超人女子戦士ガリベンガーV 第75話感想 茶屋娘だろうがバーチャルYouTuberだろうが、アイドル業の形態はいつの時代も変わらない。

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生徒役:電脳少女シロ、葉加瀬冬雪、花京院ちえり

今日は絶対違う。絶対笑わない。絶対笑わな・・・っ、ふふふ!

出演バーチャルYouTuber

電脳少女シロ

「さかなクンを食べるの? 魚じゃなくさかなクンを食べる?」
「うん。賢いから」
「あー、そうですか。それ立派な犯罪ですからね」

 バーチャルYouTuber黎明期にデビューし、今なお最前線で活躍の場を開拓しつづけている始まりの人。清楚で暴虐で奇矯で蠱惑的な独特の感性は、誰もの頭を為にする、華やかな魅力に満ちています。一方で共演者やスタッフへ心配りを欠かさない細やかさがあったり、多様な価値観へ理解を示す聡明さもあったりしますが、それらは基本的にギリギリまで相手を追い詰めるためにこそ発揮されるので油断は禁物です。

 歴史モノの授業だと毎回必ず時代錯誤系のネタ回答をぶち込んできますね。今回全力でふざけきった回答を連発していましたが、それでも前々回の授業を踏まえた鋭い質問を投げかけてみせるのはさすがというかなんというか。やはりこの番組には欠かせない人物です。

葉加瀬冬雪

「何をやってるんですか。あの、収録中ですよ」
「イチャイチャしてんの」
「バエるかなーって思って」

 実験なんてこれまでの活動歴で3回くらいしかしたことがないと噂の実験大好き系女子高生。どっちかというと自己紹介を性癖披露から切りだしたアレな人っぷりのほうで認知されているようです。・・・平均的なにじさんじライバーでは? デビュー当初はゲームセンスが壊滅的だったとのことですが、現在では高難度なゲームもひとりでクリアできるようになった模様。

 今回両サイドがレギュラーメンバーのなかでも特に面倒見のいい子だったため、なにかにつけ巻き込んでもらえました。そのあたりすぐさま察して即座にノリにいけるのはさすがにじさんじといったところ。
 授業中の回答も1問目こそ手探りな感じでしたが、2問目からは電脳少女シロのノリを参考にした様子で、ネタにマジメにのびのびと回答していましたね。まあ、ガリベンガーVだと大抵何を言っても小峠教官が拾ってくれるんですが。

花京院ちえり

「ちえりがいっぱーい! 幸せー!!」
「やったー!」
「修羅の国ですよ」
「なんでよ!」

 世界で一番かわいいバーチャルYouTuber。ちなみに花京院ちえり以外の全人類全動植物全バーチャル存在みんなも世界一かわいいです。生真面目すぎる性格が災いして貧乏クジを引くこともしばしばですが、周りの友人に愛されてなんとかやっていけています。ちえりーらんどではみんなが従業員! みんなでゴミ箱を並べたり、脱走してみたり、ちえり社長と大喜利したりして楽しく暮らしています。お客さんはいません。

 身ぶり手ぶりを使って人一倍大きくリアクションを取れるのが今の花京院ちえりの強み。1年ちょっと前と比べるとつくづく見違えました。番組中のトークも堂々としたもので、回答を求められているシーン以外でもガンガンフリートークを回していきます。

超難問:茶屋娘の謎を解明せよ!

特別講師&授業テーマ雑感

 安原眞琴先生は立教大学、法政大学、青山学院大学などで講師を務めている江戸文化研究家です。元は高校の非常勤講師として国語科を教えていたところ、校外学習をきっかけに吉原最後の芸者・みな子姐さんと出会い、5年かけてドキュメンタリー映画を制作。以後、本格的に研究家としての活動を行っています。
 研究職を志したきっかけがきっかけだけに、遊郭を初めとした娯楽風俗に特に造詣が深く、今回の授業も遊郭事情を起点に構成されていました。他に和歌、落語、絵巻物などにも通じている先生です。

 今回の授業テーマは茶屋娘。茶屋娘です。
 いや、茶屋娘なんかに番組30分もたせるほどの話題あるの!? 茶屋自体ではなく??? 全然知りませんでした。そうだったんですね。世のなかつくづく知らないこと、面白いことに溢れています。
 “江戸幕府260年体制”世界的にも珍しい超長期に渡る政治的安定と、“江戸100万都市”世界有数の人口集中を兼ね備えた当時の江戸の町では、独創的な文化が次々に花開いていきました。さすがに現代と比べると衣食住にはまだまだ難儀するところもありましたが、人間案外呑気なもので、平和と人手さえ確保されていたらお仕事はほどほどにして遊ぶことを工夫したがるもののようです。生存するために必ずしも必要のないことが生業になる時代。これぞ生きてるって感じですね。

トピック1:どうして茶屋娘ブームが起きたの?

 「そもそもこれ、茶屋娘っていうのは何なんでしょうか?」
 「茶屋っていうとなんかこう、お茶屋さんとか、お茶を飲むところとかそういうイメージなんですけれども、飲食店全般の昔の言いかたなんですよね」

 一応補足しておきますと、全ての飲食店が茶屋と呼ばれていたわけではありません。蕎麦屋はあくまで蕎麦屋ですし、うなぎ屋もうなぎ屋です。あくまで「茶屋」という業態の範囲がイメージより広いというだけであって、飲食店=茶屋ではありません。

 茶屋というのはもともと旅人向けの休憩場所として始まった業態であり、旅人の喉を潤すお茶を提供したことから「茶屋」と呼ばれました。ただ、休憩場所であるからにはちょっとした軽食も欲しくなりますし、立地によってはしっかりとした食事のニーズも生まれます。もっと特殊な立地(※ 遊郭など)になるとお酒や宴会場、芸妓の手配や宿泊設備まで求められることすらありました。
 まあ、要するに喫茶店みたいな感じですね。スターバックスもコメダ珈琲店も快活CLUBも、利用シーンはそれぞれ明らかに異なるのに、どれも広い意味では同じ喫茶店みたいな。

 そんな茶屋のうち、お茶をメインで提供する業態を「水茶屋」と呼んでいました。
 一見、旅人の休憩場所だった茶屋らしい昔ながらの業態のように見えます。ですが、茶屋娘ブーム以降の水茶屋の実態は全然昔ながらのものじゃなかったところがややこしい話。なにしろ客は旅人ではなく、休憩したくて訪れるのでもなく、店の看板娘に会いたいがためにわざわざ足を運んでくるんですから。

 これはたしかに説明に困るところ。歴史的背景込みで長々説明しないと、どうして多様な業態を一緒くたに「茶屋」と呼んでいたのか訳がわかりませんね。先生がざっくりと「茶屋=飲食店全般」と言ったのも仕方のないところです。

 さて本題。
 江戸の町には全盛期で2万9000軒もの水茶屋があったといわれています。
 ただの旅人の休憩場所としてならこんなに必要なわけがありません。これらの大半はそもそも最初から茶屋娘ファンをターゲットにしたお店でした。
 どうしてこんな、茶屋娘ブームというより他にない事態になったのでしょうか?

 「めっちゃかわいい娘が急に出てきて、街で人気になったら、あの人は茶屋娘だってなって、そこからブームになった」

 花京院ちえりの回答。
 だいたい合ってはいますが、どうして口コミが広まったのかの考察が足りていませんね。口コミというのは人に話したくなる仕組みをある程度人為的につくってやらないと、意外に広まらないものです。
 「あそこにかわいい娘がいる」だけでは足りません。何もないのに特定の人間だけが話題になるわけがありません。お互いに共通のニーズがあるから情報交換するんです。あるいは、お互いの関心事に関連するから話のネタになるんです。そこまで考察してやっと、ここで求められている正答になります。

 「癒やしがほしかった。なんか、かわいい女の子によしよしされて癒やし――、あ! ありがとう! やったー!」

 回答途中で自分がよしよししてもらえた葉加瀬冬雪の回答。
 これもブーム前の社会事情を考えるといいところを突いています。ただ、やはり自然発生した口コミの波及速度を過大に見積もりすぎですね。

 「ズバリ! お茶を買うとオマケに全国のスーパー茶屋娘のラメシールが付いてきたんだと思います」

 電脳少女シロ安定のネタ回答。
 コラボカフェにありがちなやつですね。もちろん電脳少女シロ自身もやったことがあります。ランダム封入が肝。ひとりでコンプリートを目指す太客もいますが、一番大きいのはトレード需要のおかげで口コミがどんどん広がっていく効果にこそあります。自分がグッズコンプリートしたいがために友達に布教して同じ沼に沈めてやった前科がある人は少なくないでしょう。
 なお、ツッコむまでもなく茶屋娘ブームが起きたのは現代ではありません。江戸時代です。

 キーワードは「鈴木春信」「笠森お仙」

 鈴木春信は当時活躍していた浮世絵師のひとりです。これまた当時ちょうど技術が完成したばかりの多色刷り版画(※ 丹絵、もしくは錦絵といいます)の原画家として人気があったことで知られています。
 初期の浮世絵といえば肉筆が基本で、つまり基本的には一点ものでした。ですが、多色刷り版画が普及したことで浮世絵は大量出版されるものとなり、庶民にとって一気に身近な娯楽となりました。

 浮世絵が庶民に身近なものになったということは、絵の題材もより大衆的なものが求められるようになるということでもあります。春信も初期は歴史を題材に取った作品を多く描いていましたが、版画に移行してからは次第に歌舞伎の人気俳優や、町で評判の美人を多く描くようになっていきました。
 そのなかのひとりが、笠森お仙。13歳頃から父親の経営する水茶屋で働くようになり、当初から評判よい看板娘ではあったようです。17歳ごろ鈴木春信の版画のモデルとなってから人気が爆発。江戸中からお仙の店に客が詰めかけるようになりました。

 なにせ版画で、しかも人気絵師です。みんなが買って、みんなで感想を語りあえる環境が整っていました。twitterでバズったようなものですね。
 そして版元も商売で絵を刷っています。好評と見たらお仙だけで終わらず、次から次へと新しい美人画をリリースしていくわけです。ますますバズが拡大して一大クラスタへと成長していきます。
 こうして、多色刷り版画という新しいメディアの誕生とともに茶屋娘ブームが形成されていったわけです。

 なお、茶屋娘ブームが起きた背景にはもうひとつ無視できない重要な要素があったのですが、そちらは次のトピックにて。

トピック2:人気の茶屋娘を見つける方法は?

 「もうこれはシロ余裕ですね! ズバリ、GPSです!」

 電脳少女シロの回答。スパイか何かか。
 「でも、シロさ、おじいちゃんにさ、よく迷子になるからGPSを入れたスマホとか持たされてましたもん。だから『iPhoneを探す』とかでシロの位置がわかるんですよ」
 「はあ。無いです。江戸時代にGPSなんか。iPhoneもなきゃGPSもないですよ」
 「でもGPSって便利・・・」
 「本気の説教してあげましょうか?」

 戯言はともかく、問題はどうやってGPSを持たせるべき娘を見つけるかですね。ここで聞かれているのはそっちです。

 「そうですね。今だったらtwitterみたいなので拡散されるとかあるから、そういうシステムが江戸にもあったんじゃないのかなって思いますね。アナログでいうと、簡単にいうと口コミみたいな感じですかね」

 葉加瀬冬雪の回答。
 多色刷り版画の普及によって江戸の美人に関する話題は共有されやすくなりました。ただ、ブームが発生してある程度人数が増えてからだと、そればかりでは有名どころ以外なかなか知られる機会が少なくなるのは必然の流れです。それでは2万9000軒もあったという水茶屋全体を網羅することなんてできません。
 バーチャルYouTuber業界も昔は事務所の枠を越えた横断的なファンアートや切り抜き動画がつくられていたんですけどね。最近はめっきり少なくなりました。有名絵師も有名キャラクターしか描きません。こうなると有名な事務所に所属しているキャラクターにだけ話題が集中して、マイナーな企業勢や個人勢が発掘されることはほとんどなくなります。それと同じです。
 口コミというのは、積極的に広めようとする仕掛け人がいて初めて大きく広まるものです。

 「かわいい娘を見つける方法だから、ナンパですよ、ナンパ。『で、どこの茶屋で働いてんの?』みたいな。『へー、そうなんだ。今度行くわ』みたいな感じで行くみたいな感じじゃないスか」

 花京院ちえりの回答。
 これはまさにブームをつくる仕掛け人側の仕事ですね。ガリベンガーVにも今ディレクターというバーチャルYouTuber発掘を担当している営業スタッフがいるようです。他局では日本テレビのとりいPという人物がやたらあっちこっちのコメント欄に出没することで有名ですね。
 個人として新しい茶屋娘を開拓していくには存外有効なアプローチかもしれませんが、当然ながら全ての人がそこまでの熱意を持っているわけではないので、この手のやりかただけではブームというかたちにはならなかったでしょう。

 キーワードは「娘評判記」
 そういう名前のついた絵草子が何種類かあるのですが、ぶっちゃけ以下の話には関係ないはずなので編集でバッサリカットされたのかもしれません。

 江戸時代はランキング大好き人間たちが跋扈する時代でもありました。とにかく何でもかんでも番付にして、町のあっちこっちに張り出していました。私の知っているところだと、お座敷遊び番付だの豆腐料理番付だのいう限定勝負にもほどがあるジャンルまで存在していたようです。
 当然、遊郭にいる遊女の番付もありました。当時の遊郭はそこそこ敷居の高い遊びでしたからね。遊女と実際に会うまでそれなりの手間がかかっていたわけで、事前に評判を知ることができる番付には相応の需要がありました。

 で、同じノリで茶屋娘の番付をつくっていた人たちがいたようです。しかも複数団体。上位三役くらいはともかく、下位陣は版元ごとにだいぶ異なった顔ぶれだったようですね。
 つまるところ、彼らは押し並べて茶屋娘たちの熱心なファンであり、自分の推しを布教したいがために独自の番付をつくっていたんです。

 今だと安易なランキング付けは炎上案件になりがちですけどね。それでも、大勢の名前をまとめて一覧できるランキング形式というのは注目度の再分配ツールとして有効なんですよ。大勢の名前が載っていればそれだけランキング自体に興味を持つ人が増えるということで、結果的に下位陣への注目度も増します。
 ややマイナー、くらいの立ち位置の推しを探している人は絶対にいるんですよ。いつの時代も。ただ、肝心の探す手段がなかなか無いんですよね。ファンアートあたりだと手がける絵師ごとに上位陣は上位陣だけ、下位陣は下位陣だけで格の区別をつけちゃいがちですし。ランキング形式はそういう需要に応えるんです。
 上位陣ではなく、下位陣を人々の話題に載せるために。メジャーどころしか知らない人たちに自分の推しをさりげなく布教するために。

 「遊郭の勉強を先生にしていただいたときは、やっぱり、何回も通わないと遊女に会えないっていう、すごくハードルが高いなっていうイメージを持ったんですが、お茶屋さんの茶屋娘はどんなに人気になっても普通にお店に行ったら会えるものだったんですか?」

 ここで電脳少女シロの質問。
 実はこれこそが茶屋娘ブームの核心。そもそも茶屋娘は、会うための敷居が高くなりすぎた遊女の代わりとして人気が出るようになったんです。

 これは日本の遊郭に限らず、大規模な色町を抱える都市ならどこでも世界中で見られた現象です。
 性接待って1人の遊女が一度に取れる客の数はどうしても少なくなりますからね。指名されるくらいになった遊女は必然的に客を選ばずにいられなくなって、現代のアイドルの比じゃないくらい、加速度的に会うことがどんどん難しくなっていってしまいます。
 なので、大多数の客は次第に人気の少ない遊女に、あるいは遊女ですらないそこらの給仕などに興味の対象を移すようになるんですよね。本当に世界中どこでもそう。

 その点、茶屋娘が提供するサービスはお茶や食事の給仕くらいのものですので、一度に多くの客を相手にできました。人気が上がっても客を選別するペースは比較的緩やかでした。そういうところがウケたんですね。
 それでも、給仕以外のサービスまで求める一部の太客は何杯もお茶を注文して、お茶代に色も付けて、特別な要求をしていたようです。先生によると握手くらいのものだったということですけどね。一部には接吻させてくれるということで人気になった茶屋娘や、店の裏手で性接待してくれる茶屋娘なんてのもいたようですが、まあ、そういう過激なサービスをするためにはひとりあたりの接客時間を増やさなきゃいけないわけで。ある程度以上の人気を得たらそういうことはやりたくてもできなくなりますよね。
 まるっきりAKB48の握手券商売や地下アイドルの過激なパフォーマンスに通じる話です。

トピック3:どうして茶屋娘ブームは終わったの?

 茶屋娘ブームは急速に盛り上がったのち、わずか25年ほどでほぼ沈静化し、40年後には完全に終息してしまいました。それはどうしてでしょうか?

 「お茶屋さんのブームが去って、また遊郭に戻ったみたいな」

 花京院ちえりの回答。
 これも世界中の色町でまま見られた現象ですね。遊女の敷居が高くなりすぎて人気が落ち込むと、今度は意図的に敷居を下げて競合から客を取り戻そうとします。それで一時的には人気が回復するんですが、やがてまた敷居を高くせざるをえなくなって、人気が落ちて、また敷居を下げての繰り返しです。
 そういうゴチャゴチャしたことをしているうちに、客の期待する格式や手軽さを色町側が両立できなくなって、大規模な色町というのは軒並み崩壊していくことになるんですよね。

 「2万9000軒あったということだから、似たようなのがメチャメチャ出てきちゃって、単純に飽きた」

 葉加瀬冬雪の回答。
 これは違いますね。同業者がいくら増えたところで、パイの食いあいが発生することはあっても、全体の人気そのものが落ち込むことは普通ありません。
 そういうケースがあるとしたらゲーム業界におけるATARIショックみたいな状況くらいです。クオリティコントロールが全くなされず、また、上質なものと低品質なものの見分けがつかなくなると業界全体の客離れが起きます。悪貨が良貨を駆逐するわけですね。
 ただ、江戸の町に関しては上でも書いたとおり番付大好き人間が山ほどいたので、本当に評判のいいものがわからなくなるという事態はまず起きなかったでしょう。

 「ズバリ、コーヒー娘が台頭してきたんだと思います!」

 電脳少女シロの回答。
 日本にコーヒーが入ってきたのは幕末ごろといわれているので、これも違いますね。というかお茶からコーヒーに鞍替えしたところで何だというのか。客はなァ! お茶じゃなくて女の子を求めて店に通うんだよ!!

 キーワードは「寛政の改革」
 松平定信が行った政治改革ですね。この時期の日本は飢饉が続いていて、幕府の財政も威信も非常に切迫した状況でした。このため寛政の改革では税制の強化と経済活動の自由かを同時に進めることになりました。これが「水茶屋から運営金を徴収」と「営業時間延長を許可」というかたちで表れるんですね。ただ、これについては水茶屋にとってそれほど影響の大きい制度改革ではありませんでした。
 一番ダメージが大きかったのは、浮世絵にモデルの名前を載せるのを禁止したことでした。より正確には、出版物全てに幕府の検閲が入ったんです。なにしろ飢饉が続いていましたから。江戸町民にもあんまり娯楽にばかりお金を使わせたくなかったんですね。その検閲の一環として、風俗を正すという名目のもと、こんな誰も得しない条件が入りこんじゃいました。
 浮世絵は茶屋娘についての口コミを広げる有力なツールのひとつでした。これを実質的に取り上げられてしまったため、茶屋娘ブームはその後終息の道を辿ることになります。

 ちなみに、本当にどうしようもなくなったのは天保の改革以降なんですけどね。
 このときの改革ではそもそも茶屋に看板娘を置くこと自体を禁止されてしまいました。
 さすが水野忠邦。潔癖にもほどがある。

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    コメント

    1. 匿名 より:

      科学がどれだけ進歩しても人間の精神性は全く成長してないことがわかる面白い回でした。

      • 疲ぃ より:

         むしろやりたいことをやるために科学技術や文化文明を発展させていくものだってことなんでしょうね。
         お茶を何十杯も飲んで長居もして握手待ちするよりか、CD付き握手券を買ったほうが効率的。
         でも一瞬の握手だけだと全然アイドルに顔を覚えてもらえないので結局握手券にも廃課金することにもなって。難儀なものですね。

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