キラキラプリキュアアラモード第44話感想 「大嫌い」を裏返せ!

私はみくの病気を治す。この願いは絶対に譲れない。

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(主観的)あらすじ

 あきらの大切な妹、みくちゃんがいなくなりました。
 あきらはみくちゃんのためならなんでもやってくれて、過去も現在も未来も全部みくちゃんのために使ってしまいます。みくちゃんはそれがイヤでした。あきらの幸せのために、消えてしまいたいと思いました。
 けれど、あきらは違うと言います。あきらはみくちゃんに縛られているのではなく、みくちゃんのおかげで自分のやりたいことを見つけられたのだと。あきらはさびしがり屋で、誰かに助けを求められなければ自分らしく生きられないけれど、だからこそあきらはみんなを助けるヒーローでいられます。
 あきらは自分のためにみくちゃんの心の闇を晴らし、そしてみくちゃんと一緒に笑顔で楽しく暮らします。

 強さと弱さは表裏一体。キラキラプリキュアアラモードのうち最も心の弱いプリキュアは、弱いからこそ強いのでした。
 あきらの「大好き」は他の5人と違ってひたすら外部に向けられていて、だから彼女の問題は外から忍び寄る悪意と戦っていた第30話の学園祭、第36話の運動会時点でとっくに解決しています。今話で描かれたものは、いわばその反省会。「そもそもあきらの心は弱かったのか?」という振り返りです。

思いやりが重たくて

 思いやりが重たく感じるのは、思い出が重たいからじゃないかな。
 ・・・なんてダジャレを思いついたのですが、よくよく考えれば掛かる言葉がどちらも「思い」と「重い」なので、あんまり上手いダジャレじゃないなと反省する次第。(←すこぶるどうでもいい)

 みくちゃんは強い子です。優しい子でもあります。病弱の身でありながら、その境遇に甘えることなく、いつだって自分のことよりも大好きなお姉ちゃんの幸せを願ってきた子です。
 「お姉ちゃんは何になりたいの?」
 ファッションモデルでも、スポーツ選手でも、宇宙飛行士でも、きっと何にでもなれるすごいお姉ちゃんの、一番の幸せはなあに?
 「研究者、かな」
 ・・・また、私のために。こんな私の病気を治すために。
 大好きなお姉ちゃんは、また、自分を犠牲にするんだ。

 「そんなの、そんなのダメ!」
 みくちゃんはずっとソイツと戦ってきました。
 そのためにキラキラパティスリーのお手伝いをしてみせて、そのためにあきら抜きで学園祭をまわって、今日だって自分の体調をわきまえて雪だるまづくりを我慢して。こんなにお世話を焼いてくれなくても大丈夫だよと、私はお姉ちゃんがいなくてもちゃんとやれるよと、ずっとずっと訴えつづけてきました。
 ただ、大好きなお姉ちゃんに自分の幸せを掴んでもらうために。

 けれど、彼女のその気高い強さも結局最後には自分の病気に邪魔されてしまうのです。
 「私、今までずっとお姉ちゃんのこと縛りつけてた。なのに、これからもまたずっと?」
 みくちゃんの強さ、優しさは、しかし永遠に実を結びません。永遠に逃れられない、彼女自身の身体の弱さのせいで。
 絶望。

 「あなたの“ため”でしょうか。それともあなたの“せい”?」
 どっちかだなんてわかりきっています。
 ずっと戦ってきたけれど、無意味。過去にも、現在にも、未来にも、みくちゃんの望みが叶う日は永遠に訪れません。
 病魔の悪意は身体のみならず心まで侵食し、弱った心は自らを厭う心の闇を生み出します。
 お姉ちゃんみたいに強くなりたかった。お姉ちゃんのために強くなりたかった。弱い私は大嫌い。――そうとも。だからこそ、大嫌いな私の望みなんて叶っていいはずがないじゃないか。
 私は、大嫌いな私の「大好き」が叶うことを、望まない。

 「そう。全部私の“せい”。こんな私、もういない方がいいよ」

思い出が重たくて

 (結局使う)

 あきらは自分の心の弱さを自覚しています。
 「みんなの意見じゃなくて、あなたの意見は?」
 「なんとかって、何?」

 ことあるごとにゆかりに突っつかれていた、主体性のなさ。
 困っている人を助けるのが「大好き」といえば聞こえはいいけれど、それってつまり、他人の願いに依存して自分の指針を決めているにすぎません。

 「ほら。ワンちゃんだよ、みく!」
 「・・・そっか。みく、入院したんだ」
 「みく・・・」

 思い返してみれば小さな頃からずうっと誰かの願いに依存してきました。
 ワンちゃんの雪だるまが好きだったのはみくちゃん。だから、みくちゃんがいなければあきらはひとりでその完成を喜ぶこともできません。

 「そうか。私はさびしかったのか。ずっと。だから、みくは私のさびしさを知って――。守っているはずの私は、ずっと、みくを苦しめていたのか。私は、ずっと」
 自分が無いこと。誰かの願いに依存すること。
 それは言い換えるなら自分の行動の責任を誰かに押しつけることでもあるわけで、いつか依存先の相手が疲弊してしまったら儚くも破綻してしまう。
 「無責任な優しさほど罪なものはないわ」
 それがあきらの問題でした。そもそも誰のための人助けなのか。
 「大好きな相手を守るために身を削る行為には限界がある」
 学園祭の日にエリシオに投げられたその言葉は、あきらだけでなく、みくちゃんや他の誰もにも当てはまります。

 ――それがあきらだけでなく、みくちゃんや他の誰もにも当てはまるというなら。
 なんだ。もはや何の問題もありませんね。
 だってあきらは今もこうして立っているんですから。
 あの学園祭の日、あきらは自分の抱えていた問題を立派に乗り越えてみせたんですから。

弱い心を抱きしめて

 「あなたの“ため”でしょうか。それともあなたの“せい”?」
 どっちかだなんてわかりきっています。
 あなたの“ため”に決まっています。

 「すごいね、いちかちゃんのお母さん。みんなの“ため”に世界をまわるなんて簡単なことじゃないのに」
 「はい。みんなを守るヒーローです!」
 「私もそうありたいと思う」

 すでにあきらは自分の在り方を肯定的に受けとめています。
 誰かの願いに依存する、困った人を助けることが「大好き」な自分の在り方を。

 だって、あきらが「大好き」なんですから。大好きなみんなを助けることが大好きな、そんな自分が「大好き」なんですから。
 “究極の2択”とやらを押しつけられたあの日、あきらは選択肢そのものをぶん殴りました。あきらは特定の誰かの都合に縛られて人助けをしていたのではなく、自分で望んで人助けしてきたのですから当然です。
 あきらには自分が無いのではありません。あきらは自分で選んで、自分の「大好き」の思いの赴くままに、自ら望んで誰かの助けになりつづけているんです。
 「このさびしさこそが私の強さ、そして愛だ!」

 「みく。私はみくの病気を治す。この願いは絶対に譲れない」
 あきらがこう願うようになったのは、みくちゃんの“せい”ではありません。あきらにそれを選ばせたのは、みくちゃんではなく、あきらです。
 「私にはわかったんだ。何をすればいいのか、何ができるのか。そして、私は自分で道を見つけたんだ!」
 あきらがこう願うようになったのは、みくちゃんの“ため”です。
 「これは私自身の願い。私はみくを治す。そして同じ病気で苦しむたくさんの人たちも」
 みくちゃんがいてくれたから願えたんです。あきらは主体的に行動できない、誰かの願いに依存してようやく行動できる、どうしようもなく弱い心の持ち主だから。
 あきらがこう願えるようになったのは、みくちゃんの“おかげ”です。

 だから、「こんな私」だなんて言わないで。
 自分を大嫌いになんてならないで。
 あなたがいなければ、あなたが大好きなあきらも、あきらが大好きなあきらも、ここに立つことはありませんでした。
 あなたが助けを必要としてくれたからステキな今日があるんです。

 「いいの。いいの、お姉ちゃん。私、病気のままでも平気。だってお姉ちゃん、楽しいことも嬉しいこともたくさんくれたんだもん。でも、これ以上私に縛られちゃダメ!」
 「大好き」を隠さないで。「大嫌い」に裏返ってしまうから。
 今あきらが必要としているのはそんな冷たい百の拒絶ではありません。
 「・・・ありがとう」
 暖かい、たった一つの感謝。
 たったそれだけで、あなたの「大嫌い」はまた「大好き」に裏返る。

 「大好き」をめぐる戦いは大いなる物量戦です。
 心の闇に迷って孤立しているとあっという間に絶望に飲まれてしまいますが、大好きなみんなでつながりあっていればへっちゃらです。あなたに忍び寄る悪意は私が追い払いましょう。代わりに私の心に闇が芽生えたときはあなたに払ってほしい。
 頼って。
 誰かに頼らずにいられないあなたの弱さは、みんなと「大好き」でつながりあいたいと願える強さでもあります。

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