オッドタクシー 第8話感想 現実にも夢にも縋ることを許されないのなら。

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ミステリーキッスが天下取るまで死ねないっス! 辛酸舐めてきたミステリーキッスにもようやく春が来そうなんです!

「Bless you」

気になったポイント

美人局

 身辺調査せずに拉致したんかい! 暴力が安すぎて逆に恐ろしいわ! 殴るの大好きだなヤノ!
 さておき、構造自体は普通の美人局だったのが確認できて一安心。

「俺をトランクに乗せてくれ」

 ドブさあ。自力でトランクから出て来るつもり? 小戸川に自分の命握らせて大丈夫?

「年齢に関しては魂と肉体が剥離しているからわからなかった」

 ×剥離 ○乖離
 素養の話をしているときに生々しい誤用をしよってからに。小戸川と剛力先生の教養格差を示しつつ、格差を超越するスゴみも醸していて良いセリフ。

「俺は歯に衣着せないという虚像の衣を着ている」

 こういう考えかた好き。さだまさしがNHKの番組で「“さだまさし”もバーチャルYouTuberみたいなもの」と発言していたのに通じるものがある。

剛力クイズ

 鳥の写真を混ぜたのはどういう意図? 小戸川にとって人間が動物に見えていると多少なりとも勘づいている?

「オッケー、オッケー。かわいいよなホント二階堂。今度言っといてよ。今夜俺と2回どう?」

 さて。単に韻を踏みたかっただけなのか、それとも常習なのか。どっちにしろ大した話ではないけれど。

 樺沢オンラインサロン

 樺澤のようにカリスマ性で人気になった人のファンは自分が責任を負うことを極端に嫌うため、「裏切り者がいる」などとストレスをかける行為は悪手。お互いに自分が潔白なことを証明しようと犯人探しを始めて収集がつかなくなる。
 調べてみたところ、オンラインサロンの相場として月額1万円は現実に集客できるほぼ上限額らしい。

大門兄

 ドブに防犯カメラのデータを渡しておいて、どの客が練馬の女子高生なのか教えていないのはどういうつもりなのか。一時的にでも捜索願が出されていたんだから、交番勤務なら顔写真くらい手に入るだろうに。どうしてこんな中途半端なことをしているのか。
 ところでヤノ陣営には全然接触なさそうね。

きっと8割くらいの視聴者が同じリアクションだったやつ

 「さすがお医者様は言うことが違うね。――お。動揺したな。それぐらいがかわいげあっていいぞ」
 「何でわかった?」
 「俺、超能力持ってるんだ」

 お! 小戸川の視覚周りの新情報来るか!?

 「超能力にも色々あってね。俺には魂が見えるんだ。さっきからお前の魂が『俺は医者だぞ』と叫んでる。年齢に関しては魂と肉体が剥離しているからわからなかった。・・・つまり老けてるってこと」

 とりあえず超能力というのは小戸川のテキトーなフカしだとして――。

 職業がわかる? どういうことだ? そういえば前話の水死体発見現場で警察官のなかにやたら犬の姿が目立ってたな・・・。動物の種類にはある程度職業も反映されるのか?
 いやいや。それにしたってゴリラに医者っぽいイメージあるか? ・・・あるかもなあ。森の賢者だしなあ。なるほどなあ。

 「わっはっは! 面白いな。じゃあ今俺の魂の叫び聞こえるか? なんて言ってる?」
 「『曲がるな』『まっすぐ行ってくれ』。・・・こっち曲がったほうが早いんだよ、あんたの病院」

 待て待て。それはいよいよ人間が動物の姿に見えている件と関係がない。実際、小戸川と似たような視界を共有していると思われる私には全然読み取れなかった。それだと色々前提が壊れる。
 ひょっとして小戸川の異能は人間が動物に見えているのとはまた別のものなのか? どこか大きく読み違えしていたか? フェイクに引っかかっていたか?

 そういえば第1話で「ドブを倒すにはバイオテクノロジーを使うしかない」みたいなヨタ話があったな・・・。
 意外とあっちが本命だったか? 小戸川改造人間説急浮上か? 未来予知能力か? 四次元視覚で時間素子を視認してどうたらとか、アカシックレコードにアクセスして云々とか、そういうやつか? 小戸川が世話になったっていうナントカ育英会、実はショッカーだったりするのか?
 この世界、人間が動物に置き換わっているだけであとは現実そのままだと思っていたけれど、実はけっこうSF入っていたりするのか?

 でもそっちはそっちで白川がアルパカに見えたり市村が三毛猫に見えたりしているのと関係なくなっちゃうんだよな・・・。

 「あとでカラクリを聞いたら、なんてことはない。前に俺を乗せたことがあるってだけだった」

 なんだよもう!

失うものがない、ということ

 「あ。・・・母ちゃん。ごめん、こんな遅くに。――いや、何でもないんだけどさ。元気かなって思って。こないだ結婚するかもって言ったこと、諦め・・・、て・・・」

 柿花は夢を見ました。

 分不相応な夢だったのかもしれません。
 夢に溺れてしまっていたのかもしれません。
 どこかで大きな間違いを犯していたのかもしれません。
 最初から全部間違っていたのかもしれません。

 「金か? 結局金なのか?」
 「お金だってその人の能力のたまものなんだから。そりゃ大事よ」
 「ママは本当の愛を知らねーんだよ!」
(第1話)

 もし、お金があれば。

 「柿花。妬んでるから言ってるんじゃない。冷静に考えろよ。さっきお前が言ったんだ。俺たちは婚活市場じゃ需要ないんだろ」
 「だからフィーリングが――」
 「会ったこともねえのにフィーリングも何もあるかよ」
(第3話)

 もし、お金以外でホレてくれる女がいたら。

 「俺さあ、高校のときはそこそこモテたじゃん。でも社会に出ると、見た目とかさ、仕事ができるとかできないとか厳しいじゃん。やっぱ歳とともにそういうの諦めつつあったんだけど――。ようやく春が来そうなんだ」(第3話)

 もし、世間の常識のほうが間違っていて、本当は自分に有利な価値観こそが正しかったなら。

 甘い、夢を見ていました。

 「お前・・・。フィーリングを嘘のスペックが凌駕してんじゃねえか!」
 「わかってるよ! それでも、夢見たいんだよ! ・・・いいじゃねえか、夢見るくらい」
(第3話)

 いいえ。
 柿花には夢を見る権利すら与えられていませんでした。
 結局は金でした。女は金に寄ってきました。世間の常識は何も間違っていませんでした。

 柿花が見たのはまがい物の夢でした。
 自分のものじゃないお金をポケットに突っこんで、女性をお金で繋ぎとめている自分の姿に目をつぶって、お金によらない真実の愛は実在するんだってひたすら自分を騙そうとしていました。
 己の全人生を質に入れて、全部お金に替えて、そうしてつかの間、まがい物の夢に耽溺していました。

 夢に、甘えていました。

 「・・・しほちゃんは? しほちゃんは無事なんですか?」
 「Yo. 柿花ちゃん。お前がワンチャン狙ってた姉ちゃん、今さら信じたってそれ無理あるじゃん。お前の資産ほしさで媚びる計算高い女なんだから。もう退散してるし。つまりは美人局。ダセえお前をしばらく泳がせ惰性で花持たせ、しゃぶりつくして最後に殺せって指示出してんのは――、この俺」

 夢じゃない。
 夢なもんか。
 夢だなんて嘘だ!

 柿花は信じません。

 ある意味、それは間違っていませんでした。
 だって、わかっていたはずでしょう?
 お金じゃない愛をお金で買う。そんな自己矛盾甚だしい自己欺瞞に手を染めた時点で。
 それは真っ当な夢ではありませんでした。まがい物の夢でした。

 まがい物の夢だから、その夢は叶いませんでした。

 これが夢じゃないのなら何なのか。
 ・・・現実?

 「大丈夫? しほちゃん。俺強いんだあ、本当は。もうね。あらゆる格闘技に精通してるから。ちびっこ相撲からナントカ柔術まで。――しほちゃん! それも言わされてるんだろ!? 楽しかったじゃん、おいしいものいっぱい食べてさあ! ――嘘ばっかり! そんなこと言う子じゃないだろう!? しほちゃんの嘘つき!!」

 いいえ。現実ですらありません。
 これはまがい物の夢。
 現実と戦うための勇気をくれる夢ではなく、冷たく厳しい現実そのものですらなく、自分を甘やかすために自分でつくりだした、まがい物の夢。

 柿花は信じません。信じるわけにはいきません。

 しばしば語られる、いわゆる“失うものがない人”というものは、現実にはそうそう存在しないんじゃないかと私は思います。
 だって、怖いですよ。信じられるものが何もない瞬間って。
 大切なものの悉くを失いつつあるとき、夢を見ることができなくなったとき、人は現実から目を背けてでも、必死に何かに縋りつこうとするものなんじゃないでしょうか。

 縋れるならこの際何だっていい。仮そめの愛でも、薄っぺらい過去の栄光でも、信仰する気のない神様でも、くっだらないどこかの誰かの言葉でも。
 私なんかはそこらのスーパーで親子連れを見かけると救われた心地がします。愛というものはいついかなるときでもたしかに存在するんだって確認できるから。たとえ自分が独身であっても他の人のもとには愛があるって信じられるから。
 この世に何かひとつでも確かなものがあると信じられる、その安心感。
 コギト・エルゴ・スム。人間が地に足つけて思考するために必要とする頑丈な哲学的基盤。

 柿花は信じません。たとえ騙されていたと理解してなお、しほのことを信じつづけようとします。
 柿花は己の全人生を質入れしてまで、しほに愛されていたという、まがい物の夢を買いつけていました。
 たとえまがい物でしかなかったとしても、これを失ってはもう柿花の手に残るものは何ひとつありません。

 だから、しがみつきます。
 現実には騙されていたんだとわかっていても、絶対に叶うことのない夢だとわかっていても、それでも信じます。信じるために、信じません。
 現実にもはや縋れるものが何ひとつ無いのなら、まがい物でもいい、現実に存在していなくてもいい、それでも何かに縋りたい。

 柿花にとって、しほに愛されていたという欺瞞は、己の全部でした。

 「いつも何かを探していたように思う。それと同時に、いつも何か満たされない人生だった。その何かを死に物狂いで手に入れて、得られるものは一瞬の快楽だ。それは幸運とはほど遠い、ただドーパミンが放出されるだけの一瞬の快楽」(第4話)

 “失うものがない人”なんてそうそういるものじゃありません。
 あの田中ですらドードーという自分だけのヒーロー像に縋って生きています。人間に殺されたドードーに成り変わり、人間を殺すことでドードーの強さを改めて示すという無意味な妄執に取り憑かれています。

 柿花は――、失うでしょうか?

 自分の全人生を手放して、諦めてしまえるでしょうか?
 もし何も失うものがなくなってしまったなら、彼は、――人は、いったいどうなってしまうものなんでしょうか?

 「知ってるかもしれないけど、あいつは小学生のころ両親に捨てられてからひとりで暮らしてるんだ。孤児を支えるNPOか何かが生活費を振り込んでいたらしい。『おかげで何も困らなかったし、辛くもなかった』ってうそぶいていたけど、イマジナリーフレンドつくってたんだとしたら、気付いてないだけで相当なストレスを抱えてたのかもなあ」

 小戸川は・・・、もしかして知っているでしょうか?

 「・・・私が行ったら、小戸川さん帰ると思います」

 借金を失うと同時に小戸川との縁まで失った白川になら、少しは気持ちがわかるでしょうか?

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