前提を踏まえて考えるべきでした。

 キーワードは「須弥山」

 須弥山自体は仏教世界観において中央にそびえる聖地のことです。なお、先生は「仏様の世界」だと解説していましたが、正確にはここにいるのは仏ではありません。神です。村松先生は仏教美術の研究者なので、仏像と呼ばれるもの全般を仏様と呼んでいるわけですね。仏教世界では神も「天部」と呼んで仏像にしているんだと第34話の村松先生初出演回ですでに勉強しました。

 須弥山を中心に置いた仏教世界観において、人間の世界は南方に位置する贍部洲だとされます。ここの地下にあるのが地獄。地獄は私たちのすぐ足元にあるということですね。

 ちなみに、ネタばらしするとこの須弥山世界観は仏教固有のものではなく、インド神話が元ネタです。日本に仏教が伝来してきたとき一緒に伝わってきて、どうやらそのせいで混同されたというか、習合したようですね。
 人間世界が南方にあるというのも贍部洲のモデルがインド半島だからです。インドより南は海しかないですもんね。
 西方に浄土があるというのは・・・、アレクサンドロス大王の遠征による文化流入が由来でしょうか? それとも単に日本から見て仏教の聖地(インド)が西方にあるからってだけの話なんでしょうか? (※ そのあたりまではちょっと調べきれませんでした)

トピック2:地獄行きを決める方法は?

 「メリーこれ知ってます。絵本で読んだことがあるんですけど、これは天秤にかけるんですよ。なんかトラウマの絵本なんですけど、天秤があって、その天秤の片方に裁かれる人の心臓を乗せるんですよ。で、もう片方に行った罪を乗せて、で、罪の重さのほうが重かったらその人は地獄行き」
 メリーミルクが言っているのはエジプト神話における死者の神判ですね。絵本というのはおそらく、そのエジプト神話をモチーフにした『リリコふしぎな国へいく』(作・生源寺美子)のことだと思われます。ネットで検索してみるとメリーミルクの他にも心に爪痕を刻まれた人が多数。残念ながら今は絶版になっているようですね。面白そうなのに残念。

 「何かの絵画みたいなので見たことがあるんですけど、なんか偉い大魔王みたいな人が前にいて、その大魔王が気に入らなかったら地獄。気に入ったら天国みたいな」
 どの作品かはわかりませんが、因幡はねるが見たのはいわゆる地獄絵図と呼ばれるものの一種だと思われます。社会科見学とかで小学生がお寺に行くと見せられるやつ。意外といろんな人が描いています。

 「シロは芥川先生に教えてもらいました。ズバリ、揖保乃糸! ――揖保じゃない! 間違えた!」
 「素麺じゃねえかよ」
 「蜘蛛の糸だあー!!」

 揖保乃糸。兵庫県手延素麺協同組合の主力ブランドのことです。実は兵庫県内の複数の工場や職人が各々製造している素麺を、組合が品質審査したうえで等級分けして販売しているんだそうです。同じパッケージの揖保乃糸でも意外と生産者は様々なんですね。
 安物の素麺と比べて麺が圧倒的に細く、それでいて腰が強いということで人気となった揖保乃糸ですが、実は同ブランド内にさらなる上級品が3種類ほどあり、最上級品に至ってはなんと一般流通しているものよりさらに半分の細さなんだとか。もはや食べる工芸品ですね。授業の話とは関係ないですが。
 ちなみに芥川龍之介の『蜘蛛の糸』は悪人が地獄に落ちてから釈迦如来の慈悲を差しのべられるお話ですね。

 キーワードは「十王」。仏教世界の冥府には、死者が浄土に行くべきか地獄に落ちるべきかを裁く裁判官が10人いて、10回の審判を受けるのだとされています。
 因幡はねるが答えた地獄絵図はこのときの様子を描いたものでしょう。大抵は閻魔王の姿を描いたもののはずです。他の諸王は知名度が低いので。同じユニット売りでも七福神はずいぶん知名度を上げたのにね。

 地獄に落とされるまでの審判は7日置きに7回行われます。要は四十九日のことですね。
 残り3回は地獄に落ちてからの再審。三回忌まで続きます。『蜘蛛の糸』みたいな地獄に落ちてからの救済措置、実はマジで実在するわけです。

 十王はそれぞれ審判する内容や使用する道具が違っています。たとえば3回目の宋帝王はネコとヘビで邪淫の罪を裁くというのは授業にも出てきたとおり。
 4回目の五官王の審判では秤を使って妄語(※ 嘘をついたかどうか)の罪を裁きます。メリーミルクの解答にあったエジプト神話の神判と少し似ていますね。ちなみに罪人と判定されると傍に控えていたネコに食われることになるんだそうな。エジプト神話のほうでもイヌに食われます。
 5回目が有名な閻魔王の審判。ここでは浄玻璃という鏡に生前の行いを映しながら、両舌の罪を裁きます。両舌、つまり二枚舌のことですね。閻魔王といえば嘘つきの舌を抜くというふうに語られがちですが、厳密には嘘つきの裁きは4回目の五官王であって、閻魔王が裁くのは“相手によって態度を変えていないか?”という観点です。舌先三寸でいくら自分を取り繕おうとしても、浄玻璃に実際の姿が映し出されているので見透かされてしまうというわけです。

 「今、お爺ちゃんもこれやられているんだ・・・」

 なお、十王の審判は本人の生前の行いだけでなく、死後の遺族の祈りによっても減刑されうるとされます。それを促すための四十九日。

 このルールがクセモノであり、特定の人たちのため輪廻転生という既存のシステムではなく地獄が創設されなければならなかった最大の理由です。
 たくさんの人に心から死を悼まれる人、つまり多くの人に愛された本物の善人は死後に救済されるわけです。一方で、既得権益をいいことに人を操っていた上っ面だけの嫌われ者は減刑されません。言い換えれば、私たちも現世から陪審員として審判に口出しできる余地があるというわけですよ。
 地獄というシステムを考えた人たちの思惑が透けて見えますね。せっかく神様が超常的な力でもって、現世とは違う絶対に間違いのない裁きを下してくれるというのに、そこにわざわざ現世から横槍を入れたがるなんて。

 そこまでして自らの手で他人の善悪を仕分けたいと思うものですかね?
 というか、“愛せる人かどうか”だなんて個人的なえり好みごときでよくもまあ他人の善悪まで決めつけられるものですね。

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