超人女子戦士ガリベンガーV 第72話感想 地獄の話はツッコミにくくてやりにくい。

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生徒役:電脳少女シロ、因幡はねる、メリーミルク

あー、地蔵はノーマークだったな! そこらへんにある石ころと一緒だったよ。

出演バーチャルYouTuber

電脳少女シロ

「小峠さん。せっかくですから――」
「やるの? 舌耕すの!?」

 ファンネームはシロ組ですが、指定暴力団とかではありません。あくまで幼稚園です。一昔前のバーチャルYouTuber界ではどこでもその手のネタが流行っていたってだけなので誤解なきよう。わずか3歳ながら、やたらめったら濃い波瀾万丈な人生を歩んできました。
 「いるだけで○○な子」という表現がこれほど似合わない人物もなかなかいないでしょう。いればだいたい何かしています。傍若無人に暴れてみたり、賢く機転の利くトークを繰りひろげてみたり、斜め上にカッ飛んだ名言を連発してみたり、他の共演者を気遣ったり、イジりたおしたり、あるいはゴキゲンにキュイキュイ笑っていたり。ちょくちょくワケワカンナイこともやりたがりますが、そういうときは「シロちゃんの動画は為になるなあ!」と、とりあえず納得しましょう。彼女はあなたが為になることを望んでいます。
 まるでアブない人のようですが、そして実際アブない人なのは確かなのですが、ああ見えて彼女は共演者をよく見ています。聡明です。共演者の対応力を推し測り、ギリギリ捌ききれる程度のムチャ振りを仕掛けるのです。おかげでいつのまにか人脈の輪がずんどこ広がってきました。タチが悪いったらありゃしない。

因幡はねる

「あんなの全無視でしたよ。地蔵なんて全無視だろ。意識してた? 手合わせたりしたか、今まで」
「合わせたことある! お菓子もあげたことあります」

 事務所からNGが出ていたにも関わらず因幡組の組長として名乗りを上げた過去を持つ、見ようによっては本当に反社なロップイヤーガール。夜の喫茶店ハニーストラップのライバル店である有閑喫茶あにまーれ雇われ店長として、周防パトラとはほのぼの仲よしな関係を結んでいます。
 「VakaTuberは誰だ」「Vのから騒ぎ」という、所属事務所の垣根を越えた名物コラボ配信シリーズを企画・運営していることで有名です。なかなかその手の企画には出たがらないキャラクターまで引っぱり出すことができる抜群のコミュニケーション力と気づかい精神とによって、バーチャルYouTuber界有数の顔役としても支持を集めています。
 自分のファンを心から大切にしていることでも知られています。たくさんのファンの名前を覚え、日頃からよくエゴサし、twitterなどでひとりひとりの言動を追跡し、ときどき他の子に浮気しているファンを見かけては密かに(※ 密かに!)悲しむという、ヤンデレめいたムーブをかましています。

メリーミルク

「近所のパン屋さんに新作のパンが出たんですよ。食べました。おいしかったです。枝豆パン」
「へー。そんなことよりあんた小っちぇえね」

 儚げな印象で虚を突く暇もなく秒で殴りかかってくるパワープレイヤー。森のなかでひつじさんたちと一緒にパンを焼きながら暮らしています。ときどきくまさんも遊びに来ます。ときどきウォークライもあげます。うおおおおお!! 去年はよく電車で山登りに出かけていたはずなのですが、最近引きこもり気味だったせいか電車の乗りかたを忘れてしまった疑惑あり。
 得意なことはイラストとデザイン。あと力押し。おおむね1時間ちょっとでラフ画からカラーイラストに仕上げるパフォーミングアーツを心得ています。多少うまくいかないことがあっても強引に押し通す! よくわかんない部分があってもGoingMyWay! でも描きたいフリルは気が済むまで描ききる! だいたいそういう子です。
 ちなみに好きなものはパンとコーギー犬。コーギー犬のお尻は見た目食パンそっくりなので、実質ただのパン中毒者ですね。あとフリルも大好きです。なんやおら。なんやおら。プンプンな人はフランスパンでメリメリしやすぞ。それとも両手で念入りにスリスリしてやろうか。

授業構成おさらい(+ 補足事項)

超難問:地獄の謎を解明せよ!

 「地獄とは何か?」と問われて当ブログらしい言葉で答えるならば、それは“正義”と答えるべきでしょう。

 地獄というものはおおよそ仏教思想“らしく”ない概念です。
 仏教思想の根幹にあるものは輪廻転生とそこからの解脱。この世に生きるということはただそれだけで一切皆苦、なのに死んでもまた生まれ変わってしまうという世界観です。だから仏教徒は生きる苦しみから解放されるために修業を積み、徳を積み、現世から抜け出そうとするんです。この世に生きることそのものが苦痛であるのなら、どうしてわざわざ別口で地獄なんてものを存在させる必要がありましょうか。
 仏教において地獄という概念は後付けです。基本教義が成立したあと、後世において後付けされたものにすぎません。具体的には平安時代ごろのこと。

 日本の平安時代は世襲制の貴族が既得権益を貪っていた階級社会でした。平民は何をせずとも理不尽に虐げられていたのに対し、貴族はどんな横暴をふるっても許されていました。現実にどうだったかはさておき、そういう時代だと認識していた人々が一定数いました。
 「貴族には社会正義が届かない」そういう社会への怒りが、地獄という“怒れる者たちにとって都合のいい”概念を生み出したのだと考えられています。
 要するに、「あいつら死ぬまで罰せられない」なら「死んでから罰を受けてもらおう」という鬱憤晴らしですね。昭和の時代に活躍したトラディショナルなヒーローたちが“子どもたちの夢や憧れを育む”という教育的な役割を担う一方で、“力なき者たちの憎しみに応えて正義を代行する”という大人くさい願望に染まった存在でもあったことと、根源的な理由は同じです。(※ ええ。私は正義を振りかざす人たちが大っ嫌いです)

 本来の仏教思想でも、今世で悪徳をはたらいた人は来世で獣や虫として生きることになるという因果応報のシステムは元々存在するんです。けれどそれではあくまで自業自得。そのシステムだけでは怒れる“正義”の人たちが積極的に他人を攻撃することができません。鬱憤晴らしができません。
 だから、彼らが満足するためには“地獄”という別途のシステムが必要だったんですね。

 村松哲文先生は仏教美術の研究者です。駒澤大学仏教学部に所属していますが、本人は文学部出身ですし、僧侶でもありません。仏教にまつわる事柄をあくまで美術的観点から、文学的に読み解く研究をしています。とはいえ美術を学術的に研究する以上は制作された歴史的・文化的背景だったり、製作者の素性だったりを探る必要があるため、結局仏教とその歴史についての造詣も深くなるんですけれども。

トピック3:大叫喚地獄で行われる罰はなに?

 「例えばですね、地下5階にある大叫喚地獄というのがあるんですけども、そこはですね、ウソをつくと落ちてしまうんですね。その大叫喚地獄ではどんな罰が与えられるでしょうか?」

 大叫喚地獄は妄語の罪、つまりウソをついた者が落とされる地獄とされます。
 仏教はどういうわけか口で犯す罪(※ 嘘つき、悪口など)をことさらに重く捉える傾向があるようで、それこそブッダからして「人は生まれつき口のなかに斧を持っている。愚か者はその斧で他人も自分すらも傷つける」などといった言葉を残しています。
 さて、そんなわけでウソをつくと落とされる地獄だというのがここでのヒント。

 「やっぱり、食べたいものが目の前にあるのに誰かに食べられてしまったりとか、そういうのウオオー!ってなっちゃうので、食べたいものが食べられない地獄です」
 メリーミルクらしい回答。
 地獄ではないですが、人が生まれ変わりうる先のひとつに餓鬼というものがあります。いくら食べても満たされることなく、そのため同族同士での奪いあいも絶えない存在です。一応地獄ではないようですが、閻魔王の管理する世界に住んでいるとされます。

 「一種のかたは喜んでしまうんですが、女王さまが登場して、ムチでシバいてくれるんですよ。『ありがとうございまーす!!』」
 電脳少女シロの回答。
 女王さまはいませんが、シバいてくれる獄卒ならどこの地獄にもいっぱいいます。
 ただ、聞くところによるとSMというのはパートナーとの信頼関係が肝心らしいですね。どこの馬の骨とも知れないぽっと出の女王さまに引っ叩かれても全然気持ちよくないんだとか。
 その意味では獄卒は女王さま失格でしょう。なにせ彼ら、基本的に心を持たない存在だとされています。地獄の罪人どもを永劫に近い時間ひたすら延々シバき続ける仕事なんてしていたら確かに心が死んでしまう。やむを得ないことでしょう。信頼関係がどうとか贅沢な注文ってものです。

 「これも何かの絵画で見たんですけど、悪い人の周りをすごい嬉しそうな鬼の人がいっぱい囲んでいるみたいな場面があったんですよ。たぶん、やってしまった悪いこととかをみんなでヒソヒソヒソヒソ『こんなことしただろ!』『こんなことしただろ!』って言って責め立てて踊ってたんじゃないかなって思います」
 因幡はねるの回答。
 すみません、ちょっと何の話だかぱっと思い当たらないです。地獄って、番組で紹介された八大地獄の他にも八寒地獄なんてものがあったり、八大地獄の内部にも小さい地獄がいくつも細分化されて置かれていたりするので、どこかにはそういう地獄があってもおかしくはないのですが。
 もしくは十王による審判の絵を見たのかもしれませんね。罪人を見張る獄卒たちの姿がよく描かれています。

 キーワードは「妄語」。上でもすでに書きましたが、ウソをつくことです。仏教はウソや暴言がとにかく大嫌いなので、地獄でやたらめったら厳しい罰を科してきます。
 一例として、耕舌と呼ばれる刑があります。獄卒が罪人の口のなかから舌を無理矢理引きずり出して、牛や耕具を使って丹念に耕すんだそうです。長さおよそ72kmに伸びるくらい丁寧に耕し広げられ、最終的には畑と同じように大量の虫が湧くんだとか。

 獄卒には心がありません。すなわち、なにも彼らは自分の憎しみや悦楽のために罪人を苦しめているわけではありません。あくまで罪に対する罰として。罪人の穢れた魂を浄化するために責め苦を行うんですね。

 「これ、どれくらい耐えたら終わるんですか?」
 「あ。耕される期間ですね。なんとですね、6821兆1200億年です」

 一応ですね、大叫喚地獄での刑期自体は8000年なんです。ただ、地獄で流れる時間のスピードは人間世界のそれよりやたらと遅いらしいんですね。先生が言っているのは、地獄時間ベースでの8000年を人間世界の単位に換算してやったらだいたい6821兆1200億年くらいになるっていうお話ですね。

トピックex:Let’s 地獄診断

 生前に犯した罪の種類ごとに落ちる地獄の深さが変わります。
 先生が用意した問診票は以下のとおり。

  1. 蚊を潰したことはあるか
  2. 冷蔵庫の中にある他人のものを食べたことはあるか
  3. 浮気をしたことはあるか
  4. 嘘をついたことはあるか
  5. 邪見に当てはまる行動をしたことはあるか

 この全てに当てはまる人は先ほどの大叫喚地獄に落ちます。舌耕しの刑です。

 種明かしをすると、これは十王の審判内容を最初から順に並べたものです。要はいくつ有罪判決を受けたかってことですね。
 さらにいうと、十王の審判自体も仏教の十悪という概念をそのまま持ってきただけのものだったりします。せっかくなのでこれも一覧にしてみましょう。

  1. 殺生(故意に生きものを殺すこと)
  2. 偸盗(他人のものを盗むこと)
  3. 邪淫(不倫など道徳から外れた関係を持つこと)
  4. 妄語(嘘をつくこと)
  5. 両舌(相手によって言うことを変えること)
  6. 綺語(上っ面ばかりで不誠実なことを言うこと)
  7. 悪口(乱暴な言葉づかいをすること)
  8. 貪欲(欲深い気持ちを持つこと)
  9. 瞋恚(激しい怒りの感情を持つこと)
  10. 邪見(道理に反したものの見かたをすること)

 このうちの1~4番目と10番目をさらにわかりやすく意訳したものが先生の問診票になります。いきなり10番目に飛ぶのは並びに諸説あるからです。10個のうちどれかに飲酒の罪が入るパターンもあります。
 先生の言うとおり、1つ目の“殺生”がただ蚊を殺す程度のことでも有罪判決になるので実質無理ゲーですね。最大10審もするのに1回目が一番厳しいってどういうことよ?

トピックex:想像を絶する地獄の責め苦

 衆合地獄は邪淫をはたらいた者が落ちる地獄なので、「刃が生えた木の上から美女が呼びかける」など、そういう罪人を懲らしめるための責め苦が用意してあります。
 なお、衆合地獄に落ちるような者はどうせ殺生と偸盗の罪も犯しているだろうという考えなのか、邪淫と関係ない責め苦もバッチリ用意してあります。
 また、次の叫喚地獄以下に落ちる罪人も何故か全員邪淫の罪は当然に犯している前提で罰せられるので、衆合地獄と似たような責め苦はそちらにも完備してあります。

 辛い地獄の責め苦にうっかり死んでしまうこともあるでしょう。そういうときもご安心。獄卒の「生き返れ~」の言葉ひとつで傷ひとつない健康な体に元どおりです。これで安心して6821兆1200億年なりの刑期をお勤めできますね。

 「実はですね、8階建てになっている地獄なんですけども、その一番下に何があるかっていうと、阿鼻地獄。別名無間地獄(※ テロップの“無限”地獄は誤りですね)っていうんですけど、上に重なった7つの地獄の1000倍もの苦しみを受けるということなんですね」

 地獄は1階層下に降りるごとに責め苦が10倍ずつ増えていく設定なのですが、最下層の阿鼻地獄だけは別格で、いきなり1000倍にインフレします。
 また、それだけの苦痛を味わわせるには相応の設備が必要ですので、阿鼻地獄の敷地面積はすこぶる広く、およそ30万km四方。ちなみに高さも30万kmあります。ひととおり地獄巡りするだけでも気が遠くなりそうな広さですが、刑期も相応に349京2413兆4400億年もあるのでマイペースでも大丈夫そうです。
 もちろん舌耕しもちゃんとあります。

 「地獄に落ちたら二度と救われないんですか?」

 仏教世界のインフレ祭りっぷりに小峠教官がグッタリしてきたあたりで電脳少女シロから質問がありました。

 先生によると、生前に一度でもお地蔵様に手を合わせていれば救われるとのことです。
 これは閻魔王が地蔵菩薩の同一存在とされているからですね。善行も悪行もお地蔵様を通して常に見られているので、お地蔵様の前で徳の高いことをすると割とガッツリ減刑してもらえます。
 あと前回の記事でも書いたとおり、遺族が熱心に供養してくれるようだとこちらもポイント高いです。
 どれもこれも地獄に落ちてからできる対策じゃないじゃねーか!とか言っちゃいけない。

 西洋諸宗教と違って仏教世界の天国 / 地獄は割と行き来が容易だとされます。
 先生はこれを「慈悲の宗教だから」と解説しましたが、仏教において天国(※ 浄土・極楽含む)の扱いは地獄以上にメンドクサイのでそれ以上深く掘り下げないのが吉。悟りを啓いて涅槃へ到達すること以外は一切皆苦なのが仏教の基本的な立場なので、輪廻から抜け出せてもいない状態での天国って何だよ?って話になっちゃうんですよね。

トピックex:鬼滅の刃との共通点

 猫も杓子も鬼滅の刃な昨今。あなたは今年『紅蓮華』を何度聞いたか覚えていますか? 私はアニメもマンガも未だにチェックできていないのですが、たぶんもうカラオケで歌えると思います。

 番組で紹介された『阿毘達磨倶舎論』は西遊記の三蔵法師がインドから持ち帰った仏教書のうちの一冊です。5世紀ごろに著されました。地獄やら鬼やらをメインに扱ったオカルト本というわけではなく、至極真っ当な仏教研究の名著です。

 本来、仏教において鬼といえば六道輪廻の餓鬼のことです。“鬼”に対して力強くて凶暴というイメージを持つのは日本独特の感覚で、インドや中国ではむしろ弱々しく苦悶している存在としてイメージされているというのは有名なお話。人間は鬼にも仏にもなれるというのはそのとおりですが、仏教感覚での鬼というのは“恐ろしいシリアルキラー”みたいな感じではなくて、単純に“悟りを啓けない愚かさによって自らを苦しめている”といった意味合いになります。
 こういう言語感覚ひとつ取っても、やはり仏教世界の地獄観は日本で独自につくられていったものだということがわかりますね。人間から鬼に変わるというところだけ仏教的価値観なので、今回はこの点だけ覚えておけばいいでしょう。他はあくまで日本の土着伝承ベースであって仏教との関連性は薄いです。

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