人の心はみんな違うんだ。それを同じ闇に染めるなんておかしいよ!
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(主観的)あらすじ
街の人々を操られていてはプリキュアは満足に戦うことができません。強敵グレイブへの反撃、いちかたちはまず闇のキラキラルをスイーツのキラキラルで染め直すことからはじめることにしました。けれどグレイブは一筋縄ではいかない相手。いちかたちの作戦はたちまち察知され、せっかくつくったスイーツも闇に染められてしまいます。
万策尽きたいちかたち。グレイブは勝ち誇り、弱いヤツは強いヤツに従えと言い放ちます。ところがそんなとき、奇跡が起こります。闇のキラキラルがスイーツのキラキラルで染め替えられていきます。いちかたちが戦っている間に、街に住む動物や妖精たちが協力してスイーツをつくってくれたのです。
形勢逆転。新たなる力・プリキュア・ファンタスティック・アニマーレによって、いちかたちはついにグレイブを討ち果たします。
さてどうするつもりなのかと思いきや、いやはや、結構な泥仕合で攻略しましたね。「諦めない、負けない」こそがプリキュアの真骨頂!
グレイブを打ち倒したとはいえ、その闇はエリシオに回収されてしまいました。闇との戦いはここで終わりではなく、おそらく最終話までずっと続いていきます。今回の問題提起への回答も一部未来へ持ち越しです。でも、まあ、自分の内なる心の闇に対抗する手段は、とりあえず今回でぼんやりと見えてきたかな。
「どんだけ束になってもあんたたちは勝てっこないわ。闇は手段を選ばないもの」 前話でビブリーが闇の脅威をこう説明していましたが・・・だからどうした。ごらんなさい。確かに闇は手段を選ばないかもしれませんが、それは光だって同じこと。あの手この手を駆使して絶対に諦めることがありません。私たちにはバラバラの個性の輝きがあるんですから。
善なる弱さ
「どんだけ束になってもあんたたちは勝てっこないわ。闇は手段を選ばないもの。方やあんたたちのキラキラルには『愛』だの『優しさ』だの、戦いの邪魔になるものがてんこ盛り」
とりあえず脊髄反射的に「それは違う!」と言い返したくなるところですが、実際ビブリーの言うとおりの展開になっているのでまずは認めましょう。反論するなら今回丸々1話かけてじっくり考えることです。
「街の人に手出しはできないか。仕方ない、一旦引くよ!」
ピカリオという強力な助っ人を得てなお、いちかたちはグレイブに勝てません。それはもう力の差とか数の差とかそういう問題ですらなく、単に弱点を突かれてしまっているから。どうしようもありません。
「ああっ。まさか、お父さん!?」
この劣勢を覆すにはスイーツが必要。ですがその作戦もあっさりと食い止められてしまいます。グレイブ直々に力を振るうまでもなく、いちかたちはたった1体のネンドモンスターだけで簡単に無力化されてしまうんですから。
「愛」や「優しさ」は間違いなく善いものです。私たちは両親や社会からそう教わり、そして自分でも子どもたちにそう教えてきました。一種の信仰にも似た大切なそれを悪党なんかに踏みにじられたくはありません。
「スイーツのキラキラルが効いてるペコ!」
ほら。私たちの抱いているものは確かにステキなものなんです。ステキなもの、なんだけれど・・・。
それでも、悪意というものは卑怯なことに手段を選ばなくて、狡猾なことにいつでもつけ入る隙を窺っていて、私たちはときどき自分の大切な思いを守りきれなくなります。
「困っている人を助けましょう」「みんなに優しくしましょう」 そんなキレイゴトを唱えながら、
「怪しい人には近づかないようにしましょう」「悪い人には本当のことを教えないようにしましょう」 ときには自らの信じるお題目と矛盾する考え方も必要としてしまいます。
とても悲しいことだけれど。
「ごめん。ケーキづくりは――」
「材料も全部闇に染められて」
「ははははは! 全ては俺の闇の中だ。お見通しなんだよ!」
この世から悪意が消えることはなく、そのせいで私たちは善いことばかりを貫き通すことはできません。
弱さ。弱さ。弱さ。弱さ。弱さ。
「いいかげん敗北を受け入れろ! 弱いヤツは強いヤツに従えばいいんだ」
この世から悪意が潰えることはなく、何度破邪の力で遠ざけたって、いつかその魔の手は私たちの心にまで届いてしまうことでしょう。
グレイブはそれを「弱さ」と断じます。
弱いから屈することになるんだと。自分は強いから何者にも脅かされず、踏みにじる側でいられるんだと。
善性とはすなわち弱さ。悪意とはすなわち強さ。
そうですね。構図からすれば正しくそのとおりです。
だからどうした。
そこまでなら確かに一定の理があります。私たちは悪意の闇を追い払うことはできても、消し去ることはできません。善性はときに脅かされ、悪意は永遠に不滅です。
だからどうした。
どうしてそこで「弱いヤツは強いヤツに従えばいい」という話になる。それはあなたの願望だろう。強さ弱さの話と理屈が全くつながっていない。論理の飛躍、恣意的な拡大解釈。誰が強かろうが、誰が弱かろうが、あなたの妄言を私たちが聞いてやる筋合いなんて全くない。
「誰が『強いヤツ』よ。あんたなんてね、あんたなんて『俺が!』『俺が!』ばっか言ってるただの負け犬よ!」
私たちは確かに弱いかもしれないけれど、だからといって負けたと誰が決めた。
むしろ負けたことがあるのはそっちの方じゃないですか。
「その生意気な目。人間だったとき俺を追い出した奴らと同じ目だ!」
「みんな俺を最悪な男と呼んで離れていきやがった」
強ければ負けないと誰が決めた。
いいえ。今度も悪意は負けるんですよ。いくら悪意が強かろうと。善性の人々のなかで一番強いプリキュアたちを先に倒そうと。
結局あなたは敗北するんです。いつものように。
あなたよりはるかに弱い動物たちの手で。あなたよりはるかに弱い妖精たちの手で。
「どんだけ束になってもあんたたちは勝てっこないわ。闇は手段を選ばないもの。方やあんたたちのキラキラルには『愛』だの『優しさ』だの、戦いの邪魔になるものがてんこ盛り」
さて、「それは違う!」と言ってやりましょう。
多様性
今回の戦いの勝敗を決したのはプリキュアではありません。グレイブでもありません。ピカリオやビブリーでもありません。
「諦めるのは早いニャ!」
動物たちです。
「キラキラキラルン、キラキラル!」
妖精たちです。
はて。彼らはグレイブに勝てるほど強い力を持った存在だったでしょうか。
ンなわけない。
彼らはちょっとディアブルの闇に当てられただけであっさり仲違いしてしまうような脆弱な存在です。
妖精たちに至ってはついさっきまでビビりにビビりまくっていたヘタレです。
強いわけがない。
でも勝っちゃいました。
「あんた周りが見えてないのよ。キラキラルをつくれるのはプリキュアだけじゃないのよ」
グレイブの作戦にはひとつ隙がありました。
プリキュアを無力化するために講じた、街の人々のネンドモンスター化。ですがこれはスイーツのキラキラルで治療可能なんです。
もちろんグレイブもそれは承知していて、プリキュアがスイーツをつくろうとしたときにはきっちり妨害していました。代わりに動物と妖精たちがスイーツをつくりはじめるなんて想像もしていなかったようですけどね。
そうとも。勝負を決するのは強さ弱さだけじゃない。
第一グレイブがプリキュアを倒せたこと自体、彼が強いからではなく、プリキュアが弱点を突かれてまともに戦えなかったからじゃないですか。
だったらいかに強いグレイブであっても弱点を突かれたら負けてしまうのが道理でしょう。
弱い相手だからって警戒を怠ったのが彼の敗因です。
悪意の闇が厄介なのは、そいつが強いからではありません。いつでもどこにでも現れて、虎視眈々と私たちの心の隙をつけ狙っていることこそが厄介なんです。
だったら私たちも同じことをし返してやればいい。
闇が手段を選ばないなら、こっちだって手段を選ばなきゃいいだけです。
いちかたちは最初ネンドモンスターを従えたグレイブと正面から戦い、膝を屈しました。
まともに戦えなかったので、今度はスイーツをつくって闇のキラキラルを染め変えようとしました。
それも妨害されたのでやむなく守勢に入りました。
さっき効かなかったはずのアニマルゴーランドも繰り出しました。
何度も何度も打ちつけられ、けれど決して諦めはしませんでした。
そうしているうちに動物と妖精たちがついに反撃の一手を編みあげたのでした。
「どんだけ束になってもあんたたちは勝てっこないわ。闇は手段を選ばないもの。方やあんたたちのキラキラルには『愛』だの『優しさ』だの、戦いの邪魔になるものがてんこ盛り」
それは違います。
確かに「愛」だの「優しさ」だのを掲げる私たちには隙が多いかもしれません。
ですが、だからといって私たちに悪意の闇と同じ手段が使えないわけではありません。むしろ「愛」や「優しさ」を胸に抱いているからこそ悪意と同じことができるんですよ。
私たちはみんな「大好き」でつながっていて、そしてつながっている人みんなのバラバラの個性の輝きを行使することができるんですから。
100人いれば100通りの、1000人いれば1000通りの悪意への対抗手段を持つことができるんです。
「おかしいよ。あなたのやり方は間違ってるよ。人の心はみんな違うんだ。それを同じ闇に染めるなんておかしいよ!」
いちかが言っていることは単なる感傷などではありません。
個人の強さ弱さにばかりかまけて多様性というものの驚異を考慮しなかったグレイブは愚かでした。
そんなんだから、人間だったときもハブにされるなんていう致命的な弱点を突かれちゃうんですよ。
結局やっていること自体はファンタスティック・アニマーレもアニマルゴーランドと大差ありません。
プリキュアは「大好き」でみんなをつなぎ、バラバラの個性を破邪の力として悪意の闇を退けます。
個性がたくさんあればそれだけ色々な心の隙をカバーできますし、それだけ色々な悪意にカウンターを仕掛けることもできるでしょう。
この世から悪意を根絶させることはできないかもしれませんが、ですが無限の対抗手段を持っていさえすれば、もうどんな悪意だって怖れる必要はありません。
たとえ私の心のなかに悪意の闇が芽吹いたとしても。
それはきっと、私の隣にいる誰かが追い払ってくれることでしょう。そして代わりに私もいつか誰かを悪意から守ってあげるんです。
「大好き」を伝えあいましょう。たったそれだけであなたは無限の対抗手段を携えて悪意と戦うことができます。
今週のアニマルスイーツ
スイーツキャッスル。難易度は当然のごとく星3つ+。
ショートケーキとパフェはマシュマロ、プリンとアイスはアイシングを代用してそれぞれ表現しているくせに、よりにもよって一番難しいマカロンはなぜか本物を使わせるという久々の鬼畜レシピ。しかもこの大きさ、市販品だと規格が合わないですよね?
お菓子の家とか懐かしいなあ。むかーし一度だけつくったことがあります。友達のお母さんが接着用のアイシングをつくってくれて。みんなで市販のビスケットだのチョコだのを持ち寄って。
ちなみに私はポッキーでログハウスをつくるというムダに難易度の高いことに挑戦して、ひとりだけ四方八方アイシングでベッタベタの大惨事になっていました。
コメント
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前のコメントが思いのほか好評価を頂けたので、少々調子に乗って…。いえね、この記事を最初に拝見したときからずーっと引っ掛かってたんですよ。
このエピソードでプリキュアが勝利出来た理由って、「手段を選ばなかった」からではなく「手段を選び続けた」からではないでしょうか。プリキュアはあくまでも「愛だの優しさだのを守るため」に戦う、そのために「絶対にいちご坂の住民を巻き添えにしない」というルールを守り通した。そのお陰で住民達から絶大な信頼を勝ち取ることができ、「恩返しの為に今度は俺達がプリキュアを助けてやる番だ」という形で住民達の協力をとりつけることが出来た、ということではなかったかと。
この「愛や優しさを相手に向ける」というキュアホイップ/宇佐美いちかの姿勢は、敵であるグレイブに対しても徹底されていて、絶体絶命の状況に陥っても「あなたの"やり方"は間違ってるよ。"同じ"闇に染めるなんておかしいよ」と言うんですね。決して「あなたは間違ってるよ。闇に染めるなんておかしいよ」とは言わない。行動は否定しても存在までは否定しないし、"単一色"に染めることを否定するだけで"闇に染める"ことは否定しない。相手と和解する途を閉ざしたりはしないんですね。
ただ…、このエピソードには欠陥もあって、グレイブが巨大怪獣と化して対話不能となるや、プリキュア達が俄然"傭兵"モードに入ってしまうんですよね。アニマルに乗ってグレイブを上空から攻撃する姿が「ゴジラの頭上を旋回しながらミサイルを撃ち込む自衛隊ヘリ」とか「ヘリに乗って犯人をショットガンで狙撃する大門団長」みたいになってしまっている。
どうもこの辺は「肉弾戦廃止」という本作の方針が裏目に出てしまった部分で、いわゆる「拳で語り合う」ことの意味(痛みを分かち合うことでお互いを理解し合える、ということ。だいたい戦争の残虐さって、兵器の進歩により労せずして相手に一方的にダメージを与えられるようになってから急激に酷くなっていったんですよね)を本作スタッフが理解していなかったことは大きなミスだったと言わざるを得ない。後続作品の「HUGっと!プリキュア」に至る前に、エリシオとの最終決戦の段階で早くも方針撤回を余儀なくされたのは当然のことだったかと思いますね。
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説明不足のままノリノリで語りだす傾向があるのは自覚しているので、気軽にコメントでツッコんでいただけると助かります。肝心のレスポンスが遅くて申し訳ないのですが。
要点は「愛だの優しさだの」が手段なのかどうかです。
グレイブにとってそれはプリキュアを倒すための手段でした。街の人を利用するとプリキュアが手出しできなくなるのがわかっていたから、プリキュアを倒す手段として利用しました。ビブリーが恐怖した“闇”の手段の選ばなさとはこういうところでしたね。
ところがいちかたちにとって「愛だの優しさだの」は(東堂伊豆守様のおっしゃるとおり)目的なんですよ。手段ではなく。街の人たちとの間にある、そういうステキなものを守るためにいちかたちは戦っているわけですよ。
それはあくまで目的です。その目的を達成するためなら必ずしも“プリキュアとして戦う”という手段を用いる必要がなく、自分たちが街の人に手出しできないなら、自分以外の力――ピカリオやスイーツ、妖精や動物たちの力を借りることを手段として活用してもいいわけです。
そういった意味で「光だって手段を選ばない」と表現しました。
まあ、つまるところこの感想文で私が語りたかったことって東堂伊豆守様の主張とほとんど同じなんですよね。
いちかたちはみんなの「大好き」を守りつづけ、その結果たくさんの人たちの協力を取り付けることが可能となり、そしてその結果グレイブたちの手段の選ばなさすらも超越する手段の多様性を獲得するに至ったと。むしろいちかたちから見たら、グレイブたちの“闇”の方こそそれ一辺倒の画一的な手段にこだわっているようにしか見えないわけです。
『キラキラプリキュアアラモード』は割と最初の方からそういうところがあって、プリキュアのくせになんでもかんでもプリキュアの力で解決できるとは考えていない作品なんですよね。頻繁に街の人や妖精、動物たちを戦いに巻き込みたがる物量戦主義な作風だったと思います。
その点で“肉弾戦封印”はプリキュアの万能感を薄める効果としても有用な試みだったと私は思います。反面“拳で語りあう”という表現を用いることが難しくなったせいで、演出上のもどかしさや回りくどさが出ていたところがあるのもまた確かですが。
前回のラストは、感動できる回だった。この回も感動した。
暴力というわかりやすい絶対悪を行使する闇陣営、その恐怖に対して団結することで対抗しようとするプリキュアと妖精たち。『キラキラプリキュアアラモード』のスタンスが一番よく表れたエピソードだったと思います。
私の押しは前回ラストに引き続き、プリキュア達を助けようとしたところ感動した。
私の押しが復活したのが嬉しい事は分かるけど、いくら私の押しが復活したからと言って私の押しに抱きついてる場合じゃないでしょ。
プリキュアを助けに現れるのは、 まさにヒーロー的存在だと思う。
私は前回ラストに引き続き、この回も押しの回だった。