
くっ。抵抗するか。再び私を拒絶するか・・・!

世界を滅ぼす憎しみ同士がぶつかりあう物語。
(主観的)あらすじ
天はるか楽園を目指し、レックスたちは世界樹の内部を駆け上ります。世界の始まりを知るために。世界の終わりを拒むために。彼らの思いは必然として、世界を終わらせようと企む者たちの始まりへと向きます。
マルベーニは何を憎んでいるんだろう。ブレイドとともに、新しく生まれ出ずるアルスまで滅ぼそうとする彼は。ひょっとして本当に憎んでいるものはブレイドだけでなく、人間だけでもなく、世界だけですらなくーー。
シンは何を嘆いているんだろう。いたずらに同胞を増やすことを拒み、永い時間を孤独に戦いつづけてきた彼は。たとえばホムラたちなら永遠に生きることを望まない。大切な人と添い遂げることの方が幸せだから。きっと、それと同じ思いなのではないかーー。
すでに地上ははるか遠く。レックスたちはイーラ率いる巨大戦艦とマルベーニの操るアーケディアとの激しい戦闘に遭遇します。マスタードライバーとしての力を振るうマルベーニの切り札。それはかつてブレイドであった者、そして多くの人々を生かす大地そのもの――スペルビアでした。

「人を、ブレイドを好き勝手に操って、なにが“神の言葉を代弁する”だ! そこで待ってろ! シンはオレたちが止めてみせる!」
物語開始当初は考えなしの無鉄砲にしか見えなかった、レックスの前だけを見据える性分。今ではそれがなんとも頼もしく見えます。
「そこで待ってろ!」と言い放った相手は明らかな邪悪。世界を滅ぼさんとする憎悪の固まりです。ですが今のレックスはそいつに背を向けて走りだします。今この瞬間に自分がすべきことは別にあるから。
迷いません。惑わされません。今の彼は周りがちゃんと見えています。見たうえで、今向かうべき先だけを見つめています。
もっとも、今回の感想文の主役は彼ではないのですが。何気にボス戦すらなかったしね。
生きることを考える / 死ぬことを考える
「ブレイドのみんなに聞きたい。正直に言って。もっと生きたいって思ったこと、ある?」
ニアの問いに答えるそれぞれの思いは、とても面白いものでした。
昔の自分には興味があっても、今のドライバーが亡くなった後まで存在したいとは思わない。
今のドライバーとの思い出は、今のドライバーとだけ持っていたい。
最後まで今のドライバーの傍にいられたならそれで満足だ。
ご主人が死んでミボージンとして取り残される未来を考えると、悲しい。
いつか大切な人と眠りにつけたなら、それは幸せなんだろうな。
“生きたいか?”という問いに答える言葉は、例外なく“死にたいか?”にひっくり返ります。私も何パターンか頭の中で問答を試してみましたが、確かにどうあっても“いつ、どんなふうに死にたいか?”の思考にしかならないんですよね。
思うに、生きるということ自体は手段でしかないのかもしれません。目的が付与されるとしたら、それは生ではなく死にこそです。生は途上で、死が終着。
だから“生きたいか?”という問いは必ずその行き着く果ての“死にたいか?”に帰結するわけです。
それを念頭に考えてみると、ああ、確かに今のシンのあり方は悲しいですね。
ラウラさんってばやっぱりイヤな女。
シンは自分のドライバーだった彼女の遺志、忘れられたくないという思いを叶えるために、マンイーターになる道を選んだんですもんね。
つまりその時点でシンは生きることそれ自体が目的化してしまったんです。彼は死ぬことを許されません。死んだら大切な人の想い出が世界から永遠に失われてしまいます。500年でも、もっともっと永きに渡っても、シンは永遠に生きつづけなければなりません。
そういう、呪縛。
・・・そりゃ辛いですよ。
3作前のプリキュアがですね、似たようなことをしていたんです。「プリンセスになりたい」とかいう現実にはどうやったって叶いっこない夢を追いかけて、永遠に完成することのない自分磨きに明け暮れる。そういう、終わりのない努力。
女児アニメにあるまじきストイックさですよ。でも、かの主人公はそれでも幸せそうでした。その夢にゴールはないけれど、だからこそいつでも前を向いて努力しつづけられるわけですから。
対してシンの生き方は初めから後ろ向きです。彼に与えられたものは夢ではなく、想い出です。未来ではなく過去に存在する概念です。想い出を守ること自体には、自分を高めるとか努力するとか、そういう生産的な活動の動機となりうる機能がありません。
それはとても空虚な生き方です。生きる目的がないんですから。しかも本来なら目的となりえたはずの死すら、彼には許されなかったんですから。
その想い出自体は絶対的に善いもので、500年もの間シンの心を支えてくれた暖かいものであったことは疑いない・・・からこそ、なおさら悲しい。
シンもラウラも間違ったことはしていない。少なくともふたりにとっては善い選択をした。その結果としての今なんですから。だから、なおさら悲しい。
その永劫の苦しみから解放されるための答えが、世界を滅ぼそうとする意志の本質なのかな? もちろん色々な恨みや理不尽への反発も織り交ぜてのことではあるでしょうけれど。
想い出を世界に留めつづけることがシンの役目であるのなら、世界自体を無くしてしまえば、己の信念に矛盾することないままに役目からは解放されるわけですから。
肥大する憎しみ
もうひとりの世界の破滅を望む者、マルベーニは・・・好かんです。正直。今のところ。
「人を憎んで、自分を憎んで、やがては世界を憎む。世界を憎んだあとはどうする? そんな世界なくなってしまえばいいーーそうならないかな」
どうもレックスの推論がそのままばっちり当たっているっぽくて。
この人、ひょっとして傭兵団レベル5昇格のクエストで話題に上っていたインヴィディア六大貴族の生き残りなんですかね? 追われていた場所がグーラだったってことは。
なんにせよ彼の始まりが人間への憎しみを起点としていたのは確かなようです。
彼はその憎しみを(おそらくは順当に、日々の営みのなかで)太らせつづけ、やがてメツを手にするほどに育てあげました。
そしていざメツの力を初めて目の当たりにした彼は、その強大さに歓喜に震え・・・たのもつかの間、なぜか目の前のメツに対して憎しみのこもった目を向けていました。
ろくでもないなー、この人。
たぶん次回あたりでもうちょっと詳しく語られるんでしょうけれど、要するにアレでしょ? 人間を憎んで、世界を憎んでの流れで、今度はこのろくでもない世界をつくったままほったらかしにした神様に憎しみを募らせて、どうにかしろと直談判しに行っても袖にされて、なのに世界を滅ぼすシステム(天の聖杯)だけは初めっから用意されていたっていう。その状況が気にくわないんでしょこの人。自分の憎しみすら神様の手のひらの上っていうのが。
だからメツが世界を滅ぼそうとするのを妨害する。結局自分も滅ぼしたいくせに。憎たらしい神様の思い通りにだけはさせるものかと私怨を拗らせて、それで手段と目的がチグハグしちゃっている。そりゃメツも離れるわ。
「くっ。抵抗するか。再び私を拒絶するか・・・!」
神様の都合で勝手に世界を滅ぼすなと。そうじゃなくて自分のために世界を滅ぼせと。
見方を変えれば神様の支配に反発する、人間として生まれた尊厳を大切にする、独立心みたいな捉え方もできると思います。
それならまあまあカッコイイですとも。下克上は日本人の劇作の花形ですとも。
ですが、好かん。
少なくとも私は好きになれません。
だって、彼は神様に会えなかったんでしょう? つまり神様は何もしなかったんでしょう?
それでどうして神様を憎むことになるんですか。
それって要するに、神様というものは世界を救うのが当然だ、みたいな前提があるから裏切られた気分になるんでしょうに。甘ったれんな。
たとえ私がどれだけ努力して、それでもどうにもならなかったとしても、その責任は私のものです。神様のせいじゃない。神様が率先して妨害していたならともかく、良いことも悪いことも何もしていなかったというのならば。その場合の神様は憎しみを向けるべき相手ではなく、ただ無関心でもってガン無視するべき相手だと、私は思います。
母親の仇を憎む気持ちは良いです。それは当然のことです。復讐譚は好みではありませんが、いちおう納得がいきます。
ですが、そこから拡大して世界だの神様だのまで憎むのは納得がいきません。世界中全人類がマルベーニの母親に「死ね」と悪意をぶつけたのならともかく。神様がマルベーニひとりを不幸にするためだけにわざと運命を弄んだならともかく。そうでなければ、甘ったれんな、としか。
まあ、仮定に仮定を積み重ねている自覚はあるので、実際のところはこれからの展開次第ですね。
もし母親の仇から神様まで納得のいく連続性があったならゴメンナサイ。
そうでなかったらグーパンかまして、普通に中ボスとしての役割を全うしていただきます。
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