「よくわからないもの」を見に行くか。
―― 好奇心
今話ちーちゃんが見つけた本のタイトルは『War and Human Civilization』。
おそらく元ネタはアザ―・ガットの大著、『文明と戦争』(原題:Wor In Human Civilization)かと思われます。上下巻合わせて1000ページにも達する優秀な鈍器ですね。
この本は人類史上の様々な戦争を紹介し、それらを通して人類はなぜ戦争するのか、文明は戦争に何をもたらしたのか、逆に戦争は文明に何をもたらしたのかといった諸々のテーマを、社会学的に考察したものです。
「文化というのは――文字とか言葉とか、人間の集団同士の違いだよ。それが原因で争いになってたりもしたらしい」
「ふうん。なんでだろ」
もしちーちゃんがこの本を読めたならば、第1話からずうっと抱きつづけてきた彼女たちの疑問に、もしかするとひとつの答えを提示できたかもしれませんね。
「本ってのはすごいんだよ。何千年も前に古代人が発明して以来、ずっと人類は本に記録してきたんだ。昔のことを知ることができるのも本のおかげだしね」
そう。すごいんです。このたかだか1kgにも満たないような小さな鈍器に、ちーちゃんとユーを取り囲むあらゆる理不尽の正体を解き明かしてくれる答えが眠っているのかもしれないんですから。
少女たちにも、銃にも、レーションにも、機械にも、廃墟にもできなかったことが、本にならたやすくできるんです。本ってのはすごいんです。本当にすごいんです、本だけに!
・・・まあ、読めないのだけれど。
ラテン文字の読み方はとうの昔に失われています。
彼女たちがこの本を通して知ることができるのは、ただ、ここに一冊の本が落ちていたという小さな出来事だけ。
『War and Human Civilization』に記述された人類の英知は、もう二度と紐解かれることがないでしょう。
終末
あらゆるモノはいつか終末を迎えます。人も、機械も、建物も、あるいは神様や文化といったような形のない概念すらも、すべて例外はありません。それが私たちのあるべき姿です。
・・・ただ、この終わってしまった世界はどうにもさびしいですね。まるで時が止まったかのように、あらゆるモノが昔のままの姿を留めています。実際はもう動かないくせに。もう何も生み出さないくせに。それが、どうしようもなくさびしい。
さびしくて、美しい。
広場にそびえる歯車のオブジェ。
巨大な人型兵器。
風力発電のプロペラの森。
陸地に佇む原子力潜水艦。
ちーちゃんとユーはそれらの正体を知りません。
「昔のことはわからないなあ。それこそ本ぐらいでしかね」
そうはいうものの、文字が失われ、本自体も散逸し、彼女たちは過去のことを断片的にしか知ることができません。
モノたちは昔のままの姿を留めているにもかかわらず、それらを示す名前や来歴、用途、目的などがすでに失われているんです。なぜオブジェがつくられたのか。兵器は誰と戦っていたのか。林立しているプロペラは何なのか。潜水艦はどうしてここにあるのか。ちーちゃんたちは何も知りません。
そういうものまで全部セットで残されているものは、まあ、せいぜいレーション(食べ物)くらいのものでしょうか。おお、さすがは人類最古の友よ。永遠なれ。
「私たちの周り、よくわからないものしかないよね」
そんなごく一部の例外を除いて、この終わってしまった世界ではあらゆるモノがその存在理由を失っています。
「文化というのは――文字とか言葉とか、人間の集団同士の違いだよ。それが原因で争いになってたりもしたらしい」
「よくわからないものは、怖いから・・・とか?」
ちーちゃんがわずかに伝え聞く人類の歴史は、「よくわからないもの」を戦争の火種と定義します。「よくわからないもの」は、だから怖れるべきもので、賢い人はそれらを遠巻きにするんだと。
では、「よくわからないもの」を怖れず、むしろ積極的に近づこうとするユーのようなアホウは、実は戦争をしたがっているんでしょうか?
朽ちたロボットの胎のなか、好奇心にかられたユーはちーちゃんの制止を振り切って破壊光線のトリガーを引きます。都市が目の前で焼かれていきます。獰猛な大火が瞳に映し出されます。
これこそが、いつもおとぼけ顔で小銃を担いでいた彼女の本質。
好奇心
そんなわけがありませんよね。
「くっ、ははは。へへへ、へ。すごすぎー。はへ。ひひ。はは。はは。はは、は! ひひひ! はは! は! ハハハ――」
悲痛な。どこか壊れてしまったような奇矯な笑い声。
ちーちゃんに殴られて、それでも止まらず嗚咽するように身を震わせる小さな背中。
やっと吐き出される弱々しい「ごめん」のつぶやき。
たまに、この子これでよくちーちゃんの悪態を消化できているなあと思うことがあります。
「・・・そうでした。私めー、よくも街をー」
ちーちゃんの本を燃やしてしまったときやカナザワが地図を落としてしまったときなんかもそういえばそうでしたが、アニメ版のユーは意外とおどけてなあなあにするのがヘッタクソなんですよね。
苦い。
なんだか私まで悲しくなってきたので、ちょっと違う作品から引用してみましょうか。
「錬金術という学問があった。鉄を黄金に変える力、永遠の命を吹き込む力、無から有を造り出すための力――。人が神を越えようとする術であると言う者もいた」
「だが、それは見かけだけの判断に過ぎない。飽くなき探究心と斬新な発想がそれらを具現化させているだけなのだ」
「我々は、好奇心を持っていたからこそ、こうして進歩してきたのだから・・・」
プレイステーション2向けのゲーム、『リリーのアトリエ』のオープニングです。
「よくわからないもの」は、怖れるべきものなのでしょうか。
「よくわからないもの」に近づくのは、愚かなことなのでしょうか。
そんなバカな話があるものか。
だって、雨音から音楽を再発明して遊んだあのひとときは、とても楽しいものだったじゃないですか。
だって、月の光を浴びながら“びう”を飲んだあのひとときは、とても楽しいものだったじゃないですか。
あんなステキなひとときをもたらす好奇心というものが、愚かなものであるはずがないじゃないですか。
「よくわからないもの」。
そうですね。人型兵器のという「よくわからないもの」に好奇心の赴くまま近づいた結果、街が燃えました。確かに「よくわからないもの」は怖ろしい。
ですが、今、目の前にあるソイツは何でしょうか。「よくわからないもの」でしょうか。
いいえ。今、目の前にあるソイツは今「強すぎる兵器」に変わったはずです。
未知から既知へ。今、好奇心の力によって怖れるべき「よくわからないもの」は消えてなくなりました。
やってしまったことは悲しい失敗でしたが、しかしそれでもユーの行為には確かに意味があったんです。
彼女たちはずっとそういうことをしてきました。
無用の穴の中に入ってみたり、初めて見た魚を食べてみたり、怪しい男性と同道したり、不思議な寺院に入ってみたり、空想の住居を設えてみたり、人類最後の飛行を見届けたり、レーションをつくってみたり、平たい墓所を探索してみたり、ロボットとおしゃべりしたり、奇妙な動物を拾ってみたり。
そうして、たくさんの“未知”を“既知”に変えてきました。
「でも、ちーちゃんはわからないことを知るのが好きだったりするじゃん。本を読んだり」
「でも、案外ユーみたいなのが文化をつくってきたのかもね」
似たもの同士。性格は全然違うけれど、やってきたことはちーちゃんもユーも結局おんなじ。
「『怖い』に『面白い』が勝ったな!」
それはステキな冒険です。好奇心の赴くままに旅行を続けましょう。
「『よくわからないもの』を見に行くか」
その“未知”を、あなたならきっと“既知”に変えられますから。
そしてそれこそが、この世界に佇むモノたちの救いでもあるのですから。
再定義
あらゆるモノはいつか終末を迎えます。人も、機械も、建物も、あるいは神様や文化といったような形のない概念すらも、すべて例外はありません。それが私たちのあるべき姿です。
・・・ただ、この終わってしまった世界はどうにもさびしいですね。まるで時が止まったかのように、あらゆるモノが昔のままの姿を留めています。そのくせ、それらを示す名前や来歴、用途、目的など、“存在理由”だけが、すっぽり失われてしまっているんです。
そのいびつさが、どうしようもなくさびしい。
正しく終末をもたらしましょう。
その手で壊し、あるいはその目で見届け、そしてそれら終末のかたちを記憶として継承していきましょう。
旅は道連れ、世は情け。ふたりの小さな死神たちが私たちの終末を運んでくれます。少女終末旅行。
残念なことにちーちゃんたちは昔のことをあまりよく知りません。本も文字も、すでにそのほとんどが失われてしまいました。
ですが、それがどうした。大昔の私たちの正しい姿なんて、今を生きるちーちゃんたちには関係ない。
「――森」
「何それ」
「前に本の挿絵で見た景色に似てるなと思ってさ」
“風力発電所”はたった今から“森”になりました。
プロペラは植物ではありませんが、食物連鎖に組み込まれる動物たちはもういませんが、なんかちょっと似てる気がするからあなたは今日から森です。プロペラ林立させてるそっちが悪い。
いいじゃありませんか。もはや誰の役にも立てない風力発電所でいるよりか、少女たちの話題の具になれる森の方がずうっと有意義です。
“風力発電所”は“森”として再定義され、健やかに終末しました。
「ほら、またよくわからないものが」
「おもしろーい!」
「おもしろいな」
“広場のオブジェ”はたった今から“なんか面白いもの”になりました。
たぶん元は仕掛け時計か何かの中身だったんだと思うのですが、とりあえず見て面白い、ぶら下がって面白いあなたは、今日からなんか面白いものです。面白いそっちが悪い。
面白いその見た目はちーちゃんの記憶に刻まれ、面白いその動きはユーの記憶に刻まれ、これからは時折ふたりの旅の想い出として語られることになるでしょう。
“広場のオブジェ”は“なんか面白いもの”として再定義され、健やかに終末しました。
「これは・・・読めないな」
「いちおう持っていこう」
「えー、読めないのに?」
「だって貴重なものだし」
“『War and Human Civilization』”はたった今から“読めない本”になりました。
それもいいじゃありませんか。読めようが読めなかろうが、ちーちゃんは本であるという、その存在自体に価値を見出して、あなたを珍重してくれます。そこらに捨て置かれて忘れ去られてしまうよりもずっと幸せなお話じゃないですか。
“『War and Human Civilization』”は“読めない本”として再定義され、やがて死蔵された荷物のひとつとしてケッテンクラートとともに終末するでしょう。
世界が終わり、人間がいなくなり、たくさんのモノたちがその終末を誰にも見届けられることなく、ぼんやりと取り残されることになりました。終末を奪われたモノたちはただ悠久の時間の果てに存在理由すらも忘れられ、ただひたすらこの世界から失われてしまうときを待つばかり。
誰の記憶にも残らない。それはきっと、ただ死ぬよりもずっとさびしいことだと思います。この世界から、私が、いなくなってしまう。独身の私としては割と他人事じゃない。(だからこんなこじれた感想文になるわけですね)
願わくば、終末を待つ私たちの存在理由が、“見届けてくれる誰かにとって”魅力的でありますように。
この世界に生きたすべての存在が、どこかの誰かにとってのささやかな生きる糧となれますように。
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