キラキラプリキュアアラモード 総括感想その1 ねこさんのあしあと

美しさとトキメキを! レッツ・ラ・まぜまぜ!

キラキラ☆プリキュアアラモードボーカルベストアルバム スイート☆エチュード☆アラモード

起源(大好き / 美しさ+)
「ゆかりはホンマに手ぇがかからへん子なんですよ」
屈折(嘘つき / トキメキ-)
「いつもわからなくなるの。好きってどういうものかしら」
変身(出会い / トキメキ+)
「楽しいですね。私、マカロンに一生懸命なゆかりさんを見てもっと好きになりました!」
絶望(大嫌い / 美しさ-)
「みんな私のことを完璧だと思って近づいてくるの。でも、私は全然完璧なんかじゃない」
統合(気付き / 美しさとトキメキを!)
「茶道と一緒。繰り返し作法を学び、お茶を点て、花を生ける技術を学び、その上に心が載ってはじめてみんなを喜ばせるおもてなしができるのだと思うの」

 いきなりよくわからないリストが出てきましたがあんまり気にしないでください。私が考えをまとめるために使ったものをなんとなくベタ貼りしているだけです。

 結論からいうと、キラキラプリキュアアラモードの個人エピソードはいずれも自分を大好きになるための物語でした。
 6人はみんなそれぞれ自分のなかに何かしら好きになれない部分を持っていました。そしてそこから目を背けようとするばかりに、自分の持っていたステキなところすらまっすぐ見つめられなくなっていたのでした。
 そんな少女たちがキラキラパティスリーという場に集い、変わっていきます。みんなそれぞれ違う個性の輝きをときに好ましく、ときにうらやましく思い、その輝きに照らされて少しずつ自分を見つめなおしていったのです。
 この1年間、彼女たちは何か新しい自分を手に入れたわけではありません。ただ、自分のなかの嫌いだったところを好きになり、ステキだったところをもっと好きになり、ありのままの自分を全部まるごと大好きになっていっただけです。
 それがいかに難しいことか、彼女たちより少し大人なあなたにはきっと痛いほどよくわかるはずです。それがどれほど大切なことなのかも、きっと。

 琴爪ゆかりの歩んだ物語は、特にその難しさ、苦しさが濃密に描かれました。
 そしてそれだけに「大好き」というポジティブな思いのまばゆさが最も鮮烈に描かれた物語でもありました。

 「ゆかりはホンマに手ぇがかからへん子なんですよ」
 ゆかりの物語は賞賛されることからはじまりました。彼女の人生においても、私たちが観てきたアニメにおいても。彼女の才能を、あるいは美しさを目の当たりにした人は、みんな必ずゆかりを褒め称えます。
 ゆかりは、ただゆかりらしくあるだけで周りの人々から賞賛を引きだすことができたのでした。

 だからこそ、ゆかりはわからなくなってしまいます。
 「いつもわからなくなるの。好きってどういうものかしら」
 いつも、何をしていても、褒められたことしかないから。
 「君はこれが苦手だね」「君はそのやり方をしない方がいいね」 ネガティブなことを言われるのは悲しいことですが、しかしそれら助言は自分のあり方を少しずつ狭め、彫り込み、「自分はこういう人間なんだ」という自己イメージ像を提示してくれもします。
 ところが、ゆかりの万事に対して万全な才能は、周りの人々から助言を引きだしてくれなかったのです。ゆかりはその才能のおかげでネコのような自由な生き方ができるようになりましたが、反面、ネコのようにつかみどころのない性質にもなってしまいました。

 琴爪ゆかりは自分の「大好き」のかたちがわからずにいました。

 ゆかりの自己イメージにはじめて輪郭を与えてくれたのは、いちかとの出会いでした。
 他の誰もと同様、いちかもやっぱりゆかりを褒めそやします。けれど、いちかの賞賛はひとつだけ、他のものとは違うところがあったのでした。
 「楽しいですね。私、マカロンに一生懸命なゆかりさんを見てもっと好きになりました!」
 チャレンジ精神旺盛ないちかは、ゆかりの心に密かに燃えていたチャレンジ精神をめざとく見つけ、そこを褒めてくれたのです。いちかの賞賛が「ゆかりとはこういう人間なんだ」という人物像をひとつ削り出してくれた瞬間です。
 ゆかりはいちかたちと出会って、変わりはじめました。

 けれど、自分を変えていく日々は必ずしも楽しいばかりとは限りません。
 「みんな私のことを完璧だと思って近づいてくるの。でも、私は全然完璧なんかじゃない」
 いちかたちのまばゆいばかりの個性の輝きに照らしだされ、ゆかりははじめて自分の才能でも決して届かない限界に行き当たります。ゆかりはいちかのように素直に笑えません。ゆかりはあきらのように一生懸命になれません。本当は全然完璧なんかじゃなかったことに気がついて、ゆかりはだんだん自分が大嫌いになっていきます。
 ですが、考えてみてください。それはつまり、自分のあり方を少しずつ狭め、彫り込み、「自分はこういう人間なんだ」という自己イメージ像を浮かびあがらせてくれる、ステキな発見でもあるんです。
 ゆかりの行き当たった「大嫌い」が、ずっとわからずにいた「大好き」のかたちをみつけてくれるのです。

 「大好き」ははじめからゆかりの傍にありました。

 ゆかりの物語は賞賛されることからはじまりました。誰もがみんな、ゆかりの才能の前に瞳を輝かせ、笑顔で賞賛の言葉を贈ってくれていました。
 それこそがゆかりらしさ。ゆかりにしかできない個性の輝き。ゆかりの「大好き」のかたちだったのです。
 「茶道と一緒。繰り返し作法を学び、お茶を点て、花を生ける技術を学び、その上に心が載ってはじめてみんなを喜ばせるおもてなしができるのだと思うの」
 言い換えるなら、それはゆかりにとって「おもてなし」でした。
 ゆかりはいちかのように素直に笑えません。ゆかりはあきらのように一生懸命になれません。けれど、ゆかりの才能はそんなステキな彼女たちのために笑顔を贈ることができるんです。自分が大嫌いだったからこそ、自分をときめかせてくれたみんなを笑顔にしてあげられる、そんな自分が今は大好き。
 長い道行きの果て、ゆかりは自分のはじまりに「大好き」を見つけました。

 「自分のトキメキをもっと輝かせたい!」

 これが、美しさとトキメキの間をさまよったねこさんが自分を大好きになるまでのあしあと。
 このあしあとは物語が終わってからも続いていきます。
 ねこさんの「大好き」のある方へ、ずっと。

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